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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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41.黒点の門の内側


都の夜は、港より静かだ。


静かだから、音が割れる。

馬車の車輪が石畳を噛む音。巡回の靴音。遠くの鐘。

そして、紙を刷るときの、乾いた回転音。


アークは外套の襟を立て、表通りを避けて歩いた。

帽子を深く被り、灯りの下を通らない。

公爵としての顔は便利だ。便利な顔は、すぐ紙になる。


都の入口は、門じゃない。

門の前に「列」がある。

列を通す札があり、札に押す印がある。


その列の外側で、別の列も育っている。

通報の列。疑いの列。狩りの列。


狩りは剣じゃない。

声と札と、指の向きだ。


アークは足を止めず、港で見た紙片を思い出す。

欄外の黒点。樽の番号。運び先の記号。

あれは「荷」の話に見える。


だが、この国は荷で人を動かす。

荷が止まれば腹が怒る。腹が怒れば、紙が走る。

紙が走れば、誰かが“犯人”になる。


——荷の印は、人の印だ。


角を曲がった先に、薄い灯りが漏れていた。

夜の店じゃない。開けたままの工房の灯りだ。


窓の内側で、紙が積まれている。

白い紙の束。刷り上がった束。裁断前の束。

そして、床に落ちた黒い粉。


黒い粉は炭じゃない。煤でもない。

指に付くと、落ちにくい粉だ。


紙に付けるための粉。


アークは壁際に寄り、窓の隙間から中を覗いた。


机の上に、細い棒が並んでいる。

先端が丸い。印を押す道具だ。

一本だけ、先が欠けている。


職人がそれを持ち、紙束の角に、同じ動作を繰り返していた。


——角を揃え、粉を一撫でし、点を置く。


黒点は書くんじゃない。

置くんだ。


点を置いた紙束が、別の台に移される。

別の台の札には、運び先の記号が書かれている。


工房の奥へ運ばれた束は、もう戻らない。

戻らない束には、点が多い。


戻る束には、点が少ない。


アークは息を止めた。


黒点は、追跡の印じゃない。

“流す先を固定する”印だ。


あとで誰かが「こうだった」と書くために、

先に「こうする」と決めておく印。


——真実じゃなく、正しさを先に作る仕組み。


背後で、靴音が止まった。


一つ。

気配が軽い。だが油断がない。


声が落ちる。


「……公爵様。夜歩きは趣味じゃないでしょう」


アークは振り向かないまま返す。


「趣味じゃない」

「仕事だ」


軽く笑う息がした。


「なら、もっと似合う歩き方がある」


アークがようやく横目で見ると、男が立っている。

外套は地味。帽子も地味。

地味なのに、姿勢だけが崩れない。


リオだ。


アークは声を落とす。


「ここで名を呼ぶな」


「呼んでませんよ。……あなたが立ち止まるから、声を置いただけです」


言い回しが軽いのに、足元が死んでいない。

現場を知っている歩き方だ。


リオは窓の中を見ずに言った。


「刷り場、当たりですか」


「当たりだ」


リオは肩を竦める。


「都は紙で回す。……分かりやすい国ですね」

「でも、分かりやすいってことは、騙しやすいってことでもある」


アークはリオを見る。


「お前、なぜここにいる」


リオは嘘をつかない顔で言った。


「あなたが都へ入るって、分かってたから」

「止めるためじゃない。……止めたらあなたがあなたじゃなくなる」


言葉が余計に刺さる。刺さるから、嘘じゃない。


アークは短く言う。


「見張りか」


リオは否定しない。代わりに、少しだけ笑う。


「見張りなら、もっと近くで見ます」

「距離を取るのは、あなたが壊れないようにする時だけです」


その言い方が、好かれるやつの言い方だった。

正しいことを言っているのに、説教にならない。


アークは窓の内側へ視線を戻す。


「黒点は、束の行き先を決める印だ」

「運び先の記号と、必ず組になってる」


リオが頷く。


「点が多い束ほど、戻らない。……つまり“戻れない話”になる」


アークは目を細めた。


「話?」


リオは指で、自分の喉元を軽く叩く。


「噂、号外、掲示。どれも“束”で動く」

「束が都へ行くのか、港へ行くのか、広場へ行くのか——それを決める」


アークは低く言う。


「人も同じか」


リオの目が一瞬だけ鋭くなる。

軽さが消える一瞬。そこが好きになられる理由だ。


「……ええ」

「荷の束を動かせるなら、人の名簿も動かせる」


アークの胸の奥が冷えた。


名簿。

名前の束。

誰がどこに属しているか。誰がどこから消えたか。


——セレナ。


アークは歩き出す。

窓の工房を背に、裏通りのさらに奥へ。


リオが並ぶ。


「名簿を見に行くなら、入口は一つです」


「役所か」


「役所“だけ”じゃない」

「名簿の写しを握ってるのは、役所の奥。……帳簿庫です」


アークは言葉を削る。


「そこへ入れるのか」


リオは肩を竦める。


「入れますよ。私は都の人間ですから」

「ただし、正面からは無理です。正面から行ったら、あなたは紙になります」


アークは鼻で笑う。


「もう紙だろ」


リオは即答する。


「まだです」

「紙になるのは、誰かがあなたの名を“書けた”時だけです」


その言葉が、港の男と同じ匂いをしている。

現場が覚えている真理だ。


曲がり角に、巡回が二人立っていた。

灯りの下で札を見ている。

札の角を、指で撫でている。


黒い粉が、指に付く。


——通した順番を残す確認。


リオはアークの袖を、ほんの少しだけ引いた。

引く力が強くない。だから従える。


「ここ、通らない」


「なぜ」


リオは笑わずに言った。


「あなたの外套。港の油が残ってる」

「灯りの下を通ると、粉が付きます。粉が付いたら、次の札で拾われる」


拾われる。

紙になる前に、札で拾われる。


リオはただの護衛じゃない。

狩りの手順を、逆算して潰す人間だ。


アークは言う。


「……お前、嫌われないな」


リオは軽く返す。


「嫌われる前に、こちらから笑います」

「笑ってる間に、仕事を終わらせる」


その言い方が、妙に頼もしい。


二人は巡回の裏を抜け、狭い路地へ入った。

壁に貼られた紙が一枚、半分剥がれている。

剥がれた下から、古い紙が覗く。


古い紙のほうが、字が乱れている。

乱れているほうが、本当が混じる。


アークは立ち止まり、古い紙の一行を読んだ。


——名簿改定 対象者 港湾関係


リオが小さく舌打ちした。


「……来ましたね」


アークが問う。


「何が」


リオは声を落とす。


「港から都へ“狩り”を持ち込む準備です」

「名簿を先にいじれば、捕まえた相手を“最初から怪しい”にできます」


最初から怪しい。

最初から悪い。

最初から逃げた。


その言葉は、セレナを消した時と同じ匂いがする。


アークは一歩、前へ出る。


「帳簿庫へ行く」


リオが頷く。


「行きましょう」

「ただし、公爵様——」


「俺だ」


リオは笑う。


「……俺。いいですね」

「では、俺に合わせてください。今夜は、あなたが“見えない側”に回る夜です」


アークは息を吐く。


見えない側。

白仮面の側。


だが、まだ仮面は被らない。

被るのは、名簿の奥を見てからだ。


アークは言った。


「名簿の奥に、答えがある」


リオは先に歩き出す。

足音が静かだ。静かだから、都の夜に溶ける。


「ありますよ」

「答えがある場所は、いつだって“鍵”が先に掛かってます」


二人は灯りを避け、帳簿庫のある通りへ消えた。


都のどこかで、刷り場の回転が止まらない。

黒点は今夜も置かれ、束は流れ、正しさが配られる。


真実は、まだ来ない。


だから先に——名簿の奥へ行く。

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