江安恒一
2013年03月08日(金)晴れのち曇り
1円玉が落ちていたので、躊躇なく拾ってポケットに入れた。
さらに進むと、5円玉を見つけた。ボクは5円玉をまじまじと見つめ、もしやと思って駆け出す。
案の定、道のさきには10円玉、50円玉、100円玉、500円玉が線を結ぶように落ちてある。まるで、ヘンゼルとグレーテルの撒いたパンのようだ。今日はなんてラッキーなんだろう!
ボクはすべての硬貨を拾い集めてなお、先へ先へと進んだ。するとどうだろう。千円札、二千円札、五千円札がひらひらと飛んできて、懐へと入っていった。ああ、なんて幸せなんだろう。合計すると8,666円の儲けだ。
満足して帰ろうとしたとき、「おにいちゃん、待ってよ」と呼び止める声が聞こえた。振り返ると、7歳くらいの女の子が、ボクを手招きしている。少女は手に、一万円札を握っていた。
「おにいちゃん、早く早く」
少女は、ボクに一万円札を貰ってほしいみたいだ。なんて優しい娘だ。だがしかし、こんな簡単な罠に引っかかるほど馬鹿ではない。
「あっはっは、残念だったなお譲ちゃん。ボクにそんなトラップは通用しないぜ。どうせ落とし穴でもあるのだろう?」
鎌をかけるてみると、図星だったらしく、少女は「ちぇっ、つまんねーの」と悔しそうに顔を真っ赤にしていた。ボクはますます愉快になった。さ、少女なんて放っておいてはやく家に帰ろう。拾った8,666円はいま、ボクの手の内にあるのだ。
「ねえ、おにいちゃんは、お金が欲しいの?」
「もちろんさ。ボクは、金のためなら手段を選ばない」
「どうしてお金が欲しいの?」
「決まっているだろ。自由を手に入れるためさ」
「でもおにいちゃんは、自由を手に入れるために不自由になっているね」
「黙れ! 子供になにが分かる!!」
ボクが怒鳴ると、少女はしばらく押し黙って俯いていた。よく見れば、少女の瞳から雫がぽたぽたと零れ落ちて、地面に水溜りができていた。しまった、キツク当たり過ぎた。
「ご、ごめん。悪かったよ」
少女に駆け寄り、頭を撫でてやろうとしたとき、少女の口元がにやりと歪んだ。気がついたときには、遅かった。地響きにバランスを崩したかと思うや、足元の地面がぱっくり口を開けて、ボクを奈落の底へと突き落とした。
少女が落ちてゆくボクを見下ろして言った。
「馬鹿だね。お金はあの世に持って帰れないのに」
じつに嫌な、目覚めだった。どうして毎度毎度こんな悪夢を見なくてはならないのだ。目覚まし時計は、午前10時を指していた。しまった、完全に寝過ごした。なんだかとても悪い予感がして、ノートパソコンを立ち上げると真っ先に証券口座を確認する。
ああ、何ということだ。目の前が真っ暗になった。
たった一晩で、10万円近くの損失を出していたのだ。大損だ!!
M化研での損失を取り戻そうと、レバレッジ2倍にしてN電機の株式を信用買いしたのが失敗だった。
N電機は2月の赤字決算の尾を引いて、ずっと株価は横ばいだったのだが、見かねた大株主がきっと投売りしたに違いない。
N電機の株価は寄付きで10%も下落し、年初来安値を記録していた。
※『レバレッジ2倍』 レバレッジとは、てこの原理を指す。レバレッジ2倍は、100万円しか持っていなくても200万円の株式を買うことができる魔法の呪文である。
※『信用買い』 「あのー、ボク100万円しか持ってないので、200万円の株式を貸してくれませんか。儲かったらちゃんとお返ししますから」と頼むと、証券会社はニコニコして株を貸してくれる。これを信用買いという。証券会社は優しいなー。
※『投売り』 100000株くらいの持ち株をエイヤッ!と放り投げること。他のホルダーは大ダメージを食らう。
※『寄付き』 朝9時に決まるその日最初の株価のことを指す。
※『N電機』 円安が寄与して業績は上がるはずなのに投資家には愛想を尽かされている"架空の"企業。
※『M化研』 架空の企業。先日、会社説明会に出席しエントリーシートを提出した。
「よーし、見なかったことにしよう!」と呪文を唱えて、ブラウザを閉じると、なぜだかすごく気分が良くなり、やる気に満ちてきた。こんな天気の良い日だ。散歩に出かけようではないか。
ボクはうきうきした明るい気分で、旅行プランを考えた。天ヶ瀬ダム、三段壁、青木ヶ原樹海、ナイアガラの滝……、どこに行っても楽しそうだ!
リュックサックにロープを詰めていたとき、ケータイのベルが鳴った。メールはクライアントからで、写真撮影の依頼だった。自称カメラマンを名乗っているボクのところには、ときどきこういった案件が届く。時給に換算すると500円にも満たない仕事なのだが、写真を撮ることは好きなので、気に入っているバイトだった。
写真は1枚30円ほどで売れる。使用用途の多くは、自社ウェブサイトでの掲載である。このあいだ、クライアント様に「1枚3万円でいかがでしょうか?」と提案させていただいたら、「面白いご冗談ですね。^^ ゼロが3つ多いですよ。」と怒られてしまった。
さっそく依頼を受け、ボクは午前から午後にかけてお金のことは頭の隅に追いやり写真を撮っていた。梅田や、三宮のあたりをカメラを持ってうろついていたボクを見かけた読者さんもいるかもしれない。
写真を200枚ほど撮り終え、最後に神戸ポートタワーに寄っていくことにした。タワー頂上に昇り、下界を見下ろす。神戸の海が夕焼けに染まり、なんだかとても哀しい。ボクは何のために生まれて、何をして生きるのだろう。そんなことを考えていたら、アンパンが食べたくなった。
「やあ、君は、こんなところにいたのかい」
不意に背中から声をかけられ、振り向く。
その人物が誰かを悟ったとき、ボクは恐怖に駆られて声も出せなかった。
「ひどいなあ。久しぶりに会えたのに。まるで、怖いものでも見る目じゃないか」
影が苦笑いをした。
そのあとのことは、よく憶えていない。
ボクはとにかく、必死で逃げた。
血相を変えて帰ってきたボクを見て、母は「ちょっと、一体何があったの?」と心配をしてくれたが、ボクは無言で自室に入り鍵をかけた。布団にくるまって、ひたすら震えていたのだと思う。
まさか、再び"彼"に出会うときが来ようなど、予想だにしていなかった。
"彼"とは"影"であり、ボクの"親友"だった者であり、そして"死神"だった。
今度こそ、ボクは彼に殺される。
彼はどうして、このタイミングでボクを殺しにきたんだ。
思考が混乱している。この物語はしかし、フィクションではないのだ。どうすれば良いのかわからない。
彼、――江安恒一に再会してしまったからには。
(続く)




