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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ


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18.消えない線



夜が深くなるほど、街は静かになる。


静かになるのに、紙だけは増える。

貼られた札は風で鳴らず、代わりに人の口が鳴る。

「見た」「聞いた」「あいつだ」

言葉が先に走って、誰かの顔を作る。


白い面は、さっきの刷り場から二つ角を曲がったところで足を止めた。


追手の足音はない。

だが、追われない夜ほど危ない。

追われないのは、道が塞がれているからだ。


白い面は壁に背を預け、息を整える。

走ってはいない。だが胸の奥が熱い。

熱さを見せれば、紙にされる。

だから、熱さは仮面の裏で殺す。


路地の奥から、馬の蹄が近づいてきた。


一頭。

荷馬車ではない。

荷の音がしない。護衛の数も少ない。


通るのは役所の馬だ。


白い面は暗がりのまま、目だけで追った。

馬の脇に腕章が見える。

さっきの男とは別の腕章。だが歩幅が同じだ。

同じ組織の歩き方。


馬が止まったのは、掲示板の前だった。


灯りの下で、男が一枚の紙を取り出す。

貼られた紙を剥がすのではない。

最初から手に持っている紙だ。


——刷られた直後の、まだ温度のある紙。


男は釘で打ちつける。


「通報せよ」

「協力者を見つけろ」

「報奨金」


同じ文。

同じ行の切り方。


白い面は唇を動かさずに思う。


(紙は、貼られる前に決まっている)


男が振り向いた。

灯りの外へ視線が伸びる。

気配を探している目だ。


白い面は動かない。

影の中で、呼吸だけを薄くする。


男は何も見つけられず、馬へ戻った。


馬が去る。

蹄の音が遠ざかる。


白い面は、数を数えた。

三十。

四十。

五十。


音が消えたところで、掲示板へ近づく。


近づく前に、左右を見る。

見張りがいないことを確認する。

見張りがいないのは、必要がないからだ。

貼った瞬間から、民が見張る。


白い面は掲示板の紙を見た。


紙の右下。

小さな印。

役所の印ではない。新聞社の印でもない。

文字でもない、単なる凹み。


針で押したような窪み。


——印の窪み。


白い面の指先が止まる。


触れない。

触れれば、油がつく。

油がつけば、証拠が消える。


白い面は、腰の内側から薄い布を出した。

手拭いではない。繊維が細い。

印を残さない布だ。


布越しに、紙の端をつまむ。

引っ張らない。破れば、騒ぎになる。

ただ、端を持ち上げて、裏を覗く。


裏に、同じ窪みがある。


表と裏。

同じ場所。

同じ深さ。


機械じゃない。

手で押している。


白い面は、布を畳んだ。

紙はそのまま戻す。

剥がさない。剥がせば、空白が生まれる。

空白はすぐ埋まる。もっと強い紙で。


必要なのは、剥がすことではない。


——“線”を残すことだ。


白い面は、掲示板の木枠の角へ目をやった。


そこに、小さな汚れがある。

黒い点。

煤だ。


刷り場の煤と同じ匂い。


白い面は、布の端でその煤をそっとこすり取った。

布に黒が移る。

黒は、消えない種類の黒だ。


これがあれば、刷り場が一つに繋がる。


紙と煤は、同じ場所から出る。


白い面は布を懐へ戻し、路地へ引いた。


戻る途中、遠くで声が上がる。


「通報だ!」

「そいつが協力者だ!」


白い面は振り向かない。


振り向けば、声が自分を捕まえる。


声に捕まったら、紙が追いつく。


白い面は影の中を歩いた。

足音を消すためにではない。

足音を消したところで、紙は走る。


目的は一つ。


——この夜の“手”を、誰かに渡す。


屋敷へ戻る道は、わざと遠回りにした。

尾を引くためじゃない。

尾を引いていないか確かめるためだ。


石畳の角。

水たまりの縁。

暗い窓の反射。


どれにも、自分以外の影がない。


白い面は裏口へ回った。


灯りは一つだけ。

二つ並べる合図は、まだ使わない。

使えば、合図が紙になる。


執事が、扉を半分だけ開けた。


「……白い方」


白い面は短く言う。


「中へ」


執事は余計なことを聞かない。

聞けば、答えが紙になるのを知っている。


白い面は更衣の部屋へ入ると、仮面を外した。


息が戻る。

戻ると同時に、胸の奥が痛む。


俺は布を机の上に置いた。

布の端に、黒い点。

煤の匂い。


リオが扉の近くに立っている。

視線は机の上に落ち、すぐ俺へ戻る。


「……それは」


俺は答えない。

答えれば、説明が紙になる。


代わりに言った。


「印の窪みがあった」

「貼り紙の紙に、針で押した跡がある」


リオの眉が僅かに動く。


「誰でも押せます」


「誰でも押せるものは、誰でも罪にできる」


俺は言い切った。


「だから、押した“手”を追う」


俺は布を折り、封筒に入れる。

封筒は白い。だが綺麗すぎない紙だ。

役所の紙じゃない。新聞社の紙でもない。


封筒の口を閉じる。

糊は使わない。糊は匂いが残る。

細い糸で、軽く縛る。


糸の結び目は、ひとつ。

ほどけやすい結び目。

受け取った人間が、急いで開けられる結び目。


俺は執事を見た。


「これを、ミラに渡せ」


執事が瞬きを一つする。

驚きじゃない。

覚悟を決める瞬きだ。


「……承知しました」


俺は釘を刺す。


「直接渡すな」

「屋敷へ来させるな」

「渡す場所は、街の掲示板の裏……灯りの切れ目だ」


執事が頷く。


「時間は」


俺は答えた。


「夜明け前」

「紙が一番薄い時間だ」


執事が一礼して去る。


俺は椅子に腰を下ろし、額に手を当てた。


疲れが来る。

疲れが来たら、“俺”が出る。


俺はその“俺”を押し戻す。


この国で生き残るのは、強い正義じゃない。


——遅れて来る真実のために、消えない線を残す者だ。


扉の向こうで、リオが小さく言った。


「……閣下」


俺は顔を上げない。


「言うな」


「はい」


リオの返事が短い。

短い返事は、紙になりにくい。


俺はようやく息を吐いた。


明日の紙を、少しでも弱くするために。

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