第四章 二人の少女(前編)
私が彼女と出会ったのは、新学期開始の一週間前。
きっと私の手が血に汚れていなければ、彼女とは最高の友人となれただろう。
二人の出会いは運命だった。互いに譲れない想いを背負ったが故に出会い、戦い合うよう宿命付けられた。己が信念を持つが故、私と彼女の運命は交わらない。たとえ、どれだけの犠牲を払おうとも、叶えなければならない想いがある。私達は出会った時からすでに、それを背負っていた。だからこそ、私達の出会いは運命だったのだ。
もし、私達がそれぞれ運命を背負う以前に出会えたのなら、きっと誰よりも強い絆で結ばれた親友になれたはずだった。出来ることならば、運命に巻き込まれる前に彼女と出会いたかった。
しかし、彼女との出会いはすでに手遅れになった後だった。
「どうも初めまして。今日から同居させていただく逢瀬美夜です。これから短い間だと思いますが、よろしくお願いします、大神さん」
「あ~、貴方が例の……」
彼女は清流会の一員、逢瀬美夜。
清流会は白の派閥を統括する組織であり、彼女はその組織の中でも高い位階にいる。
もう少し組織について説明すると、白の派閥は異端者を保護し、霊域を管理するために作られた清流会の一派閥なのだ。他にも心霊治療に特化した派閥や、魔術知識を管理するための派閥などが存在している。で、清流会から離反して独立した裏切り者の派閥が、黒の派閥という訳だ。
清流会に属するということは全ての派閥を統括する権限を持つ。しかし、美夜はそんな高い位階にいるとは思えないほど可愛らしく、まるで小動物のような少女だった。人を和ませる太陽のような笑みを浮かべ、見る者さえも笑顔にさせてしまうような魅力があった。
年齢的には私と同年代なのだが、彼女の容姿はそれよりもずっと下に見えた。しかし、こんな可愛らしい少女でも私などより相当上位の存在なのだ。
芝崎家の重鎮が殺されたため日野塚市内の警戒レベルが高まり、私と彼女は二人一組での行動が義務付けられた。逢瀬美夜は私のパートナーとなるべく、市外から送られてきた増援の一人だった。彼女は私と行動を同じくするため、同居することとなっていた。
表向きにはパートナーとなっているが、逢瀬美夜の本来の任務はおそらく私の監視だろう。警戒を怠らず、また彼女に不信感を植え付けないようにしなければならない。
ただ、彼女は芝崎家とは無関係な人間だった。立場的に言うならば、芝崎家の行動を唯一制限できる監査官な存在だった。つまり、正確には『私を含めた芝崎家全勢力』の監視者なのである。彼女は見た目からは想像もできないほど重要な立場にいる人間なのだ。
「ようこそ、逢瀬さん。これからよろしく頼むわね」
「はい、一緒に頑張りましょう!」
笑顔が素敵な子だ。つい気を許してしまいたくなってしまうような雰囲気がある。
「私のことは好きに呼んでいいわよ。私も貴方のこと、美夜って呼ぶから」
「じゃあ、マイちゃんって呼ばせてもらいます」
うわっ、子供っぽいあだ名付けられた。もし、私が子供の頃に日本にいたら、そんなあだ名を付けられていただろう。
「うん、わかった。じゃあ、とりあえず荷物を部屋に運ぼっか。ま~、元は一人部屋だから、あんまり広くないけど、ゆっくりしてよ」
「すみません、押し掛けちゃいまして……」
「ま~、組織の命令じゃ、私達は逆らえないわよ」
私達のような亜人は、組織の庇護がなければ日の下を歩くことさえできない。西洋には白の派閥とは逆に、亜人を殺すための機関があるくらいだ。日本にもそうした一派は存在している。組織から離れて生きていくことは難しい。だから、命令に逆らえるはずなどないのだ。
……私のように、新たな庇護を得られない限りは……。
「でも、ま~、私って一人っ子だから、二段ベッドってちょっと憧れてたんだよねぇ。あははは、美夜は上と下、どっちがいい? 勝負で決める?」
「そんな……。私は押し掛けてきた立場なんですから、そんな権利ないですよ」
「むぅ、つまんないなぁ」
美夜は見た目どおり、温厚そうであまり勝負事には関心がないようだ。何かにつけて勝負や競争をすることが好きな私とは対照的だ。
「ま、いっか。すでに上の段はすでに使ってるし。美夜の背じゃ、下の方が何かと都合がいいだろうし……」
「うぅ~、身長のことは言わないでください。気にしてるんですから」
子供っぽく頬を膨らませ、拗ねる美夜。その様子は本当に微笑ましかった。
美夜には悪いが、とても私と同年代だとはとても思えない。身体的に見れば、せいぜい中学一、二年生くらいとしか思えない。小学校と言われても全く違和感がないだろう。ランドセルが恐ろしく似合いそうだった。
「あははは、ごめんごめん! ほら、機嫌直してよ、飴あげるから~」
「うにゃ~、子供扱いしないでください! ……あ、飴は欲しいですけど……」
「あははははははははは! 素直だねぇ~。お姉ちゃんが可愛がってあげるよ!」
「うにゅ~……」
拗ねる美夜を宥めながら、私は彼女を部屋に案内した。少々からかい過ぎたため(案内する途中でもからかったから)、飴玉一個では機嫌を直してくれず、十個で手を打ってもらった。
監視者かもしれないという疑惑は消せなかったが、美夜と一緒にいると楽しかった。美夜の笑顔は人を温かい気持ちにさせてくれる。あの日以来、胸にすっぽりと開いた穴が埋まっていくような気がした。
これが私と美夜の出会いだった。これから彼女とは熾烈な戦いを幾度と繰り返すことなるが、生涯で一度たりとも私はこの出会いを後悔したことはなかった。
予想どおり、美夜は新しい学校でもすぐに周りと打ち解け、クラスの人気者になっていた(というか、愛玩動物かな?)。彼女の人懐っこい笑顔は人を安心させるような温もりがある。あの無愛想、朴念仁、仏頂面の仁でさえ、気を許しているくらいなのだから驚きだ。
「あれ? 仁君、今日は一人なんですか?」
昼休み、いつもは慎と一緒に購買から戻ってくる仁が一人で戻ってきた。
そんな彼に美夜が懐っこく近寄って行った。いくら人懐っこいからと言っても、あんな物騒で不愛想な奴に好んで近付くのは美夜くらいだろう。あとは私か慎くらいだ。
私は机に頬杖を突きながら、二人の話に耳を傾けていた。仁が一人で戻ってきた理由も少し気になっていたから。
「……ん? あぁ、慎が学食行く途中で芝崎に拉致られてな……」
「あ、あははは……。初音ちゃんも強引ですね」
……慎は、あの子と一緒か……。
駄目、妬むな……。慎を振ったのは、私なんだから……。私はいずれ破滅する……。だから、私なんかと一緒にいて、慎を巻き込む訳にはいかない……。
これでいいんだ……。慎は、あの子と一緒にいるべきなんだ……。
「じゃあ、今日は一人なんですか? だったら、私達と一緒にご飯食べましょう?」
「……だが……」
「私達と一緒じゃ嫌ですか?」
「……いや、そんなことは……」
「じゃあ、一緒に食べましょう?」
にこにこ。
無邪気な笑み。あの笑みを曇らせるのは、人として忍びないだろう。私も美夜の笑顔には敵わなかった。仁はあれに勝てるのか見物だった。
「…………わかった……」
「はい! じゃあ、行きましょう!」
仁、呆気なく陥落。美夜に掛かれば、あの朴念仁なんてイチコロのようだ。
そういえば、仁と一緒に食事なんていつ振りだろう。一応、私と仁は再従姉弟同士ではあるのだが、あまり交流はなかった。その辺りの事情は両家の軋轢が関係しているのだが、説明が面倒なので割愛する。
「……仁君と逢瀬さん、仲良さそう……」
沙雪の小さな独り言が聞こえてしまった。沙雪自身、口に出したかわからないような小さな呟きだった。おそらく私の耳でなければ、沙雪の声は捉えられなかっただろう。
どうやら私の知らないところで変な方向にベクトルが向いていたようだった。沙雪が仁を好きだったとはかなり驚いた。仁は確かに美形だが、顔に大きな傷がある上に目付きが最高に悪い。贔屓目に見ても堅気にすら見えない。普通ならお近付きになりたくないタイプだ。沙雪も仁を怖がっていたと思っていたのだが、私の勘違いだったのだろうか。
……それにしても、悪いこと聞いちゃったなぁ。まぁ、あの朴念仁のどこがいいのかはさっぱりわからないけど。
「みなさん、今日は仁君と一緒にお弁当にしましょう」
「いいわよ。じゃあ、ほら、席寄せて」
いつもより一名多く、私達は昼食をとり始めた。
美夜と沙雪は自作弁当。私は元々パン組だったのだが、今では美夜が弁当を作ってきてくれている。久里子だけは未だに購買の激戦を潜り抜け、パン食を貫き続けている。私はそこまでしてパンなど食べたくなかったので、美夜の弁当には本当に助かっている。
料理が全く駄目な私と違い、美夜は炊事から洗濯まで家事全般が完璧だった。私と美夜は、得意なことから苦手なことまで本当に対照的だった。
「美夜、箸と皿取って」
久里子がアンパンを銜えながら、催促してきた。
美夜が来て以来、私達のグループではおかずの交換が盛んに行われるようになった。いつもパン食の久里子を気遣って、栄養満点のおかずをたくさん作ってくれるのだ。そのため、私と美夜の弁当のおかずのラインナップが違う。
「あっ、はい。どうぞ、久里ちゃん」
美夜は久里子に箸と皿を渡すと、もう一組の箸と皿を出した。
「仁君もどうぞ」
「……いや、俺は……」
「仁君もいつもパン食ですよね? たまにはちゃんと栄養摂らないと駄目ですよ?」
にこにこ。
私も弱いのよね、美夜の笑顔……。まぁ、この子の笑顔に勝てる奴って方が珍しいんだけどね。
「…………わかった……」
仁、再陥落。
頬をほんの少しだけ赤くして、仁は箸と皿を受け取った。
(可愛い反応ねぇ~)
(……黙れ)
目だけで会話をする私と仁。再従姉弟同士のアイコンタクトは上々だった。
「それにしても、美夜って物怖じしないよね? こんな物騒な面した奴と普通に話せるなんて。再従姉の私が言うのものなんだけど、こいつって性格も面構えも怖いでしょ? だから、こいつと進んで話そうとする奴なんて滅多に見たことないよ」
「もう、マイちゃん、酷いこと言ってます。仁君は優しい人ですよ。ただ、自分の気持ちを伝えるのが苦手なだけで、ちっとも怖くなんかないです」
「ん~、まぁ、こいつが悪い奴じゃないってのはわかってるけど、それをわかってくれる人なんて滅多にいないよ。だけど、美夜みたいに普通にこいつと接してくれる人が一人でもいると、何だか嬉しいよ」
「……そういう話は俺がいない時にしろ」
仁は不機嫌そうな、しかし少し恥ずかしそうな表情で言った。確かに目の前でこんな話をされれば、肩身も狭くなるだろう。
「「あははは……。ごめんなさい~」」
「…………」
「あ、ほら、仁君。若竹煮でもどうぞ。タケノコは今が旬ですから、とっても美味しいですよ?」
仁の機嫌をとるように、美夜は弁当を差し出した。仁は戸惑っているようだったが、若干嬉しそうだった。
あのタケノコは美夜が昨日、大量に買い込んだものだ。料理が苦手な私には、あんなドリルのような物の調理法なんて全くわからないのだが、美夜は実に手馴れた様子で様々な料理を作っていた。昨日は確か、タケノコの炊き込み飯だった。
「……美味いな。……本当に」
おぉ、感想が二言だ。仁にしては珍しい。
「本当ですか! ありがとうございます!」
「……あぁ、初めて食べる味だが、美味かった」
……そういえば、私もタケノコ料理なんて食べたの、昨日が初めてじゃなかったっけ?
私も仁も日本在住とはいえ、元は西洋系の人間なので(仁はハーフだから、日本人の血も流れているけど)、あまり日本食は食べたことがなかった。
「あ、あ、あの、仁君! 私のも、どうぞ……」
仲良く談笑している美夜と仁の間を割り込むように、真っ赤な顔の沙雪が弁当を差し出した。消極的な沙雪にしては、かなり珍しい光景だった。
(……マイラ、これ、何……?)
(ん~、見たとおりじゃないかな?)
(沙雪が、仁君を……? マジで……?)
(みたいねぇ。しかも、何気に三角関係?)
私と久里子のアイコンタクトは恐ろしいほどに完璧だった。互いに言いたいことが目を合わせるだけで完璧に伝わった。
「……美味い」
沙雪、残念。仁の感想は一言だった。
あっ、ちょっと悔しそうだ。しかも、少しだけ涙ぐんでいる。
「じ、仁君、これもどうぞ! これも!」
「……あ、あぁ」
少しムキになった沙雪が、ヒョイヒョイと仁の皿におかずを乗せていった。沙雪自身が食べる分まであげてしまうような勢いで、仁も少し圧倒されていた。
「……こんなに貰っていいのか?」
「い、いいの。私、小食だから」
「……だが……」
だからといって、その小さい弁当の半分を揚げてしまうのはどうかと思うけど?
さすがに仁も戸惑った様子で、私に助けを求める視線を送っていた。しかし、私も困惑しているので、彼の求めには応えられなかった。
「仁君仁君、サユちゃんは甘いものが好きなんですよ?」
「…………」
美夜の言葉を聞き、仁は手持ちのパンを見た。以前慎に聞いたが、仁のパン選びはランダムらしく(多分、近くにある物を適当に取っているのだろう)、いつもラインナップが大きく違う。
本日のラインナップは、カレーパン、アンパン、コッペパンの三つだった。カレーパンはともかく、アンパンとコッペパンは最後まで売れ残るような物だ。どうやら今日は大した戦績ではなかったらしい。
「……やる。おかずの礼だ」
「あっ……、ありがとう、仁君……」
沙雪は仁からアンパンを受け取ると、目に見えるほど真っ赤になり、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。こういう反応を見ると、やはり沙雪が仁を好きなのは間違いないようだ。
それにしても、初々しいなぁ、沙雪。私はもうこういう反応できないからなぁ。
「よかったですね、サユちゃん」
にこにこと満面の笑みで、沙雪と仁を見守る美夜。
……もしかして、美夜って沙雪が仁を好きなの、知ってた? だとしたら、かなり意外だった。この天然娘がこんなにも鋭かったとは。
(美夜、仁を誘ったのって、このため?)
(……?)
(や、だから、沙雪の気持ち知ってたから、仁を呼んだんじゃ……?)
(???)
どうやら私と美夜の間ではまだアイコンタクトはできないようだ。友好度が足りないのだろうか。それとも、天然娘にはアイコンタクトのスキルがないのか。
「……何だかボク達、蚊帳の外だね」
「あ、あははは……」
微笑ましい雰囲気の沙雪達とは対照的に、私と久里子はすっかり取り残されていた。
つづく




