百九話 遠征軍の本隊が近づいてきたようです
エヴァレットが予想したよりも、遠征軍の到来は遅かった。
三十日経っているのに、まだ近くまで来ていない。
けど、そのお蔭で、次の潜伏先である村と、友好関係を築くことに成功することができている。
エヴァレットの作る薬品や、彼女と同行している子達の回復魔法を利用して、かなりあっさり取り込めた形になった。
いつでもその村に転居可能になったので、あとは遠征軍がこの前線に近づいてくる頃を見計らって、退去すればいいだけな状況だ。
そんなある日、マニワエドが診療所にやってきた。
大怪我で運ばれた人はいないので、軽症の兵士の治療に当たっていた、俺やバークリステたちは揃って不思議そうにする。
兵士たちにとっても、あまりに予想外の来訪だったのか、反応するのが少し遅れてた。
「そ、総参謀、マニワエド・スラフッエ殿に――」
慌てて一人の兵士が口を開くが、マニワエドはそれを手で制した。
「いまはよい。聖女と連れの方々に、話があってきただけなのでな」
マニワエドは参謀らしい態度で、兵士たちに楽にするようにと身振りする。
その後で、バークリステに近寄り、俺たちを手招きして呼び寄せた。
そして診療所の角へと連れて行く。
どうやら、兵士たちにあまり聞かせたくない話をするみたいだ。
バークリステもそう察知したのだろう、小声でマニワエドに喋りかける。
「どうか、なさったのですか?」
質問に、マニワエドは参謀の顔をやめると、口惜しげな表情になった。
「どうやら、遠征軍の本隊に、貴女がたの噂が伝わったようです。それで、伝令をここに走らせてきました」
差し出してきたのは、掌大の紙。
その下部に書かれている署名は、話の流れから、きっと遠征軍の総大将のものだろう。
書かれていた内容は――
「異形の子を連れている自称聖女を、即刻前線部隊より追い出すこと。それで治療の手が足りなくなるのなら、森での活動は自粛すること。ですか」
――バークリステが要約して読み上げてくれた。
それを聞いて、マニワエドは困惑げに頷く。
「その通りです。害だけあって利のない伝令ではあります。ですが、これは軍隊の長たる者の署名が入っているため、軍務命令です。我々は従わないといけません」
先は言わなくても分かるだろうって感じで、マニワエドはバークリステを見やる。
こちらとしては、事前に予想していた通りの展開ではあった。
けれど、そう悟られないために、バークリステは名残惜しそうな演技をする。
「聖都にいらっしゃる、偉い神官さまの許可証があるため、わたくしたち独自の判断で治療行為を行うことは可能でしょう。しかしそうなると、ここにいる兵士の方々に、迷惑がかかることになってしまうのですね」
「はい。恐らくは、兵士たちに無謀な命令で、重傷者や死人を生み出すでしょう。貴女たちの治療の腕が悪いからだと、難癖をつける、それだけのために」
そんなことをしかねないほど、遠征軍の総大将は権力に腐った人物だと、マニワエドは言いたいようだ。
バークリステは、その人物像を聞いて、嫌悪感を顕わにする。
「度し難い人物ですね。ですが、現実にそうなってしまっては、取り返しがつきません。ここはわたくしたちが、退去するほうがよろしいでしょうね」
「……申し訳ありません。こちらから協力を依頼しておいて、この様とは」
「いえ、貴方のせいではありません。なのでこれから先は、わたくしたちに対して気を病まずに、兵士の身の安全に心を配るようにしてください。大怪我を治せる力のある、神官ばかりでないのですから」
「貴女がたが立ち去る理由は、こちらが今日中に兵士に伝えます。なので明日の朝、どうどうとこの場から出立してください」
優しい言葉をかけたバークリステに、マニワエドは感謝を込めた敬礼をすると、診療所から出て行った。
俺たちも、言われたとおりに、この場所から離れる準備を始める。
ほどなくして、俺たちがいなくなるという話が兵士の間を駆け巡ったようで、喧騒が起きた。
けど、なんらかのお達しがあったようで、兵士たちが診療所に雪崩れ込んでくるようなことはなかった。
その代わり、俺たちが自分たちの馬車に荷物を詰める姿を、心細そうに見つめている。
そんな様子を、バークリステは見て取ると、俺にこっそりと耳打ちしてきた。
「わたくしたちが立てた、予想通りの展開になりました」
「そうですね。これで遠征軍本隊がやってきたとき、暴動にならないといいですね」
「わたくしたちから回復魔法を受けられないようになったことに、兵士たちが不満を漏らさないことを願うばかりですね」
俺たちは本心からではない言葉を小声で交わしながら、明日に出立する準備を整えていったのだった。
目星をつけていた村に移動し、住み始めた。
エヴァレットたちからの報告では、特に大した特徴のない村だった。
実際に、俺たちが到着する直前まで、そんな感じの村だったらしい。
けどいまは、村人のほとんどが、暗い顔で道を行き交っている。
どういうことかと、この村まで道案内してくれた、エヴァレットに聞いてみることにした。
エヴァレットは、その特徴的な長い耳をピンと伸ばすと、少ししてこちらに耳打ちしてきた。
「どうやら、備蓄していた食料と収獲可能な作物を、ほぼ全て遠征軍に盗られてしまったようです」
「買い上げたのではなく、盗ったのですか?」
「はい。問答無用で運ばれていってしまったと、次の作物が出来る前に飢えるかもと、そう愚痴を言う人が多いみたいです」
どうやら、食料の徴収にあってしまったようだ。
むしろ、この村は遠征軍の通り道じゃないため、より多くの食料を盗られた気配すらある。
治安の不安を解消するために、大々的な行軍しているのに、これでは意味がないように思うんだけど。
どうやら遠征軍の仕組みやその総大将の能力を、見くびっていたようだ。
俺が予想したことの、さらに下を行くなんて……。
この様子だと、この村に住むのは難しいだろうなぁ。
って思っていたのだけど、エヴァレットたちは、俺の予想を上回って頑張ってくれていたようだ。
なにせ、エヴァレットたちの顔を見るなり、村人たちが救いの手が現れたような顔をしていたからだ。
「黒き聖女さまが、戻っていらっしゃったぞ!」
「これで、飢える心配をしなくてよくなるぞ!」
ここでもまた聖女かと、『黒き』という冠詞から、エヴァレットに目を向ける。
「なにをしたのですか?」
「この村の近くにある平原にある、食用の野草や薬草を教え、それを畑の隅に植えるように教えただけです」
きっとその草は、畑の雑草だと思われて、遠征軍に取り上げられなかったのだろう。
「薬草はともかく、野草を畑に植えるのですか?」
「はい。ダークエルフの集落は、襲撃者に備えて、常に場所を移す作りになっていました。そのため森の各地に野草を植えて、一見しただけでは畑だと見破れないように偽装する必要があったのです」
そんなことをしていたんだと感心した。
けど、そこで気がついてしまった。
俺が集落を滅ぼした後、ダークエルフたちがあっさりと、何も持たずに森に消えていった理由にだ。
きっと、その野草畑と森の恵みだけで、ある程度の期間は食いつなげると、分かっていたんだろうな。
ということは、何ヶ月も経った今頃は、新しい長の下で新しい集落を作っている可能性がある。
あのダークエルフたちは、戯飾の神の信徒になっているんだったよなぁ。
となると、森に入ってゴブリンや魔物を狙う遠征軍を、ダークエルフたちが襲う可能性も出てきたか?
――いやいや、それはないな。
ダークエルフで生き残った人数は少ないから、集落を立ち上げていたとしても、今は復興で手一杯のはずだ。
なのに、少ない人数をさらに裂いた上に、集落のあった場所からかなり遠い森まで、遠征軍をやっつけに来るとは思えない。
それこそ、遠征軍が森の中で迷いに迷って、うっかりダークエルフたちの領域に入り込まない限りは。
そんなダークエルフの襲来よりも、より現実的な問題がある。
それは、森にいるゴブリンたちが、野生動物や魔物を手懐けているのか、いないかだ。
診療所で働いていたとき、野生動物に怪我を負わせられる兵士が多かった。
もしもゴブリンと野生動物が同時に襲来したら、大混乱になりかねない気がする。
こんな感じで、次々と可能性が思い浮かんでしまう。
けど、遠征軍が動き出せば分かることかと、考えることをやめることにした。
その代わりに、聖女とおだてられているエヴァレットに、声をかけることにする。
「ほら、黒い聖女さま。村人に挨拶しないと」
「聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒たちに、聖女だなどと言われても、虫唾が走るだけなのですが……」
エヴァレットはぞんざいな感じで、道の上にいる人に、場所を開けるようにと身振りした。
それを手を振られたと勘違いしたのか、村人たちは道の横に膝をつくと、祈りを捧げ始める。
祈る姿を見たエヴァレットは、ドン引きだ。
片や、ダークエルフと気付いていないようすで、聖女だと祈りをささげる人々。
片や、聖女と言われて、気味悪がるエヴァレット。
その様子の対比が面白く思えて、俺は思わず笑いそうになってしまったのだった。




