第八章 夜明け(後編)
「マイラぁぁぁッ!!」
目を覚ますと、問答無用で思い切り慎に抱き締められた。
あぁ、温かい。慎の優しい温もりだ。世界で一番、私を幸せにしてくれる人の抱擁だ。
「……慎、ごめんね」
目が覚めたら、絶対に最初に慎に謝ろうと思っていた。
慎には、本当にいくら謝っても謝り足りないほど迷惑を掛けてしまった。呪われた運命に引き摺り込み、死の運命を背負わせてしまった。
私なんかと出会わなければ、きっと慎は……。
「なんて顔してんだ、馬鹿。俺はな、お前に出会えたことを後悔したことなんて一度もない。迷惑掛けたとか、そんな心配しなくていいんだ。俺はお前が好きだから、一緒にいるって決めたんだ。お前が迷惑でも、俺は絶対に離さないぞ。
お前は俺の女だ。もう勝手にどっかに行くなよ。迷惑なんていくらでも掛けていいから、ずっと俺の側にいろ。ったく、何度も言わせんな、馬鹿……」
「うん、うん……」
慎、大好き……。
私も慎の背中に手を回し、思い切り泣きついた。子供のように泣きじゃくり、必死に慎に抱き付いた。周りにみんながいるのは知っていたが、それでも泣き続けた。
「マイちゃん、無事で、よかったです……」
そうだ、美夜にも随分と迷惑を掛けてしまった。私は美夜の声がした方へ振り向いて、愕然とした。
美夜は全身に酷い火傷を負い、私の隣に寝かされていた。ところどころ皮膚が裂け、相当な出血が見受けられる。満身創痍、瀕死の状態だった。
「美夜!? 貴方、そんなボロボロになってまで私を……」
「にゃはは……。や~、ちょっと無茶し過ぎちゃいました。今の状態で神衣光翼を使えばこうなるってわかってたんですけど、全力を出さないとマイちゃんも、あの可愛そうな魂達も助けられなかったですから……」
哀れな魂達、芝崎初音や多くの犠牲者達。美夜はあえてその名を口にしなかったが、ブラックファングに囚われてしまった大切な友人を救いたかったのだろう。
だからこそ、この子はこんな無茶をしたのだろう。本当に、どうしようもないくらいにお節介なお人好しだ。
「……美夜、ごめん……。ごめんなさい……」
「『ごめんなさい』より、『ありがとう』って言ってほしいです。慎君も、みんなも、貴方にこれ以上過ちに囚われてほしくないんです。前を向いて、笑顔でいてほしいんです」
「……うん、ありがとう、美夜……」
「はい、どういたしまして♪」
彼女に出会えて、本当によかった。私の最高の親友。
私は上半身を起こし、東の空に目を向けた。
夜空が静かに明けていく。漆黒の闇に包まれた空が、徐々に薄紫色に染まっていった。薄い糸のような陽光がいくつも結びつき、大きな光の螺旋になっていく。どんな悲しい夜が続いても、必ず希望の朝は来る。たとえ、私達がどれほど苦悩しようとも、世界は変わらず回り続ける。
ついに夜の終わりを告げる朝日が姿を現した。その眩しさに、私は右手をかざした。
その時、不意に右手に指輪の存在に気付いた。視線が朝日から、指輪へと移った。狼王の遺産、ブラックファング。以前までも禍々しい気配は感じられなくなったが、それでも圧倒的な魔力は消えていなかった。それに、私が犯してしまった罪も、消えてはいない。
わかっている。決して忘れた訳ではない。
私は、許されざる罪人だ。
「……マイラ」
「何、仁……?」
「……お前はこれからも戦い続けるのか?」
私は一度、運命から逃げてしまった。
もう戦いたくない、と言って死を望んでしまった。
でも、私はもう逃げないと決めた。
「……うん、戦い続けるわ。私が望む望まざる関係なしに、戦いは続くと思う。今度の一件で、芝崎家は完全に私を敵と認識しただろうし、協力関係にあるヴァチカンも多分動くと思う。これから本気の潰し合いが始まるはず。
本音を言うと、逃げたい。でも、今更私が罪に目を逸らして、逃げることなんてできない。だから、私は戦う。戦い続ける。その結果、芝崎初音のように罪のないものを殺してしまうこともあるかもしれない。それが過ちだってことはわかっている。でも、連中はそれが過ちとすら気付かずに殺し続ける。私は、もうあんな連中に殺される人達を見たくない。私が罪を犯し、戦い続けることで、もう犠牲が生まれなくなるというのなら、私はこの命を懸けて戦い続ける。
それが、罪人としての私の決意。もう引き返せないのなら、同じ外道達を殺すための牙となる」
「……そうか。ならば、俺や美夜とは違う道を歩むんだな……」
悲しいけど、そういうことになるだろう。
私の決意は、ある意味で美夜と近いものかもしれない。しかし、やはり相容れないものだ。大切なものを守るため、人を殺すか否か。私は殺す、美夜は殺さない。だから、私と美夜は敵同士になる。これからも、ずっと戦い続けるだろう。
仁は私の言葉を聞くと、無言で頷き、美夜を抱き上げた。
「うにゃあ!?」
急に抱き上げられて、奇声っぽい悲鳴を上げる美夜。
「……聞いてのとおりだ、憂いの。わざわざ俺が説得するまでもなかったな」
「ソウダナ……。デハ、コノ二人ノ身柄ハ、我等黒ノ派閥ガ預カラセテモラウゾ」
「……BLSの制御キーも渡した。美夜の安全は保障してもらうぞ」
こいつ、もしかして美夜の安全のために、私を売った……? まぁ、元々最初に裏切ったのは私だけど。っていうか、二人ってことは慎も? それに、BLSまで売った?
しかし、それではほとんど無条件降伏に近い。まさか、そうまでしても美夜を守りたかったのか。あの自分の命にさえ無関心だった奴が、ここまでするなんて驚きだ。
「ククク……、コノ私ガ逢瀬美夜ヲ討ツ絶好ノ機会ヲ見逃スト思ッテイルノカ……?」
『……ッ!?』
憂いの切り裂き魔は得物の大バサミを美夜と仁に向けた。
こいつ、美夜を殺す気……? そんなの、絶対に許せる訳がない。
「ソノ小娘ハ黒ノ派閥ノ幹部ヲ倒シテイル。殺セル時ニ殺ス」
「ちょっと待ちなさいよ、憂いの切り裂き魔!」
私は憂いの切り裂き魔の前に立ちはだかった。恩人である美夜を殺される訳にはいかない。一命の恩は、一命を以って返す。
「ソコヲ退ケ、大神まいら。千載一遇ノ好機ヲ見逃ス訳ニハイカナイ。ソレトモ、我等ヲ裏切ッテマデ逢瀬美夜ヲ守ルトイウノカ?」
「……違うわ、憂いの。この子は私の獲物よ。誰にも渡さない」
「オ前ガ、逢瀬美夜ヲ殺ストイウノカ?」
「えぇ、美夜を殺していいのは、私だけよ。でも、決着をつけるのは、互いに万全の状態の時。今はその時じゃないわ」
「……ソンナ言葉デ、私ガ納得スルト思ッテイルノカ?」
「納得しないのなら、私があんたを殺すだけよ?」
「…………」
私と憂いの切り裂き間の睨み合いが続いた。
今、現状で戦闘能力が一番高いのは憂いの切り裂き魔だ。まともに戦えば、私の方が圧倒的に不利だ。しかし、ここで退くつもりはなかった。
憂いの切り裂き魔は無言で私を睨み続けた。一体、今何を思っているのだろうか。無機質な仮面に潜む感情は全く読めなかった。
「……イイダロウ。ソコマデ言ウノナラ、逢瀬美夜ノ始末ハオ前ニ一任シヨウ。ダガ、イズレ必ズ殺セ」
「わかってる……。もう、私は逃げない……」
憂いの切り裂き魔は得物を仕舞い、踵を返した。どうやら諦めてくれたようだ。
美夜を討つより、私と慎の協力を選んでくれて本当によかった。黒の派閥の幹部を倒した美夜を討てば、間違いなく大きな功績となる。だが、ヴァチカンと戦うには私達の協力は不可欠だ。黒の派閥の中には、ヴァチカン敵視の者はそれほど多くない。ここで味方を減らすと、今後の戦いが厳しくなる。そう考えて、憂いの切り裂き魔は退いてくれたのだろう。
それにしても、功績よりも復讐を選ぶとは、憂いの切り裂き魔にとってヴァチカンは相当に憎い相手なのだろう。
「マイちゃん、ありがとうございます」
「……恩に着る、マイラ」
二人からお礼を言われるが、正直くすぐったい。所詮その場しのぎをしただけに過ぎない。でも、少しだけ強がってしまう。
「これで助けてもらった借りは返したわよ。戦場では、敵同士だからね」
「はい。でも、学校では今までどおり、親友ですよ」
「……そう、だね。うん、学校では、ね」
敵わないなぁ、この子には……。
私が男だったら、絶対に惚れちゃうなぁ。
「……行くぞ、美夜」
「あっ、はい。ごめんなさい、仁君、迷惑掛けちゃって……」
「……『ごめん』より、『ありがとう』だ。自分で吐いた言葉くらい忘れるな」
「あははは、そうですね。ありがとうございます、仁君」
あいつ、絶対に顔真っ赤にしてる。こちらを向いてないからわからないけど、間違いない。確信できる。
仁は(おそらく顔を真っ赤にしたままで)美夜を抱え、去っていった。送り狼にならないか、と少しだけ不安になった。しかし、彼にそんな度胸はないだろうと思って、すぐに不安は消えた。
まぁ、送り狼になったら、それはそれで面白い。
「変ワッタナ、アノ男……。昔ハ世界ソノモノヲ憎ンデイルヨウダッタノニ……」
「……確かにね。あいつは芝崎家に戦うことを義務付けられて育ったから、何かも信じられずに世界を恨んでいた。でも、美夜に出会って、誰かを信じることを知った。だから、あいつは人間らしさを取り戻したのよ」
「戦士ハ人間デハナイ。戦士ハ所詮戦士。人間デアッテハナラナイ」
「そう、かもね……」
憂いの切り裂き魔が言わんとすることはわからないでもない。人間らしさは戦場において不要な感情だ。たとえば、美夜みたいな甘い奴に戦士としての適性があるとは思えない。どれだけ強くても、結局相手を殺せない戦士に意味はない。
確かに、戦士は人間であってはいけない。しかし、私は人間であり続ける。心を捨てた外道達の蹂躙がどれだけ残酷かを知っているから。そうした外道達と戦うために、力を振るうと決めたから。
「まぁ、何にせよ、帰ろうぜ。僕は疲れたよ」
「お前、何か疲れるようなことしたか?」
「うるさいよ!」
慎と沼影が阿呆な喧嘩を始めたので、私は問答無用で沼影を蹴り飛ばしてやった。慎に手を出す奴は許さない。というか、沼影がウザい。
「うるさいのは、あんたよ。いいから黙って、私達を送っていきなさいよ!」
「それが人に物を頼む態度ですかねぇ?」
「「うるさい!」」
私と慎の蹴りが、綺麗に沼影の顔面を捉えた。
その後、さめざめと泣く沼影の運転で、私達は町へと戻っていった。行きの時はエディンバラの話をしていたので気付かなかったが、林道は車だと酷く揺れた。
芝崎家から完全に敵として認識されてしまった以上、今まで自宅していたマンションには戻れなかった。これからは慎のアパートに住むことになるだろう。今更同棲で戸惑うほど初心ではないが、少しだけドキドキする。
それにしても、今日は疲れた。本当にいろいろあって精根尽き果てた。
不規則な車の揺れと連戦の疲れで眠りを誘う。知らず知らずのうちに慎に寄り掛かっていた。彼はそっと私の肩に手を回し、ほつれた髪を優しく梳いてくれた。温かい。世界で一番安心できる私の居場所。私はいつしか深い眠りに落ちていた。
小一時間ほど経ち、ようやく慎のアパートに着いた。
車から降り、慎が住むボロアパートを見上げた。夜遅くに見ると、幽霊が出そうなほど雰囲気があり、非常に不気味だった。しかし、泣きそうなほどの懐かしさが込み上げてきた。
慎のアパートに来るのは、本当に久し振りだった。付き合っていた頃は、よく遊びに来ていたが、別れてから二ヶ月も来ていなかった。
「じゃあ、僕達は行くぞ」
「えぇ、いろいろありがとう」
「……何だか、素直にお礼を言われるのは気持ち悪いな。まぁ、ありがたいと思うなら、僕達の計画にこれからも協力し続けてくれ」
「わかってるわよ。ヴァチカンを許せないって気持ちは消えていないから」
ただ、無闇に恨むのは止めようと思う。盲目的に憎しみに塗れてしまっては、また今回のような過ちを犯してしまうかもしれない。
「あぁ、それと、ホムラ一号。てめぇも協力しろよ」
「一号言うな、エロ河童」
「誰が河童だ! 僕はお前等みたいなビックリ人間と違って、純度百パーセントの人間だよ!」
いまいち信憑性に欠ける。どちらかといえば、人間というより河童に近い顔なのに。
まぁ、沼影が人間だろうと、河童だろうと、私には関係ない。河童の方が強そうなので、どちらかといえば河童であってほしい。あと、私個人としても河童の方が面白いので、河童であってほしい。
「まぁ、俺だって好きでビックリ人間になった訳じゃないんだがな……」
慎はきっと誰にも聞こえないように言ったつもりだろうが、私には聞こえてしまった。ウェアウルフである私の聴力は、人間のそれとは性能が違う。
慎、やっぱり口ではあぁ言っても、後悔している部分があるんだ。まぁ、そうだよね。簡単に割り切れるものじゃないし……。
「いいから、さっさと行けよ」
「あぁ、そうさせてもらうよ。じゃあ、せいぜい今日はイチャついてろ」
「「やかましい!」」
私と慎が沼影を殴ろうと踵を返した瞬間、車が発進した。
あの野郎、逃げ足だけは速いな。今後会ったら、一発殴ってやる。
「……じゃ、じゃあ、俺達も行こうか」
あっ、慎ってば、さっきの沼影のセリフで動揺してるな。可愛い。
慎はスケベなくせに意外に純情なので、こういうネタに弱かったりする。私はいろいろと経験済みなので、そういうネタは結構大丈夫。そういえば、男子の方がそういうネタが弱いと聞いたことがあるが、あれは本当なのかもしれない。
「うん、行こう」
私は慎の手を握った。慎は少し、ビクッ、と震えた。可愛い。
手を繋いだまま狭い階段を上り、狭い通路を歩き、一緒に部屋へ入った。
私が知っている慎の部屋と少し違った。私の私物は全部なくなり、代わりに初音の私物らしきものがいくつか見受けられる。しかし、私が慎にプレゼントした物がいくつか残っていた。
初音の残滓が、私の罪悪感を締め上げた。しかし、きっと慎は鈍感だから気付いていないのだろう。普通に家に入り、やかんでお湯を沸かしていた。
「マイラ、とりあえず何か食うか?」
「……ううん、いらない」
座布団の上に座り、私は大きく首を振った。
あれほどの惨劇を見たというのに、慎は普通に食欲が沸くのだろうか。意外に神経が太いようだ。私はとてもではないが、食欲などない。
「……一応、何か食った方がいいぞ。あれだけのことがあったんだ。俺もお前も、結構ボロボロだろ……? 無理にでも何か食って力つけた方がいい」
「慎……。ごめん。私のこと、心配してくれてたんだ」
私は少々、慎のことを見下していたかもしれない。確かに、度重なる過酷な戦闘で私達の疲労はピークに至っている。何かを食べて、体力を回復した方がいい。慎はそこまで考えて、何か食べよう、と言ってくれたのだ。
「正直、今食っても吐き出しちまいそうな気分なんだけどな」
慎はきっと初音のことを思い出しているのだろう。あの光景は絶対に忘れられないだろう。あれだけ鮮烈な殺人シーンを、しかも大切にしていた少女が殺されるシーンを間近で見て、忘れられるはずがない。
「私もそうだよ……」
「でも、何か食べないとな……。生きるって決めたんだからな、俺達は……」
「うん……」
そうだ、私達は生きる。もう二度と逃げない。
お湯が沸いた。慎は二人分のインスタントコーヒーを淹れた。コーヒー豆もまた違う銘柄に変わっていた。あのコーヒー豆は初音の趣味だったのだろうか。
空きっ腹にコーヒーは重い。しかし、それでも私達はコーヒーを飲み干した。
コーヒーを飲み干し、慎が何かを作るといって、冷蔵庫を漁った。私の知っている慎は、料理などできなかった。やはり、初音に教えてもらったのだろうか。
……駄目だ、さっきから初音のことを考えては凹んでいる。
台所では慎が不器用に、調理を始めた。私が通っている時は、いつもコンビニ弁当か外食で、調理器具なんて錆び付いていたはずだったのに。
ぁあ~……、また昔のこと思い出して凹んでるよ、私……。
私はちゃぶ台に突っ伏し、コーヒーカップを回して遊んだ。こうしていると、夫を扱き使っているぐうたら妻のようだ。実際、家事炊事も何もできない駄目女だけど。
……うぅ、マイナス思考が抜けない。今日は本当にいろいろあったから……。
「できたぞ、マイラ」
ただ目を閉じたつもりだったが、少し眠ってしまったようだ。目を開けると、すでに慎の料理が出来上がっていた。お世辞にも綺麗な出来ではないが、愛情がたっぷり込められている和風きのこスパゲティーだ。
「どうだ、俺も結構マシになったろう?」
「うん。前に作ったイカ墨なしのイカ墨スパゲティーよりは美味しそう」
「黙れ、思い出させるな。それと、お前はスパゲティー煎餅作ってたろう。あんなに自信満々だったくせに」
「うっ……、うるさいなぁ、もう!」
私はフォークを掴むと、思い切りスパゲティーを掻きこんだ。
「お前なぁ、一応イギリス育ちなんだから、もっと行儀よく食えよ」
「行儀がいいことに、日本育ちもイギリス育ちもないわよ」
「まぁ、そりゃな」
行儀に文句を言う慎も、フォークの扱いは適当だった。
「……ねぇ、慎?」
「何だ?」
「食べ終わったら、寝よ?」
「あぁ、そうだな。今日は疲れたよ」
私は深々と溜め息を吐き、慎の鈍感振りに呆れるしかなかった。
こいつは本当に男なのだろうか。まぁ、私が恥ずかしくて言い方を素っ気なくしたのがいけなかったのかもしれないが。
馬鹿だからなぁ、ストレートに言わないとわかんないのかな? 全く仕方ない……。
「そうじゃなくて、エッチしよう?」
「ぶふぅ~!!」
慎の口から見事にスパゲティーが逆噴射した。麺やらきのこやらが飛んできたが、フォークで叩き落した。想像していたが、愉快なほどの動揺振りだ。
「な、ななな、何言ってんだ、お前は!?」
「別におかしいことは言ってないでしょ。付き合ってた時だって、そういう雰囲気には何度かなったし……」
まぁ、その時は私が拒否したのだが……。
……別に嫌だった訳じゃなかったんだけど、その私にもいろいろあったから……。
「い、いや、だけど、お前……」
「確かに、ウェアウルフの女は、夫以外に体を許しちゃいけないわ。特に、私のような純血は、絶対に純血の子を産まなければならない。それが絶対の掟。
でも、私はもう慎以外の人に体を許す気はない。たとえ、それがウェアウルフの誇りを穢すことになっても、私は慎じゃないと嫌なの……」
「マイラ……」
「……それに、私、もう子供産めない体だし……。構わないの……」
あの日以来、私に出産能力はなくなった。
臨月寸前に凍死しかけた上、流産をしてしまったのだ。出産能力失う以外の障害が残らなかったことが不思議だった。あの時に失ってしまったものは、ホープだけではなかった。未来の希望さえも奪われた。
私はフォークを置き、俯いた。涙が零れそうだったが、必死に我慢した。
「……私は、慎に本当に迷惑をかけた。こんな悪夢のような運命に巻き込んでしまった。慎がそれを望んだからといっても、やっぱり私自身がそれを許せないの。慎に対して、何かをしたいの。私にできることは、これくらいだから……」
「マイラ……」
いつの間にか隣に来ていた慎が、強引に貪るように私の唇を奪った。そして、そのままキスをしたまま私は押し倒された。柄にもなく純情な乙女のように胸が高鳴った。
「……いいんだな、俺で?」
「うん。私の全てを貴方に捧げたいの……。慎は、私のために全てを投げ打ってくれてくれた。だから、私も慎の想いに応えたいの」
「……わかった。つーか、この状態で駄目と言われても、もう止められねぇし」
「あっ、でも……」
「でも?」
うわぁ、餌を取り上げられた子犬みたいな顔した。可愛い。
さすがにこの状態で止められたくはないだろう。以前にもこういう状態になったことがあったが、その時は思い切り股間を蹴り飛ばしてしまった。それから、慎は私に襲い掛かるようなことはしなくなった。
……ごめん、あの時は本当に悪かったわ……。
「……あ、あの、この耳、嫌じゃないかなぁ? え、えっと、一応、まだ擬態しようと思えばできるんだけど、でも、興奮したりすると勝手に出ちゃうし……」
私はウェアウルフの耳を隠し、上目遣いで慎に尋ねた。
不安は拭えなかった。私はウェアウルフで、慎は人間。人間にとって、この獣の耳は異形以外の何物でもない。化け物と罵られた同朋達の悲しみと苦しみを知っているからこそ、拒絶される恐怖が脳裏を離れないのだ。
慎に拒絶されたら、私はもう生きていけない……。
そんな不安に満ちた私に対し、慎は優しげな笑みを浮かべた。その笑顔が私の不安を一瞬で吹き飛ばしてくれた。彼が笑顔でいてくれるなら、私はこんなにも幸せになれる。
「犬耳最高!」
「い、犬言うなァァァ!!」
つづく




