第36話:ハル!それ言っちゃダメなやつ
「と、とりあえず……エルフの森を抜けて、ドワーフの街に行こうか」
一歩踏み出すツトムの足取りには、不安と恐怖しかなかった。エルフの森の結界よりも、これから馬車の中で巻き起こるであろう「女の戦い」という名の結界の方が、遥かに恐ろしかった。
「やっぱりこうなったか……」
ツトムの不吉な予感が外れたことは、もはや一度もなかった。 馬車の狭い空間で、ルカ、アイリス、グライザの3人が、新入りのハルに対して一斉に詰め寄る。
「ねえ、なんでここにいるの!?」
「ハル殿! 族長としての重大な業務があるのではないのか?」
「族長が勝手に森を離れたら、示しがつかないだろ?」
だが、ハルはどこ吹く風で、艶やかな笑顔を絶やさない。
「おんや、騒々しいことでありんすねぇ。わっちはもう、ツトムが好きでありんす。一刻たりとも離れたくないんでありんす……。それに昨日の夜も、ずーっとツトムの隣で、一緒に寝た仲でありんすから」
その瞬間、ツトムは絶望に打ちひしがれ、両手で顔を覆った。
「あー……もうダメだ……」
「「「ツーーーートーーーーーーーーーム!!!!」」」
3人の怒号が馬車を揺らした。
「事実なのね!? ツトム、それが事実ということでいいのね!?」
ルカの両手からは、いまにも馬車ごと消し飛ばしかねない最大火力の雷魔法がパチパチと噴き出している。
「昨日の夜、隣で寝ていたとはどういうことか、ツトム殿! 『愛するアイリス』と呼んだ私を差し置いて、そのような不埒なことが許されると思っているのか!」
アイリスは、もはや騎士の威厳をかなぐり捨て、鬼のような形相でツトムを睨みつける。 一方、グライザは諦めを含んだ冷たい視線をツトムに向けた。
「……やはりな。変な胸騒ぎがしたんだ。それでも、一晩一緒に寝ちまうとは……ツトム、お前、自分が何をしたかわかってんだろうな?」
クールに、だが心の底から怒っているのが伝わるグライザの言葉が、一番ツトムの胸に突き刺さる。
「は、ははは……。と、とりあえず、まずはドワーフの街に帰ろう……な?」
ツトムはガチガチと歯の根が合わないほど震える声で、必死に御者に馬車を出させた。 エルフの森の結界は無事に抜けられたが、馬車の中には、魔王軍の攻撃よりも恐ろしい「女の戦い」という名の地獄が、王都に着くまで続くのであった。
ドワーフの街までの帰り道、馬車の中はまさに針のむしろだった。ツトムは四方からの冷視に耐え、ただひたすらに身を小さくしてやり過ごすしかなかった。
「……着いた。ドワーフの街だ」
ツトムの絞り出すような声に、ハルが窓の外を眺めて感嘆の声を漏らす。
「おんや、ここがドワーフの街でありんすか。鉄と煤の匂いが、森とはまるで違いんすねぇ」
相変わらず三人はむすっとしたまま馬車を降りたが、そこに現れた技師長が目を見開いた。
「お、おう勇者殿、おかえり……って、また随分と毛色の違う、艶やかなおなごを連れているな?」
「あ、ああ。こちらはエルフの元族長、ハルさんです」
「ハルでありんす。よろしくおくんなんし」
ハルが小首を傾げてにっこりと微笑んだ瞬間――。 技師長の胸のあたりから、物理的に「ズキャーーーーン!」という衝撃音が聞こえた気がした。
「……な、なんと。こんな美しいおなごを連れて歩けるとは、勇者殿は果報者だ。天国にでもいる気分だろうよ!」
技師長は完全に骨抜きにされ、デレデレと鼻の下を伸ばしている。
「技師長さん、そんなことござりんせん。わっちはただ、ツトムの隣にいたいだけでありんす」
ハルが追い打ちをかけるようにニコッと微笑むと、技師長の顔はもはや真っ赤だ。
「……オヤジ! 何デレデレしてんだ、みっともない!」
グライザの鋭い一喝が飛ぶ。アイリスとルカも、もはや言葉を失うほど「むすっ」とした表情でその光景を睨みつけていた。
「お、おう、悪い悪い。……あー、そういえば勇者殿。折り入って相談があるんだが、この街の近くの畑を、もう少し増やしてはもらえねえか?」
技師長が照れ隠しを兼ねて、真剣な顔で本題を切り出した。




