第八章 夜明け(前編)
「……どうして、あんたがこんなところにいるのよ……」
私はブラックファングを暴走させ、狼王ロボに魂を喰われたはずだった。慎を私のような悪魔と共にいさせないために。
いずれ破滅する運命にある私と一緒にいれば、慎は必ず無残に死ぬだろう。彼には何の力もなく、何の知識もない。この世界がどれほどの闇に満ちているかも知らない慎に生き残る術などない。慎を救うためには、完全に私との縁を断つ以外にないのだ。
しかし、あの教会で慎に抱き締められた瞬間、私は彼を突き放せなかった。私の本心は、慎と共に在りたいのだ、と思い知らされた。だからこそ、慎を救うためには私が死ぬしかない。私が死ななければ、慎を解放することができなかった。
美夜なら、私を殺してくれると思った。しかし、あの子は誰よりも優しく、誰よりも強かった。こんな悪魔のような女でさえ、救おうとしてくれた。
生きろ、と美夜の瞳は語っていた。しかし、私はもう限界だった。これ以上、こんな地獄には耐えられなかった。私は美夜のように強くはなれないのだ。
だから、残酷な運命から逃げ出し、虚無の終焉を選択した。そこに救いがないとわかっていても、慎だけは救うことができるから。現実はいつも残酷で、私の大切な人達を平然と殺していく。そんな現実にもう耐えられるはずがなかった。たとえ、この魂が消滅することになろうとも、私はあの地獄のような現実から逃げたかった。
しかし、目の前にはまだ悪夢の続きが笑みを浮かべていた。
「ふふ、わからないんですか、マイラ先輩?」
「……芝崎、初音……」
その存在は私が犯した罪の証明。
この手で殺したはずの女が、悪夢と共に私の前に現れた。
確かにこの手で殺したはずなのに、芝崎初音は私の目の前で微笑んでいた。
「えぇ、そうですよ。初音ちゃんです。どうも、こんにちは。お久し振りです。またお会いできて本当に……、反吐が出そうなほど不愉快です」
「……あんた、どうして生きてるのよ?」
「生きてる? 何言ってるんですか? 確かに、貴方が殺したでしょう、私を?」
初音は愉快そうな笑みを浮かべているが、その目は確かに私を責めていた。
殺した相手に、殺したことを責められるのは非常に苦痛だった。良心の呵責程度では済まないほどの酷い罪悪感に苛まれた。と同時に、払拭しえない嫌悪感が全身を駆け巡っていた。殺したいほど憎かった相手がまだ目の前に存在している。それが何よりも不快だった。
不倶戴天の敵。やはり、私と芝崎初音は相容れない存在だった。互いに殺さずにはいられない。どちらかの存在を消し去るまで、私と芝崎初音の因縁は終わらない。
「私は貴方の知っている芝崎初音であると同時に、全く別物でもあるんです」
「どういうこと?」
「人間である芝崎初音は、確かに貴方によって殺されました。これは間違いありません。今の私は貴方と同じようにブラックファングに、……狼王ロボに魂を喰われた存在。ここは狼王の腹の中。今の私も、貴方も、魂だけの存在なんですよ」
若干疑問が残ったが、おおよそ納得した。狼王ロボの腹の中というのなら、私と芝崎初音が一緒にいるのも納得ができる。やはり、私の魂はあの大いなる獣に喰われた。故に、これは悪夢の終わりであり、新たな地獄の始まり。
しかし、それでも慎が救われるなら構わなかった。私自身が地獄に堕ちることは覚悟していたのだから。
「……そう」
「気に入りませんね、その淡白な反応……。貴方にはもっと絶望してほしいのに」
私一人が地獄に落ちるなら、むしろ望むところだ。
罰を受けるだけの罪を犯したのはわかっている。死後にも安楽があるとは思っていなかった。
ただ、慎が私から解放されたのなら、それだけで充分だ。
「……まぁ、いいです。私の手で絶望に歪ませるという楽しみがありますしね。ふふふ……」
不穏な初音の言葉に背筋が震えた。
何か違和感を覚える。私の知っている初音とは何かが違う気がした。
「ねぇ、そもそも狼王の遺産って何だと思います?」
「何だ、って言われても……?」
狼王の遺産。
伝説から生まれた幻想種、狼王ロボが残した魔道具。
誇り高き狼王が卑怯な人間達を憎悪して最期に残した武器。
それ以外に何がある? 初音は何を言いたいのだろうか?
「……わかりませんか。まぁ、貴方の頭では理解できませんか。では、少し質問を変えましょう。……狼王ロボは何故、狼王の遺産を残したと思いますか?」
「それは……、人間への復讐のためでしょう?」
「まぁ、それもありますが、それは本来の目的のおまけですよ。元々の目的は別にあります。幻想種が自らの力を残した魔道具は多く存在しますが、それらと同じ理由ですよ? ふふふ、だからこそ普通は人に害する幻想種の武器は使用を禁止されているんです」
悪魔染みた邪悪な笑みに私は全身の毛が逆立った。ウェアウルフの本能が不吉な気配を感じていた。
狼王ロボ、人に害する幻想種が自らの力を魔道具として残す理由。
幻想種、人の信仰から生まれた幻想を具現化した存在。それは魔術を同じ起源をもつものであり、本質的には同義。魔力を糧として食らうことにより現世へ顕現する。
魔力……は、魂から生み出される霊的エネルギー。
……魂を食らう、ブラックファング……。
まさか……、まさか……!?
「そう……、一度死んだ狼王ロボが復活のために残した魔道具! それがブラックファングなんですよ! そして、貴方が私達を殺してくれたおかげで、私達は新たに生まれたんですよ!!」
初音から発せられたのは狼王の獣気だった。
違和感の正体はこの気配だった。今、初音の中に狼王ロボの力が宿っている。いや、それは正確ではない。狼王ロボに魂を食われ、同化してしまったと言うべきだろう。
今の初音は、もう一人の狼王ロボと言える存在かもしれない。
少なくても、今の初音は私の知っている彼女とは一線を画す存在だ。
「あ、貴方は芝崎初音なの……?」
「ふふふ、違いますよ。最初に言いましたよね? 私は芝崎初音であると同時に、全く別の存在だって。
今の私は、芝崎初音と狼王ロボが融合した思念統合体です。いえ、融合しているのは芝崎初音の魂だけではありませんね。貴方や、以前のブラックファングの所持者が殺してきた魂と融合した存在……。
あぁ、そうそう、もちろん貴方の魂だって狼王ロボの一部ですよ? 貴方がここに存在していること、それ自体が狼王ロボと同化した証拠です」
「わ、私も……、狼王ロボの一部……」
「えぇ、そうです。貴方には感謝していますよ。何と言っても、芝崎初音を……、あれほど憎悪に塗れた魂を持つ者を殺してくれたんですから。貴方が私を殺してくれなければ、狼王ロボの魂は復活しませんでした。それに、貴方は自らの身体まで捧げてくれて、本当にいくら感謝してもしたりないですよ」
また私のせいで悲劇が起こってしまったんだ……。
全部、この残酷な運命に翻弄されたものだと思っていた。しかし、全ては私が犯してしまった罪が招いてしまった惨劇だった。この血塗れの手が更なる悪夢を生み出してしまった。一族の希望を生むことができず、私はこんな邪悪な絶望を生み出してしまった。
全部、私のせいだ……。こんな悲劇を生んだのは、全部私がいけなかったんだ……。
「ふふふ……、私を生んでくれて、ありがとうございます♪」
「……ッ!? わ、私が……、私がそう言ってほしかった子は……、あんたなんかじゃないわよォォォッ!!」
生んでくれて、ありがとう……。
今の私をこれほど打ちのめす言葉はなかった。
ホープを失って、復讐のために罪を犯して、それで生まれたのが更なる災厄を呼ぶ存在。
私が……、私なんかが存在しているから……。
生まれてきて、ごめんなさい……。
青き炎が我を包み込む。
まるで罪を浄化する煉獄の炎のようだった。
この青き炎は、魂を焼き払う浄化の業火。精神面からの直接攻撃。だからこそ、魂の集合体である我にとって、この青き炎は天敵とも言える。
我はこの炎を知っている。我の生みの親であり、半身でもあるマイラの記憶に、この忌まわしき業火の存在があった。
「終わりだ、狼王ロボ! マイラを、俺の女を返せ!!」
『調子に乗るな、人間が!』
ブラックファングを振るうも、辛うじて避けられてしまった。万全な状態ならば、確実に穂村慎の首を落とせたのだが、炎の渦に呑まれているために上手く狙いが定まらなかった。
しかし、穂村慎の精神集中が乱れ、青き炎の勢いが弱まった。ただの炎となってしまえば、我を殺すことは不可能だ。
『死ね、穂村慎!!』
「……冗談じゃねぇよ!!」
穂村慎は咄嗟に二挺の銃を構えた。この距離でならば、確かに我を、正確に言えばマイラの体を殺すことが可能だろう。しかし、銃口は見当外れの方向を向いていた。これならば仮に一発当たったところで、我を止めることなどできない。
『どこに銃口を向けている阿呆が!』
「阿呆はてめぇだ! 狙いは完璧だ!」
『何だと!?』
二つの銃口は、正確にブラックファングを狙い済ましていた。
しまった、そう思った瞬間には遅かった。銃声と共に、青き炎を纏った銃弾が発射されていた。あの青き炎は唯一、我を殺すことができる力だった。
「ブルー・ブレイズ・ブレッド!!」
青の銃弾がブラックファングを直撃した。
ブラックファングには魔力による結界が張られ、一定威力の物理干渉は受け付けない。もちろん相当の威力を持った攻撃ならば、ブラックファングを破壊することが可能だが、銃弾程度で貫けるものではない。
しかし、あの青き炎は魔力干渉を無視する能力がある。加えて、あの青き炎の最大の恐ろしさは、魂を直接焼き払う能力。銃弾と共に放たれた青き炎は、ブラックファングに宿る我の魂に直接的な打撃を与えられる。青き炎を纏った銃弾は、我にとってあまりに危険な存在だった。
「くたばるのはてめぇだ、狼王ロボ!!」
「……う、うぅ、ぁあ……、かはぁ……」
「貴方は存在すること自体、罪なんですよ」
初音は愉悦と嘲笑に満ちた表情で、私を踏み付ける。
私には抵抗する力も、気力も残ってはいなかった。心の痛みにはもう耐えられなかったが、ただの痛みならいくらでも甘んじられた。一方的な初音の責めを甘受し、死を待っていた。しかし、死はあまりにも遠い。
今でも美夜が狼王ロボと必死に戦っているのは、ここでも感じられた。不愉快なことだが、私と狼王ロボは一体の存在。狼王ロボの感覚は、そのまま私にも伝わってくるのだ。
……美夜、もう頑張らなくていいんだよ。貴方が本気を出せば、狼王ロボとなった私でも殺せるはずなんだから……。
「気に入りませんねぇ。早く死なせてくれ、って顔。もっと足掻いてくださいよぉ。じゃないと、嬲り甲斐がないじゃないですか!」
「ぐぅ……」
私は顔面を蹴り上げられ、地面を転がった。しかし、ここを地面と定義していい場所なのかはわからない。無重力空間で転がり落ちているようだった。
「なら、こうしましょう。あの半端な化け物娘を殺した後、穂村慎を殺しましょう」
「なッ!? あんた、自分で何言ってんのか、わかってんの? あんたはあんなにも慎のことが好きだったのに……」
「それを奪ったのは、貴方でしょうが! 手に入らないのなら、殺してやる! 貴方と共々、地獄の苦しみを味わわせて、苦痛の中で殺してやる!
きゃはははははははははははははははははははははははははッ!!」
初音は倒れる私を容赦なく、蹴り続けた。
いや、こいつを初音と呼ぶには、あまりに歪んでしまっている。芝崎初音は私と同じくらいに慎が好きだったはずなのに。私が彼女を殺し、こんなにも歪んだ悪魔の一部にしてしまった。
悲しい。確かに気に入らない小娘だったけど、あの想いの強さだけは素直に尊敬していた。だからこそ、好敵手と思えた相手だった。それが今はただ嫉妬と憎しみに汚れてしまっている。それがどうしようもないほどに悲しかった。
「どのみち穂村慎はそれほど長くない命なんですから、ここでたっぷりと私に償いをしてから死ぬ方がいいでしょう」
「長くない命って……、どういうことよ!? あんた、慎に何かしたの!?」
「えぇ。……といっても、人間だった頃の私が、ですけど」
「そんなこと、どっちでもいい! あんた、慎に何かしたら八つ裂きに、あぐぅ……」
初音の拳が私の顔面を叩き付けた。それでも、私は倒れずに初音に縋り付いた。そうした瞬間、初音は心底楽しそうな笑みを浮かべた。
慎に、慎に何かしたら、絶対に許さない……。
「いい顔になりましたねぇ。そうじゃないといたぶり甲斐がないじゃないですか?」
「し、慎に、何をしたの……?」
「BLS、通称Blue Lantern Systemという強制思念統合術式を埋め込んだんですよ。あぁ、そういえば、貴方の一族の仇だったんですよね、ブルー・ランタンは? 私、さっきの車の中での話で初めて知りました」
こいつ、今何て言った……?
……ブルー・ランタン?
あの忌まわしき青き炎の力を慎に埋め込んだ、だって?
「BLSを完全に制御するには、焔仁のような発火能力を必要とします。その能力のない穂村慎は、いずれBLSに焼き殺されます。まぁ、発火能力がなくてもある程度の制御できますが、BLSを活性化して死期を早めるだけです。数年のうちに彼は焼け死ぬでしょう。きゃははははははははは!!」
駄目だ……。
逃げちゃ駄目だ……。
私一人が無残に滅ぶのなら構わない。
だけど、慎がこれ以上苦しむのだけは絶対に許せない。
この地獄のような運命と戦わなければ、慎を救えないというのなら、私はもう一度戦う。
「……芝崎初音。いえ、狼王ロボ……。
私は、もう逃げない……。あんたが慎に手を出すというのなら、絶対に止めてやる……。慎を守るためなら、私は今以上の悪魔にだってなれる……。これ以上、私の大切なものを奪わせやしない!!」
「そう、その顔ですよ! その顔を絶望に染めてやること! それこそ、私の悲願だったんですよ!」
狼王ロボが愉悦の笑みを浮かべ、私に飛び掛ってきた。
しかし、その瞬間にそれは訪れた。
青き煉獄の業火が。
「がああああああああああああああああああああああああああッ!!
この、この青き炎はァ……、BLSの……。まさか、あの男、自分の命を顧みずに、能力を発動したというの……」
「……全く、慎ってば、弱いくせに頑張ちゃって……」
忌まわしき記憶に残っている青き炎。しかし、私にはわかる。これはあの時の炎とは全く違うものだ。温かくて優しい炎。慎が私のために戦ってくれている証明。
勇気が湧いてくる。
慎はいつでも私に希望を与えてくれた。
私は運命と戦うのが怖くて逃げ出したけど、慎は逃げずに戦っている。
「……もう逃げる訳にいかないよね、慎?」
「……に、人間の分際で、調子に乗るなァァァッ!!
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!」
どうやら化けの皮が剥がれたようだ。なるほど畜生らしい。
まぁ、ぶち切れた初音に似ているような気がするのは、きっと彼女と同じ顔をしているからだろう。だって、ぶち切れた初音の怖さはこんな生ぬるいものではなかった。五臓六腑まで染み渡るようなおぞましい恐怖。
しかし、この悪魔からは恐怖は感じられない。あの初音さえ退けた私が、この程度の悪魔如きに殺されるはずがなかった。
「上等よ!! やれるものなら、やってみなさいよ!!」
……我の、我の自我が崩壊していく。
いや、そもそも自我など初めから存在しなかった。
我は、厳密にいえば狼王ロボではない。狼王ロボに喰われた魂の集合体でしかないのだ。我も喰われた魂の一つ、マイラの心の闇を顕在化されただけの存在なのだ。
我は、誰にも望まれた存在ではない。
人の汚い部分だけが凝縮されたおぞましい穢れでしかない。誇り高き獣の皮を被っただけの汚物。
だが、だからといって、我は簡単に滅びたりはしない。誰にも望まれなくとも、我は生きてやる。穢れた存在だろうと、我は意地汚く生き続ける。この世界に我の居場所がないというのなら、我が奪い取ってやる。
『死んでやるものか、死んでやるものかァァァッ!! 我は、我は生きるのだ!! 二度と死にたくない!! 死はもう嫌だァァァッ!!
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないッ!!』
我は生きるのだ。たとえ、どれだけ穢れた存在でもあっても、生きることを否定された存在であっても、我は絶対に生き続ける。
我と誇り高く死んだ狼王は違う。
狼王ロボの魂がどれほど誇り高いものであろうとも、同化した全ての魂は死にたくないと願っていた。
……二度と、死にたくない。もう殺されるのは、嫌なのだ。死してもなお続く永劫の地獄に戻りたくはない。
「ぐっ……、くそ……」
青き炎の勢いが弱まっていく。
我の生への執着を目の当たりにし、穂村慎に迷いが生じたようだ。この男は命を掛けた戦いをしたことがない。人の命を奪ったことのない半人前の戦士でしかない。我を殺すという行為に、躊躇が現れている。
勝機だ。今、この男を殺せば、我は生き延びられる。
我にとって脅威なのは、この青き炎のみ。あの半端な化け物娘は確かに手強いが、勝てぬ相手ではない。
『死ねェェェッ!!』
「ぐあああッ!!」
ブラックファングが穂村慎の肩を浅く抉った。首を狙ったのだが、この青き炎の中で正確に狙いを定めるのは難しい。しかし、今は当てるだけで充分だった。
穂村慎は明らかにたじろぎ、青き炎の勢いは更に弱まった。これだけ炎の勢いがなくなれば、我がこの男を殺すのには充分だった。
『終わりだ、穂村慎!!』
「ち、畜生……」
穂村慎は大きく飛び退き、我の一撃を避けた。しかし、だからこそ甘いのだ、この男は。
我の攻撃を避けたことにより、また青き炎の火勢が弱まった。我を唯一滅ぼすことができるのは、この青き炎だけだというのに。我を倒すつもりならば、逃げずに青き炎を維持し続けなければならなかったのだ。
ようやく詰みだ。今の火勢ならば、我にも振り切ることができる。そして、この青き炎の消滅は我の勝利、奴等の敗北を意味する。
『消え失せろ、鬱陶しい青き炎よ!!』
「うわあああああああああああああああああああああッ!!」
我はブラックファングに宿る狼王ロボの魔力を解き放った。青き炎は、物理現象である炎と同時に顕在しているために、単純な魔力なだけで防ぐのは難しい。しかし、基本的にはアストラル・サイドに属するエネルギー。相性が悪いとしても、圧倒的なエネルギーをぶつけられれば、霧散するしかない。ちょうど小波が大波に飲み込まれるように。
鬱陶しい青き炎は吹き飛び、美しい月の見える夜空が我の目の前に広がった。いや、広がるはずだった月夜の空は深い雲に覆われていた。先ほどまではほとんど雲のない美しい夜空だったというのに、今は黒き曇天が広がっていた。
何故、空がこんなにも曇っている。我が青き炎に呑まれていたのは、長く見積もっても数分のはずだったのに。
「貴方は存在していること自体、間違っているんですよ! いい加減私に屈して、私達に取り込まれたら、どうですか!」
青き炎の威力は、やはり凄まじかった。同じ狼王ロボの中に取り込まれている私もダメージがあったが、それでも今目の前にいる狼王ロボほどのダメージはなかった。
この狼王ロボは、犠牲者達の魂が集まった存在。一つ一つの魂にそれほどの強い力はない。たくさんもの魂が一つとなったから狼王としての力を振るえる存在。だからこそ、青き炎によるダメージは大きかった。自己を形成する無数の魂が焼き払われ、明らかに力が衰えていた。
「さっきまではそれでもいいと思っていたわ! でもね、やっぱり考えが変わったわ! あんたが慎を殺すというのなら、私は絶対にあんたを殺す!
それに、こんな罪深い私のために、慎が戦ってくれている! 本当に、自分の命を削ってまで、戦ってくれている! 私には責任があるのよ! 無関係だったはずの慎を、こんな残酷な運命に巻き込んでしまった! 私だけが逃げる訳にいかない!
だから、生きて戦う! 慎を守るために戦うの!」
何故だろう。先程まで早く死にたいと願っていたのに、慎のためだと思えばいくらでも力が湧いてくる。
あぁ、私って本当に最低だ。こんなにも不幸を呼び込み、慎を地獄にまで引き摺り落としておいて、それでも嬉しいって思っている。地獄でも一緒にいられる、って喜んでいる最低な女だ。
やっぱり、私は本当に、馬鹿が付くほどに慎が好きなんだ。
「償いきれない罪を犯したくせに、まだ生きようとするんですか! 本当に悪魔のような女ですね、貴方は! 貴方のような最低な人間は、存在する価値もないって、まだ気付かないんですか!」
えぇ、確かにそうかもしれない。
私は史上最低の悪女に違いないだろう。
だけど、だからといって易々と死んでやるものか。
「慎が私と共にある限り、私は絶対に生き続ける! どんな汚いことをしたって、絶対に生き続けてやる!」
「その穂村慎も、今まさに殺されるところですよ!」
「甘いわね。確かに慎は弱いし、あんたの力は強大過ぎる! どんなに頑張ったってあんたに敵わないかもしれない! だけど、私やあんたのような理不尽な暴力を絶対に許さない、本当に強い奴がいるのよ! その子は、絶対にみんなを守ってくれる!
私の最高の親友で、最強のライバルで、尊敬すべき無敵のチビッコが絶対にあんたを倒す!」
不気味な闇夜であっても、その声はどこまで透き通っていた。
穢れた我とは相対する、美しく澄み切った存在。その声の主は妬ましいほどに、美しかった。何より、強い意志が秘められた瞳がもっとも美しく、妬ましかった。
何故、我はこのような半端者に恐怖を抱くのだろうか。あの程度の屑が我の脅威となるはずがないはずなのに。それなのに、我の魂は絶対的な恐怖に縛られていた。
「……慎君、ありがとうございます。おかげで充分な霊力を溜め込むことが出来ました」
マイラの記憶の中でもっとも信頼され、ある意味もっとも恐れられている存在。親友であり、ライバルであり、尊敬すべき少女。
我にとってはただの半端な、人間でも我々側の存在でもない小娘でしかなかった。しかし、彼女から発せられる魔力は尋常ではない。神の領域に踏み込んでいる。ただの半端者でしかないはずの小娘が、何故これほどまでの魔力を保有しているのだろうか。
穂村慎はすでに遠くに避難していた。まさか、初めからこういう手筈だったのか。青き炎で我の動きを止め、あの小娘に魔力を溜め込む時間を与えた。
考えてみれば、実戦経験もなく、つい先程能力に目覚めたばかりの男に、最後の一手を任せるはずがなかった。
「終わりです、狼王ロボ……。いえ、哀れな魂達……。永劫の呪縛から、貴方達を解放します!」
『ふざけるな! 解放だと? そんなもの、必要ない! 我は生き続けるのだ! どれだけの命を犠牲にしても、我は永遠に存在し続ける!』
「貴方達はまだ気付かないですか? ブラックファングに囚われ続ける限り、貴方達の安息はないんです! ただ苦しみが続くだけです!」
『たとえ、それでも我は死にたくないのだ! もう苦しみたくないのだ!』
「……でも、このまま貴方達が狼王ロボと生き続けても、その先に救いはないんです! 私はお節介ですから、勝手に貴方達を助けます! 恨まれても、憎まれても、私は貴方達を助けます! 私にはその力があるから、何が何でも戦うんです!」
なんと傲慢な……。所詮この小娘も人間に毒されている。勝手に助けるだと? それは善意の押し付けではないか。鬱陶しい独り善がり。
我は生に執着し続ける。我自身の存在が過ちであっても、我は存在し続ける。だから、我は逢瀬美夜に負ける訳にはいかない。
勝手に我を助けるなどと妄言を吐く逢瀬美夜を打ち滅ぼすべく、我は彼女目掛けて突っ込んだ。
「……龍命に於いて、逢瀬美夜が命じます!」
光だ。
数え切れないほどの数の稲妻が、逢瀬美夜の刀の元へと集まり、一つの凄まじい閃光となっていった。信じられないほどに凝縮されたエネルギーだ。もはや刀には収まりきらず、凄まじい光はまるで天使の翼のように広がっていった。
光り輝く翼の天使。青き翼とは比べ物にならないほどの神々しさだった。
「神衣光翼ッ!!」
光が、全ての闇を薙ぎ払った。
夜明けの朝日が世界を照らすかのように。
この時、我は彼女に立ち向かいつつも、悟ってしまった。
これこそが、我にとっての唯一の救いだと。
我は、二度目の死を迎えた。
つづく




