第35話:ハルとの甘い時間
「楽しんでるようで、よかったでありんす」
ハルはそう微笑むと、隣に座るツトムに熱い体温を預けるようにペタペタと触れ始めた。
「わっちは……ツトムが好きでありんす。わっちのことは、好きにしておくんなんし」
ふわりと、抗いがたい香りに包まれながらハルが抱きついてくる。
いつもなら背後に「冷気」を感じるはずだが、今は3人の規則正しい寝息しか聞こえない。
「ハルさん……」
「ハル、と呼んでおくんなんし」
一瞬にして枯れ果てた森を救い、自分に命を吹き込んでくれたツトムに、ハルは完全にメロメロだった。
「ツトム……お願いでありんす。ずっとこの森にいておくんなんし……」
潤んだ瞳で見つめられ、ツトムの心は激しく揺れた。
(正直、昼間に言われるより、この静寂の中で言われる方が艶やかすぎて……厳しい!)
だが、ツトムはハルの柔らかな肩を優しく押し返し、月明かりの下で儚げに微笑んだ。
「ハル。僕は……魔王のせいで困っている人たちを、飢餓に苦しむ人たちを救わなきゃいけないんだ。だから、一箇所に留まることはできない」
「……っ。ならば、わっちも魔王討伐、一肌脱ぐでありんす!」
「ハル、気持ちは嬉しいよ。でも、この森には君が必要なんだ。せっかく緑が芽吹き始めた今、族長がいなくなったら、また誰かが悲しむことになるかもしれない」
ツトムの眼差しは、ハル個人への愛以上に、この森の未来を、そして世界を見つめていた。
「ツトム……」
ハルは再び瞳を潤ませたが、今度はその顔を少し赤らめ、幸福そうに目を細めた。
「ツトムは……自分の欲望よりも、わっちの森を、そして世界を守ると言い退けた。わっちの誘惑にも屈しない、素晴らしい勇者様でありんすな……。本当に、わっち好みでありんす」
そう言って、ハルはツトムの肩にそっと頭を乗せ、夜が明けるまでその温もりを噛み締めていた。
「……ずっと、ずっと、この時間が終わらなければ、いいんでありんす」
ポツリと、夜の静寂に溶けるような声でハルが呟いた。 その願いは、朝が来れば自分が「族長」に戻り、彼が「勇者」として旅立つことを知っているからこその、儚くも切ない独白だった。
ツトムはその言葉を否定することも、安易な約束をすることもできなかったが、ただ静かに、彼女が眠りにつくまでその肩を貸し続けた。
やがて東の空が白み始めると、足元で眠っていた3人が「ううーん……」と声を漏らしながら身悶えし始める。 ハルは名残惜しそうにツトムの肩から離れると、いつもの「族長」としての艶やかな微笑みを浮かべた。
「おんや。主の仲間たちが、お目覚めのようでありんすな」
「とりあえず、ドワーフの街に馬車を返して、そのまま王都へ向かおう」
ツトムの提案に、アイリスが不安げに眉を寄せた。
「だがツトム殿、あの迷いの森だ。案内人がいなければ、また同じ場所をグルグル回ることになるのではないだろうか?」
「そうだな。ハルに頼んで、誰か道に詳しい案内役をつけてもらおう」
ツトムはハルのもとへ向かい、事情を説明した。
「ハル、エルフの森の結界を抜けるために、案内役を一人貸してくれないか?」
「それならば、わっちがその役を引き受けるでありんす」
「えっ? いや、族長の君がそんなに長く森を離れても大丈夫なのか?」
ツトムの心配に対し、ハルは花の咲くような眩しい笑顔を向けた。
「案ずることはありんせん。わっちは、たった今……族長を辞めてきたのでありんす!」
「……は?」
「以前わっちのところに案内をした義理の妹を、わっちの代わりに新しい族長に据えてきんした。これでわっちは自由の身。主と一緒に、魔王討伐へ行けるのでありんす!」
あまりにも潔すぎる、というか、あまりにも極端なハルの決断に、ツトムは言葉を失った。
「そ、そういう感じで大丈夫なものなのか……?」
「大丈夫でありんす! さあツトム、これからもずっと一緒でありんすね!」
ハルの屈託のない、それでいて逃げ場を許さない満面の笑みを前に、ツトムの脳裏には「あの3人」の般若のような形相が浮かんでいた。
(困った……。3人がどんな反応をするか、想像しただけで胃が痛い……)




