放課後、海へ
日が傾きはじめた頃、凛子の「行こ!」のひとことで、放課後の行き先が決まった。
駅前から少し歩いた先、久間野の海岸は、春にしては人影がまばらだった。
制服姿のまま、澪たちは砂浜を歩いていた。
潮の香り。少しだけ湿った風。遠くでカモメが鳴いている。
「ねえ、澪ちゃん」
凛子が澪の横に並んで、声をかける。砂を蹴るようにして前に出ながら。
「こうやって、放課後にふらっと来るの、すっごくいいと思わない? “今”がちゃんとあるって感じするじゃん」
「“今”……?」
「うん。なんかこう……わたしが、ちゃんと“わたし”でいるなーって、思えるっていうか」
凛子は笑って、両手を広げて風を受けた。
その仕草は、どこか子どもみたいで、でも、なぜか寂しさが混じって見えた。
「澪ちゃんって、そういうの感じるとき、ある?」
「……あると思う。今も、ちょっとだけ」
そう言ったとき、澪の足元に波が触れた。冷たさが、思ったより深く沁みた。
少し遅れて歩いていた蓮と希結が追いつく。
「もう……濡れるでしょ、靴。凛子、はしゃぎすぎ」
希結が小さくため息をついた。だが、本気で怒っているわけではなさそうだった。
蓮は、しゃがんで小さな石を拾うと、静かに投げた。波打ち際に落ちて、軽く跳ねる。
「……ちゃんと音、するんだね」
その言葉に、三人が顔を向けた。
蓮は、空を見上げるようにして、ぽつりと続けた。
「最近、音が遠くなった気がしてたから……よかった」
誰も、返す言葉がなかった。
沈黙のあとで、凛子が無理に明るく笑った。
「んもー! しんみり禁止! さっき買ったアイス、溶けちゃうよ!」
「はしゃいでたの、あなたでしょ……」と希結が苦笑し、蓮は微かに笑った。
そして、澪は、誰にも気づかれないように、手のひらを握りしめた。
夢で聞いた声――“また、選ばなきゃいけないね”という言葉が、胸の奥でくすぶっていた。
だけど、その意味はまだ、わからない。
わからないまま、日は沈んでいった。