巻き起こる波紋
プロローグ
21世紀後半に飛躍的進歩をとげた人体の脳の研究により、22世紀初頭に「VR」(ヴァーチャルリアリティー、人間の脳とコンピュータとの直接交信を行う技術)と呼ばれる技術革新が行われた。この技術によって人々の生活は全く変わった物になるだろうと大騒ぎになったのは、半世紀ほど前の事だった。
21世紀初頭に発展したインターネット網の整備によって、変わるかと思われた人々の生活に劇的な変化が起こらなかったように、相も変わらず満員電車に押しつぶさながら出勤する通勤ラッシュの光景は、日々変わらぬ日常として存在している。
大きく変わったのは、娯楽としての日常。
VR技術を利用し、仮想現実世界で普段経験出来ない現実を経験出来るとあって、様々なサービスが提供されるようになって20年が過ぎようとしていた。その中でも急激に進化したのがオンラインゲームの分野なのだが、初期に台頭した国産RPGは、現在見る影も無く後発の海外勢に押され、国内のシェアーは20%を切る状況に陥っていた。
そんな中、国内の有力数社が合併して立ち上げたゲーム会社があった。
「フェニックスゲームズ」
その会社設立発表と同時に発表されたのが「レジェンド」と呼ばれる最新MMORPGだった。営業開始は半年後と言う脅威のスピードリリース。
制作者には、国内外の有名な脳科学の学者達、大学等の研究機関の名が並び。協賛企業にも超一流どころの食品会社、アパレル産業、今までには協賛したことの無いような建設会社やツーリスト、軍産複合体の一部の企業までが名を連ねたことで一時大騒ぎとなった。
発表されたゲーム内映像は、当時主流であった中世ヨーロッパを時代背景にしたものではなく、何処と無く有史以前の事として語られている神話の世界の雰囲気が伝わってくるものとなっていた。アパレル企業の協賛もあって、洗練された服や鎧のデザインがそれまであったMMORPGとは一線を画す物になっていたことが、それまでRPGにあまり興味を示さなかった女性の需要をも喚起した。
通常行われるアルファ・ベータテストを行わず、いきなりの正式リリースとあって、ゲーム業界全体が震撼した瞬間でもあった。
三ヵ月後に発売されたソフト国内向け50万本は5分で売り切れになり、ネット上で転売によるソフト価格の急騰が問題視された。ユーザーからの要望もあり営業開始2週間後から参加できるソフトを50万本を追加リリースし、さらにサーバーの稼働状況を見ながら更に追加リリースをすると言う発表が「フェニックスゲームズ」から行われ事態の沈静化がはかられた。
2225年5月1日ゴールデンウィークを目前とした正午、ついに正式運営が始まろうとしていた。
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3年前…北海道苫小牧市南沖、300キロ地点。
環太平洋条約機構所属、日本海軍太平洋艦隊旗艦空母飛鳥、並びに随行艦十隻が、異例の緊急演習を行っていた。
第二次世界大戦が終わってこの方、世界的な大規模な戦闘は行われていない。しかし戦争は大きく様変わりした。21世紀に於ける無線とレーダーによる遠隔戦闘は、ジャミング技術の発達により意味をなさなくなる。その代わりに衛星による戦闘兵力の位置特定、それに伴い衛星軌道上での衛星兵器による制空権ならぬ、制宙権争いが表面化する。ここ百年で二十数機の衛星が地球に落下、うち数個は大気圏で燃え尽ききれないで地上に落ちた。
レーダーよる早期警戒自体が怪しくなった事による領海、領空侵犯に対する対応も様変わりする。21世紀初頭に結成された環太平洋戦略的経済連携協定の拡大による環太平洋条約機構軍その一部に組み込まれる際に国防軍となった自衛隊は、大幅に戦力を増強せざるおえなくなる。
海軍力の増強は最たるもので日本海側に4隻、太平洋側には10隻ものエンタープライズ級の空母が配備されることになる。その旗艦飛鳥が、僚艦10隻もを連れると言う異常事態が起こっていた。
自国領海内にも関わらず、上空には哨戒機が艦載機の護衛つきで哨戒にあたり、普段の演習とは全く異なった雰囲気の中、旗艦空母飛鳥とイージス艦日向、運搬船天塩に囲まれる形で大型のサルベージ艦が仕事をするという、異様な光景が繰り広げられていた。
サルベージ艦から次々に引き上げられる物は、そのまま海洋コンテナに積み替えられ、運搬船天塩に運び込むという流れ作業だ。
その中でも三個の大型航空コンテナに積み替えられた荷物だけが空母飛鳥の飛行甲板上でアルミの鈍い光を伴って、場違いな雰囲気を伴っている。
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空母飛鳥ブリッジ
「艦長、参謀長よりの秘匿回線による通信です」
キャプテンシートの前に敬礼し報告しているのは、見るからに新兵と判る着古されていない制服に身を包んだ艦長付の通信兵である。今春防衛大学を卒業したばかりで、いきなり旗艦に配属された身長だけがヒョロっと高いお坊ちゃん風な少尉だった。
緊張感漂うブリッジに於いてただ一人周りの雰囲気に圧倒されていない唯一の人物でもあった。普段見る事の無いスーツ姿の人物達も数人ブリッジに詰めている異常さ。防衛庁の官僚で、演習の見学と言う触れ込みで乗り込んできたその者達が、国家情報保安局の人間であり、この緊急演習自体が全くの嘘で、「国の存亡に関わるような何かが起こっている」その事実だけは、ブリッジに居る一人を除いたクルー全員が容易に想像出来るのだった。
艦長と呼ばれた男は右手で判ったと言う様に一瞬手を上げただけで、キャプテンシートの右肘掛に備えついている受話器を取り上げそのまま会話を始める。旗艦の艦長を任されるだけに、初老といった感じの年齢を感じさせ、しかし威厳のある男だ。
「太平洋艦隊、空母飛鳥艦長の片桐です」
「了解致しました」
受話器を元に戻すと一瞬だけ目を伏せる。
「1700《ヒトナナマルマル》にカラスが降りる。一個小隊の護衛を付けて返せとの参謀長からの御命令だ! 到着まで後15分ほどしかない、先に護衛機を上げろ!」
「イエスッサー!」
けっして張り上げてはいないのだが、低く響くその声に艦橋内の誰もが呼応した。
「カラスって?」
ぼそっとつぶやかれた新米少尉の言葉に隣の席に着く通信士官が耳を貸せと言わんばかりに付けられたヘッドセットを引っ張る。
「越谷少尉! 甲板に降りてカラスの正体でも見て来い」
片桐の言葉に越谷があわてて立ち上がる。
「だそうだ、ここは俺一人でも十分だ言って来い」
「イエスッサー!」
直属の上司に促され少し顔をほころばせた越谷の顔には、まだあどけない少年のかけらが残っている。艦長に一礼して艦橋を後にするのだった。
「あと2年もすれば、海の男らしい顔になるだろう…心配するな」
不安げに見送る通信士官の様子を確認しながら片桐が言う。
「そうだといいですが…」
同意とも取れない通信士官の言葉にブリッジのメンバーの顔が一瞬緩むが、すぐに平静を取り戻す。艦橋は沈みかけた茜色の夕日にいつになく明るく照らし出されていた。
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迷路のような狭い通路を通って越谷が飛行甲板に着いた頃には、護衛となる艦載機の最終である4機目がカタパルトに移動し始めるところだった。耳をふさぎたくなるようなジェットエンジンの排気音が周囲を包み込む。 越谷の姿を見かけた甲板作業員達の一人が抜け目なく駆け寄ってくる。それぞれが自分の持ち場の仕事に集中しているなかで、全体を見る役目を負った責任者だった。
「少尉殿! 何か艦長の御命令でも?!」
「あっ! いや! 片桐艦長にカラスを見て勉強してこいと言われただけだ!」
「了解です!! このイエローラインからこっちには出ないでください!
こっからさきは、何があっても責任持てませんので!」
「了解した曹長!」
越谷は、飛行甲板に引かれた作業区域を分けるイエローラインを見てこれがそうかと納得する。
電磁カタパルトに固定されたJFA-118支援戦闘機がカタパルトに押し出され発艦していく。大きなデルタ翼の後端に位置するジェットエンジンの排気口から青白い炎を伴って、アフターバーナーが全開にされたのだろう、まぶしい輝きを放ちながら急上昇していく様は、いつ見ても壮観な気持ちにさせると越谷は思う。
「カラスが降りてくるまで2分少々です! 時期に機影が見えると思います」
越谷は曹長に促されるように着艦デッキの遥か彼方を見据える。荷物を受け取りに来るのはずなのだから、越谷でも輸送機であることは予想できる。だが、それらしい機影が見出せない。
「いました! 多分あそこです!」
曹長が指し示した方向を見ると、微妙に空間が歪んで見える部分を越谷も確認する。
「え! 光学迷彩!? って兵器採用されてる!」
ちょっと目を離すと何処に行ったのか判らなくなるほど精巧なもので、しかもエンジン音が極端に低く抑えられていた。けたたましいブザーの音が甲板の作業員達に着艦する機体があることを知らせる。
「カラスの機体は、うちらの最新鋭機の上を行きます! やつらがテストしたものが、我々に回ってくる、そんな感じですか…」
「そんな事って…」
「来ますよ!」
着艦デッキにわずか二百メートル程のところで光学迷彩を解き、いきなり現れたその姿は真っ黒に機体が塗られ、ちょっと厚めのエイを思わせるような、胴体の膨らんだ戦闘爆撃機といった感じだった。ジェトエンジンの吸気口さえ見えなく、航空機を知っているものが見ると相当なステルス性能をもちあわせている機体だということが一目で判る。
「低い!」
越谷が叫ぶ。
着艦デッキスレスレよりちょっと低めのアプローチだった。
着艦寸前でフワッと浮き上がると鳥が着地するかのように着艦デッキにランディングしてみせるのだ。戦闘機の2倍はあろうかという図体のデカい小型輸送機が、戦闘機より短い距離で着陸して見せる。周りから歓声が沸き起こる中、何事も無かったかのように荷物の積み込み位置へ移動していく。
「相変わらずいい腕してますわ!」
「カラスって軍の特殊部隊かなにかなんですか?」
「いあ~~、全然所属は判りかねます。 言える事は、中途退役したやつらが多く在籍しているって事ぐらいで。 所属も組織も全然我々には知らされてないんです。 二十一世紀初頭にはすでにその存在が在った事くらいしか我々はわかりません」
「はぁ~」
「軍じゃ目立ちすぎて身動き取れないような仕事してるんじゃないかって、
もっぱらの噂ですが、それすらホントかどうか? 次来ます!」
着艦機を知らせるサイレンが鳴り止まない内に、その機体は真っ黒な姿を表す。20世紀に作られたF-14を思わせる可変翼を大きく広げての着艦だった。
「あれは…、イスラエル空軍の試験機じゃあ…」
越谷とて曲がりなりにも、軍に在籍する者の一人である。世界中の最新兵器の情報に疎いわけはなかった。
全体が黒で塗装されているのは、細かいデティールを感じさせないようにと言う明細の意味もあるのだろう…と越谷は考えた。
「こっちは、600ガロンの水の補給だけだそうです。HHOガス(酸水素ガス水を電気分解したもので、ブラウンガスとも呼ばれる。反応すると爆縮し、水に戻る為二酸化炭素を発生させない)を霧状に吹いた水蒸気と混合して水蒸気爆発させて飛ぶってんだから、大したもんですよ! 油使わないで飛んでるんですよこれ!」
「曹長! それ最重要軍事機密!」
キャノピーが前方に開かれると黒いヘルメットを脱ぎ終え、その開放感からすっきりした顔のパイロットが現れる。歳は30過ぎだろうと予想されるが何処と無く憎みづらい可愛い雰囲気を持った男だった。複座となっているコックピットにはパイロット一人しか搭乗しておらず、大声はそのパイロットからのものだ。
「吉田大尉じゃないっすか~~~! いきなり辞めたと思ったら、カラスにいたんっすね~~~!」
「いろいろあるんだよ… 世の中… って、もう大尉じゃないし!」
「あれ~~~! 吉田隊長だ~~~!」
機体を降りた吉田を見つけたクルーだった。
「うっせーぞ! おめ~ら、仕事しろ! 仕事!」
周囲に居たクルーの何人かが目ざとく吉田を発見し吉田の側へと駆け寄って来る。
旧知の仲なのだろう甲板クルー達と吉田と呼ばれたパイロットがじゃれ合うやり取りを見ながらも、越谷は吉田が一瞬見せたなんとも言えない複雑な表情の理由がわからずにいた。越谷の事を「まだまだ世間知らずな坊ちゃん」呼ばわりする艦の連中がなぜ「坊ちゃん」呼ばわりするのか、その原因が周囲の気分を読めない自分自身にあることに、まだまだ気づけない越谷なのだった。