第3話 絶望四重奏
「お客さん、もう閉館時間ですよ」
「……あぁ、すみません。すぐに片付けます」
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
急いで本を本来の場所に戻し、外に出る。
外はすでに暗くなっており、少し肌寒かった。
外で一晩を過ごそうかと思っていたが、流石に風邪を引いてしまいそうだ。
「あれ、お前こんな所で何やってんだ?」
聞き覚えがある声が後ろからした。
振り向くとそこには、アレフが大きな袋を抱えながら立っていた。
「その様子だと、依頼に失敗して金が手に入らず、路頭に迷ってるって感じか」
「あぁ、薬草採取に失敗してな。おかげで違約金払う事になって、金を稼ぐどころかギルドに借金する羽目になった」
「……どうやったら薬草採取の依頼で失敗するんだ……?」
流石に呪いのせいで街の外に出れずキャンセル料を取られたなんて言えない。
アレフは俺の近くに寄ると、眉を顰める。
「お前、なんか匂うぞ。とりあえず俺ん家に来い」
そういえばこの世界に来てから風呂に入っていないもんな。
「いいのか? またお邪魔して。アーミーが嫌がるだろ」
「仕方ないだろ、見捨てるわけにもいかねえし。その代わり、明日、俺の受けている依頼を手伝ってくれ。それでチャラだ」
「依頼? 俺Fランクだけど大丈夫か?」
それ以前に街の外に出られないんだが。
「大丈夫、街の剣術道場で子供達を稽古するだけだ。お前は俺の指示に従ってくれればいい。なーに、軽く準備とかを手伝ってもらうだけだ」
「分かった。お言葉に甘えさせてもらうよ」
ひとまずこれで今日凍え死ぬことは無さそうだ。
ほんとアレフさんマジ感謝です。
◆
「お兄ちゃんおか……え?」
俺の姿を見た途端、アーミーの顔から笑顔が消え、固まる。
「今日こいつ泊まるから、布団三つ用意しといてくれるか?」
「え、待ってよお兄ちゃん!」
何かを言いたさそうにするアーミーを他所に、アレフは鍵を閉めると、袋を抱えて台所へと向かって行った。
「……お兄ちゃんは人が良いから……」
「え?」
「僕は騙されないからな! この畑泥棒め!」
そう吐き捨てると、アーミーは奥の部屋に入っていった。
アーミーの警戒心を解くのは難しそうだ。
どうしたものかと考えていると、アレフが声をかけてくる。
「おーい、そういえばお前、自分の名前は覚えていたのか? ほら、冒険者登録の時必要だっただろ?」
「あぁ、名前だけは覚えてる。そういえばまだアレフには言ってなかったな。エル・タチバナだ」
「じゃあエルって呼ぶぞ。とりあえず俺は飯作ってるから、エルは風呂に入ってこい。ここをまっすぐ進んで、突き当たりを左に行けば風呂場だ」
「何から何まで悪いな」
「その代わり、記憶が戻ったら一杯奢れよ」
「おう、任せてくれ」
果たして、俺の記憶が戻る時は来るのだろうか。
俺は日本にいる時、どんな人間だったのだろう。
家族構成は?
友人関係は?
彼女はいたのか?
……なんとなくいなかった気がする。
なんてことを考えながら俺は風呂場へ向かった。
異世界の風呂はどんな感じなんだろう、と思っていたが、日本と全く同じ感じだった。
浴槽があって、シャワーもある。
電気も通っているし、蛇口をひねればお湯が出る。
もしかしたら俺と同じ日本からの転生者が設計したのかもな。
さて、アレフにさっき匂うって言われたし、全身念入りに洗わないと。
◆
「あー、いい湯だった。着替え、ありがとな」
「おう。ほら、飯出来てるぞ」
「お、美味そう。いただきまーす」
俺は手を合わせながら用意された料理の前に座ると、大きな肉をフォークで刺してかぶりついた。
予想に反して柔らかく、ほのかな酸味と肉汁が口の中に広がる。
そして何かが体の中に流れ、染み込んでいく感覚がした。
「なあアレフ。この肉、なんの肉だ?」
「魔猪の肉だよ。最近、この街の近隣で結構出現するらしくて、安売りしてたからつい多めに買っちまった」
魔猪って多分魔物だよな。
気のせいか、体の調子が良くなった気がする。
魔物の肉には強壮効果でもあるのだろうか。
「そういえばエル。お前って魔力量はどれくらいなんだ? 明日俺の依頼を手伝うだろ? 一応教えてくれ」
「えっ」
道場の子供に剣術を教える依頼だと聞いていたので魔力は必要ないと思っていたのだが……もしかして必要?
「冒険者登録した時に貰ったカードに書いてあっただろ?」
「に……26です」
「……は?」
信じられないと言った表情で俺を見るアレフに、俺は渋々自分の冒険者カードを渡した。
横で聞いていたアーミーも驚いた様子でカードを覗き込む。
苦笑いをしながらカードを見ていたアレフだが、下の黒い焦げ跡の様な模様を見て、「なるほど」と小さく呟きこちらを向くと。
「これ多分測定ミスだな。普通はこんな黒いシミみたいなものは出来ないから、測定用水晶の故障とか、そんな感じだろ」
アレフは空のガラスのコップを持ってくると、机の上に置いた。
「試しにこのコップに水を出して見てくれよ。魔力量26とか、このコップすら満タンに出来ないレベルだぞ」
魔法の使い方は本で読んだ。
ぶっつけ本番で魔法が出せるか不安だが、そんな事よりもこれで測定ミスかそうでないのかが分かってしまうことの方が不安だ。
俺は水がコップの上に生成されるイメージをする。
すると、ビー玉ほどの水の塊が現れ、チョロチョロと重力に従いコップの中に入っていく。
やがて半分ほど水が入ったところで、体が急に倦怠感に襲われた。
風呂上がりの立ちくらみのような感覚。
俺は思わず水の生成を中断し、額を手のひらで抑え、椅子にもたれかかった。
その様子を見てアレフが顔を引き攣らせる。
「え、演技……じゃなさそうだな……」
「畑泥棒のくせに8歳の僕より魔力少ないんだ……」
アーミーのさりげない一言が俺の心を抉った。
てか畑泥棒は関係ないだろ!
アレフは俺に哀れみの目を向けながらポンポンと優しく肩を叩くと。
「魔物の肉には魔力や体力を回復させる効果があるからな、とりあえず食え。あと、明日の依頼だが、お前は横で見てるだけでいいからな」
「……あぁ」
俺は力無く返事をした。
肉を食べた時の不思議な感覚は、どうやら回復効果だったらしい。
記憶喪失、異世界の知識皆無、呪い持ち、魔力量はカス。
絶望四重奏である。
このままじゃ7日後に自分が生き残っているイメージが湧かない。
俺があっさり死んだらゼウスは笑うだろう。
……想像しただけで癪に障るな。
絶対に生き残ってやる。
まずは情報収集が一番大事だ。
明日、依頼の手伝いが終わってから徹底的に取り組むとしよう。
その後、俺はアレフと他愛のない話を少しして床に就いたのだが。
アーミーが終始敵意たっぷりの目線を向けてきていたため、気になってあまり寝れなかった。