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わたしをやめる日  作者: Y.N
わたしの知らないわたしへ
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希結の記録帳

 夜、誰もいない部屋。

 スタンドライトの小さな灯りのもと、希結はノートを開いていた。


 学校の連絡帳でも、日記でもない。

 表紙には何のタイトルもなく、ただ端に小さくこう書かれている。


灯凪澪について


 


 ページをめくると、そこには断片的な言葉が並んでいた。

 その日、澪が言ったこと。食べていたもの。少し笑った顔。手の動き。歩く速さ。


 


澪ちゃん、今日の体育のあと息があがってて、顔がちょっと赤かった。

帰りに蓮たちとクレープ食べてた。

笑ってたけど……あたしの知ってる“あの笑い方”じゃなかった。


 


 希結は、数秒ペンを止めた。

 書く手が重たい。頭の奥が熱い。


 言葉にならない感覚が、ずっと胸にあった。

 うまく説明できない違和感。

 でも、確かに日に日に強くなっていく。


 


 “あの子は、あの子じゃなくなっていってる”


 


 少しずつ、少しずつ、

 今まで知っていた澪から何かが剥がれていって、

 気づいたら、ほんの少しだけ“別人”になっている気がする。


 


 でも――それを言葉にできるはずがなかった。


 澪は、何も変わってない。

 誰に聞いても、きっとそう言う。


 


 けれど希結だけは、知っている。

 澪の笑い方も、言葉の選び方も、

 あたしと話すときの声の調子も――ほんの少しずつ、確かに変わってる。


 


 (このままだと、いつか“あの澪”は完全にいなくなる)

 (誰も気づかないまま、何もなかったように)


 


 希結は、震える手で続きを書き始める。


体育祭のとき、澪ちゃんが靴を履き違えてて、あたしがこっそり指摘した。

澪ちゃんは、ちょっとだけ困った顔をして、「ありがと」って言ってくれた。


 


 それは、今の澪ではなく、あのときの澪の話。

 あたしの中にしかいない澪。


 


 だから、忘れないように書く。

 それが“記録”じゃなくてもいい。

 誰にも見せなくてもいい。


 ただ、自分の中の“あの澪”を守っていたかった。


 


 ノートを閉じ、胸に抱える。

 澪という名前よりも――澪の“中身”が変わってしまうことが、怖かった。


 


 変わらないで。

 消えないで。


 それがどれだけ勝手な願いか分かっていても、

 あたしは、あのときの澪のことを、ちゃんと覚えていたい。


 


 それだけは、誰にも奪われたくなかった。

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