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ぼっちの就活日記  作者: 五条ダン
第一章~五条ダン篇~
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真実薬

 2013年03月15日(金)晴れ



 ボクは砂浜に立っていた。黒い海が目の前に広がる。見上げれば、星がちかちかと囁きあっていた。


「あなたに読んでほしい本があるの」


 となりにいた岩波レイが言った。レイは、ボクに一冊の本を手渡した。

 その本のタイトルは、『ぼっちの就活日記』だった。


 恐らくこの物語は、大学時代に友だちのできなかった主人公が、孤独ながらも就職活動という試練に挑んでいく話ではないかと推測した。グループディスカッションや、圧迫面接、ブラック企業へのエントリーなど、数々の難関を乗り越え、葛藤を繰り返しながらも、最後には内定を手にするのだ。充実した学生生活を過ごせなかった過去を振り切り、未来への希望を持って、努力し突き進む。そして一人前の社会人へと成長していく。そういった感じの物語であろう。


「読んでみて」 レイが言った。


 月明かりのなか、ボクはページをめくる。期待した主人公はしかし、就職活動をしていなかった。

 ん、なんなんだこの小説は。読んでいてクエスチョンマークが頭に浮かぶ。

 例えば『勇者の大冒険』という本のなかの勇者が「冒険は面倒くさいよ」といって、引きこもり生活を送っているようなものだ。『ぼっちの就活しない日記』ならまだしも、これではタイトル詐欺ではないのか、と思った。


 そもそも、この小説の主人公はどうして就活をしないんだ。主人公には目的意識もないし、心の葛藤も見られない。ただ時間に流されるままに、ぶらぶらと遊んでいるだけに見える。ボクは、この主人公には感情移入ができないなと思った。


 この先は読む価値もないなと思い、ボクは本を閉じた。そして、フリスビーのように海に向かって思い切り投げた。うまくスピンがかかったようだ。本はくるくると勢いよく回転しながら宙を飛び、海の向こうへと消えてしまった、


――と思ったらブーメランのごとく綺麗な弧を描いて旋廻し、ボクの方へとまっしぐらに飛んできた。


「うわ、なんだなんだ」


 避ける余裕もなく、戻ってきた本はボクのおでこを直撃した。頭の割れるような衝撃が体の芯まで響く。


「うぅ……痛い……」


 頭を抱えてうずくまるボクに、レイが声をかける。 「感想はある?」


「ボクはこの本の著者に言ってやりたいね。早く就活しろよって」 きっぱりと言い切る。


「そう……」


 レイは抑揚のない声でいった。眼鏡の奥には、深紅の瞳が爛々と輝いている。彼女の目は、闇夜の海に浮かぶ篝火かがりびのように、ボクの姿を映していた。



「ねえ、あなたは就活したいの?」


 レイは今更、どうしてそんな当たり前のことを聞くのだろうと思った。だからボクはぴんと背筋を伸ばして立ち、胸を張って答えてやった。


「モチロンダヨ。イッショウケンメイニ、シュウショクカツドウヲシテ、ボクハ『ナイテイ』ヲテニイレルンダ!」


 

 レイは無表情のまま、首を傾げた。そしてスカートのポケットから小瓶を取り出すと、ボクに渡した。


「これ、飲んでみて。すごく美味しいお酒なの」



 小瓶に入った液体は、澄んだ水色で、月明かりに照らされて発光クラゲのように輝いていた。


「ありがとう。うれしいよ」 ボクは小瓶の蓋を開け、すごく美味しいお酒とやらを一気に飲み干した。「あれ、味がしないな……」 それは無味無臭の液体だった。


「あなたがいま飲んだのは、真実薬よ」


「なんだって!?」


「これであなたは、嘘がつけなくなる」 

 レイの鋭い眼光が、ボクの心を刺した。金縛りにあったみたいに、体が動かなかった。レイの瞳に吸い込まれてしまうような感じがした。


「就活したい?」 レイが質問を繰り返した。ふっ、なんど同じことを聞かれようがボクは――。


「嫌だ。就職活動なんて、したくないよ」

 口が勝手に動いていた。ボクはびっくりして口を塞ごうとしたけれど、手にも腕にも力が入らない。


「どうして?」 

 レイの透明な声が、問いかけが、心に染み入る。どうして、どうして、どうして、頭のなかで反響する。


「内定は欲しくない。会社員にもなりたくない。集団生活を送りたくない。他人と接することが、嫌なんだ、怖いんだ。だからずっと避けてきた、逃げてきた。これまでも、これからも、孤独のままでいるほうがずっといいんだ!」

 気がつくと涙が、頬を伝っていた。溢れ出した感情は、止まらない、止められない。


「孤独で、寂しくはないの?」


「あっはははははは、ひとりのほうがずっと安心できるよ。ボクは今までずっとそうして暮らしてきたんだ。孤独である寂しさよりも、誰かと一緒にいることが怖い。コミュニケーションが怖い。他愛のない話をして、肩を並べて笑いあうのが怖い。人の目を見るのが怖い。話しかけられるのが怖い。誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられるのが怖い。寂しくなったときは、小説を読めばいいさ。ボクは物語のなかで生きる。たとえ空想でも、幻覚でも、それがボクの生きるセカイだ!」


「そう……」


「否定しないのか? ボクのことを罵ればいいじゃないか。独りよがりのクズ人間だと」


「あなたの人生は、あなたが決めることよ」


「ああ。もちろんさ」


「あなたは、自分の気持ちに向き合わなくてはいけないの」


「……何が言いたい?」


「心の奥に、秘めている計画があるんでしょ? あれを空想のまま終わらせてもいいの?」


「……っ!! あんなのはただの妄想だ。世間知らずの学生の戯言に過ぎない。それに、もしそれが可能になるとするならば……」


「江安恒一から伝言よ。『協力する』と」


「……!!!」


 ボクは気づいた。今まで、ひとりで生きてきたわけではないと。ハルナ、ユキ、レイ、そして江安くんは、ボクの大切な仲間で、心の支えだった。彼らなしでは、孤独に押し潰されていただろうに、身勝手にも、ひとりで生きていけるなどと錯覚していた。


 それに、江安くんが計画に賛同してくれるのであれば、もう何もためらう必要はなかった。ボクは最初の一歩を踏み出さなくてはいけない。



 目を覚ます。はっきりとした夢だった。レイとの会話は、頭の中に鮮明に記憶された。

 枕元の六法は、あるページを開いていた。



  ――会社法第二編第一章【株式会社の設立】――



 そう、ボクの計画とは、会社を設立することだった――。



 (続く)


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