五条ダン
2013年03月19日(火)晴れ
先日、『空売り』というタイトルの記事を書いた。あれはまさに死亡フラグだったのだ。先日3月18日は、キプロスの預金課税問題への不安から日経平均株価は下げていた。今こそ絶好の空売り場だとボクは考えていて、それを実行した。しかし、本日はキプロスショックなど何でも無かったかのように日経平均が上がり、全体として株価は持ち直した。
空売りとは、株価が下がれば利益が得られ、株価が上がれば損失を被る仕組みの取引だ。したがって、先日に全力で空売りをしていたボクは、相当なダメージを食らったのであった。先日書いたように、空売りが危険であることは分かっていたはずなのに、ボクは何と云うことをしてしまったんだ……。
ショックで頭が痛い。とりあえず散歩に行こうと思った。今日は昼間の気温が26度もあり、4月並みの暖かさだった。公園には、黄色のタンポポがたくさん咲いていた。なんだかタンポポが美味しそうだった。もしかしたら食べることができるんじゃないかと思った。貯金が底を突いたら、ボクはタンポポを食べて生活しなければならない。
試しに、タンポポの茎の根元を抜いて、タンポポの花を食べてみることにした。(※良い子は真似しないでください)食感はぱさぱさ、いや、もそもそとしていて、やたらと喉が渇いた。茎から白い汁が出てくるのだが、それが苦かった。良薬口に苦しの言葉を信じて、なんとかタンポポは完食することができた。もっとわたあめみたいに甘いのを想像していた。タンポポは甘くなかった。むしろ辛かった。
午後になると、私は何をしているのだろうと空しい気分になった。今日は誕生日で、ボクは21歳になる。人生を振り返ってみようとしてみたが、振り返るほどの思い出がなかった。寂しい人間になってしまったものだと思う。
「自分を変えたい」と願う人は多いだろう。しかし、変わってしまった自分は本当に自分なのだろうか。ネガティブな人がポジティブに変われたとして、ネガティブな自分はどこへ行ってしまうのか。そもそも、昨日の自分と今日の自分は同一人物なのだろうか。
そんなことを疑問に思ったのは、かつての一人称である『私』が、先日の日記に登場していたからだ。『ボク』もまた、創られた仮想人格に過ぎない。久々に『私』が現れたということは、『ボク』はそろそろ、お役御免なのかもしれない。
五条ダン(ボク)は、『私』が小学生のときに考えた仮想の友人だった。五条ダンという名前は、当時住んでいた京都の五条通りからつけた。ネガティブで無口だった『私』は、冗談を言って笑わせてくれる友だちが欲しかったのだと思う。御冗談、五条ダン。駄洒落みたいな名前の男の子。ボクはそうやって誕生した。
[第一章~五条ダン篇~] 【完】




