最終話:意味の無いポエム
春の教室。
新しい年度の始まり。
机の配置が変わり、窓際の席には見慣れない名前の札が置かれていた。
希結は静かに自分の席に座って、窓の外を眺めた。
桜の花びらが風に乗って、ゆっくりと舞っている。
隣の席を見た。
そこには誰も座っていなかった。
けれど――胸が少しだけきゅっとなった。
理由はわからない。
ただ、**“そこに誰かがいた気がする”**という、感覚だけが残っていた。
名前も、顔も、声も、思い出せない。
でも、思い出せないこと自体が、悲しかった。
(なんでこんなに……寂しいんだろう)
ふと、ノートを開く。
何の気なしに書きかけたページの隅に、
自分でも知らない文字が小さく書かれていた。
灯凪澪
その文字を見た瞬間、胸が強く脈打った。
誰? それは誰?
知らない名前。
でも、どうしようもなく、懐かしい。
あたしは――
その名前を、呼んだことがあったような気がする。
笑ったような。
泣いたような。
手を伸ばしたような。
手を握り返してくれたような。
すべてが曖昧で、輪郭がない。
でも、その“曖昧な誰か”を、どうしても忘れたくなかった。
誰かがそこにいて、
あたしと一緒に、季節を過ごした。
それだけで、いい。
教室の窓が風で揺れて、カーテンがふわりと膨らんだ。
希結はそっと目を閉じた。
風が通り抜けていく。
その中に、誰かの気配があったような気がした。
目を開けると、隣の席はやはり空のままだった。
でも、希結はふっと、微笑んだ。
「……またね」
その言葉に、返事はなかった。
けれど――心のどこかで、微かな笑みが返ってきた気がした。