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わたしをやめる日  作者: Y.N
役に立たない感情
7/32

図書室にて再び

 放課後の図書室。

 誰もいない一番奥の棚の隅、光の届かない静かな場所。


 澪は、開いたままの本を見つめていた。

 けれど、目は文字を追っていなかった。


 


 ページの上で指をすべらせながら、澪は考えていた。


 この数日で、“わたし”は確かに誰かの中で形を変えている。

 凛子の中で。クラスメートの中で。

 それは、たぶん“助けた”結果なのだ。


 


 けれどそのぶん、“本当のわたし”が失われていく感覚は、確かに存在していた。


 


「ねえ、澪」


 名前を呼ばれて振り向くと、そこには柚月がいた。


 まるで自然に、そこにいたかのように立っていた。


 


「あなた、少しずつ変わってきたね」


「……何が変わったの?」


「周囲が、あなたのことを“過去からそこにいた人”として扱いはじめてる」


 


 柚月はゆっくりと隣の椅子に腰を下ろす。

 机の上にある澪の本に、そっと目をやった。


「それが“零識”の作用。

 あなたが誰かを“救った”とき、その人の内側の物語が変わる。

 そして、その変化が周囲に“波紋”として広がる」


 


「……どうして、他の人まで?」


「記憶って、個人のものだけど、つながってるの。

 一緒に過ごした人、会話した人、記憶の中で共有されていたこと。

 それがほんの少しずつ塗り直されていく。

 でも、最初のうちは曖昧だから、“そうだった気がする”って程度で済むのよ」


 


「じゃあ、わたしが力を使い続けたら……?」


「“灯凪澪”は、誰の中でも形を変えていく。

 そのうち、“あなた自身があなたであった証拠”が、世界からなくなる」


 


 澪は、本を閉じた。

 指先に残る紙のざらつきが、かすかな現実だった。


 


「……歪者って、何なの?」


「痛み。言葉にならなかった感情の末路。

 それが溜まり続けると、心に空洞が生まれる。

 その空洞が、やがて他人の感情を受け入れられなくなる」


「それが、EBS……?」


「感情空白化症候群。周囲とつながれなくなった人は、

 最後には、自分の内側に“歪者”を宿す。

 あなたが見たあの影は、凛子の中にいた未処理の記憶よ」


 


「……あれを消すには、わたしが代わりに“記憶の中に入る”しかない」


「そう。あなたが“その人の記憶の一部”になれば、

 その痛みは、少なくとも外に出てこなくなる。

 けれど代償として、あなたという“実在”は、ひとつずつ削られていく」


 


 澪は視線を落としたまま、呟いた。


「わたしが選んだこと、間違ってたのかな」


「いいえ」


 柚月ははっきりと首を振った。


「それは“正しい”こと。

 でも、“正しさ”は時々、誰かを壊すこともある。

 あなたのような人に、それを言うのは酷だけど――

 だから、選ぶときは慎重になって」


 


 図書室の外から、小さく鐘の音が聞こえた。

 澪は、ゆっくりと息を吸い込んだ。


 


 ――救いたいと思った。

 でも、それがいつしか「わたしがそうありたいから」になっていないだろうか。


 


 柚月が立ち上がる。


「わたしは嘘はつかない。でも、全部は言わない。

 そのかわり、あなたが迷ったときには来る。必ず」


 


 そう言い残して、彼女はまた、静かに消えていった。


 


 図書室に残されたページの上、

 澪の名前が書かれた貸出カードが、風でひらりとめくれた。


 その文字だけが、まだ“ほんとうの自分”を証明している気がした。

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