【閑話:ずっと目をそらし忘れていたこと】
その部屋には窓がなかった。
息苦しく見せない気遣いがあちこちにあった。
間取りの取り方、奥行きのある飾り窓風の陰影。
それらを深い緋色のカーテンが飾る。
天井にも二段の奥行きを描いてある。
広さを感じさせる工夫だ。
薄暗い照明にはかすかにアンバーの色が混じり、肌の輪郭をやわらかく照らす。
クラシカルな長机の中央には、三叉のキャンドルスタンドがいくつか並ぶ。
白い蝋の光りが小さく揺れ、今どき珍しい本物の炎が、空気をゆらめかせている。
壁際にもいくつか明るい光が間接照明され、ちょろちょろと水音を伴い水面を使った反射を天井に写している。
部屋全体をみれば薄闇の世界が、テーブルにつく麗人を明るく浮かび上がらせる。
「お久しぶりですレギオトゥニス様‥‥お懐かしく存じますわ‥‥」
やわらかなアルトの声を発するは、焦げ茶の飾り椅子に上品に腰かけた、赤いドレスの婦人。
大胆なカットのナイトドレスには飾り気が少ない。
裾に丁寧な陰影をドレープが描いているだけで、たおやかに美しいシルエットを成す。
胸元や裾に同色の赤いレースがわずかに肌色を透かし、上品な艶を見せた。
首に添える銀のチェーンには大粒のエメラルドが一つ。
それは美しい婦人の瞳を真似るかのよう。
瞳が主題なのだ。
その一つで王都に豪邸が建つだろうと想像できた。
それらの纏う豪華もただの添え物とみせるほどの、整った顔を豪華な黄金が縁取る。
綺麗に編み込まれ高々と結い上げた髪は、純金のきらめきを白磁に添える。
唇の赤は、ドレスの赤より鮮烈に男の目を焼くであろう。
「アウレリア姫‥‥」
男の表情は暗闇に沈み、瞳を半分しか見せない。
すっとアウレリアも視線を伏せ瞳を半分隠した。
「姫はおやめになって‥‥今はただの女‥‥」
ほんのりと頬が赤いのは薄く引かれた頬紅か、血の流れが染めるはじらいか。
いずれにせよ、この美しさと艶めきに抗える男はいるまい。
「ただ貴方を待つだけの女ですわ‥‥レギオトゥニス様‥‥」
静かに時間が流れていく。
蝋のもえるかすかな音と、流れる水がかさねる響き。
「おゆるしを‥‥お心にお答えすることはできかねます‥‥」
ちらりと光るワイングラスも赤い水面を動かすことはなく、ただ揺らめく炎だけが影を震わせる。
伏せられたアウレリアの瞳にしっとりとした赤が交じる。
柔らかく下る潤んだ目尻から、そっと一筋だけ雫が流れ落ちた。
ただ時間だけが流れていくのに、何一つそこから得るものはない。
ただ失っていくのだった。
時間も温度も‥‥
アウレリアがしばらくの後に退出し、そこにはレギオトゥニスだけが不動のまま残された。
ちらりとキャンドルを見る瞳は冷徹なアイスブルー。
(長さが変わらない‥‥)
かなりの時間ここに在しているのに、揺らめく炎は蝋を喰らわない。
この部屋は時間を止めたように同じループを繰り返しているのだ。
太古に失われた魔導技術による、保存の魔法がかかっている。
レギオトゥニスもその技術はよく知っている。
当時自分でも開発・改良にあけくれた技術なのだから。
アウレリアは当時を懐かしみ、ここに再現したのであろう。
蜜月の過去を思い出してと‥‥
正面にむいた瞳が細められ、少しだけ柔らかな笑みが浮かぶ。
少女のようなアウレリアのその想いを受け取ってしまったのだ。
(貴女こそなにも変わらないのだな‥‥アウレリア姫)
外見ではなく心の保存に感動を覚えたのだ。
己の変わり果てた心と比して。
長い年月の彼方に描いた甘やかな時間が蘇る。
控えめな笑みが上品に添えられたアウレリアが思い描かれる。
それは色褪せること無くレギオトゥニスの中に仕舞われていた。
自分でも驚くほどの鮮明さで。




