黒い瞳は今日も俯瞰する
カラス。古来から神の使いとされることが多かったという鳥の一種だ。反面、死を運ぶものだったり不吉を表す生き物でもある。現代では厄介者とされることのほうが多いだろう。
羽から嘴、成鳥になると口の中まで黒くなる。日本でよく見るカラスはハシブトガラスとハシボソガラスの2種だろう。都会に多いのがハシブトガラスでカァーカァーと澄んだ鳴き声で、ハシボソガラスの方は農村部に多いガァーガァーとしゃがれた鳴き声をする。クルミを車に轢かせて殻を割って食べるのはハシボソガラスの方だ。
非常に頭の良い鳥であるところのカラス。外国のカラスには道具を使って餌を獲る種類もいる。カラス同士で高度なコミニュケーションもとれる鳥界の天才児だ。
その頭がいいカラスという種の中でも飛び切り頭がいいのがこの俺だ。
いや、これは驕りだとか自意識過剰とかではなく、純然たる事実。君たちの周りに文字を理解し、本が読めるカラスがいるだろうか?空気とは何で出来ていて、自分の体を構成する物質は何かを知っているカラスは?
無論、俺達の言葉や考えていることが分からない以上、君たち人間にこのような質問をすることが適切だとは思わないが、二次方程式やベクトル計算が出来るカラスが普通にいるわけがないということははっきりしているだろう?
俺自身、何故ここまで頭脳が他のカラスよりも発達しているかは分からない。他のカラスも人間たちの言葉は理解できるし、それなりの世間話だってする。自分たちを取り巻く環境だってある程度認識しているだろう。
しかし、俺のように知的好奇心を満たそうとする個体は少ないし、人間レベルの知能を持っているカラスなど世界中を見ても何羽もいないのではないだろうか。
あぁ、申し遅れた。俺の名前はシロク。黒いくせに白とはこれいかに?と思われるだろう。名の由来は、俺が初めて拾ってきた宝物が、『46』と刻まれたドッグタグのような飾り物だ。『46』で『シロク』。俺が住んでいる地域のカラス達は、初めて拾った光モノから自分の名を付けることが多い。
そんな、カラスの中でも中々にレアな個体である俺は、とてつもない偉業を成すわけでもなく、一般カラス達と同じように暮らしている。
そんな奇妙なカラスの生活に興味があるのなら、暫し覗いてやってくれ。
□ ■ □ ■ □
目が覚める。
辺りはまだ薄暗く、もう1時間もしたら完全に日が昇りきるだろう。薄暗い空の中、漆黒の影がポツポツと見える。既に起きだした同族が何羽か飛び立っているようだ。
俺もそろそろ活動するか。
自慢の翼を広げ、ねぐらの木から飛び立つ。ぐんぐんと高度上げ、眼下に広がる街を見やる。チラホラと犬を連れて散歩している人間や走っている人間がいる。朝早くからよくやる。彼ら人間ほど個体によって活動時間が違う動物もいないだろう。というか、多くの部分において人間は他の動物と異なりすぎている。
そんな埒もない事を考えながら飛んでいると、公園で弱っているドバトを見つけた。今日はラッキーだ。こんなご馳走にありつけるとは。
ある程度ドバトの肉を食い終えると、余った肉をせっせと引きちぎっていく。誰にも見つからないように色々な場所に隠しておくのだ。そうすれば後でも食べられる。どうせこのまま放っておいても同族が見つけ、食い荒らすのだ。ここはそこそこ目立つのでもしかしたら人間が片付けるかもしれない。それぐらいなら自分だけが分かるように肉を隠しておくほうが遥かに良い。
自分の喉に溜め込めるだけ貯めこむと、秘密の隠し場所へ隠しに行く。俺が食い物をよく隠すのは人間たちの住処だ。ベランダとか言う場所には色々と隠しやすい場所があるんでね。鉢植えの影やぐおんぐおん音を立てるデカイ機械の影などに隠し終えると、もう一度ドバトの死骸の元へ飛び立つ。
残念ながら同族が見つけたようで、何羽もせっせと屍肉を漁っていた。さっき食べたばかりでまだ腹は減っていないし、無理にあの集団に突っ込んでいくのも疲労するだけだと思い、別の食い物を探しに行く。まぁ、この時間はまだ余裕がある。俺たちカラスの戦端はもう少しすると開かれる。その頃には俺の腹もいい具合に減っているだろう。
さて、俺達の戦場へ赴こうではないか。
ゴミ捨て場へ、いざ征かん!!!
ゴミ捨て場から少し離れた電線の上に立ち、人間がゴミを捨てるのを待つ。あまり近づきすぎると彼らは警戒して邪魔者をシッカリと被せてゆく。だから、少し離れたところから監視するのだ。
いつもの様に灰色のくたびれたスーツを身に纏った冴えない風体のオスがえっちらおっちらゴミ袋両手に持ち、歩いてくる。
何羽かいる回りの同族たちから緊張した気配が漂ってくる。かく言う俺もその1羽で、程よい緊張感を持って、あのオスがゴミを捨てていく様を見つめている。
オスは指定された場所にゴミを捨て、なおざりな手つきで邪魔者を被せると去っていった。
オスが完全に見えなくなり、周囲に人間の気配が感じられないのを確認して、俺達は飛び立った。
嘴を器用に使い、邪魔者を退けると、すぐさまゴミ袋を突っつき始める。中身を引っ張りだし、食い物は無いかと漁る。迅速に食い物を見つけないと、アイツがやってくる。
そう、あの―――
「見つけたァ!!こんのカラス共がァ!!」
とてつもない形相―――人間たちが言うところの鬼の形相―――をしたメスがやってくるのだ。
「「「カァーっカァーっ!!」」」
口々に『いつもより来るのが早すぎるッ!!』と叫びながら散り散りに飛び立つ俺たち。
電線へと飛び乗り、あのメスがいなくなるのを待とうとするも、あのメスは一向に立ち去る気配は無い。それどころか、俺達の方を見て、
「ゴミ収集車が来るまでここに居てやる!」
と、言い放ちやがったのだ。仕方ないから、その場から離れる。同族はどうやら、暫く俺らが姿を消せば諦めて帰るだろう、と言っていたが、あのメスはおそらく俺らがいなくなっても、言葉通り収集車が来るまで居座る気だろう。
俺は仕方なく、別の場所で食料を探すことにした。
□ ■ □ ■ □
腹は満たされ、気分は上々。
人間の子どもたちがぞろぞろと学校に行く時間帯は過ぎ、住宅地は静かな空間へと変わる。
俺はこの空間が特に好きだ。賑やかなのも嫌いではないが、このシンとした空間を自由に飛び回るのは気分がいい。普段は我が物顔で支配している人間の空間を独り占めできるからだ。
学校や会社といった箱に詰められている翼なのない人間たちの事を思うと、翼があり何処に行くのも何をするにも自由である俺は心の底から翼があって良かったと思える。
翼を大きくはためかせ、急上昇する。人間たちのねぐらの上をぐるりと回ると手近な電線に向かって急降下。足で電線を掴んでグルリと一回転すると、再び空へと舞い上がる。
我ながら素晴らしい回転だった。
そのまま付近では一番大きい学校へと顔を向ける。そこは『高校』と呼ばれる、若い人間が通う場所だ。ある理由から、最近はそこにある木でよく休んでいる。その木からは丁度教室の中を覗き込むことが出来るのだ。
木の枝で羽を休め、木の葉の隙間から見える教室へと意識を向ける。皆、整然と席に付いているのを見るに、どうやら授業中のようだ。
熱心にノートをとっているもの、ダルそうに窓の外見ているもの、完全に机に突っ伏し寝ているもの。そして、斜め前の席のメスに熱視線を送るもの。
最近ここで教室を除く理由とはこの熱視線を送るオスが理由だ。
始め、たまたま見かけたときは、『すわ、発情期か』とも思ったのだが、どうにも違うようなのだ。明らかにメスに送る視線の類としては発情したものであるにもかかわらず、そのオスは一向にメスを手に入れようとしない。一体どういうことなのだろうと頭を巡らせた時に、1つの単語が思い浮かんだ。
『恋』という言葉だ。
初めてその言葉を知ったのは、おそらく人間に飼われていた時だろう。俺は生まれてから1年ほど人間に飼われていたことがある。その御陰で人間の言葉をよく理解できているし、元々優れていたであろう頭脳をより開花させることが出来た。詳しく話すと長くなる。
さて、そんな経験がある俺だが、その時に覚えたことは『本を読む』という行為だ。飼っていた人間がかなりの読書家で、家にはそこら中に本があるような状態だった。それらを傷つけないよう、爪と嘴で器用にページをめくり、本を読んだものだった。
その時に読んだ本の中にいわゆる『恋愛小説』というものがあったのだ。当時は、それを読んでいて、人間たちの行動の不可思議さによく首を傾げたものだ。今でもよく理解できないが、ある考察で納得したことにしている。
子孫を残すという結果ではなく、その過程、いわば求愛という手段にこそ価値を見出している種族。だから体の機能的に子をなすことが出来ないような幼子でも『恋』をする。つまり『恋』と『生殖』は必ずしも結びつかないのだ。
ゆえに過程を重視するからこそ、手を握られたり、優しい言葉を掛けられたりするだけで満ち足りた気持ちになれるのだ。
人間とは斯くも不思議な生き物だ。
俺たちのような狭義での『動物』にとって、最終的な目的は子孫を残すことだ。しかしながら人間たちは必ずしも子をなすことが最重要ではないようなのだ。自らの快楽をとことんまで、それこそ死ぬまで求め続ける人間は、なんと滑稽な生き物だろう。
まぁ、そんな人間だからこそ、見ていてとても愉快な気分になれる。こうやって番も探さずに人間観察にふける俺も動物からしてみれば異端もいいところだな。
ふむ、思考が少し横にずれてしまったな。今日ここに来た目的はあのオスを観察するためだ。
さぁて、少年よ。少しくらいはオスを見せて欲しいものだ。見ているだけじゃ欲しいものは手にはいらないぞ。
感想等頂けると幸いです。




