風船幼女
2013年03月07日(木)晴れ
プリキュアがこの世に実在したら、ボクは真っ先に彼女らの標的となってしまうだろう。なぜならボクは、少女らの絶望を生きる糧としているからだ。
ボクは、女子中学生に成りすましてケータイ小説を書くのが趣味だ。甘くて淡いラブストーリーを連載している。目標とする作家は、有川浩さんだ。彼女の描く恋愛物語は素晴らしい。ケータイ小説の読者層は女性が圧倒的に多く、読者はみなラブストーリーに飢えている。ボクは恋愛経験はないけれど、恋物語を紡ぐことはできる。そこが小説の魅力である。
さて、連載をしていて、気になるのがアクセス数だ。だいたい1日のユニークアクセス数が100件を超えるようになると、ボクはいよいよ作戦の実行に取り掛かる。そう、読者である少女たちを絶望に陥れるための作戦だ。
純粋で真っ白な恋愛物語の原稿に、一滴の墨汁をぽたりと落とす。黒い染みはじわりじわりと広がってゆき、やがては物語を闇で覆いつくすだろう。ボクの得意とする分野はそんな『ラブホラー小説』である。山田悠介さんのような、後味の悪く不条理なラストシーンを目標としている。
「続き楽しみにしてますね。(*´ω`*)」のようなコメントを貰うたびに、ボクはこのあとの陰鬱なストーリー展開に少女たちが悲しみ嘆く様子を想起して、興奮を覚えるのだった。作家志望者の間ではしばしば「書きたい話」を書くか、「売れる話」を書くかで議論になることがある。彼らは何を訳の分からぬことを言っているのだろうと思う。小説とは、金と己の快楽のために書くに決まっているだろう。
と、午前中はそんな黒いことを考えながら、大学のパソコンルームでケータイ小説を書いていた。くれぐれも作家を目指す人たちはこんなダークサイドに堕ちないで欲しいと、わずかに残った良心で切に祈るのであった。
午後からは、ウェブライターの案件を3つこなすものの、時給計算で500円にも満たなかったので時間を無駄にしてしまったと思う。勉強したり原稿したりしたほうがずっと有意義であった。このときボクの頭に『就活』の二文字はなかった。
大学からの帰り道、住吉川沿いを歩いていると、5歳くらいの女の子に呼び止められた。
「お兄ちゃん、あれ取ってよ」
少女は木のうえを指差している。赤い風船が引っかかっていた。
ベタな展開だなあ、と思いつつも、ボクはイチョウの木によじ登って、風船を取ろうとした。お兄ちゃんと呼ばれたからには、ボクはたとえ火のなか水のなかでも飛び込まなくてはならない……という暗示にかけられている。
イチョウの木は10メートルほどあった。3メートルくらいで、怖くて下が見れなくなった。手が届かない。赤い風船は、もっとずっと高い場所にあったが、距離感がうまくつかめないのだ。
「もっと上、もっと上!」
幼女に命ぜられるままに、ボクは木を登り続ける。しかし上に行けば行くほど、風船は遠くへ行ってしまう。冷たい風が吹いて、木の枝がゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよんと揺れた。
「はやく! はやく!」
幼女が急かす。えーい、とボクは木の枝から大きくジャンプして、風船を抱きしめるようにしてキャッチした。やった!! ついに取れたぞ!!
一転、身体が真逆さまに、落ちてゆく。
「ふふふ、馬鹿だね。夢なんて、手に入れたら弾けて消えてしまうんだよ」
幼女の冷たい息が、耳元で聞こえた。瞬間、風船は悲鳴のような音をあげて破裂した。
背中に鋭い痛みが走る。
目を覚ます。ボクはどうやら、机に突っ伏して居眠りをしてしまっていたようだ。かちこちに固まった背中が痛い。うーんと伸びをしたら、肩がぼきぼきとなった。
最近、この種の悪夢をよく見る。物書きであることの副作用かもしれない。まったく、どうして善良な市民であるボクがこんな夢に苦しまなきゃいけないんだ。悪いことなんて何一つしていないのに!
その後、14時から17時にかけて、ボクは当てもなく道を歩き続け、次期新人賞に投稿する小説のプロットを練った。創作は、肉体労働である。物語を紡ぐためには、ひたすら歩かなくてはならなかった。
金になりそうな構想が固まり、ボクは充実感を味わいながら家路についた。
このアイデアなら大賞は貰ったも同然だな。賞金の使い道はどうしようか。など、誰しもが皮算用してうきうきするものだ。実際に書き始めるまでの一時の幸せである。
明日はきっと、一日中原稿の締切に追われるだろう。だから、きっと面白いことなど何もない。明日は日記のネタが尽きるなあ、と思いながら、ボクは眠りに落ちた。
このあとに待ち受ける大事件など、まだボクは知る由もなかった。
(続く)