最後通牒
[回想]
大学二年生になったある日、"ふつう"の友だちがほしいなと思った。ハルナもユキも、ボクのことを大切に思ってくれてはいたけれど、友だちというには物足りなかった。
人工精霊タルパは、本来は友人ではなく、使い魔(従者)を作り出す秘術である。そのため、マスター(作り手)とタルパの間にあるのは、主従関係だ。ボクとハルナ、ユキの関係は、決して対等な関係とはいえなかった。
そこで、「ふつうの友だちを作る」という目的のために生まれたタルパが、江安恒一である。江安恒一は、ボクが最後につくった、ふつうの人工友人だったのだ。
もっとも、タルパである時点で明らかにふつうではないのだが、『友だちいない暦=年齢』のボクとしては、タルパ以外の友だち作りの方法がわからなかった。
結論から述べると、江安恒一は、成功だった。大成功だったのだ。
ボクたちは、ふつうの友だちのように、よく遊んだ。
鴨川で水切りを競ったり、一緒に水族館へ行ったり、六甲山へ登ったり、将棋を指したりして遊んだ。なにより、江安くんとは、楽しい話をたくさんした。
ボクが不登校で必修単位をすべて落としたときも、彼は再試験を受けるようボクを必死で説得し、留年から救ってくれた。風邪で寝込んだときは慰めてくれ、仮病で寝込んだときは叱ってくれた。
江安くんは、本当に頼もしく、信頼の置ける親友だった。ボクは今まで生きてきて、江安くんと過ごすときが一番幸せだった。
江安くんとの関係が一変してしまったのは、去年の春に起こった事故のせいだった。
ところでボクは、存在感の薄さには自信がある。テスト用紙を配られるときに自分だけ順番を抜かされたり、体育の授業で二人組を作るときに一人だけ余ったり、サッカーのチーム分けのときに存在を忘れられたりなどなど、数え上げれば切りがない。
つまり、ボクはよほど存在感がなかったのだろう。大学からの帰り、信号のない横断歩道を渡っていると、トラックが突っ込んできた。
クラクションの音に気づいてからでも、避ける時間は数秒ほどあったと思う。しかし、恐怖を目の前にすると動けなくなるというのは本当のようだった。体全体が棒になったみたいに動かず、ボクはただ轢かれる瞬間を待っていた。
そのときだった、「危ない!」という大声が聞こえたかと思うと、誰かがボクの背中を強く押した。ボクは道端に突き飛ばされ、すれすれのところをトラックが通り過ぎていった。
「大丈夫だったかい?」
声の主は、江安くんだった。
あたりまえのことだが、江安くんはボクの作ったエア友だちであり、実体があるわけではない。目の前に彼が存在しているという実感は、幻覚、幻聴に過ぎないのだ。そんな彼がどうしてボクを救えるだろうか。
「無事で良かったよ」
江安くんはそう言って、倒れているボクに手を差し伸べた。決して掴めるはずのない、その手を――。
動揺しながらも、手を彼のほうへと差し出す。江安くんは、握手をする形でボクの手を握り、引っ張って立たせた。
「ほらね」
彼はいたずらっぽく微笑んだ。ボクは嬉しさと混乱で、嗚咽して、彼を抱きしめて泣いた。決して、エア友だちなどという不安定な存在ではない。江安くんの胸はあたたかかくて、彼の心臓はどくんどくんと脈打っていた。
江安くんはついに、実体となってこの世に体現し、本当の友だちとなったのだった。
――と、錯覚していた。
トラックに轢かれかけた一件以来、ボクはある症状に悩まされていた。
端的に述べると、ボク自身の実体がなくなってしまったのだ。
例えば、テーブルの上のコップを掴もうとすると、幽霊のように手がすり抜けてしまう。もともと存在感の薄かったボクは、誰の目にも視認できなくなった。
それは、ボクと江安くんの立場が入れ替わったことを意味していた。
江安くんがボクになり、ボクは江安くんのタルパとなってしまったのだ。
実体を手に入れた江安くんは、とても喜んだ。彼はボクとは違って、勤勉家で、社交的で、明るかった。
ボクに代わって新しい生活をはじめた江安くんは、大学のテニスサークルに入り、あっという間にたくさんの友だちを作った。サークルの幹事長を務め、大学三年の夏休みになると、サークル仲間を引き連れてタイやインドネシアに行き、ボランティア活動を行った。
彼はまた勉強熱心で、前期試験では全教科『優』を取ったし、大学生弁論大会で優勝し表彰もされた。
司法試験対策の参考書を解きながら、江安くんは「生きるのがとても楽しいよ」とボクに嬉しそうに話した。
一方ボクは、彼のそんなサクセスストーリーを、外から眺めることしかできなかった。まるでテレビドラマを観ているようだった。もう本物の体は動かすことができないし、何をしても完璧な江安くんにとって、ボクの存在は必要でなくなっていた。
そうか、人間は、中身が入れ替わるだけでこんなにも変わってしまうんだ。と、ボクは思った。
秋になると、江安くんには、恋人ができた。
江安くんのタルパになってしまっていたボクは、彼の周囲半径五メートル以内を離れることができない。とはいえ、自由に姿を消すこともできないから、もはやボクは江安くんにとってお邪魔虫以外の何者でもなかった。それでも江安くんは、ボクを邪魔者扱いすることはなかったのだ。
それどころか彼は毎晩、「今でも君は大切な友人だよ」とボクに語りかけてくれた。
そう、だから今回の件は、すべての原因はボクにあり、悪いのはボクであった。
江安くんと彼女(テニスサークルのAさん)は正式に交際することになり、デートの回数も多くなった。そんな様子をボクは嫉妬心を煮えたぎらせながら、背後霊のように眺めていた。
ある晩、ボクは言ったのだ。
「なあ、そろそろいいだろう。もう十分だろう。いい加減にボクを元に戻してくれるかな。それはボクの体なんだ」
「君は、人が努力して勝ち得た人生を、横取りするつもりなのかい?」
このとき、江安くんは初めてボクに冷たい表情を見せた。
「おい……、なんだよその言い方は。お前こそ、ただのタルパじゃないか!」
ボクの言葉を聞いた江安くんは、机の引き出しから一冊のノートを取り出した。それは、ボクが江安恒一を作るために書いた"タルパノート"だった。
一般的に、人工精霊は依り代がなくては存在できない。ハルナやユキを簡単に抹消することができたのも、タルパノートを彼女らの依り代にして管理していたからだ。つまりノートの消失は、タルパの死を意味する。
「君がそこまで言うのなら、僕はこれを破るけど、いいよね」
江安くんは、ノートの両端を掴んで言った。
ボクもこのときは頭に血が上っていたから、言い返してしまった。
「構わないよ。はやく破れよ。ボクの人生はボクのものだ。江安くんが消えていなくなるのなら、ボクはすべてがうまくいくよ!!」
彼は悲しそうな顔をして、ノートを縦半分にびりりと破いた。
「君は、じつに馬鹿だね」
江安くんは、ノートをボクに投げつけた。
ばらばらになったノートのページが宙に舞い、ボクをめがけて飛んでくる。
ノートの文字が、目に入る。
書かれてあったのは、ボクの本名だった。
――タルパ『ボク』は、この世界から存在を消した。
真っ暗な世界に放り込まれる。何も無い、何も見えない。感覚も、感情もなかった。
「どうやら君を怖がらせてしまったみたいだね。でも、これだけは忘れないでほしいんだ。君の人生は、君自身の努力でしか変えることはできない。もしも君が、本当に生きたいと願うのであれば、一度だけチャンスをあげよう。その代わり、君がふたたび、生きる目的、理由を見失い、無為に時を過ごそうとするならば、そのときは本気で、君の人生を奪いに行くよ。僕は死神になって、君を殺すよ。だから、――――さよなら」
それが江安くんの遺した言葉だった。
ボクが目を覚ますと、そこは病院のベッドだった。
母の話によると、ボクは結局トラックに轢かれ、三日間意識不明だったそうだ。
これまでのはすべて、江安くんがボクに見せた夢だった。
病室で彼の名前を何度も呼んだが、江安くんが姿を現すことはなかった。
江安くんはきっと、タルパなんかに頼らずに自分の力で生きていかねばならないことを、ボクに伝えたかったのだろう。
その気持ちを、無駄にはしないと誓った。
退院し、大学に復学したあとのボクは、江安くんのことを片時も忘れず励みにして、すごく頑張った。
たとえば、役と点数計算を必死で勉強して徹夜でネット麻雀をしたり、アニメを一日に二時間は観ることを日課としたり、株式投資を始めたり、ナメクジやキノコを育てたり、ツイッターや2ちゃんねるで人とコミュニケーションをとるよう努力したり、小説をたくさん書いて投稿したりした。
それは、江安くんの思い描く理想の人生とは違うのかもしれない。けれども、ボクにとっての自分なりの精一杯の生き方なんだ。毎晩寝るときに今日を生きたことを喜び、明日があることに感謝をするのも、江安くんがボクに大切なことを教えてくれたからこそであった。
でも、就活をマジメにしてなかったのがいけなかったんだなあ……。
先日、江安恒一に出会ってしまった。彼は、最後通牒を突きつけたのだ。
もしもボクが内定を手にできなかったら、そのときはボクの人生を奪い取るのだと。
だからボクは、そろそろ本気で就活をしなければヤバかった。
[プロローグ~人工精霊タルパ篇~] 【完】




