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閑話 ワンコVSチビッコ その2


新入生歓迎ハーフマラソン大会後半。

女子のトップ集団は残り一キロを前にして、後続を遥か彼方に突き放していた。もはや圧倒的な差が広がり、後続の参加者がトップ集団に追いつくのはほぼ不能だろう。

もっともトップ集団は、集団といってもたったの四人しかいない。しかし、四人は横一直線に並び、誰が先頭なのか判別はつかないほど切迫していた。


「今度こそ優勝は私のものよ!!」

「あんまり大声で喋ると体力なくなりますよ?」


「先輩達には悪いですけど、勝つのは私です! この私が、ワンコやチビッコなんかに負ける訳ないですから!」


「誰がワンコよ! 調子乗ってんじゃないわよ!」

「チビッコじゃないです! 酷いです、私の方が年上なのに、そんな扱い!」


「……はぁ、うるさい……」


とても二十キロ近く走っているとは思えないほど元気そうだった。しかも、その体力の使い方が非常に無駄だった。


『おぉ~っと、ラスト一キロで凄まじいデッドヒートになってきたァァァッ!! ちなみに、実況は生徒会一の美形、絶世の美男子、沼影敦盛だァァァッ!!』


生徒会のテントから、無駄に拡張された阿呆な声が聞こえる。


この阿呆な声の主は生徒会書記、沼影敦盛。非常にウザい。現在、死力を尽くしてハーフマラソンを走っている生徒達は、彼に対して並々ならぬ殺意を抱きつつあった。ブーイングが来ないのをいいことに、調子に乗り過ぎである。


それにしても、この男はマラソン大会に参加しないのでいいのだろうか。誰が実況などを許可したのか。それは一切不明であった。


『現在先頭を走るトップグループは後続と五キロ近い差を広げ、快調に飛ばしている! 速い、速過ぎる! 彼女達の体力に限界はないのか? 凄まじい先頭争いで、誰がトップかわからない! 実力伯仲! 誰が勝ってもおかしくない、そんな状況だァァァッ!!』


それにしても、この男は先程から女子の実況しかしていない。そのことについては誰も咎めないようだが、果たして実況としてそれで構わないのだろうか。



『無様にも追い抜かれたノロマどもに、トップグループを走る麗しい美少女達の紹介をしてやろうじゃねぇか!

 まずは、一年にていきなり先頭争いに躍り出た期待の新人! 一年E組、芝崎初音!! まだまだケツの青いひよっこどもの洗礼であるはずの新歓マラソンでトップ争いに参加するとは、そのポテンシャルの高さはどこから来るのかァ?』



「もちろん、慎さんの愛が私に力をくれるんです」


トップ集団の一人、芝崎初音はウィンクをしながら手を振っていた(誰に対して、どこに対しては不明だが)。


「……あァ?」

「何です? 文句あるんですか、えェ?」


「ま、前見て走ってください、二人とも! 舌噛みますよ、転びますよ!」



『もう一人も今回初参加の新人! 二年に編入してきたチビッコエース! 二年D組、逢瀬美夜!! 外見とは裏腹に信じられない身体能力だ! 走る姿はまるで全力疾走のハムスターの如く! 恐るべし、チビッコエースの底力!』



「誰がチビッコエースですかァァァ!? 外見とは裏腹にとか、ホントに余計なお世話ですよ! それと、私はチビッコじゃないです!」


普段は良識派の逢瀬美夜も、チビ扱いされると非常に怒る。手が付けられないほど理不尽に怒る。しかし、怒っていても全く怖くないので、その都度からかわれてばかりだった。


「お、落ち着きなって、美夜。沼影如きの言うことなんて気にしない」



『新人二人の若い勢いに若干押されているのか? 最初の快走で奪ったリードはどこへ行った? 走る姿はワンコの如く、揺れる胸は牛の如く、エロ巨乳のワンコ娘! 二年D組、大神マイラ!! ちなみに生徒会調べでは、彼女のスリーサイズは上から八十きゅ……』


「ダァァァァァァ、言うなァァァッ!! っていうか、何で知ってんのよ!! 沼影、あとで絶対に殺すから!! 誰が犬よ、誰が牛よ!? 馬鹿にすんな!!」



機械で拡張された声よりもなお馬鹿でかいで叫ぶ、大神マイラ。ちなみに、八十きゅ……までしか聞こえなかったが、一部男子生徒から殺意が消えたのは確かだった。しかし、その分マイラの怒りを買ったのは間違いなかった。


「無駄に大きいからって自慢しないでください!」

「自慢してないわよ! ぶっちゃっけ、邪魔なの!」


「その発言は、私に対するあてつけですか!?」


つるぺた娘こと芝崎初音は、呪い殺さんばかりにマイラを睨み付けた。


『そして、我等が生徒会のクイーン! 去年の編入以来、負けなし! 伝説はどこまで続くのか、無敗の女帝! 三年H組生徒会長、岸辺藍!! 猛追する造反者達に、王者の力を見せ付けられるかァァァ!?』


「……ぁあ~、うざったい……」


生徒会長、岸辺藍は心底鬱陶しそうに溜め息を吐いた。同じ生徒会で働いていても、沼影の鬱陶しさは慣れるものではないようだ。


沼影の実況どおり、新入生歓迎ハーフマラソン大会女子の部の先頭は、大神マイラ、逢瀬美夜、芝崎初音、岸辺藍の四人で争われていた。


序盤、持ち前の瞬発力で一気にリードを広げたマイラだったが、中盤で容易く藍に捕まり、以後並走を続けていた。体質的に持久力のないマイラと比べ、藍はペースを保って体力を温存していた。後半、一定のペースを守って走ってきた美夜と初音がスパートをかけ、追い付いてきたのが現在の状況だ。


実質的に、一番不利なのはマイラだった。種族的に瞬発力はあっても持久力はない。だからこそ、最初に勝負を賭けたのだ。他の三人のスパートに付いていけるのは、ウェアウルフとしての意地とプライドがあるから。


美夜と初音は実力伯仲。二人とも同じようにペースを守って走り続けた。そのため、余力も同じ程度。身体的には初音が若干有利だった。何故なら、美夜は小さいのでその分体力が少なかったから。


そして、もっとも有利なのが藍。彼女は中盤でマイラを捕らえ、以後はペースを守って走っている。現在はスパートをかけている状態ではない。


「……さて、そろそろ鬱陶しくなってきたから、先に行くわね」


『おぉ~っと、均衡していたトップグループに動きが! 無敗の女帝がついに前に出た!』


四人並列していたトップ集団から、藍だけが一人飛び出した。

まるで疾風のような勢いで、他の三人を出し抜いていった。すでに体力の限り、スパートをかけているマイラ達は追いつこうとしても、全く距離は縮まらなかった。


「こ、このぉ……、今度こそ、今度こそ、優勝するんだから!!」

「わ、私だって負けません!!」


『大神、芝崎共に猛追をかける! しかし、逢瀬は動かない! もはや余裕がないのか、ここで首位争い脱落かァ?』


負けず嫌いのマイラと初音が、プライドを賭けて全身全霊の力を振り絞った。


すでに疲労はピークに達し、マイラも初音も限界寸前だった。しかし、持ち前のプライド高さが功を奏して、徐々に彼女達の走る速度は上がっていった。美夜だけを置いて、王者への猛追が始まった。


しかし、先頭を行く藍までには届かない。圧倒的な速さで、その背中は徐々に遠ざかっていった。


『大神、芝崎、速い速い! しかし、女帝の前には誰も出られない! これが王者の貫禄か? 最強の名は、誰にも渡さない!』


「……ふぅ、三人とも、負けず嫌いね」


「三人とも? 美夜は遅れているようだけど?」


百メートル走並の勢いで走る藍。それを猛追するマイラ、初音。ただ一人、美夜だけは飛び出さず、他の三人の後方に置いていかれていた。


しかし、まだマイラも初音も気付いていなかった。かなり速度を上げているのにも拘らず、美夜は一定距離を保て付いてきていることに。


美夜は普段の天然振りとは打って変わって、恐ろしいほどに冷静だった。残り距離が五百メートル以上ある状況で、全力疾走という愚は冒さない。最後の最後まで体力を温存し、虎視眈々と勝利を狙っていた。


(……やはり、一番警戒すべきは彼女ね)


先頭を走る藍は、後続の三人の中でもっとも後方を走る美夜をもっとも警戒していた。理由は至極単純だ。あと数秒もすれば、誰でもわかることだった。


「「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」」


『おぉ~っと、ここで大神、芝崎、失速! どうしたのか?』


全力疾走が長く続くはずもなかった。マイラと初音は早々に体力が尽き、速度が減退していった。


一方、美夜はまだ速度を上げないが、一定の距離を保ちつつ藍を追っていた。しかし、減速しているマイラ達には追い付きつつあった。



「残り二百メートル地点まで、あと十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……。GOです!」



残り二百メートル地点で、美夜が勝負を賭けた。


どんな状況に陥っても彼女は冷静さを失わなかった。今まで溜め込んできた力を最後のこの瞬間に爆発させた。元々体格で劣っている美夜にとって、無駄に使う体力の余裕はなかった。だから、こうして最後のスパートに全てを賭ける以外に勝てる方法はなかった。


マイラと初音同様に、藍も早い段階でスパートをかけたため、最初の勢いは消えていた。美夜が一気に差を詰め、残り五十メートルで隣に並んだ。


『何ィィィッ!? ここで意外な伏兵が来たァァァ! すでに勝負を諦めたと思われた逢瀬が、ここでラストスパート! 速い速い! 全力疾走のハムスターが女帝に迫る! 無敗の女帝、ここで伝説に終止符が打たれるか!』


(……ハムスターの全力疾走って速いの? ……とっとこしてそうであんまり速そうに思えないんだけど?)


猛追する刺客から逃げ切るべく全力疾走をしていた藍は、ふとそんなことを思った。状況的にピンチに見えるが、彼女はまだ余裕があった。余力がある訳ではないが、負けるつもりはなかった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。もう、ちょっとなのに……」

「はぁ、はぁ……。あともう少し、体力が残っていれば、貴方の勝ちだったわ……」


藍がかなり早くスパートをかけたのは、並走する三人(おもに最後まで力を温存していた美夜)の余力を削ぐためだった。かなりのハイペースであったが、藍は最後まで走りきれるように計算して、ペースを作っていた。しかし、他の三人は藍のペースで走らされた。他人のペースで走れば、体力は早く失われる。


美夜は残り二百メートルを全力疾走するほど余力が残っていなかった。しかし、勝つためにはそこでスパートをかけるしかなかった。だから、あともう少しで追いつくというところで力が尽きつつあった。


残り五メートル、美夜はまだ藍には届いていない。しかし、藍はまだゴールテープを切った訳ではない。勝負は最後の一瞬までわからなかった。


「負けるもんかァァァァァァァァァッ!!」


『おぉぉ~っっと、来た来た来たァァァァァッ!! まさか、最後の最後でやはりこの女が来た! 一度たりとも白星を奪えずにいるが、常に女帝を脅かす最強の刺客! 大神マイラだァァァッ!!』


(ま、まさか……? どこにそんな力が……?)


常に冷静沈着な藍だったが、ここで初めて動揺の色を見せた。

勝利の寸前、思わぬところから横槍が降ってきた。まさか完全に力尽きたと思われたマイラが、ここで追い上げてくるとは思ってもみなかった。


この追い上げは、美夜や藍のように計算して作った余力によるものではなく、実はただの意地だった。負けず嫌いと自尊心の高さが最後の力となっていた。美夜のようなチビッコにまで負けられない、と奮起して限界以上の力を発揮したのだ。


「岸辺にならともかく、チビッコにまで負けられないわよ!」


「うにゃあ~、マイちゃん、言い過ぎです! 私だって意地があります!」


「……先輩ぐらい付けなさい、小娘……」


ゴールテープ直前で、三人がほぼ一列に並んだ。

最後の最後で、勝負の行く末がわからなくなった。勝利の女神は誰に微笑むのだろうか。


「うらァァァッ!!」


マイラの気合とは裏腹に、勝負は非情だった。あと一歩が届かなかった。


ゴールテープを切ったのは、藍だった。


先にリードを奪っていた藍に、マイラも美夜もあと一歩が届かなかった。無敗の女帝の通り名は伊達ではなかったらしい。


『勝ったのは我等が女帝、岸辺藍だァァァァァァッ!!

 伝説は終わらない! 彼女に土を付けられる者はやはりいないのか! しかし、今回は惜しかった! 特に大神の胸があと一センチあれば、夢の九十代……ではなく、その豊満な胸でゴールテープを切れ……』


「黙りやがれェェェッ!!」


最後の最後、限界の限界を超え、マイラは渾身のドロップキックを沼影に食らわせた。生徒会テントで好き放題なことをほざいていた沼影は、無様に吹っ飛んでいった。


とても気分爽快だった。マイラは一仕事をやりきったような笑顔を浮かべ、美夜の元へ駆け寄ってきた。それにしても、マイラは元気一杯のように見える。彼女の種族は本当に持久力がないのだろうか。


「あ~、それにしても、また負けたぁ……。っていうか、私と美夜の勝負はどっちの勝ちなのよ?」


「はぁ、はぁ……。いいじゃないですか、引き分けで……」

「駄目! パフェの奢りがかかってるんだから!」


「はぁ、はぁ……。先輩達、そんなもの賭けてたんですか?」


結局四位に終わってしまった初音は、二人の話を聞いて呆れた。彼女は三人に負けて、非常に悔しそうな顔だった。


「そうよ、悪い?」


「はぁ、相変わらず食い意地張ってますね。……太りますよ」


「……そ、そういう貴方はもう少しふっくらした方がいいんじゃない? ……局部的に」


超笑顔×2。

笑顔のまま殺気を撒き散らし、睨み合うマイラと初音。どうもこの二人は本質的に相性が悪いようだった。顔を合わせるたびに喧嘩をしている。


「あ、あの! ほら、仲良くしましょう。そんな全く目が笑っていない笑顔で見詰め合うなんて怖いですよ。な、仲良くしましょうよ……」


「「うるさい、一番栄養取らないといけないチビッコが!」」


「うにゃああああああッ!! 二人してチビって言わないでください! これでも毎日牛乳飲んでいるんですよ! それなのに、それなのに……」


女三人寄れば姦しい。まさに今の彼女達を表すのにもっとも相応しい言葉だった。仲裁役の美夜がキレてしまい、三人は怒り心頭で口喧嘩を始めてしまった。


とても騒がしがったが、実に平和だった。


しかし、この平穏な日常は決して長く続かなかった。血塗れの惨劇の幕はすでに上がり始めていた。マイラと初音の殺し合いは、この出来事から二週間も経たぬうちに起こる。


どれほど願おうとも運命の歯車は止まらない。そして、起きてしまった惨劇を巻き戻すこともできるはずがなかった。






閑話休題、六章「奪われた希望」へ……


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