第17話:王都に着くまでのリハーサル
「ルカ、これは最も低コストで確実な防衛策だ。感情的になるな」
「感情的にもなるわよ! バカ社長!」
こうして、王都サイラスへの道は、外敵である将軍だけでなく、社内(パーティ内)の激しい不協和音を孕んだまま、波乱の幕開けを迎えた。
キャンプの夜、焚き火の火が小さくなり始めた頃。アイリスがモジモジと僕の隣に歩み寄ってきた。その頬は、焚き火の熱のせいだけとは思えないほど赤く染まっている。
「……あの、ツトム殿。さっきの『許嫁』という話だが……」
「ああ、リスクヘッジのための戦略のことか。何か不備でもあったか?」
僕が手帳から目を上げて問い返すと、アイリスは視線を泳がせながら、蚊の鳴くような声で言った。
「その……王都に入れば、アレハンドラ将軍の配下だけでなく、かつての同僚たちにも会うだろう。その時に……不自然な態度を取って怪しまれては、ツトム殿の計画に支障が出るのではないかと……」
「ふむ、確かに。情報の整合性が取れなければ、偽装工作は見破られるな」
「だ、だろう!? だから、その……練習しておかなくていいのか? その、恋仲であるかのような……振る舞いというか、言葉遣いというか……」
最後の方は消え入るような声だったが、僕は「なるほど、リハーサル(事前確認)は重要だ」と深く頷いた。
「いい提案だ、アイリス。では、呼び方から変えてみるか? 『ツトム殿』ではなく、もっと親密な……」
「――なんなのよ! あのバカ社長!!」
少し離れた場所で、毛布にくるまったルカが、地獄の底から響くような声でボソッと呟いた。その背中からは、どす黒いオーラが立ち上っている。
「何してるか分かってるの!? 許嫁なんて……本当、ありえないんだから。……私が、私がすぐ隣にいるっていうのに……!」
ルカの呟きは次第に呪詛のようになり、近くで寝ようとしていたグライザが「……あー、こりゃ面倒なことになったな」と耳を塞いで寝返りを打った。
「ルカ? 何か言ったか?」
「別にぃ! 何でもないわよ! 明日は早いんだから、さっさとその『バカげた訓練』終わらせなさいよね! ふんっ!」
ルカは毛布を頭まですっぽりと被り、激しく芋虫のように転がっていった。 僕は首を傾げつつ、目の前で期待と不安が入り混じった瞳で見つめてくるアイリスに向き直った。
「よし、アイリス。まずは……呼び方だ。『ツトム』でいい。あと、敬語も禁止だ。これは業務命令だ、いいな?」
「つ、ツト……ツトム……。……はい、ツト……む、くん……?」
(……このシミュレーション、予想以上に工数がかかりそうだな)
僕は、アイリスのあまりの初々しさに、今回の「偽装婚約」という戦略が持つ別の意味での危うさを、ようやく自覚し始めていた。
ルカの仕返しが始まった。
「いい、ツトム。私も練習が必要だと思うの。だから……」
ルカは獲物を見つけたような笑みを浮かべ、ツトムの耳元でとんでもない設定を囁いた。
「ツトムの『秘書兼、愛人』。これで行きましょう」
「はぁ!? おい、ルカ! 何を言って……愛人!? せめて秘書だろ!!」
「ダメよ、ただの秘書じゃ怪しまれるわ。そこに『禁断の愛』というスパイスがあってこそ、真実味が増すのよ」
楽しげにクスクスと笑うルカに、ツトムは顔を引きつらせる。
ルカの仕返しは、巧妙かつ陰湿(?)に進んでいた。
「いい、ツトム? 王都の男はね、婚約者をエスコートする時に『周囲が砂糖を吐くほど』甘い言葉と態度を見せるものなの。
それができて初めて、私みたいな愛人がいても許されるんだから」
「……そんなもんか? よし、やってやるよ」
ルカの吹き込んだ「嘘の王都常識」を、ツトムは真剣な面持ちで信じ込んでしまった。




