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第一章 君が思い出に変わるまで(前編)

第一章 君が思い出に変わるまで(前編)



俺、穂村慎はいわゆる不良と呼ばれる存在だった。

素行が悪く、暴力を振るうのも厭わなかった。学校に出ても教師と口論、町に出れば喧嘩三昧。飲酒喫煙は当然で、警察の世話になったのも一度や二度ではなかった。


幼い頃から不仲の両親を見てきた俺には、拠り所がなかった。だから、何かを求めるように、けれども矛盾した暴力を振るうようになった。生きることを証明するように暴れ、死ぬことを求めるように暴れ、何をしていいのかわからずただただ暴れ続けた。


しかし、それも全ては過去のことだった。


彼女、大神マイラと出会ってから、俺は変わることができた。彼女と付き合い始め、俺はようやく拠り所ができた。無意味で矛盾した暴力を振るうこともなくなり、酒も煙草も時間をかけて断った。彼女と同じ高校に行くために嫌いだった勉強にも励み、補欠合格ながらも二人一緒に私立犬神高等学校に入学することができた。


それから一年、俺は本当に幸せな日々を過ごした。初めて誰かに必要とされる喜びや、誰かを愛する幸せを知ることができた。俺は漠然とこんな幸せを日々が続くものだと思っていた。

しかし、昨日唐突にそんな日々の終わりが訪れた。俺達が初めて出会った場所で、俺達の関係は終わった。突然の彼女の別れの言葉によって、全ては壊された。


「……まだ、結構残っているな」


軋むアパートの扉を開けると、昨日の雪がまだ残っていた。

あの別れの直前に振り出したあの雪だ。降り始めた時は珍しい天からのプレゼントを一緒に喜んだものだ。それから一時間も経たぬうちに全ては終わった。


この雪化粧をされた町並みを見ると、昨日の出来事が夢ではなかったと思い知らされる。マイラと別れたという事実、頭で理解できても心がまだ受け付けなかった。会えば昨日のは全部冗談よ~、と笑いかけてきそうに思えた。しかし、あの時の言葉が冗談とは思えなかった。


正直、学校など行く気分ではなかった。しかし、振られたからといって学校をサボるというのは非常に格好が悪い。別に今更サボることに抵抗はなかったが、女に振られてサボった奴、と思われるのは癪だった。格好悪い見栄だが、人間とは男女を問わず些細な見栄を気にする生き物なのだ。

俺は仕方なく家を出た。気分は限りなく欝だったが。


今日の通学時間はいつもより大分遅めだ。何故遅いかといえば、昨晩はあまり眠れなかったのが原因だった。俺は昨日別れを切り出されたばかりで、まだ未練がたっぷりと残っていた。ぐっすりと眠れるはずもなく、気付いたら危うく遅刻寸前の時間だった。


「はぁ……、だりぃ……」


思わずそう呟かずにはいられなかった。そもそも彼女と別れて元気でいられるはずもないのだから同情の余地はあるだろう。

俺は陰気臭い空気をまといながら、学校を目指していた。その途中、普段の通学中には見かけない人物と出会った。


「あっ、先輩! おはようございます!」

「おう、妖怪アンテナ。おはよう」


「妖怪アンテナじゃない! うぅ~、会うたびに同じこと言う!」


彼女は芝崎初音。俺の友人の中では珍しくマイラと付き合う以前から親交があった人物。いわゆる幼馴染という関係だ。子供っぽい三つ編と、少し跳ねた癖毛が特徴。昔から俺はそこを飽きずにからかっていた。


「それより、お前っていつもこの時間なのか? 早いんだな」


「そうですね。大体こんなもんです? 先輩こそ早いじゃないですか? マイラ先輩に振られてショックで眠れなかったとか?」



「な、何で知ってんだ、俺達が別れたことを!?」



俺が振られたのは昨日の放課後のことだ。それ以降、俺は親を含めて誰とも会っていない。まだ噂にすらなっていないはず。マイラも初音とは親しくないから、彼女が話したという可能性は低い。だから、初音がそんなことを知っているはずがない。


「……えっと、いつもの冗談だったんですけど、本当になっちゃったんですか?」


「て、適当に言っただけかよ!」


間の悪い冗談だ。おかげで見事に自爆してしまった。

俺とマイラが別れたことを知り、初音は驚愕の表情を浮かべた。喧嘩が多かったとはいえ、あれほど仲がよかった俺達が突然別れたのだ。驚くのも無理はないだろう。


「ご、ごめんなさい、先輩……。まさかそんなことになっていたなんて知らなかったから、先輩に酷いこと言って……」


知らなかったとはいえ、俺を傷付けるようなこと言ってしまった初音は、見ている方が気の毒なくらいに落ち込んだ。初音は冗談でも人を傷付けるようなことは言わない(いや、結構言うかな……)。今のも故意の発言ではなく、ただの冗談のつもりだったのだ。

俺達が別れていなければ、本当にただの冗談であったはずだったのだ。


「別に気にすんな。悪気があった訳じゃないんだろ……」


「は、はい……。マイラ先輩、信じてたのに、どうして先輩を……」


いや、別れたとは言ったが、振られたとは言っていないぞ……。

どうやら初音の脳内では、振られたのは俺、と決定されているようだ。事実、間違っていないので訂正しようがないが、この無性に沸いてくる切なさは何だろう。


「知るか、俺達は終わったんだよ。蒸し返すな……」


「……それで、先輩はいいんですか? やり直そうとか……」

「無理だ。一度関係が壊れちまったら、もうそれっきりだ。それが、ウチの親から教わった唯一のことだからな」


俺はじかに関係が壊れた者達の末路を見てきた。だからこそ、断言できる。一度終わってしまった関係は二度と元通りにはならない。どれだけ繕おうとしても、ヒビを埋めることはできない。たとえ、同じように積み直しても結局大きな傷が残り、また同じことの繰り返し。そんなことは、嫌というほど味わってきた。だからこそ、俺はあの家を逃げ出したのだ。今にして思えば、それが親に対する最後の抵抗だったのかもしれない。



「先輩、また前みたいなことにならないでね……。私、そんなの嫌だよ……。また先輩が悪いことしたり、私のこと無視したり、そんなのはもう……」



俺が非行に走った時も、初音はずっと俺に声を掛け続けてきてくれた。そのせいで彼女にもいろいろと酷い目に合わせ、傷付けてしまった。今ではそのことを本当に申し訳なく思っている。



「わーってる、大丈夫だ。もう心配させるようなことはしねぇから、安心しろ」



俺はそう言って、昔の無邪気な子供時代の頃のように、初音の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

俺が更生した時、一番喜んでくれたのは初音だった。彼女の嬉し涙を見て、俺は本当に悪いことをしていたのだと反省した。



「んなことより、お前、どこまで付いてくる気だ? 中学校はあっちだろ」



俺は去年まで通っていた、今も初音が通っている中学校への道を指差した。

俺は高校一年、初音は中学三年。当然、通う学校は違うので、道はここで分かれる。


「えっ? あぁ、本当だ! じゃ、じゃあ、先輩、私は行きますけど、馬鹿なことしちゃ駄目ですからね!」

「あぁ、いいからさっさと行け。しっ、しっ!」


「ひっど~い。それがこんなに心配してる後輩に対しての仕打ちですか! 感謝の言葉の一つくらいくれたっていいじゃないですか!」


「お前にはちゃんと感謝しているさ。本当に、今まで迷惑かけっぱなしだったからな……」


ふと、今まで口に出せなかった感謝の言葉が、俺の口から零れていた。こうやって礼の言葉を初音に言ったのは初めてかもしれない。幼馴染としての意地で今まで言えなかったが、積もり積もった感謝の気持ちが溢れてしまったのだ。それぐらい、初音には感謝しても、し足りなかったから。


「せ、先輩……。う、うぅ~……」


思いがけない言葉に、初音は顔を真っ赤にした。まさか俺がこんなことを言うなんて思ってもみなかったのだろう。彼女は真っ赤な顔をしたまま、見事なまでの俊足で中学校へと走っていってしまった。嬉しかったのか、恥ずかしかったのか、おそらく両方だろう。とにかく凄まじい勢いで逃げられてしまった。


初音の想いに気付いていない訳ではない。だが、俺にとって初音はずっと『妹』でしかない。そうでしかなかったはずだったのに……。











初音と別れた後、特に見知った者と会わずに教室に着いた。途中でマイラと出くわさないか不安になったが、いらぬ心配だったらしい。普段と通学時間がずれているのが幸いしたようだ。


今では幸いというべきか、俺とマイラの教室は別だった。マイラ以外とはあまり話さない俺にとって好ましくない状況だったが、別れた今となってはむしろ幸いだった。おかげで当分別れたという噂が流れないだろう。マイラが言い触らさない限りは。


二人がまだ付き合っていた時は、俺の教室にマイラがよく顔を出していた。しかし、喧嘩も多いせいもあって彼女が来る周期はまちまちだった。このまま顔を合わせず、気まずい雰囲気さえ出さなければ、しばらく外野も大人しいだろう。


俺は机に突っ伏すと一日中そのまま寝るつもりだった。普段から授業など真面目に聞いていないが、今日は一切内容が頭に入らないだろう。


今日は何をしてもマイラのことが脳裏から離れなかった。想いは簡単には断ち切れない。だからといって、やり直すことは不可能だというは両親から嫌というほど思い知らされていた。


昼休み、食堂に行く途中でマイラとすれ違った。一瞬だけ視線が交錯したが、それも本当に一瞬だけだった。目が合ったと思った瞬間にはすでに彼女の視線は別の場所に向かっていた。俺の胸に残ったのは惨めさだけだった。


顔を見合せば自然に笑みが綻ぶ関係はもう終わっていた。やはり、彼女の想いはもう消えてしまったのだろう。


「……だっせぇな、俺……」


そう愚痴りながら、俺は学校を飛び出していた。どうしても居た堪れなくなり、逃げ出したのだ。しかし、五時間目までに戻ってきたのは、ただの意地だった。


そして、放課後。

俺が帰ろうとしたその時、マイラが教室に姿を現した。しかも、真っ直ぐに俺を見つめ、近付いてきた。



「慎、ちょっといい?」


「な、何だよ? 何か用か?」



明らかに普通ではない重苦しい雰囲気に、クラス中の視線が俺達に集まった。ただの喧嘩ならクラスメイトも見慣れているだろうが、こんな重苦しい空気は初めての経験だろう。必然的に何があったか悟られてしまっただろう。



「……慎の家にある私の私物は全部処分しといて」



決定的なセリフに、ざわめいていたクラスが一気に静まり返った。



「私も、慎の私物は処分するから……。だから、これで後腐れなく全部終わり」


「……あ、あぁ、わかった……」



逃げ出したい衝動に駆られながらも、何とかそう答えられたのは、ちっぽけな意地のおかげだった。みっともなく逃げ出すのはあまりに格好が悪く、耐えられなかったから、意地で踏み止まった。



「……これも、返すね」



マイラが差し出してきたのは、俺の家の鍵だった。

この鍵は俺が初めて彼女にあげたプレゼントだった。彼女がそれを求め、俺もそうしたかったので、その鍵を彼女に渡したのだ。鍵だけでは格好がつかないという理由で妙に凝ったキーホルダーを付けてプレゼントした。だから、この鍵は二人にとって特別な思い出がこめられたものだった。



「……慎、受け取って」


「…………」



俺はその鍵を見て、凍り付いた。全ての思い出を壊されたような気がして。もう何もかも本当に終わってしまった、と再び思い知らされた。

だから、すぐにそれを受け取ることができなかった。心がそれを拒絶したから。



「……慎」


「あ、あぁ……」



彼女の呼び掛けに、俺はようやく覚悟が決まり、鍵を受け取れた。

プレゼントとして作った不恰好な銀細工のキーホルダー。それが物悲しい輝きを放っていた。

俺とマイラを繋ぐ大切な絆がまた一つ途切れた。こうして一つ一つ絆が途切れ、二人の関係は終わっていくのだろう。関係が薄れていけば、いずれこの胸の苦しみ消えていくのだろうか。

俺の手には、思い出の残滓だけが虚しく残された。











その日、俺はとても真っ直ぐに家に変える気分にはなれなかった。精神的に打ちのめされた俺は、浮浪者のように町を彷徨い続けた。まるでそうすること以外を忘れてしまったように、ただ歩き続けた。そして、あの場所に行き着いた。


高台公園。二人が出会い、別れた場所。


小高い丘から見える夕日がとても綺麗だった。ここで、まだ不良でしかなかった穂村慎が、この高台から身を投げようとしていた大神マイラと出会った。今も二人で眺めた夕日は記憶に深く残っていた。



『……誰が助けてなんて言った?』



あの時の彼女の第一声が、脳裏に蘇ってきた。

落ちれば間違いなく転落死の高さがある高台から、身を投げようとした彼女を助けた時に言われた言葉だ。その時の彼女には、現在の明るく勝気な面影など微塵もなかった。そこにあったのは、深い絶望と底知れぬ憤怒。



結局、あの時の真相は聞けなかった。俺が知っているのは、彼女の両親が外国で事故死したということだけ。



今までその真相を聞こうともしなかった。自殺の理由など絶対にまともではない。俺にはその重苦しいものに触れる勇気がなかったのだ。付き合うことで彼女の傷が癒えれば、と思いながらも俺は結局、彼女の心に踏み込めなかった。



(振られて当然だったのかもな……。俺は自分のことしか考えてなかった……。あいつの悩みを知ろうともしなかった……)



彼女が飛び降りようとした場所で、俺は泣いた。

今まで彼女と付き合えて、確かに幸せだった。だが、それは居心地がいいだけのぬるま湯でしかなかった。彼女が求めていたのは、そんなものでなかったのかもしれない。自殺をしたくなるほどの傷を癒せるような、そんな優しい場所を求めていたのかもしれない。



「くそ……。どうして俺は気付いてやれなかったんだ……」



俺はマイラに突き返された鍵を手にした。思わず投げ飛ばしてやろうかと思ったが、止めた。鍵を投げたら後々面倒だ、とか言い訳が頭を過ぎったが、実際は全く違う理由で思い止まった。

彼女との思い出を否定したくなかった。たとえ、どんなことがあっても、俺は彼女に救われたのだから。



「吹っ切って、帰るか……」



やり直すことなどできない。そんなことは嫌というほど痛感している。だから、思い出を胸に、前へと進もうと思った。

まだ心は痛む。傷むからこそ、前に進もうと思う。そして、いつか振り返った時に全ていい思い出になってくれれば、それはきっと素晴らしいことだと思う。



「……じゃあな、マイラ……」



だから、これが最後の涙。彼女のために流す涙は、これでもう最後にすると決めた。




つづく

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