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わたしをやめる日  作者: Y.N
私をやめる日
30/32

倒れず、溢れず、しかしこぼれる

 淡い光に包まれた空間。

 その真ん中に、ひとつだけ机が置かれていた。

 引き出しのついた、よくある学校の机。

 でも、それは澪の知っているものとは、少しだけ違っていた。


 


 誰かがそこに座っていた。

 制服を着た少女。

 机に肘をついて、ノートを見つめている。


 


「……希結ちゃん?」


 


 そう呼ぶと、少女が顔を上げた。

 けれど、そこにいたのは、今の希結ではなかった。

 少しだけ幼く、どこか拙くて、でも真っ直ぐな目をした――

 **“澪が知っていた希結”**だった。


 


 「あ……」


 


 少女は何かを言いかけたが、すぐに口を閉じた。

 目を細めて澪を見つめる。

 その視線には、迷いも拒絶もなかった。


 


「……まだ、いたんだね」


「……うん。わたし、まだ、いたみたい」


 


 二人の間に、空気が流れる。

 誰もいない世界に、風の音だけが微かに通り過ぎた。


 


「ねえ、澪ちゃん」

 「ずっと聞きたかったんだけど……あんた、何が怖かったの?」


 


 突然の問いだった。

 でも、それはずっと胸の奥に沈んでいたものだった。


 


「――ひとりになるのが怖かった」

 「でも、誰かに忘れられることの方が、もっと怖かった」

 「……だから、どっちも選ばなかった」


 


 希結はしばらく黙っていた。

 そして、ノートを閉じて、静かに言った。


 


「わたしね、澪ちゃんのこと、ずっと覚えてるつもりだったよ。

 でも、無理だった。どんなに頑張っても、少しずつ、何かがこぼれていった」


 


「うん……知ってる。わたしも、わたしのこと忘れそうだったから」


 


 ふたりは、小さく笑った。


 


 あたたかい笑いではなかった。

 悲しい笑いでもない。

 ただ、誰かと分かち合えたという安心だけがあった。


 


「でもね――」

 「わたし、あんたがこの世界で“何を見てたか”だけは、忘れなかった」


 


「……え?」


 


「人の涙とか、怒りとか、醜さとか。そういうのを、あんたはずっと黙って抱えてた。

 みんなが見たくないものを、ちゃんと見てた」


 


 希結の声は、強かった。

 迷いのない、それでいて優しい声だった。


 


「わたし、あんたのこと、そういうふうに見てたよ」


 


 澪の目から、するりと涙がこぼれた。


 


 自分が見ていた世界を、

 誰かがちゃんと見てくれていた――

 それだけで、救われる気がした。


 


「……ありがとう」


 


 その言葉を口にした瞬間、

 澪の輪郭が、ゆっくりとほどけていった。

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