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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ


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行き先のない札のつづき



牢の匂いは、冷たい。


湿った石と鉄と古い布。昼も夜も同じ匂いがする。外の鐘が鳴っても、耳に残るのは反響だけで、時間の形が削れていく。


俺は壁にもたれ、息を整えた。


手首の縄は、もう外されている。だが自由になったわけじゃない。縄がないぶん、ここでは言葉が縄になる。


鉄格子の向こうで足音が止まった。


腕章の男が現れる。あの現場で命令書を掲げた男だ。笑っていない目。紙を持つ手が綺麗すぎる。汚れる仕事を人に回す手だ。


「……落ち着いたか」


俺は答えない。


答えさせた時点で勝ちだと、こいつは知っている。


男は淡々と続けた。


「君は賢い。だが、賢さは時に民を殺す」


「民を殺すのは、号外だ」


自分でも驚くほど声が平らだった。


男は眉ひとつ動かさない。


「掲示がなければ、騒ぎは一晩で暴動になる」


「掲示があれば、狩りが始まる」


男の目が一瞬だけ揺れた。痛いところに触れたからだ。こいつの言う“秩序”は嘘じゃない。嘘じゃないから厄介だ。


男は鉄格子に近づき、鍵束を鳴らさずに回した。


「君の身元は、こちらで把握している」


名乗らなかったのに把握している。最初から知っていた。知っていて“名乗れ”と言った。


試したのだ。


「公爵殿」


男は俺を“公爵”と呼んだ。ここを政治にしたいんだ。政治にすれば、紙が書きやすい。


俺は返さない。返した瞬間、ここで守るべきものが増える。


男は言葉を変えた。


「君をこのまま外へ出せば、今夜、街は君の名を掴む」

「君の名が掴まれた瞬間、石が飛ぶ」


「掴ませたいんだろ」


男は答えない。答えないことが肯定だ。


沈黙の中で、廊下の向こうから声が聞こえた。役人が文を読む声だ。紙を読む声は、いつも淡々としている。


「——流通監督官セレナ・フォルス、職務上の不正の疑いにより一時保護……」


“保護”。


耳に優しい言葉だ。優しい言葉は、だいたい刃を隠す。


俺は息を止めた。


男が言う。


「君の連れだ。彼女は賢い。だから保護する」


「……どこへ連れて行った」


俺が問うと、男は答えない。


答えないことが答えだ。


セレナの名前は紙に残る。

噂の中にも残る。

だが、“いまどこにいるか”を誰も口にしない。


男は穏やかな声で言った。


「消した? 守っただけだ」


「守るって言葉で、縛るのか」


男は首を傾げた。理解できないふりが上手い。


「公爵が暴れれば、民が死ぬ」


「民を殺すのは号外だ」


俺はもう一度言った。


男は淡々と返す。


「相手が必要なんだ。怒りの行き場がなければ、民は互いを殴り合う」

「だから、相手を用意する。暴動よりマシだ」


暴動よりマシ。

その“マシ”の中で、誰かが消える。


男は踵を返し、去り際に言った。


「——彼女は君のために動いた。だから君も君のために動け」


ずるい言い方だ。

こちらの胸を、正しい言葉で殴る。


足音が遠ざかる。


残ったのは、インクの匂いだけだ。


「保護」

「不正」

「内通」

「協力者」


この牢の外で、見出しが作られている。街では号外が走っている。誰かが叫び、誰かが信じ、誰かが石を拾う。


セレナは“悪”になる。


善悪が決まると、人は楽になる。楽になると、裁きたくなる。


俺は目を閉じた。


ここで俺が公爵として怒鳴れば、扉は開くかもしれない。

だがその瞬間、紙はこう書く。


“公爵が庇った”

“繋がっている”


疑いは正義を呼ぶ。正義は石を呼ぶ。

石が飛べば、最初に潰れるのはセレナだ。


“保護”の名で隠されている間は、まだ生きている。

表に出た瞬間、民の正義が届く。


救うために動けば、殺す。


この国は、そういうふうにできている。


鉄格子の外で、軽い足音が止まった。


兵じゃない。役人でもない。衣擦れが、少しだけ柔らかい。


「アーク」


名を呼ぶ声がした。


聞き慣れてはいない。だが俺の名を呼べる声だ。敬意と焦りが同じ呼吸に混ざっている。


「……誰だ」


女が一歩近づいた。暗い廊下でも目が強い。


「ミラです」


短い名乗り方だ。余計な言い訳がない。


「セレナの」


「はい。部下です」


ミラは懐から紙を一枚出した。掲示板から剥がしてきた紙だ。角が湿って、指の跡が残っている。端に赤い印が押されている。


「これを……見てください」


ミラは鉄格子の隙間から紙を差し入れた。


俺は受け取らず、目だけで読む。受け取った瞬間、それは俺の“持ち物”になる。持ち物は証拠になる。証拠は首輪になる。


——流通監督官セレナ・フォルス

 職務上の不正の疑いにより一時保護


その下にあるはずの行がない。


どこへ。

誰の預かりで。

いつまで。


行き先が書いてない。


「……やっぱり書いてない」


俺が言うと、ミラが唇を噛んだ。


「印つきで、中央広場に貼られていました」

「……あれが出たら、町は一晩で決めます。セレナを“悪”に」


俺は息を吐いた。


「連れて行った先は」


ミラは首を横に振る。


「誰も言いません。……言えないんだと思います」


一拍置いて、ミラが声を落とした。


「宰相府の腕章が、セレナだけを連れて行ったのを見た人がいます」

「現場の整備士です」


「名前は」


「言えません。今出したら、吊し上げられる」


紙より先に、人が死ぬ。


俺はミラを見た。


「……お前は、ここまで来て何をしに来た」


ミラは迷わず言った。


「あなたに折れてほしくないからです」


救ってくださいでも、復讐してくださいでもない。

折れるな、だ。


俺は低く言った。


「——頼む。二つだけ託す」


ミラが息を呑む。


「ひとつ。『セレナは逃げたんじゃない』」

「もうひとつ。『行き先が書けないのは、守ってるんじゃなく隠してる』」


俺は釘を刺す。


「大声で言うな。号外に食われる」

「現場の口から、少しずつでいい」


ミラが頷く。


俺は続けた。


「ミラ。現場を守れ」

「現場の手を守れ」

「証言は武器だ。武器は、持ち主ごと折られる」


ミラの喉が小さく鳴った。理解した音だ。


「わかりました」


俺は一息置いて、声を殺して言った。


「……屋敷に戻る。やることがある」


ミラが僅かに眉を動かす。


「屋敷に?」


俺は答えない。


答えれば、紙になる。


「誰にも言うな」

「……お前は現場だけを守れ」


命令じゃない。託す言い方だ。


ミラは一度だけ頷いた。


「はい」


ミラの足音が遠ざかる。


牢の中に、また冷たい匂いだけが残る。


俺は壁にもたれ、胸の奥を握り締めた。


——まだ、終わらせない。

紙より先に、手を伸ばす。


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