聖女レイナの両親の平凡な奇跡
トーマスとエラは、時折、自分たちが夢を見ているのではないかと、そっと腕をつねり合うことがあった。
畑を耕し、種をまき、ただ平凡で穏やかな日々を願っていた2人にとって、娘が「聖女」と呼ばれる現実は、あまりにも重すぎる贈り物のように感じられた。
最初は、ただただ怖かった。
王宮への召喚の知らせが届いた日、エラはレイナをぎゅっと抱きしめ、涙が止まらなかった。
幼い娘が、王国の命運という途方もない重荷を背負わされるかもしれない。
彼女に必要なのは、宮廷のしきたりや儀式ではなく、泥んこ遊びと、母の子守唄と、たっぷりの昼寝だった。
トーマスは、王の前で震える自分の足が情けなく、無力で歯がゆかった。
彼にできるのは、せいぜい娘の小さな手を握りしめ、農夫の粗末な服のまま、威厳に満ちた広間で頭を垂れることだけだった。
彼は、この運命から娘を守りたいと強く願った。
平凡でいい、ただ健康で、笑っていてくれれば。
しかし、レイナが古い石壁に花を咲かせ、黒くなったメダルを輝かせた時、2人は複雑な思いに駆られた。
誇らしさと、我が子の未知なる力への畏敬。
そして、それ以上に、この子はもう自分たちだけのものではないという、一抹の寂しさ。
宮廷での生活が始まると、その寂しさは、新しい形の心配へと変わった。
レイナが「おしっこ」で儀式を中断させたり、財務大臣の靴ひもで遊んだりするたび、トーマスとエラは冷や汗をかき、平身低頭して謝罪の言葉を準備した。
彼らは、自分たちの「躾がなっていない」ことが王国に迷惑をかけているのではないか、と悩んだ。
だが、次第に、彼らは気づき始めた。
この宮廷という堅苦しい場所で、自分たちの娘が、何よりも強力なものを解き放っていることに。
それは「笑い」であり、「驚き」であり、硬直した形式を溶かす「人間らしさ」そのものだと。
使者がパイまみれになるのを見た時、エラは思わず口を押さえたが、トーマスの目には、長年、隣国に圧迫されてきた農民としての、ちょっとした痛快さが光っていた。
重臣たちが列を作って「はなぱっちんおまじない」を待つ姿は、最初は理解できなかったが、ふと、村の祭りで子どもたちが無邪気に駆け回る光景と重なって、ほほえましく感じられた。
「嘆きの谷」へレイナが向かう決断が下された時、2人の心は再び引き裂かれそうになった。
エラは、娘の小さな背中が暗闇に消え入る悪夢にうなされた。
トーマスは、王に直訴しようかと何度も思った。
父親として、娘を危険にさらすことなど、どうしても認められなかった。
それでも、レイナが「くろいおくも、きれいにする!」と、きらきらした目で言った時、彼らは悟った。
この力は、彼女の一部なのだ。
それを「危ないから」と閉じ込めることは、鳥の羽を切るようなものかもしれない、と。
谷で金色の光が輝き、生命の雨が降り注ぐのを見上げながら、トーマスはエラの手を静かに握った。
彼の掌は、長年の農作業でごつごつしていた。
エラの頬を伝う涙は、もはや悲しみではなく、畏れと、深い感動のものだった。
我が子は、自分たちが耕す大地そのもののように、自ら癒し、育む力を内に秘めていた。
彼らにできることは、その大地を、決して踏み荒らすことなく、見守り、支えることなのだと。
今、王宮の一室で、窓辺から中庭を遊び回るレイナの姿を見つめながら、2人は静かな誇りを胸に抱いている。
彼女は王宮の聖女でありながら、泥んこ遊びをしても怒らない母がいて、肩車をしてくれる父がいる。
彼女の力の根源が「わくわく」や「えがお」にあるなら、彼らは、これからもその「わくわく」と「えがお」の種を、たっぷりの愛情という土壌にまき続けよう。
たとえ世界が彼女を「聖女」と呼ぼうとも、トーマスとエラにとって、レイナはいつまでも、夕焼けの中を走り回り、転んで膝を擦りむくと、真っ先に「ママ!パパ!」と泣きながら駆け寄ってくる、ただひとりの大切な娘なのである。
そして、そのことが、どんな強力な魔法よりも、2人の心を確かな幸せで満たしていた。




