九話 夜になりました
夕食後、台所に洗い桶を出して、その中に使用済みの食器を入れる。
他には特にやることもないし、ベッドのある部屋は二つあるので、分かれて休んだ方がいいよね。
「じゃあ、そっちの部屋を使ってください。私はこっちの部屋で寝ますので」
「えっ。あの、同じ部屋ではないのですか?」
「ベッドが二つあるのに、わざわざ一緒に寝る必要もないでしょう。村人に語った監視というのは方便ですしね。ああ、夜闇に紛れて村人は襲っちゃだめですよ。食事のときに渡したナイフ、こっそり持ったままでしょう?」
指摘すると、エヴァレットは恐縮している様子で、ローブの袖口に隠したナイフを差し出してきた。
「やっぱり、お返ししたほうが……」
「いや、持っていていいですよ。私がエヴァレットを信用している証です」
ナイフはフロイドワールド・オンラインで店で買ったもの。
だけど、偽装スキルがこの世界でも使えるなら、多少の素材と偽装した後で鍛冶スキルを使えば作れるものでもある。
そして仮に作れなかったとしても、そんなチャチなナイフでエヴァレットの信用を買えるなら安いもの。
そんな目論みをうさんくさい笑みで隠していると、エヴァレットが感謝してきた。
「今日会ったばかりなのに、刃物をお預けくださるなんて。この信頼、決して裏切りはしません」
「はい。では、話がまとまったので、部屋に入りましょう。お休みなさい」
そっと背を押して、エヴァレットを部屋に入れて扉を閉めてしまう。
俺も別の部屋に入り、ベッドに腰かけ、そっと壁に手を当てる。
薄い木の板か。防音は期待しないほうがいいかな。
言葉を口に出すと、エヴァレットまで筒抜けになりそうだから、独り言には注意しないと。
そんな事を思いながら、部屋の中を見回す。
あるのは、机とベッド、そして衣装ダンス。
簡素さと部屋の狭さと相まって、場末のビジネスホテルのような印象を受ける。
日本の小市民だった俺からすると、この狭さが逆に心地良い。
「さてさて……」
小声で気合を入れてから、まだ寝る気にはならないので、杖を壁に立てかけてから部屋の中を物色してみよう。
もしかしたら、薬のレシピ集とかを見つけられるかもしれないし。
机の上には、羽ペンや乾ききったインク壷しかない。
ベッドの下を探してみるが、エロ本どころか紙の一枚も落ちていない。
衣装ダンスを開けると、引き出しが何段かあった。
一つ開けてみると、薬師が死んでからそのまま置いてあったのだろう、衣服と靴が何組か置かれていた。
ズボンがあるので、男性物のようだ。
ポケットや裏地に仕掛けがないかを探していくが、何もなかった。
諦め悪く、タンスの中を隅々まで漁り、引き出しを丁寧に引き抜いていく。
最後の一段を抜くが、何もない。
肩を落とながら引き出しを戻そうとして、違和感を覚える。
一つ前に引き抜いた引き出しよりも、奥行きが短いように感じたのだ。
もしかしてと思って、引き出しの奥を手で探る。
すると、なにかの仕掛けが手に触れた。
手探りで触っていると、ふとした拍子に何かが外れる小さな音がして、倒れてきた小板が手に乗る感触がした。
引っ張ってもその板は抜けないようなので、板の付近に何かがないかを、また手探りする。
「――おっ、これは小さな本かな?」
感じた紙の質感を指で掴むと、引き出しの奥から引っ張り出す。
現れたのは、表紙に動物の革が使われている手帳だった。
開けてみると、インクで書かれた文字が、ずらずらと並んでいる。
ローマ字とルーン文字をごちゃ混ぜにして書いたような、見慣れない文体だった。
けど、視線を向けると、自然と脳内で日本語に変換される。
「異世界転移のお約束だね」
タンスを元に戻してから、手帳という戦利品を手にベッドに座る。
ステータス画面のアイテム欄から魔力ランタンを再び出し、点灯してからベッドの枠に吊るす。火で照らすわけじゃないので、火事になる心配はない。
さてさて、どんな内容が書かれているかなと、手帳を開いて最初から見ていく。
どうやらこの手帳は日記のようで、昔の村での出来事が書き込まれている。中には、誰がどんな怪我をしたかも記されている。
余白が勿体なかったのか、調薬についてのメモが書き込まれてもいるようだった。
十ページほど読んだところで、ふと思い立ってステータス画面のアイテム欄を押す。
そして、使用期限が切れた薬やその素材を入れたフォルダを開く。
中を確認すると『謎の薬』の幾つかが、『フィマル草の消炎軟膏』や『アンネツツジの虫殺し』といった名称に置き換わっていた。
よっし。これを読めば、この世界独自の薬草も判別が出来るようになるな。
あとは、偽装スキルが使えるか調べて。使用可能なら、錬金術師か薬師に偽装して、スキルで何か作れないかを調べることが出来るかも。
色々と楽しみが増えたことに気を良くしながら、手帳を次々に捲って読んでいった。
手帳を端から端まで読み終わると、謎だった薬や素材の大半が判別可能な状態に変わっていた。
それでも何個かは、まだ判別不能だ。
けど、薬のことに詳しいらしいエヴァレットに聞けば、判別可能に変わるかもしれない。
もう寝ているだろうし、明日になったら聞いてみよう。
手帳を閉じて、魔力ランタンの灯りを落としたとき、部屋の前に誰かが来た足音がした。
音を立てないように、壁に立てかけてあった杖を手に取り、そっとベッドから腰を浮かせる。
小さな軋み音と共に扉が開き、誰かが中に入ってきた。
侵入者を不意打ちに杖で殴ろうとして、それがエヴァレットであると気がついた。
「おっとと――どうかしましたか?」
攻撃を中止しながら問いかける。
すると、俺が起きているとは思っていなかったのか、エヴァレットは驚いた顔をしていた。
「いえ、その。特に用はないのですけれども」
もじもじとしている姿を見て、首を傾げてしまう。
「暗くて、トイレにいけないのですか?」
「いえ、そうではないのです」
「なら、夜這いですか?」
冗談でそう言ったら、エヴァレットは恥ずかしそうにしながら、ローブの前を掴んで裾を引っ張り上げ始めた。
「こんな汚れた体でよろしいと、お望みでございましたら……」
冗談を真に受けられてしまい、あと少しで股間が見えそうなところまで裾が上がる。
俺はギョッとして、思わずエヴァレットに近づいて、混乱から頭にチョップを食らわせてしまった。
頭に受けた衝撃からか彼女の手がローブから外れ、裾が元の位置まで戻る。
そのことにホッとしていると、涙目を向けられてしまった。
「無言で殴るほど嫌なのですか?」
……まさか、そう受け取られるなんて思っても見なかった。
なんと言うべきか悩んでいると、エヴァレットの顔が段々と悲痛なものになっていく。
ああもう。悩んでいる暇はない!
「エヴァレット、そうではありません」
ならどういうことなんだと、自分でツッコミを入れつつ、頭をフル回転させて考えをまとめていく。
「では、どうして抱こうとせずに、頭を叩いたのですか……」
もうちょっと待って欲しかったけど、なんとか言い訳が立つ筋道がついた。
それにそって、押し通そう!
「それは、ですね。貴女の体は、私が完璧に魔法で治しました。失った耳すらも、元通りにしてみせたでしょう?」
「は、はい。その通りです。それが――」
「いわば、新しい肉体に生まれ変わったも同然です。それにも関わらず、捨て鉢になってその新しい自分を蔑ろにしようとしたから、私は叩いたのです。それは自分の心に正直であれという、私が奉じる自由神の教義を冒涜する行為なのです!」
エヴァレットに疑問を挟ませる暇を与えずに、一気に言い切ったぞ。
色々と破綻している気がするけど、あとはこの言葉をどう受け取ったかだ。
固唾を飲んで結果を待つと、エヴァレットは何かを決意する瞳を向けてきた。
「神遣いさまの仰ること、よくわかりました。たしかに先ほどは、自分の心を無視して身を委ねようとしました。浅ましい行為であったと、反省いたします」
「おお、そうですか。分かってくれればいいのですよ」
「ですが――」
安心したのも束の間、エヴァレットはなぜかずいっと俺に近づいてきた。
「――今は違います。本心から、神遣いさまに抱かれてもいいと思っております」
予想外の言葉に、二の句が告げないでいると、エヴァレットが悲しそうな顔になった。
そして、俺の手を取って、彼女の胸元に押し付ける。
ローブ越しに、潰れないプリンの見たいな柔らかい感触が伝わってきた。
女性とそういった関係が乏しかった俺は、思わず赤面してしまう。
顔が赤くなったのを見てか、エヴァレットは恥じらいを表情に含ませながら挑発してきた。
「やはり、抱きたくはありませんか?」
退路を断たれて、進退が窮まってしまう。
慰めるため、出任せな言葉を使ったけ結果に、こんな状況になるなんて思いもよらなかったよ!
けど、無責任にさっきの言葉を嘘にはしたくはない。
それに、エヴァレットのようなダークエルフの美少女に迫られて、男として嫌ではない!
腹を括って受けようと決める。
すると少し心に余裕が戻り、エヴァレットの様子がよく見えるようになった。
顔や態度では迫ってきているけど、肩や足は小刻みに震えていて、かなり無理をしていることが分かる。
そっと片手で肩に触れれば、ビクッと明らかに怖気づいている反応が返ってきた。
「……本当に、私に抱かれたいようには見えませんよ?」
「い、いえ、これは違うんです! 本当に、抱いてもらいたいと、そう考えています!」
言いながら意を決したように、俺の胸に飛び込んできた。
けれど、触れる面積が増えたことで、エヴァレットが震えていることが肌で理解できてしまう。
試しに俺がそっとエヴァレットを抱きしめると、直後に、彼女は体を硬直させ、そして震え始める。
「違うんです。神遣いさま、これは違うんです」
必死に良い募るエヴァレットを見て、俺は戦司教トランジェの仮面を外れないように被りなおす。
「心を偽らないでください。私がというよりも、男性が怖いのでしょう。分かっていますよ、大丈夫です。これ以上は私からは何もしませんので、安心してください。抱きしめられるのも嫌でしたら、跳ね除けてもいいですよ。怒りません」
幼子をあやすように、ぽんぽんとエヴァレットの背中を叩く。
何かを訴えるような顔を向けてきたが、少しして不意に涙腺が緩んだようにその目から涙がこぼれ始めた。
困惑する表情を目前で見ながら、よしよしと歪に切られてしまったままの髪を梳いていく。
エヴァレットは顔をくしゃっとさせると、恨み言を言ってきたときのように、俺の胸に顔を埋めて鳴き始めた。
ただし今回は、大声では泣かず、押し殺した鳴き声としゃくりあげる音だけが聞こえてくる。
そのまま、少し長く優しく抱きしめてあげていると、泣き疲れてしまったのか眼を閉じてくったりと体を預けてきた。
「彼女の部屋に移動して寝かせ――られないよね、これじゃ」
エヴァレットは眠っているようなのに、俺のローブを確りと握って放さない。
無理に引き剥がすのも悪い気がして、ステータス画面を呼び出し装備画面に移動し、革鎧や杖を外すよう選択する。俺の体から革鎧と杖が、当然のように消える。
これで少しは寝やすくなったので、エヴァレットを抱えて移動して、この部屋のベッドに共にそっと横になる。
エヴァレットの寝顔が安らかなことに安心しながら、俺も寝ようと目を閉じる。
しかし、伝わってくる体温や、女性特有の柔らかな肌を意識してしまって眠れない。
……我が敬愛する自由の神よ。異世界転移だけでも一杯一杯なのに、どうしてこのような俺の理性を試すような試練までお与えになるのですか!
心の中で祈りという名前の苦情を神に申し立ててから、寝ることだけに意識を集中した。
まんじりと時間をすごしている間に、いつの間にか寝ていたのだろう。気がついたときには、木窓の隙間から差し込む光が目に入った。
目をしょぼしょぼさせて起き上がろうとすると、隣に寝ていたエヴァレットが起きていて、こちらに目を向けてきていた。
「おはようございます、エヴァレット。よく眠れましたか?」
ぼんやりとした頭で言葉を出した後で、変なことを口走ってしまったと理解する。
内心で慌てる俺とは裏腹に、エヴァレットは微笑みを浮かべてみせた。
「はい。神遣いさまのお蔭で、何時にないほど安眠いたしました」
「そ、そうですか。それはよかったです」
予想外の反応に安堵していると、エヴァレットが俺の耳元に口を寄せてきた。
「昨日は無理でしたけど、いつかきっとこの体をお捧げいたします」
過激な言葉に驚いて振り向くと、エヴァレットがくすくすと笑いながら、どこか目が本気な気がした。
俺は、からかわれているのか本気で言ったのか分からず、トランジェの演技としてはあるまじき曖昧な笑みしか浮かべられなかったのだった。




