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卒業

作者: ナガツキ

だんだんと、その日が近づいてきた。

変わることのない日常に終わりが見えてくる。ざわざわざわざわ。わたしの胸の奥で、名前も知らない虫が喚いている。



「なぁんだか卒業ともなるとさ、こんな校舎でも感慨深くなるよねぇ」

卒業式を一週間後に控え、みんなそれぞれ形に残そうと必死な時期。廊下を歩くと、誰も彼もが片っ端から写真を求めては撮ってと慌ただしい光景が続く。

「まぁ…ね」

でもさ、と顔を向けてみると、友奈は少し後ろの方で別のクラスの子と携帯に向かってポーズをキメていた。

ふと、こんな瞬間。のどにちょっとしたものがこみ上げてくる。名前も知らない虫が騒ぎ始める。ざわざわざわざわ。喚き始める。

「…カノ、どうした?」

いつの間にか隣に戻っていた友奈の声で、はっと我にかえる。

「別に…なんでも」

わたしは何かをぐっと飲み込んで、いつも通り笑った。廊下にはもう、わたしたち以外誰もいなかった。




「ごめんカノ!」

帰りのSHRが終わるなり、わたしの席に来て開口一番そう言うと、友奈は勢い良く頭を下げた。

「今日部活の後輩に呼ばれててさぁ。一緒に帰れないわ」

本当ごめん、と繰り返す友奈。

「別にいいよ。ってか、早くいきな。現役の頃から、いっつも友達待たせてるんだからさ」

「うん…本当ごめんね!じゃあ、また明日!」

ばいばい、と手を振って忙しそうにかけていく友奈を見送ると、教室は一気に静まり返ったようだった。

「じゃあ…帰ろうかな」

誰にでもなく、ぽつりとそうつぶやく。遠くの方から聞こえる部活動の掛け声だとか、他のクラスの騒がしさとか、ひとりだとやけにいろいろなものが耳に届いてくる。隣に誰かがいないだけで、廊下の幅は広く思えた。

三年生は、もうほとんどが学校に残る理由もない。狭い下駄箱では、競うようにみんなが自分の靴へと手を伸ばしている。

わたしも靴をとろうと手を伸ばす。すると、不注意な背中が誰かとぶつかった。

「っと、悪ぃ」

振り返ると、同じクラスの黒和くんがそこにいた。男子と混ざっていると小さく見えるけれど、並んでみるとそんなことはない。

少し目を合わせてお互いにぺこりと頭を下げると、彼は投げた靴の方へと向き直った。

この人と話すことも、もうあとーー。

いつからか、ふとしたことでさえそう考えるようになった。

すかさず、ぐっとのどの奥に何かがこみ上げてくる。かすかに、胸も締め付けられる。

深呼吸、深呼吸。一歩二歩と歩きながら靴を履いて、ゆっくりと息を吐いた。



駅までの道のりは、そう遠くもない。ゆっくり歩いて二十分ほど。話しながら歩くと、あっという間なくらいだ。ぼんやりとしたまま歩いていると、通学路に唯一ある信号で足が止まった。ここの信号は、変わるまで少し時間がかかる。ーーだから、先に帰ったはずの彼もそこにいた。無意識に息を止めながら、覗くようにして視線だけを向けると、黒和くんと目が合ったような気がした。長く感じられる数分を耐えながら、いまかいまかと赤い光を見つめる。信号が青になってすぐに、わたしたちは同時に歩き始めた。どんどん締め上げられる心臓に、自然と呼吸が早くなる。隣の歩幅を確認するように下を向きながら歩いていると、ふいに斜め右上から声が零れた。

「駅まで、一緒にいい?」

今度は、視線だけでなく顔を向けてみると、彼は言い訳みたいに笑った。



黒和くんとは、別に親しいわけではない。言葉を交わすのだって、さっきみたいなものだ。それなのに…。思いがけないシチュエーションに、変に肩に力が入る。

「中野ってさ、本当眞山と仲良いよな」

「あ、うん」

少し間をおいてから、付け足すように言葉を続ける。

「友奈は…高校に入って、初めて仲良くなった人だから」

たっぷり待った後で、そっか、と彼は優しく笑った。

不慣れな手つきでキャッチボールをするように話すわたしを、ただ無言で待っていてくれる。それも、決して詰まるようなものではなく、柔らかく包み込むようなもので…。壁を感じさせない彼の雰囲気に、いつしか肩に入っていた力は、すっかり解かれていた。

男の子と一緒に下校するなんて、入学した頃は思いもしなかっただろうなぁ…。それが、たった一度であっても。彼氏なんて、結局ひとりもできなかったし…。そこまで考えて、はっと思い至る。男女二人で並んで帰るなんて、勘違いする人がいてもおかしくないかもしれない。そしたらきっと、迷惑って思われるかも…。とっさに辺りを見回してみると、わたしの考えに気づいたのか、黒和くんはさっきよりも低い声でつぶやくように言った。

「別に、俺は気にしないけど。……どうせもうすぐ、卒業だし」


ーーーーあ。


心臓が一度、大きく跳ねた。

まただ。また、ざわざわざわざわ。早く止めなきゃ。早く、早く。


「それに、」

彼が、ぴたりと足を止める。

「そんな言い訳もないと、多分一生話しかけられなかっただろうし」

そういうと、黒和くんは口を真一文字に結んだまま視線を落とした。それからまた、ゆっくりと顔を上げてからまっすぐにわたしの瞳を見ると、声をかけてくれた時みたいに笑った。




黒和くんとはそのまま駅で別れた。ーーと言ったら、友奈は大げさに驚いた。

「それだけ!?」

それだっけって…。個人的には結構大きなことだったんだけど。声には出さずにそう思うと、すかさず友奈が口を開いた。

「カノ、いっつも黒和のことみてたじゃん!もうすぐ卒業なんだし、告っちゃえば良かったのに」

思いもよらぬ言葉に、軽く頭を殴られたような衝撃を受ける。

「みてないよ、別に!」

そこでちょうど昨日と同じく、赤信号で足を止めた。

「本当か〜?」

何も言わないわたしを、いじめっ子のような笑顔を浮かべながら、友奈はゆっくり覗き込んできた。

「本当だってば」

「あ〜や〜し〜い」

近づけられた顔を交わしながら、とっさに彼の姿を探した。こんな話し、聞かれたら恥ずかしすぎる。

「っまぁ、別にいいけどさ」

一通りあたりを見回して、彼がいないのを確認すると、友奈も顔をゆっくりと引っ込めた。

そんなんじゃないって。信号が変わったと同時に足を踏み出しながら、そっと心の内に零す。

大体そんな話したこともないし、黒和くんのことだってそんなに知らないし、それに…それにーー。

「カノ?もう改札だよ」

はっと顔を上げると、いつの間にか改札の前まで来ていた。

「まったく〜。最近ぼけっとしすぎじゃない?」

「あ…あぁ、うん。ごめん」

特になんともないというわたしに聞く耳も持たず、早く帰って休んだ方がいいと、友奈は強引にも見送った。仕方なく手を振って別れると、すかさず、さっきまで頭を支配していたものが浮かんできた。黒和くんのことを考えては打ち消して、友奈の言葉を思い出しては否定してを、電車の中でも、食事中にも、お風呂の中でも繰り返す。結局その日の夜は、あまりよく眠れなくて、いつまでもいつまでもぐるぐると考えていた。胸の奥深くでは、名前も知らないあの虫が騒いでいた。



もう…朝か。眠たい目をこすりつつ、布団からゆっくりと這い出る。早く暖かくなればいいのに。毎朝のように思う呪文じみた言葉をつぶやきつつも、手放し難い温もりから体を離した。起き上がりざま、ふと鈍い痛みがこめかみのあたりを襲う。心なしか、少し体もだるい気がする。まぁ、学校も半日だし。少しくらい大丈夫だろう。

いつもより長く感じる通学路の途中、何度かやってくる鈍い痛みに耐えながらもなんとか足を進めた。

今日は学年の卒業式練習で、立ったり座ったりするタイミングからお辞儀の角度、返事の大きさまで事細かに指導される。もうすぐ訪れる卒業へ向けて、誰もが準備を進めている。入学してから着実に近づいてきたそのカウントダウンが、色濃く目に見えてきたここ数ヶ月。そして目前に控えた今日この頃。胸の奥に膨らむこのやり場のない気持ちをわたしはーー


「一同、礼」



ーーなんと呼べば良いのだろう。



ゆっくりと腰から体を曲げつつ頭を下げていく過程で、急に目の前が暗くなった。



すぐに、目を覚ました感覚だった。けれどわたしは体育館の冷たいパイプ椅子ではなく、温かい保健室のベッドに横になっていた。すぐに上半身を起こそうとすると、鋭い痛みがこめかみに走る。

「中野さん、目ぇ覚めた?」

音で気がついたのか、年配の先生がカーテンを少しめくって顔を出した。

「起きたらとりあえず熱計って。いまHRの時間だから、とりあえず寝てなさい」

返事をするより前に、先生は顔を引っ込めてしまった。目線を動かすと、棚の上の小物入れの中に温度計がささっていた。

近い…ようで、遠い。

ぼんやりと頭から広がる熱に眉間のシワを寄せながらも、目一杯手を棚へと伸ばす。すると、さっきと同じ方向から声がした。

「入っても…いい?」

今度は、顔を見なくてもわかる。低くって…優しい声。肯定の合図を出すと、彼は音をたてずにベッドの横に来ると、迷いなく手を温度計へと伸ばして、はい、と渡してくれた。

「中野さん、式練の途中で倒れてさ。運んだのは先生だけど…俺、保健委員だから一応付き添いに」

黒和くんは、今度は笑わないで心配そうに眉を潜めながら、大丈夫? と聞いてきた。わたしは、ゆっくりと首を縦に動かしながら笑った。

「熱計ってる間、あなたはこっちにきなさい」

先生の声で、慌てて黒和くんが立ち上がる。頭が回らなくてごめんと、逃げるようにカーテンの向こうへといってしまった。

結局熱は38°もあって、わたしは兄の迎えを待つことになった。帰り際にもう一度、お大事にと顔を覗かせた黒和くんに向けてお礼の言葉も言えないまま、わたしは卒業式当日まで熱が下がらないままだった。



頭に広がる熱に、胸に広がるあの嫌な感覚。

ざわざわざわざわ。

喉の奥に詰まったものが、溢れず、引っ込まず、熱を伴って泣き喚く。

最後の日は…卒業式の日は…ちゃんと、私から話しかけて、お礼を言って。それから…それからーー。



卒業式当日。教室に向かうと、心配したよと、半泣きの友奈がわたしを出迎えてくれた。

団らんもそこそこに、先生の呼びかけで三年生全員が廊下に整列し始めた。

『堂々と、胸を張って』

担任が言った言葉を、みんなも思い出しているだろうか。少し緊張した面持ちで、赤絨毯の上をゆっくり、一歩一歩、みんな胸を張って進んでいく。そういえば、入学式もこんなだったかな。三年前、まだ馴染まない制服に戸惑いながらも、知らない人で埋め尽くされた体育館に、並べられた椅子のひとつに向かって歩いて、腰掛けて、これから先の学校生活について考えていた。どんな高校生活になるだろうか。このクラスに上手く馴染めるだろうか。不安なことばっかり考えていたせいか、式の内容は全然覚えていない。思い返すと、遠い昔のような思い出。クラスで初めての自己紹介は…正直思い出したくないくらいだったっけ。緊張しすぎて声はガチガチ。おまけに最後の最後に裏返っちゃって、顔から火が出る前に涙が出るかと思った。でも…。そうだった。一年の時も同じクラスだったんだ。彼が…黒和くんが、真っ先に拍手をしてくれた。誰かが笑う暇なんで与えられず、みんなもつられて拍手して…。



「卒業証書授与」

司会の先生が、はっきりと告げる。



次々に呼ばれていく人の顔を思い浮かべながら、胸の奥に広がる熱を確かめる。あの虫も喚き始めた。

鳴り響く鼓動は、緊張のせいか。はたまた、分かり始めたもののせいか。

三年間を思い返してみると、まぁ色々あった。辛かったこととかもあった。泣いた日もあった。それでもやっぱり、たくさん思い出すのは楽しかったこと。三年間とにかく笑って、笑って、笑って。友奈とだって色々あった。そして、やっぱり無視しちゃいけないのは…無かったことなんかにしちゃいけないのは……。



次に呼ばれるのは、私たちのクラス。ひとり、またひとり。大きく返事をして、その場で起立する。

「上坂秀太」

まだ。

「円堂雅哉」

まだ。

「川町優生」


「黒和清也」

「はい!」


いつもより凛々しい声。

ーーそうだ。

わたしはこの声を、いつだって聞いていた。一年生の時、彼に出会った。二年生ではクラスが離れて…毎日その背中を探してた。三年生で、同じクラスに名前があることで喜んだこともある。飾ってあるクラス写真で、自分より黒和くんを先に探してしまうのはきっとそうだ。つい考えてしまうのも、理由を探しては友奈の言葉を強く否定しようとしてるのも…きっとそう。



「中野智花」

「はい!」



ーー卒業する。この場所から、この時間から、ここにある想いから。でも、まだ今日は終わってない。このまま黙って、心の隅に作った弱さから目をそらし続けた想いを残したままでなんて、そんなの、後悔するに決まってる。

流されたままなんとなくで過ごしてきたこの日々を、寂しいさえも言えないほどに弱い自分を、変えられるのは別れの間際。こんな特別な、晴れの日しかきっとない。



「友奈!」

退場してすぐに、友奈に駆け寄った。

「わたし…やっぱり、」

「智花」

わたしの肩を、しっかりと掴む友奈の両手。

「って…呼んだの、確か一年以来だよね。名前が似てるんだもん、ちょっと呼びにくいもんね」

黙って頷くわたしの両目をしっかりと見て、友奈も大きく頷いた。

「卒アルの一番最後、放課後終わるまでとっといてあげるから、それまでに何書くか考えといてね」

そう言ってぎこちなくウィンクすると、友奈はわたしの背中を力強く押した。

「わかった!たくさん書くから、たくさんスペースちょうだいね!!」

後ろを振り向いてそう言うや否や、わたしは前へ向けて走り出した。混み合う廊下がもどかしい。黒和くんは元サッカー部。集まる前に見つけられないと、きっともう話すタイミングはないだろう。廊下ではそれぞれ、卒業アルバムとサインペンを持ちながら友人を探す者、写真を撮る者なんかで賑わっている。黒和くんは…どこにいるんだろうか。もう叫んでしまおうかとまで考えたとき。


「中野!!」


騒がしい廊下のどこかで、わたしを呼ぶ声がした。

頭で考える前に、反射的に振り返る。確証はないが、この先に黒和くんがいる自信がある。

「す、すみません」

狭い廊下を、人を避けながら走る。喚くのはもうあの虫なんかじゃない。鳴り響く心臓の音で、黒和くんとの距離が分かる気がする。

あと…あと少し…。あとーー


「……いた」


ほら、やっぱり。人混みにだって紛れない黒和くんの姿を、わたしの瞳がしっかりと捉える。向こうも、気がついたのかもしれない。お互い瞳だけがしっかりと合った。黒和くんの所へ着いたのは、大袈裟かもしれないが、とても遠い道を来たような気がする。

「く、黒和くん。あのっ」

待って、と黒和くんが教室を指差す。みんな思い思いの所へいってしまったせいか、一番端の教室の中には誰もいなかった。

黒和くんに続いてわたしも教室に入ると、外の声が嘘のように静かだった。

ざわざわざわざわ。

分かってる。落ち着け。深呼吸。深呼吸。

「あのさ、」

「こないだはありがとう!」

黒和くんと言葉が被ってしまったけれど、一度開くと止まらない。

「わざわざ保健室まで来てくれて、ありがとう。それから、覚えてないかもしれないけど、一年生の自己紹介のときも、ありがとう。…それから!」

「中野!!」

いつの間に、わたしは俯いていたのか。生まれて初めてのような近さで、黒和くんの瞳を改めて見上げる。

「違ってたら…ごめん。でも、その先は俺から言わせて」

ちょっとだけ、黒和くんは目線をずらした。けれど、大きく息を吸ってまた瞳を合わせる。

「中野が好きです。俺と…付き合ってください」

その瞬間、何から何まですっ飛んだ。ざわざわざわざわ、胸の音も、廊下の声も、全ての音が消えた。

「わ、わたしも!」

考えずとも出た言葉が、この時のわたしの精一杯だった。

ちょっとだけ続く沈黙。でもそれも、長くは続かない。わたしたちはお互い目を合わせたまま、何度か瞬きをした後、ため息を吐くように笑った。

教室の窓から、少しだけ冷たい風が吹いた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 最後に黒和くんから、しっかり告白したのが、ジーンと来ました(>_<。)! 私も、見習わなければ(笑)
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