白昼夢の教室
午後の授業の終わり。
チャイムが鳴ると同時に、教室にざわめきが広がった。
筆箱を閉じる音、椅子を引く音、他愛のない会話――
それらすべてが、いつもの日常のはずだった。
「ねえねえ、澪ちゃんって前の体育祭、リレー出てたよね?」
突然話しかけられて、澪は顔を上げた。
声をかけてきた女子は、笑顔で首をかしげている。
「えっと……たぶん。出た……のかな?」
「ほら、凛子と一緒にアンカーやってたじゃん。なんか、印象に残ってて」
「……そっか」
思い出せない。
というより、そんな記憶――ない。
けれど、相手の笑顔には“疑い”がなかった。
まるで、それが当然のような顔。
澪は、ちらりと黒板の隅を見た。
誰かのいたずら書きが残っていて、その中に“灯凪澪”の名前があった。
隣には、猫の落書き。
最近描いた記憶はない。けれど、それを見たクラスメートは「また澪ちゃんでしょー」と笑っている。
澪は、胸の中が少しずつざらついていくのを感じていた。
――みんなは、わたしを知っている。
でも、“いつのわたし”を知っているんだろう。
机の引き出しの中から、古びたプリントが出てきた。
名前欄には“灯凪澪”と自分の筆跡が残っている。
けれど、問題に書かれた答えは、自分の記憶とは一致していなかった。
わたしが、わたしである証拠。
それらが、誰かの記憶の中で書き換えられはじめている。
それに気づいているのは、教室の中で、きっと――わたしひとり。
教室のざわめきが、急に遠く感じた。
名前を呼ばれても、それが“自分の名前”だと理解するまでに、少し時間がかかる。
“わたし”は、まだここにいるはずなのに。
なぜだろう。透明なガラスの外側から、教室を見ているような気がする。