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ぼっちの就活日記  作者: 五条ダン
第二章~株式投資篇~
19/48

ねこ、ニャーゴ、ニャーゴ、ニャーゴ!!


 2013年03月22日(金)晴れ



 きっと、悪い現実を見ていたのだと思う。夢のセカイに戻ってきた私は、優しい光のなかで心安らかに揺らいでいた。むかしの人は、天国を信じたそうだ。死んだら天国に行けるとわかっているならば、みんな死のうとするだろう。居た堪らない現実など捨てて。天国を謳う宗教にはしかし、自殺を防止する仕組みが必要だった。


「起きるんだ! 君はいったいいつまで眠るつもりなんだ!」


 耳元で、大声がした。江安恒一だった。彼は、私のエア友だちの生み出したエア友だちで、つまり私の仮想人格の作った仮想人格で、幻覚の幻覚……あー、もうややこしいからいいや。とにかく江安恒一は、幽霊のようにつきまとってくる私の妄想なのだ。



「起きたくない……、ずっと夢のなかにいる……」

 私はお布団を頭までかぶって身を隠した。ぬくもりのある暗闇。とても心地よい。春になったら熊は冬眠から覚めるというけれど、春が過ぎても穴のなかで引きこもってる熊は多いと思う。ソースは私。


「はあ、まったくもって君は……、五条ダンが取り憑いていた頃よりも状況が悪化してるじゃないか。このままでは『就活日記』が『引篭もり日記』になってしまう。君には就職活動というミッションがあるんだよ」

 江安が溜息をつく。


「どうでもいい。このまま眠り続けて死にたい……」

 暗闇のなかで、膝を抱えてうずくまる。目を閉じたら、とても落ち着いた。お布団三角座り寝、私はこの体勢を《トライアングル=トランキライザー》と命名した。あとは幻聴が消えるのを待てばいい。


「やれやれ、僕だってまさか、ここまでひどい展開になるとは夢にも思わなかったよ」

 江安が独り言を呟いた。気にしてはいけない。



 うとうとしかけていると、どこからかピアノの旋律が聞こえてきた。猫踏んじゃったのメロディだった。頭のなかでシャープとフラットが飛び回る。猫がぴょんぴょん跳ね回る。

 ごろニャーゴ、ニャーゴ、ニャーゴ!!


「あぁ、もう。うるさいっ」

 ベッドから飛び起きた。猫が騒がしくてとても眠れない。見ると江安が、机のうえにあった紙鍵盤で猫踏んじゃったを弾いていた。彼は振り返り「やあ、おはよう」と白い歯を見せた。


 私もピアノが弾きたくなってきたので、パジャマのまま居間にあるピアノの前に座り、目の前にあった楽譜集をパラパラとめくる。音符が元気よく踊っていたので、少しは目が覚めた。指の運びを頭でイメージしたあと、楽譜をそっと閉じる。

 目を瞑り、何曲かを弾いてみる。何も考えない。指が勝手に踊ってくれる。


 ピアノは、孤独に愛された楽器だ。奏者がひとり居ればいい。たったひとりと一台で、音楽は自己完結してしまう。仲間がいなくても、聴衆がいなくても、ピアノだけはすべてを満たしてくれる。わたしひとりでいい。


 夜の森で、踊っている気分になる。何も見えない、真っ暗闇のなか、ひたすら踊り続ける。

 私は、目を閉じなければ、鍵盤に触れることができない。小学生の頃に通ったピアノ教室の、怖い先生の顔が思い浮かぶせいだった。加えて私は、視線恐怖症だった。視界を塞いでいないと、不安でいっぱいになる。


 それにしても――、長いブランクがあるはずなのに、指がなめらかに動くことが不思議だった。


「五条に感謝するといい。彼は毎日、『猫踏んじゃった』を10ループは弾いて、君の母親を絶叫させていたよ」

 背後で江安が言った。


 それを聞いて、思わず笑ってしまいそうになった。ダンくんがピアノを弾く姿を想像したら、とても可笑しかった。彼の流儀に従って、『猫踏んじゃった』を転調させながら10ループしてみる。嬰ハ短調に移ったところで、台所からお皿の割れる音が聞こえた。



 ダンくんも、彼なりに頑張ってくれたんだと思う。私もこのままではいけない。

 自室に戻る。窓際に、小さなサボテンが飾ってあった。

 深緑のまんまるいサボテンは、朝の陽射しを浴びて金色に光っていた。サボテンにある無数の棘が、光を通すことによって輝くのだ。幻想的な光景に、しばらく見惚れてしまう。


「ああ、それは五条が恋したサボテンだよ。名前はハンニャだ。彼のネーミングではないよ。元々そういう名前のサボテンなのさ」


「……かわいい」

 それにしても、サボテンに恋をするとはどういう気持ちだろうか。たとえ恋していても、サボテンと話すことはもちろん、触れることさえ許されない。とても切ない恋に思えた。


「水やりは週に一回でいいよ。サボテンの枯れる一番の原因は、水のやりすぎなんだ」


「ふうん……」

 過剰な愛は心を枯らす、といったフレーズが思い浮かぶ。


「もっとも、五条はサボテンで大儲けしようと考えてたみたいだよ。100円ショップでサボテンを買い占めて、育てて大きくしてから1,000円で売れば資産が10倍になる。今から400年ほど昔にオランダで『チューリップ・バブル』なんて馬鹿げた話があったけどね、五条は現代に『サボテン・バブル』を引き起こそうと画策していたらしい。いやあ、正直面白いと感じたよ。植物を非減価償却資産として考えた場合にだな、球根であれば長期保有時の発芽率の低下が痛いわけだが、対してサボテンは長期保有で資産価値は確実に上がる。つまり、投機ならチューリップ、しかし投資ならサボテンが意外と優秀なんだ。この着眼点を生かして、新たな金融商品を作るビジネスモデルを考案し……」

 江安は一旦話し出すと饒舌だった。


「わかった、わかったからもういいって」



 明日からは、私なりのやり方で頑張ろう。

 江安恒一のサボテン論議を聞きながら、私は深い眠りに落ちた。



 (続く)


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