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第六章 奪われた希望(前編)


私は、芝崎初音を憎んでいた。

それは否定しない。いくら否定しても、胸に渦巻くどす黒い感情は消えないと知っている。だからこそ、私はこの真っ黒な憎悪を否定しない。


妬ましかった。芝崎初音は、あまりに慎に近かったから。


私が知らない慎を知っている。それだけで憎かった。一緒に過ごした年月も、芝崎初音でも私は負けている。慎と芝崎初音のたくさんの思い出を奪いたかった。奪って八つ裂きにしてやりたかった。慎に芝崎初音のことを忘れてほしかった。


もちろん、それが無理なことはわかっている。そもそも、本気でそう思っていた訳ではない。誰だって好きな人ができれば、独占したいという欲求が出るだろう。それが、芝崎初音相手だと強く出てしまう。彼女があまりにも慎に近いから、どうしても反発してしまう。


芝崎初音が大嫌いだった。でも、認めていた。


彼女は強い。私とは別種の強さを持っていた。だから、どこか憧れていた。もちろん、そんなことは表には出さなかったが、それでも決してこの感情も偽りではなかった。


嫌いだったが、そうではない感情もあった。


好敵手。


一言で言い表すなら、私と芝崎初音の関係はまさにそれだった。憎み合いながらも、認め合っていた。だから、憎くて憎くて殺してやりたいと思ったこともある。だけど、心底消えて欲しいとは思ったことはなかったと思う、多分……。いつまでも喧嘩をして、慎を取り合っていたい。そんな気持ちもあった。


でも、今では全て、反吐が出るほどに腐った綺麗言だった……。



「初音ェェェェェェェェェッ!!」



絶命した初音を前にして、慎は慟哭した。


彼の悲しみの声が、私の心を抉る。


芝崎初音を殺したのは、私だ。


私が無残に殺してやった。


……慎を殺そうとしたからだ。


あの時のように目の前で大好きな人を殺されるのは、見たくなかった。



「……ごめん、慎」



泣き咽ぶ慎の側に近付き、私は慎を縛る縄を切っていった。

慎をこのままにして置いて逃げても構わなかった。むしろ、そうすることが最善だった。しかし、私は慎を見捨てることはできなかった。



「……許されようとは思ってない。恨みたいなら、いくらでも恨んで。慎になら、殺されたって構わないから……」



慎に殺されても構わない。これは本音だ。

どうせ、このまま生きていても血と罪に塗れた復讐の道しかない。最期はまともな死に方をできないだろう。志半ばで無残に殺されるに決まっている。ならば、今ここで愛する人に殺されても構わない。


慎を愛しているのだ。


どうしようもないくらいに慎が好き。


彼を失った後悔を言葉で表すことなどできない。


慎への贖罪のためなら、ウェアウルフの誇りだって捨てられる。

しかし、取り返しのつかない罪を侵した私が、慎に触れていいはずない。


「……慎、私を殺して……」


何を言っているのだろうか、私は……。

もしかしたら、本当は慎に殺して欲しいのかもしれない。

殺されることで許しを得、この生き地獄から解放してほしいのだろうか。


どのみち殺されても地獄に行くのだから、意味はないことなのに。

でも、慎の心が少しでも安らぐなら、殺されてもいい。


「馬鹿言うな、マイラ……」


慎の声に、私は子犬のように怯えた。

慎に殺されることは怖くない。慎に嫌われることが何より怖い。


「さっき言った言葉、忘れたか……? 『お前が人間じゃなくても、お前がどんな罪を犯そうと、俺は最後までお前の味方だ』。あの言葉は、嘘じゃない」


「ば、馬鹿は慎でしょ! 自分が何を言っているか、わかってるの? 私は人殺しだよ? その上、人間ですらないのよ? そんな化け物相手に……」


「関係ねぇよ!!」


怒鳴られ、私はまた子犬のように怯え、縮み込んだ。


言葉では慎を拒絶しているくせに、慎の言葉は泣きたくなるくらいに嬉しかった。私が何者であろうと私を受け入れてくれる、そんな魅惑的な言葉に心揺らされた。しかし、慎までこの地獄に巻き込む訳にはいかなかった。


どれだけ望んでも、慎とは一緒にいられない。地獄に落ちるのは私一人で充分だ。



「俺は問答無用でお前が好きなんだよ!」


「し、慎……」



嬉しかった。本当に、嬉しかった。


でも、駄目だ。その言葉を受け入れたら、もう引き返せなくなる。

再び彼の優しさに甘えてしまったら、二度と私は戦えなくなるだろう。



「お前はバレンタインの時に、俺にこう聞いたな! 『……もし、私が人殺しになったら、慎はどうする……?』って!」



私は何の反応も示さなかったが、あの時のことは今でもはっきりと覚えている。直接的ではないにしろ、慎との別れを決意した出来事だった。



「俺の答えは変わらない!」


「馬鹿だよ、慎は……。どうして、そんなに馬鹿なの……」



そんな馬鹿なところに惹かれているのだから、私もどうしようもない大馬鹿者だ。



「『だったら、俺もお前と同じところまで堕ちてやるよ』。あの時は、確かに何も考えずに言った言葉だ。だが、今度は違う。俺は、本気だぜ? お前と一緒なら、どこまでも堕ちてやる!」


「……ウザい、鬱陶しいよ、虫唾が走りそう。何? 慎っていつからストーカーになったの? 気持ち悪いよ。私は慎となんか……」



想いとは裏腹に、慎の心を切り裂く言葉を口にする。

巻き込んではいけない、拒絶しなければいけないのだ。こんな地獄に慎を巻き込まないためにも、彼を突き放さなければならなかった。本当に慎を愛しているのなら、私は慎を拒絶しなければならないのだ。


「マイラ!」


慎は私の肩を掴み、キスができそうなほど顔を近付けられた。

 不覚にも、初心な少女みたいにドキッとしてしまった。ちょっと悔しい……。



「拒絶の言葉なら、俺の目を見て言ってみろよ」

「な、何でそんなこと……」


「お前は嘘を吐く時、目を見ない! 根は正直な奴だからな、目まで嘘を吐けないってわかってるんだろう? 思い返してみれば、俺を振った時は俯いているか、背を向けているかだったな。俺の目を見て、俺を拒絶してみろよ!」



慎は強気だった。


あの二月の寒空の時とは別人だ。あの時は無条件で私の言葉を信じてくれた。そもそも話の内容が衝撃的過ぎて、嘘だと疑うことすらできなかっただろう。私も逆の立場だったら、動転して何も考えられなくなっただろう。いや、その前に刺し殺していたかもしれない。


私はまだ慎のことが好きだ。おそらく慎はそのことをお節介なお人好しから聞いたのだろう。だから、これほど強気でいられるのだろう。


「……あのチビッコめ、余計なことを……」


私が余計な告げ口をした美夜に対して悪態を吐くと、慎は苦笑した。

結局美夜は慎の味方か……。別に恋愛感情とかは全然ないだろうけど、ちょっと悔しいかなぁ……。


「そうだな、あいつはお節介だ。さすがに最初はここに来ることを止められたさ。だけど、最後は味方してくれた。まだお前の想いが俺に向かっているって教えてくれた。

 マイラ、俺はお前を誰よりも愛してる。お前がいてくれれば、それだけでいい。本当に、それ以外は何も望まない。だから、一緒にいさせてくれ、マイラ」


血と罪に塗れた教会で告げられる愛の言葉に、私の心は大きく揺れていた。


教会は漆黒の闇に包まれ、咽返るような血の臭いが充満していた。天井のステンドグラスから差し込む月明かりも雲に遮られ、闇は更に深く堕ちていく。ここで私が慎を受け入れれば、運命は必ず私達に死よりも残酷な悪夢に引き込むだろう。



世界は決して私達を祝福しない。


血と罪に塗れた私に救済などあるはずがない。


それなのに、私は誰よりも愛している人を地獄に引き込もうとしている。




「馬鹿……。どうして私が慎を振ったかわからないの……?」


「俺を巻き込みたくないためだろ? だけど、それはお前の勝手な理屈だ。俺は巻き込まれたい。何があってもお前と一緒にいたいんだ」



慎の手が私の頬をそっと撫でた。

頬を伝う涙を拭われて、私は初めて自分が泣いていることに気付いた。


「それだって充分勝手な理屈だよ……」


「わかってる。だけど、お前を独りにしない。それは初めて出会った時からの約束だ」


まだそんな約束、覚えていたんだ……。馬鹿なくせに変に記憶力がいいんだから……。全く、どうしようもない大馬鹿だよ、慎は……。



「頼む、マイラ……。俺を側に置いてくれ……。俺も独りは嫌なんだ……」



慎は私を優しく抱き締め、囁くように言った。

懐かしい温もりだった。慎と別れて以来、どれほどこの温もりを切望していただろう。思わずこの温もりに溺れたくなりそうになる。いや、すでに溺れかけていた。



「……ずるいよ。そんな言い方されたら、断れないじゃん……」


「必死なんだよ、お前を取り戻すために……」



ふと、芝崎初音の死体が視界に入った。


光のない死人の瞳が呪わしげに私を見つめていた。お前なんかが幸せになれるはずがない、そう言いたげな怨念が残っていた。おそらく彼女の魂は昇天などできないだろう。これからも私を呪い続ける悪霊となるだろう。


それでも構わない。最期の時は、貴方に呪い殺されてやろう。



「いいよ、慎……。一緒に地獄に堕ちよう……」



だが、私はそう簡単には死んでやらない。どれほどの地獄が待ち受けていようと、慎がいれば私はいくらでも強くなれる。


そして、最期に地獄に堕ちるのは、私一人だ……。


慎まで地獄に付き合わせてはいけない。私はこうして抱き締めてもらうだけで構わない。それだけで天に昇りそうなほど幸せだから。彼だけには救いをあげて欲しい。



「あぁ、マイラ……、いつまでも一緒だ。もう二度と離さないからな……」


「……うん。慎、大好きだよ……。何に代えても守ってあげるからね」


「そ、そういうセリフは俺が言いたかったんだがな……」



慎は複雑そうな顔をして呻いた。さすがに、守ってあげるなんて言われると、男のプライドが傷付いたのかもしれない。


だけど、実際私の方が強いし、守る立場なのは私なんだよねぇ……。あ~、なんていうか、主人公とヒロインの立場が逆じゃないかなぁ……?



「お前等、よくこんな所でいちゃつけるな?」



ギィィ、と教会の扉が軋む音がし、私達は慌てて振り返った。そこには、沼影敦盛がニヤニヤと笑みを浮かべながら、立っていた。


「よぉ、大神。随分と派手にやったな。一応援護してやるつもりで潜んでだが、必要なかったな」


「援護ねぇ……。そんな気配、全くなかったけど……。まぁ、いいわ」


今ひとつ、沼影は信用できない。生理的に受けつかない。


「……もしかして、沼影は仲間か?」


沼影の存在に対して、あまり驚きの表情を見せない慎。衝撃的な出来事の連続で、もはや沼影如きの存在などでは驚くに値しないのだろう。元々、沼影なんかに驚く価値はない。


「仲間というか下僕か使い走りね」

「何でお前は素直に仲間と言えないんだよ?」


「生理的に受け付けないわ。譲歩して、下僕として認めてあげる」


「お前、そんなに僕のこと嫌いか!」

「うん、その面見てるだけで反吐が出るわ♪」


「清々しい笑顔で人の心を躊躇なくナイフで抉るようなこと言うな!」


軽く泣きべそをかく沼影。こうしてからかうと実に面白い。


「まぁ、それより、逃走経路ぐらい準備しておいたんでしょ。さっさと出ましょう。真面目な話、私にもう戦う力はないわ。早く休みたい……」


まずは熱いシャワーを思い切り浴びたい。血塗れの体を入念に洗い、この血の臭いを早く消し去りたい。


それと、戦う力がないというのも事実だ。肉体的疲労もあるが、精神的疲労も激しかった。もう指一本動かすのも億劫だった。仁と徳島の二人を同時に相手し、芝崎初音と芝崎壮二郎を殺した。私が生き残れたのは、ほとんど奇跡だった。もう一度、同じ条件で同じ相手と戦っても、私はほぼ百パーセント勝てないだろう。


「ちっ……。確かに長居はできねぇな。外に車を用意してある。ほれ、行くぞ」


「そうね。……慎、行こう?」

「あぁ……」



慎は一瞬、血塗れの初音に見て、瞳に言葉にできない悲しみを浮かべた。



慎は幼い頃から初音のことを知っていた。彼女の死を、悲しまないはずがない。私に対して恨み言を喚き散らしても不思議ではない。


それなのに、慎は私を選んでくれた。憎まれても仕方ないのに、私を愛すると言ってくれた。




……もしかして、本当は私みたいに復讐を考えて……?




「マイラ……?」


「えっ? な、何?」



私は反射的に、慎が伸ばしてきた手を叩いてしまった。

な、何をしてんのよ、私はッ!? せっかく、せっかく慎がこんな私なんかと一緒にいてくれるって言ったのに、嫌われるようなことしてどうするのよッ!?



「ご、ごめん! ごめんなさい、ごめんなさい……。わ、私……」


「いいんだ、マイラ……。気にすんな。今のお前はナーバスになってるんだ……」



慎はもう一度手を伸ばし、私の頭を撫でた。

子供扱いされているようで頭を撫でられるのは好きではなかったが、今はこうして撫でられることが凄く嬉しかった。


「っと、そういや、頭撫でられるの嫌いだったっけ?」

「あっ……」


不覚にも、慎が手を離した時に名残惜しそうな声を上げてしまった。まるで甘えん坊の子供みたいだ。恥ずかしくて、頬が熱くなった。


「行こうぜ、マイラ」


先ほどまで私の頭を撫でていた手を肩に回し、私を気遣うように歩き出した。


これはこれで嬉しい。こうして普通に慎と触れ合えること、それがただ嬉しく仕方なかった。私はこんなにも甘えん坊な性格だったろうか。



「……待て、マイラ、慎……」


「じ、仁……」



気絶させたはずの仁が目を覚まし、立ち上がっていた。得物を構え、素直に私達を通してくれそうにはなかった。


「……マイラ、これ以上罪を犯すな。本当に取り返しのつかないことになる……」


「じゃあ、組織に断罪されろ、って言うの? どうせ死ぬなら、ウェアウルフの血と誇りのために死ぬわ」


「……血と誇り、か。俺にはわからないな……。どうして、そんなもののために命を賭けられる? この血のせいで、俺は家族の全てを失った。俺にとってこの身に流れる血は、忌まわしき呪いのようなものだ」


確かに、仁の一族の経緯は知っている。自らに流れる血を恨むのも無理はないだろう。亜人の血と人の血が交わると、悲しい不幸を呼ぶ。彼もそうした不幸に巻き込まれた一人である。


仁だけではない。私も、血に翻弄された一人だ。


悲しい事実だが、亜人の血によって生まれた悲劇は多い。それによって幸福を、希望を、命さえ奪われた者が星の数ほどいる。このような悲劇は、白の派閥の尽力によって数は減ったが、それでもなくなることはなかった。



「仁、こればっかりはわかり合えないわ。貴方が何を言おうとも、私はウェアウルフの血と誇りに殉じるわ……」


「……そうか。なら、俺は……、がッ!?」



突如、仁の体が床に叩き付けられた。

いや、私との会話中に仁の背後に回った者が、仁の腕を捻って押し倒したのだ。ウェアウルフの私ですら気配を読み取れないとは、相当の手練れだ。徳島と同等かそれ以上の実力者でなければ、私の第六感までを欺くことはできない。



「……き、貴様……、憂いの……?」


「う、憂いの切り裂き魔!? 何で、あんたがこんな所に!?」



涙を流した悲しみの仮面、闇に溶けるような漆黒のコート、大型の理髪バサミ。白の派閥からもっとも恐れられている暗殺者、憂いの切り裂き魔。


彼(?)が白の派閥に属する仁を捕らえるのは不思議ではないが、この教会に来たのは私の独断だ。個人的な協力者である沼影はともかく、黒の派閥からのバックアップがあるとは思えなかった。


「……芝崎ノ序列二位ノ人間ヲ始末スルちゃんすヲ、組織ガ見逃スト思ウカ? オカゲデ手間ガ省ケタ」


機械で変えられた声。仮面に変声器が仕込まれているのだろう。


「そう……」

「追ッ手ガ来ル。コノ男ヲ人質ニシテ、逃ゲルゾ」


憂いの切り裂き魔は素早く仁を縛り上げ、私が反論を上げる前に彼を連れ出していった。


仁と戦わずに済んでほっとしたが、仁が人質になってしまった。心中は複雑だった。もちろん仁と戦いたかった訳ではないが、こうして仁を巻き込んでしまうのはもっと嫌だった。


「なぁ、マイラ……。仁は……」

「大丈夫、悪いようにはしないから……」


「……あぁ、それは信じてるよ。だけど、あいつまで巻き込みたくなかった……」


慎も私と同じ気持ちだったようだ。

仁は私の再従弟であるが、このウェアウルフの宿命とは無関係な人物だ。そして、何より私の大切な友達でもある。この血塗れの道に巻き込みたくはなかった。


何故だろう。巻き込みたくない、そう思っている人ばかり悲劇に呼び寄せてしまっている。もう二度と大切な人が死ぬところを見たくないのに。











捕まっていた慎に発信機や盗聴器の類が付けられていないことを確認し、私達は沼影が用意した車に乗り込んだ。運転手は沼影、助手席には慎、後部座席には、私、仁、憂いの切り裂き魔の順で乗り込んだ。


しばらく左折を繰り返し、追跡の確認を行った。しかし、追っ手の影すら確認できず、拍子抜けだった。一応、沼影は絶えず後方に注意を払っていたが、慎はすでに安堵しているようだった。私はまだ興奮が残り、この不気味な静けさも警戒心を掻き立てるだけだった。


「なぁ、マイラ……。そろそろ、全部話してくれないか」


重苦しい車内の沈黙を、慎が破った。


彼のこの問いは覚悟していた。慎を巻き込むならば、いずれ話さなければならないことだったからだ。


「……何から、知りたい?」

「いろいろ聞きたいことはあるんだが……」


慎の視線が一瞬だけ沼影や憂いの切り裂き魔に向かったが、すぐに私だけを見つめた。


強い意志が込められた真っ直ぐな視線。罪深い私にはあまりにも眩しくて、思わず目を逸らしたくなった。しかし、もう二度と慎を避けるようなことなんてしたくない。たとえ、慎という太陽に私という闇が焼き払われようとも、私は決して慎から離れない。もう絶対に、離れ離れになったりしない。



「まず、お前のことを知りたい」


「……それは、私が本当に人間じゃないかってこと?」



……怖い。

私が人間ではないと知ったら、慎は離れていってしまわないだろうか。不安に胸が押し潰されそうになる。せっかく取り戻した大切な者をまた失ったら、私はきっと耐えられない。



「それを含めても全部だ。お前のことは全部知りたい。そして、受け入れたい」


「慎……」



慎の優しい微笑みは、私の浅ましい不安を全て氷解してくれた。


私は本当に小さい人間だ。多くの人を殺し、その上最愛の人の言葉さえ信じられない。慎は何があってもわたしの側にいてくれる、といってくれたのに、それをまだ疑っている。


慎を信じよう。何があっても、慎だけは私の側にいてくれると。



「わかった……。全部、話すわ……」



私は一度肺の空気を全部吐き出し、新しい空気を吸い込んだ。そして、覚悟を決めて、全てを語り出した。



「……私の本名は、マイラ・フェーリア。誇り高き狼の眷族、ウェアウルフよ」


「フェーリアって……? 大神ってのは、本名じゃなかったのか?」


「うん、前に日本人の血なんて一滴も流れていないって言ったでしょ? なのに、どうして日本の苗字名乗ってるのか疑問に思わなかったの?」


「あ、あははは……、そういや、ちょっとだけ、そんなことを思ったり思わなかったり……?」



私の名の矛盾に、慎は全く疑問を持っていなかったようだ。久里子と沙雪にはそのことを聞かれたことがあったので、いずれ慎にも聞かれるのかと思っていた。しかし、それも私の取り越し苦労だったらしい。


「あ~、それより、ウェアウルフってのは何なんだ? さっきは誰もが知ってて当然みたいに話してたから、今一つわからねぇんだが?」


確かに、先程は状況的にもウェアウルフのことを説明する余裕はなかった。そもそも私は正体をばらすつもりなどなかったし、芝崎側も組織の守秘義務があるので説明は絶対にしなかっただろう。


「ウェアウルフの説明の前に、慎に理解してほしいことがあるわ。

 まず、世界は貴方達人間だけの天下ではないこと。確かに圧倒的に個体数を誇り、事実上世界の支配者であることは間違いない。でも、私達のような人間の亜種も確かに存在しているの。

 そして、そうした存在は幾つかの組織によって隠蔽され、保護もしくは抹殺されているわ。私もかつてはそうした組織の一つに保護を受けていた者よ」


慎は怪訝そうに眉をひそめ、理解に苦しんでいた。しかし、無理矢理頭の中に、そうした事実がある、ということを捻じ込んだ。


「……なぁ、どうして隠す必要があるんだ? そんなことをしなくても共存でき……」


「共存なんてできる訳ねぇだろうが!?」


慎の考えなしの発言に、沼影が食って掛かった。私も今のセリフを言ったのが慎でなければ、激昂していたかもしれない。


それにしても、沼影がこれほど感情的に怒鳴るとは思わなかった。


あの話、少しは信じてもいいのかもしれない。私を信用させるための嘘ではないかと疑っていたが、沼影のこの反応を見る限りでは、あの話が冗談だとは思い辛かった。


「人間ってのはな、てめぇと少しでも違えば即、異端として迫害する生き物なんだよ! 同種同士ですら迫害し合うってのに、どうして異種を迫害しないと思えんだ? えぇ!? ちったぁ歴史の勉強しやがれ! 人間がどれほど迫害を続け、殺戮を繰り返してきたか、知らねぇのか! 今でも、亜人を殺し尽くそうっていう組織は存在しているんだ! そして、そうした連中に僕の家族は殺されたんだ! 大神の家族なんざ、一族郎党皆殺しにあった! それでも、共存できるっていうのか!」


「……わ、悪ぃ、考えが足りなかった……」

「……いや、僕も熱くなり過ぎた」


柄にもなく怒鳴り散らしてしまった沼影は罰が悪そうに頬を掻き、運転に集中した。怒鳴っている間に車線をかなりはみ出していたようで、もう少しあのまま怒鳴り続けていたら対向車と正面衝突をしていたところだった。


「でも、慎……。今回は沼影が正しいわ(非常に不快だけど……)。私達は人間とは相容れないの。慎だって、私以外のウェアウルフを見たら、違う反応してたでしょ?」


「それは……、いや……」


慎は慌てて取り繕うとしたが、私の真剣な目に押されて何も言えなくなった。もし、綺麗言で言い繕うとしたのなら、一発殴っていたかもしれない。


「まぁ、それは仕方ないわよ。自分と違う種に対して線引きをするのは、当然のことなんだから。むしろ、慎のように受け入れてくれる人の方が希少よ」


「……」


何か言いたそう顔で口を開くが、慎は結局何も言えなかった。おそらく気休めでも言おうと考えたのだが、言葉が浮かばなかったのだろう。


慎は知らない。私達のような亜人がどれほど辛い仕打ちを受けてきたのかなど。筆舌し難い苦行の歴史を歩み、血塗れになりながらも生き続けたことなど想像もできないだろう。しかし私自身、エディンバラでのことがなければ、慎のように甘えた理想論を語っていたかもしれない。


「……話を戻すわね。ウェアウルフってのは、人間の亜種の一つ。ウェアウルフの特徴としては、この耳と、硬質な爪と牙、他の人間種の中でも取り分け高い運動能力ってところかしら。あ~、でも、高い運動能力っていっても、せいぜいオリンピックの選手程度ね。それほど人間と掛け離れているって程でもないわ。人間でも鍛えれば、ウェアウルフ以上の能力を持つ者もいるわ。まぁ、ウェアウルフも鍛えれば、もっと強くなるけどね。

 それと、他の人間種の血液を摂取することで、その人間の姿に擬態することができる能力。ウェアウルフを含めて亜人種ってのは、ホモ・サピエンス種に化ける術に長けていてね、ほとんどの亜人にこうした特殊な擬態能力があるわ。今まで慎達に見せてきた姿は、人間に擬態した姿だったの。この姿が、本当の私」


「……なぁ、その犬耳みたいなのって、本当に生えてるのか?」


「犬言うなぁ! ウェアウルフは誇り高き狼の眷族なのよ! ……でも、まぁ、信じられないのも無理はないかぁ」


「……触っていいか?」


私は目を細めて慎を睨み付けた。

この耳は、ウェアウルフの誇り。自らが狼の眷属であることの証明であり、同族であっても夫婦同士でなければ触れさせない。まして、他種族になんて絶対に触らせない。逆に言えば、夫婦ではない者に耳を触れられることは最大の屈辱でもある。



「あっ、いや、今のなし。冗談だ」



でも、慎になら……。慎にだけなら……。

全てを投げ打ってでも、私の側にいることを選んでくれた慎になら、許しても構わない。慎が誠意を見せてくれたのなら、私もそれに答えるべきだ。


「……いいわよ、触っても」

「本当か?」


興味津々に目を輝かせる慎。

……可愛い。やんちゃな子供みたいで……。


「うん……。慎になら、構わないよ……」

「じゃあ、触るぞ?」


が、柄にもなく緊張する……。

本来なら、夫にしか触れさせない場所。そこを触れさせるということは、つまり慎を夫と認めると同義。婚姻を交わすようで、私は今にも心臓が飛び出そうなほど緊張していた。


うぅ~、今更婚姻なんかで緊張するなんて恥ずかしい……。


慎も私の緊張が伝わったのか、妙に顔を赤くしている。伸ばした手も若干震え、私の耳に触れることを戸惑っているようだった。


「会話だけ聞くと、微妙にエロいな」

「「黙れ、エロ河童!」」


く、くそ~、沼影が余計なこと言うから、余計に緊張する~。

慎も変なことを想像したのか、顔も手付きも微妙にいやらしくなっていた。締りのない面を少し殴りたくなったが、私は平常心を保って我慢した。


「んん……」

「ぉお~……、ちょっと温かい……」


く、くすぐったい……。


「……確かに生えてるな。それに、血管が少し浮き出てる」


「ひゃ……、ぅう~……、ちょっと、もう少し丁寧に……、ぁん……」


「俺達みたいな耳はないんだな。まぁ、それも当然か。耳が四つもあっても意味ないしな。うんうん」


「く、くぅん……。し、慎……、駄目ぇ……」


び、敏感なのよぉ、人間の耳以上に……。せ、性感帯の一つだしぃ……。よ、弱いんだからぁ……。


「オイ、鼻ノ下伸ビテルゾ、馬鹿二人……」


憂いの切り裂き魔が大バサミを最大に開いて、慎と沼影の首筋に突き付けた。


まさか彼に助けられるとは思わなかった。隣を見ると、仁も居心地の悪そうな顔で、私から目を背けていた。この二人は紳士だ。


それに引き換え、前席の二人は本当に最低のスケベ野郎達だ! 特に沼影。


「……慎、今のわざと?」


「や、や~、ち、違いますよ、マイラさん? ちょっとした知的探究心に火が点いたっていうか……」


「ぶっちゃけ、エッチな声が聞きたかったんでしょ?」

「YES! って、しまった! つい本音が!」


「慎~……」


この状況でよくそんなスケベ根性を出せるわねぇ……。それが男って奴なの? 全く、だとしたら本当にどうしようもない生き物ね、男って……。


私は慎を一発、沼影を三発殴って、憂さを晴らした。正直、もっと殴ってやりたかったが、仕方なく我慢した。


「はぁ……、とにかく私がウェアウルフってのはわかった?」

「うぃ~……」


殴られた場所を擦りながら、慎は唸り声で返事をした。


「私が白人ってことでわかると思うけど、本来ウェアウルフはヨーロッパ原産の種。今の組織に保護されるまで、私の一族はヨーロッパ中を転々と流浪していたわ。ちょうど私の祖父の代からイギリス(まぁ、正確に言うとスコットランド近く)に居を落ち着けたそうね。私も日本に来るまではエディンバラで暮らしていたわ。……もし、何もなければ、今頃私は子供と一緒に幸せに暮らしてたでしょうね……」


「……こ、子供!?」


慎は驚愕に目を丸くし、呆気にとられていた。覚悟を決めていた慎でも、さすがに動揺を隠せないようだ。というより、私のことが好きなら尚更、ショックが大きいのは当然かもしれない。


本当は、少しだけ聞き流してくれることを期待した。しかし、そう上手くはいかないらしい。神様はいつも性格が捻じ曲がっている。




「……全部、話すって言ったでしょう。だから、隠さないわ……」



それは、決して消せない記憶。

ただ一人生き残った私の最後の希望、それが奪われた瞬間。

残された私の心を完膚なきまで砕き、絶望の底へと突き落とされた悪夢。



「……私は、慎と出会う一週間前に、流産しているの……」






つづく


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