決めつけの刃
素晴らしいタイトル(笑)
※ しいな ここみ先生 主催の【純文学ってなんだ? 企画】参加作品です
それは、よかれと思ってのことだったのであろうが。
わたしは、うまれてこのかた。
ありとあらゆることを、決めつけられてきた。
それは、食べるもの、着るものに限らず。
すべての選択において、それこそが、わたしの好むべきものであり、わたしにとってふさわしいものであると。
わたしとて、会ったこともない叔父のせいにしたくはないが。父の兄はそうとう、奔放な人間だったらしい。
彼の両親——わたしの祖父母の敷いたレールにのることを拒み、ふたりから見れば、まるで崖から転落するトロッコのような人生を送ったそうだ。そして、そのトロッコがどこへ行き着いたのか、わたしは知らない。知らないし、だれかに尋ねようとも考えない。
姪っ子に盆正月も顔をあわせる機会をもとうとしないことから、察しておくべきだろう。
だが、兄の生涯をそばで見てきた父と、義兄の半生をはたから見せられてきたのであろう母は、ひとり娘のわたしには同じ轍を踏ませまいとして。
彼らの敷いたレールをはずれることのない、溝の深い車輪を、わたしに履かせようとしたのだ。
それは、わたしの好むべきもの、わたしにふさわしいものを決めつけることの連続を、延々と繋ぎあわせて敷いたレール。
わたしから選択を奪うことで、車輪に刻まれた深い溝。
彼らにとっては、強い愛と深い思慮ゆえだったのだろう。
だが、その決めつけは刃となって、わたしの心を切り裂いた。
決めつけられたのとちがうものを、好み、選ぶことが許されない。じぶんの気持ちをひとつ裏切るたび、心にはひと太刀が、浴びせられる。
ずたずたにされたわたしの心ではあったが、さいわいなことに。
このまま、なます斬りにされるのを待つしかないほどには、わたしの車輪に刻まれた溝は深くもなかったのだ。
だから、 あの日をさかいに。
わたしは、ありとあらゆることを決めつけから、逆らうことにした。
逆らって向かったさきが、わたしの好むものであるかは、もうどうでもいい。
逆らうことは、決めつけの、その刃をよけること。
それこそが、わたしがなます切りにされずにいるための、唯一の方法に思えたのだ。
そうこうして、わたしにも。
ようやく、生涯をともにしようというあいてと出逢え。こちらから申し込みを済ませて、あちらからの承諾さえ得られれば、その契りは結ばれるというところまで来た。
式に、わたしの両親を呼ぼうとした彼に、それを思いとどまらせるために、これまでの経緯を話したわたしだったが。
包み隠さず告げれば、そこにはこの関係を壊してしまうだけのものがあると知らないほどには愚かではなく、彼もそれに気づかないほど鈍くもなかった。
ふたりあわせて、じゅうぶんに愚鈍なら。無益な言い合いなど、起こさずにすんだものを!
「つまりさ。
おまえは、親御さんたちの決めつけから、逃れて生きてきた。それは、恋愛や結婚だって例外じゃないはずだ。
だったらさ。
親御さんたちの決めたあいてを候補からはずし続けた結果、おれに行き着いたってことになる。
それって、おまえ自身の意思ってわけじゃないんじゃないか?」
いや、それは間違っている。
たしかに彼へとたどり着いた経緯は、そのとおりだ。
レールの敷いてある路 を避けること、そのうえで待っているあいてを拒むことを第一に。レールをはずれて走ったさきにいたのが彼だったのだ。
彼が、わたしのほんとうに好んだあいてだなんて、これっぽっちも思ってはいない。
けれども。
わたしにとっては、じぶんのほんとうに好むものを選ぶことより。決めつけられたもの以外を選ぶことのほうが重要だったし、それこそが、わたしのしたいことだったのだ。
だが、さすがにそこまでの心裡をあらわにするのは憚られ、口ごもるわたしをそっと抱きしめて。
おそらく、この事実にうすうす気づきながらも、ずっと胸のなかにしまっていたのであろう別れのことばを。肩に腕をまわすことで、身長差からわたしの顔を見なくて済むこの位置関係のまま、のどをせりあがる台詞に結びあげて告げ、ふたりの関係を終わらせようとする彼だったのだが。
わたしは、それさえも拒んだ。
抱きしめられた、彼の腕をほどくようにして、そのからだを両手でつきはなすと。おたがいの顔を見つめあえるだけの距離をとる。
「嫌。
わたしは、あなたとは別れない。
これが、あなたがさっき口にしたように、決めつけから逃れるための結果でしかなくても。
わたしは、あなたといっしょにいることを選んだんだし、そうしたいの」
その選択は、決めつけられたものを避けつづけて、追い込まれたさきにあったものかもしれない。
ほかのすべての選択肢を、決めつけによっておさえられていたのなら。のこったひとつを選ばざるをえなくなった時点で、この選択はこのうえない不自由の産物であるとも言えよう。
それでもだ。
わたしはこれを選んだ。
たとえ、消去法で選ばされたのだとしても、それがどうした。
決めつけの刃の軌道を、すべて避けたさきにいたのがあなただった。
わたしにはそれでじゅうぶんだし、ほかに望むものはない。望むことと好きなこと——愛することは、似て非なるものなのかもしれないが。同じではないことを突きつられるほど、そこに明確な違いがあるとも、わたしには思えない。
この一連の内心を、どうやって言葉にしたものかと頭をめぐらせていたわたしを。
彼はもういちど。こんどは肩より低く、腰に腕をまわすことで、おたがい顔をみつめあえる位置関係のまま抱きしめたのだった。
それから、ひとつ。ため息をついてからこう言う。
「そりゃそうだ。
おれまで、こんなふうに決めつけたのなら、おまえはそう選ばずにはいられないよな」
その表情を上目づかいにうかがったわたしには、そこに安堵があるように見えた。
彼が内側にかかえていたものを、わたしははじめて悟ったのだった。
わたしの心が決めつけの刃で斬りつけられていたのと同様に、彼も不安の刃につねに晒されていたのだと。
わたしがこの関係を、みずから望んだものでなく、決めつけからの消去法の果てにたどり着いたものだと、結論づけてしまうことへのおそれ。
わたしがその結論を得るまえに、いっそのこと、彼のほうから別れを言い出せば。そのさきはなくなっても、ふたりのこれまでを否定されることまではせずにすむという、幼稚な論理。
それらが、わたしの知らないところで、彼を苦しめていたのだ。
でも、わたしはついさっき。そして、とうとう。
あなたとは別れたくない。たとえ、追い込まれての結論だとしても、それだけはゆずれないと心に決め、それを口にした。
今にも別れを言い出そうという彼の態度が、顛末を計算しての振る舞いであり。わたしにこの選択をさせるための茶番であるのではなんて、勘繰ることも忘れないわたしだったが。
もしそうだとしても、それは彼を咎める材料にするつもりもない。
ひとは、だれも。他人からの決めつけや、苛む不安の刃から、ただのひと太刀も浴びずに生きていくことはできないのだろう。
とはいえ、斬り傷をいくつもを負い、そして、その痛みから。
わたしたちは、じぶんの気持ちの深奥を知らされて、はじめてそれを自覚する機会になることもあるようだ。
こんなわたしの気持ちを、あなたもわかってくれたはずで。
そんなあなたの気持ちを、わたしもわかったのだと信じたい。
だとしても、次には誤解の刃やすれ違いの刃が、ふたりを襲うことになるのは承知のうえだ。
だけど、刀傷を減らすためだけに生きる、ひとりぼっちの心は。
刀傷を増やして生きた果てに、だれかと寄り添えることができた心より、ずっと寂しいもの。
そして、ひとの心は、刀傷を負わずには生きていけるものではない。
だからこそわたしは、こうしてたどり着いたあなたと、これからも寄り添って生きていきたいのだ。
それこそは、決めつけの刃から、のがれるためではなく、わたしの心が望んで選んだもの。
彼がわたしの腰にまわしてくれている腕に、ようやく応えるかのように。
わたしも、彼の首へと腕をまわし返した。
——決めつけからのがれるためではなく、きっとわたしがそうしたかったからである。
タイトル使いたかっただけ???