キャラメル
プロローグ
どうして人は生まれるのか。
どうして人は死ぬのか。
何のために生き、何のために死ぬのか。
その答えに正解も不正解もない。
自分の生まれた意味を求める人もいるけど、そこまで肩肘を張って生きようとしなくてもいいんじゃないのかな?
ほら、肩の力を抜いて、一息ついてもいいんじゃない?
一粒のアメなんか食べてさ。
キャラメル
ああ、雨だ。
今日も、昨日も。
……ウザッ。
服は濡れるし、ジメジメしてるし、出掛ける気分が削がれてしまう。
ボケ~っと頬杖をつきながら、沙世璃は雨で濡れる窓ガラスの外を眺める。
机の下という死角になる場所で、沙世璃はケータイを操作し同じ境遇の誰かとメールのやり取りをしている。机の上にはカモフラージュの意味も含め、とりあえずテキストとノートを広げている。
現在の教科は国語。それも短歌を取り上げている。
作者はどんな思いで作ったかって? そんなの知ったこっちゃない。
何かを感じたからそう詠んだんでしょ? 他人の意見なんてどーでもいい。
単にテストでいい点を取ればいいだけのことでしょ?
教師の目をかいくぐり、何度目になるか分からないメールの返信をする。
途中、巡回してくる教師の気配に机の中にケータイを隠す。
教師をやり過ごし再びケータイを取り出すと、「文面に今日も遊ばない?」という言葉が。
「もちろん!」と遊ぶ気満々のデコメを打ち送信する。
そして、送信完了の画面が出る。
一日の授業が終わり、いっせいに生徒達が廊下に出てくる。
その中、沙世璃は女友達数名と談笑しながら廊下を歩く。
一方、違うクラスからは、折り目正しそうな男子生徒と男性教師が話をしながら出てくる。
「いいか、真田、頼んだからな」
「はい」
入り口付近で何かの打ち合わせを終わらせると教師と別れ、哲は沙世璃達が進んでくる方向へと歩いてくる。
いち早く沙世璃の姿に気付く哲。一方の沙世璃は会話に夢中。
距離が近づくものの一向に気付かない沙世璃。哲は気付くんじゃないかと少し顔を伏せる。
そんなことなど気にすることなく、沙世璃の一団は哲とすれ違う。
何も気付かれなかったことに哲は少し寂しさを感じ振り返る。しかしそれでも気付かれることはなく、そのまま階段を下りていく。
「……サヨ」
風の囁きにも似た小声で、哲は名を呟いた。
学校帰りの足そのままで、沙世璃達はカラオケBOXにてカラオケを楽しむことにした。集まった人数は沙世璃を含めて4人。それぞれが持ち前のレパートリーからセレクトし、お互いの歌唱力を褒め合いながらひと時を楽しんでいた。
この日も、他のメンバーの一方的なリクエスト曲を歌い終え、沙世璃は部屋の中央にあるローテーブルに置かれた自分のグラス脇にマイクを置く。
「はぁ~サヨリの唄、いつ聴いてもいいなぁ~」
「何て言うか、癒されるって感じ?!」
「プロっぽいよね~サヨリの唄って」
それぞれ感想を述べる3人。まんざら嬉しくもないが、毎回のリクエストに些か飽きがきてしまう。
「はぁ、あんた達が散々唄わせるから、そりゃぁ上手くなるわよ」
過去、どれだけ唄わされたことやらと思い浮かべつつ、沙世璃は一息入れるように氷の浮かんだジュースを飲む。
「よ~し、今度は、新譜、チャレンジしようかなっ!」
「えぇ~っ! この曲、もうカラオケに入ってんの?!」
などと、この一時を謳歌する一同。しかし、そんなひと時に終止符を打つ一報がポケットに届く。何気なくポケットからケータイを取り出し、開いてみる。一報の主と時間を確認し、沙世璃は一瞬顔を顰める。
「誰からメール来たの?」
「メールじゃなくて、電話。母親から」
「電話が来るって事は、もうそんな時間なの?」
一人が時間を気にしだしたとたん、残りの子達もそわそわしだし、荷物をまとめ始める。
「ゴメン、あたし、明日テストがあるから帰るね」
「あたしも、門限破ると親がうるさいから帰る」
「あっ、待ってよ……私も~」
それぞれがどれも胡散臭い理由を述べつつ席を立とうとする。
「ちょっ、ちょっと待ってよ、1時間、ねっ、1時間だけ。無理なら30分でもいいからもう少しいようよ」
この楽しいひと時が終焉を迎えてしまうと悟り、沙世璃は帰る支度をする子達に声を掛ける。
「ゴメン、サヨ。また今度ね」
完全に帰る準備を済ませると、三人はそれぞれの割り勘分のお金をテーブルの上に置き、部屋を出て行く。
「……」
ただ見送るだけの沙世璃。気付くと、誰が唄うのか分からないイントロが始まりだす。
「チッ、金が足んねぇんだよ……」
ざっと置かれたお金を勘定し、沙世璃は今の気持ちを表すようにケータイを長ソファーに放るのだった。
この日は、選択している科目による授業で、沙世璃と哲が同じ教室となる。決められた席に座るため、哲が沙世璃よりも後ろの席に座るようになっている。
哲は誰に言われることもなく真面目に授業を受けるが、沙世璃は前の男子生徒が大柄なことを活用しバレることなく居眠りしている。
教師の話と黒板に書かれることを聞き逃すまいと忠実にノートを書いていた哲であったが、沙世璃のことが気になってしまい、ふと手が止まる。
『……昔から成績は良かったけど、高校に入って急に態度が悪くなったのはどうしてなんだ……』
だが、手が止まったのは一瞬のことで、心の中で思う哲であったが次ぎの瞬間には再びシャーペンを走らせていた。
とある昼下がり。母子が集う公園に見慣れない風体の少女が小動物と戯れている。
全身、萌黄色の衣装を纏い、どこぞの民族衣装を感じさせる服装。肌の露出が極端に少なく、唯一素肌を晒しているのは手と目元だけである。
近くの幼い男の子が、あれなぁ~にと近づこうとするが、母親が知らない人に付いて行っちゃダメと連れていく。触れ合いができそうだと思った矢先の出来事に、少し寂しさを感じる少女。
「……大丈夫。こういうの、もう慣れっこだから」
ちょこちょこと歩き回る手乗りサイズの猫を掬い上げ、少女は優しげな声音で話しかける。小さな猫も思いを汲み取るように、円らな瞳をクリクリさせ少女の指先を舐める。
「フフッ、ありがと、なぐさめてくれるんだね。さっ、休憩も終わり。いろいろな人の心にキャンディーを配らないとね」
小さな猫の愛らしい仕草に少し表情をゆるませる少女。ベンチに置いた大きなショルダーバッグを肩に掛け、猫をバックの中に入れるとゆっくりとベンチから立ち上がる。
この日の授業は外が雨ということで、体育館でバスケットとなった。簡単にチームを決めさっそく試合が始まる。
多少のバスケ心得のある沙世璃は、ボールを手にすると常に単独で相手ゴールに攻め入る。最初のうちは思い通り得点できるが、徐々に攻撃パターンが読まれディフェンスに止められてしまう。それが繰り返され、優勢に進んでいた試合が引っくり返されてしまう。
同じチームの女子からボールをまわしてと声を掛けられるものの、沙世璃は素直に従おうとしない。
思い通りに得点できないことと、自分の思い通りに動かないチームメイトに苛立ちが募り、沙世璃のプレーがどんどん雑になってしまう。ついに、ディフェンスに付く相手の顔を叩いてしまうという事態が起きる。
完全なラフプレーとして取られ、試合が中断する。苛立ちがピークに達し、沙世璃は持っていたボールを思いっきり投げバウンドさせる。
「大角、今のプレーは何だ! 完全なファールだぞ!」
ファールを告げる笛を吹いた体育教師が沙世璃に詰め寄る。
「今のは、偶然です。たまたま当たっちゃったんですよ」
あくまで自分の非を認めようとしない沙世璃。その姿にさすがの相手チームの女子もカチンときて詰め寄る。
「ちょっと、どういうつもりなの?! あれがたまたま当たったように見えるの?!」
顔を叩かれてしまった女子生徒は、まだ蹲ったまま立ち上がることができない。
「言っとくけど、あたしは悪くないからね。あっちが強引に押してきたからああなったんだからね」
たまたま当たったと主張する沙世璃はというと、いざこざから逃げると投げ飛ばしたボールを他の女子に取りに行かせ、人差し指の上でボールを回転させ始める。
「大角! 例え、たまたま当たったとはいえ、一言謝ってもいいんじゃないのか?」
「あたしは悪くないんですもん。謝る必要なんてありませんよ。あっちこそ、悲劇のヒロイン演じて、みんなの同情を買おうとしてるんですよ」
完全に回転させるボールに集中している様に、食って掛かってきた女子がボールを叩き落とし沙世璃を突き飛ばす。
「ちょっと、何すんのよ!」
「あんたね、世の中、自分を中心にして回ってるって勘違いしてんじゃないの! 成績も運動神経もいいからって、調子に乗らないで!」
売り言葉に買い言葉となってしまい、沙世璃もブチ切れてお返しとばかりに女子生徒を突き飛ばす。
「何よ!」
「何なのよ!」
互いに一歩も引かない姿に、流石の体育教師も仲裁に入り二人を分ける。
「いい加減にしろ! 大角、お前はどうして自分の非を認めようとしないんだ。何にしろ、お前はもう試合に出させない!」
そうして一人試合を外されてしまう沙世璃。怪我をした生徒はそのまま保健室へ行くこととなり、中断していた試合は相手のフリースローから再開される。
「何よ! 何よ何よ何よ! どうしてあたしばっか責められなきゃいけないのよ!」
何事もなく再会される試合を見ることなく、沙世璃は一人体育館を抜け出した。
「何よ……何よ……あたしばっか……」
一人ムシャクシャした思いを抱えたまま、沙世璃はジャージ姿で校内をウロウロしていた。外は相変わらず雨脚が衰えず、屋外は薄い膜に覆われているように風景を暈している。
中庭と外を繋ぐ渡り廊下に差し掛かった時、学校の敷地内に見慣れぬ格好をした人物がいるのを見つける。どうやら雨宿りをしているらしく、木の根元で直立したまま動く気配がない。
一体、どんな人なんだろうと気になってしまい、沙世璃は視線を外すことなく謎の人物を眺めていた。暫し見ていると、急に振り返りあちらの方から話しかけられる。
「あっ、お邪魔して申し訳ありません。何せ、雨を凌げる場所がなかったものですから……」
何の穢れもない、野に咲く一輪の花のような笑みを口元を覆っていた布を取り浮かべる少女。丁寧な口調で一言申し出る。
「……」
沙世璃は相手の出方を窺うように、終始無言でポーカーフェイスに振舞う。
「あの、わたしカラメラって言います。そして、こっちがお友達のスウィートです」
自ら自己紹介をしつつ、お友達と称する手乗り猫のスウィートも一緒に紹介する。
「そちらかでも見えるでしょうか? わたしの手の上に乗ってるわたあめのようなものがスウィートです」
少し掲げて見せるカラメラ。しかし、全くといっていいほど沙世璃の反応はなく、結局一言も口にすることなくその場を去ってしまう。
「あっ……行っちゃいましたか……」
掲げていた両手を鳩尾の位置まで下げ、カラメラは少々残念そうに視線を落としスウィートを見ていた。
体育での一件が担任の耳にも入り、沙世璃は放課後、教務室にて説教を受けることとなった。相手方のケガも大したことはなかったとのことで、彼女は教務室という教師たちの視線の集まる場所にて注意という形で決着が付いた。
それでも沙世璃は反省する気もなく、蓄積してしまった憂さ晴らしをするため友達数名に遊ばないとメールを送る。いつもなら5分も経たない間に送った全員から返信があるのだが、この時は返信率が低く、内容も消極的なものばかりであった。
「何なんだよ、こんな時だってのに……」
乱暴にケータイのボタンを押し、沙世璃は廊下をよそ見しながら歩く。誰が通り過ぎたのかを気にすることなくつかつかと歩く。
ちょうど角を曲がろうとした矢先、死角から誰かが通ろうとばったり出くわす。哲だった。
「さっ、サヨ……」
いきなりの出来事に対応がぎこちなくなる。一言声を掛けたのにも関わらず、沙世璃は何の反応を見せな。
そのまま通り過ぎようと哲の横をすり抜けようとする沙世璃。しかし、それは思い通りにはいかず左手首を掴まれる。
「ちょっ、何よ?!」
「……変わったよなサヨ。今までのサヨはどこに行ったんだよ」
必死に振りほどこうと沙世璃は腕を引っ張る。しかし、哲はそれ以上に強い思いを込めながら手首を掴み続ける。
「何言ってんの? 意味わかんない!」
「昔のサヨは違ったよ。成績は良かったけど、周囲に自慢したり威張ったりしたことがなかった。もっと思いやりがあって、誰からも好かれてた。それが、何故……」
まるで腕と体が別人格のように、力を込め続けている腕とは対照的に哲の表情は穏やかで真摯に沙世璃を見つめる。
「はっ、離してよ! あんたに関係ないでしょ! あんたに何が分かんのよ!」
片手でダメなら両手とばかりに、沙世璃は掴まれ続けている右手に加え左手も使い力一杯腕を引き抜く。反動で少しふらつくものの、そのまま通り過ぎていく。
感情の赴くまま、沙世璃は一気に屋上へと続く階段を駆け上がった。今までの出来事が頭の中でフラッシュバックする。
楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと……
毎日が楽しければそれでいいと思っていた……
自分の思うまま、何でもできると思っていた……
だけど、現実は……
発散しきれないもやもやが体の奥底に蓄積し、屋上に続く扉を開けると同時に虚しさへと変換されてしまう。
息を切らせ屋上に飛び出した沙世璃は、呼吸を整えながら周囲を囲っているフェンスの前へと歩み寄る。
さっきまでの雨が嘘だったように頭上の空はまだ青さを保っているが、視線を下げると空と陸の境界線からオレンジ色に染まりつつあった。
「……誰も分かってくんない……誰も分かろうとしてくれない……」
力なく金網を掴みうな垂れる沙世璃。順風満帆だったはずの世界が急に閉ざされ、世間から隔離されたような絶望感に襲われる。そして気付かないうちに両目から涙が零れ落ちていた。
「……何故悲しんでいるの? 何故泣いているの?」
どこからか聞こえてくる優しく包み込んでくれるような少女の声。沙世璃の心に潤いを与えてくれる、安心感までも注いでくれるような声。
「……えっ?!」
振り返った先にいたのは、つい数時間前に木の下で雨宿りをしていた風変わりな少女であった。どこから入ってきたとか、何故ここにいるのかという疑問が掻き消されるほどの衝撃が沙世璃を襲う。
「何があなたを苦しめているの? 何があなたを絶望させているの?」
二人の距離は徐々に狭まり、謎の少女は口を覆っていた布を外し顔の全体像を見せる。
「あなたの心に、1粒のキャンディーを」
優しく囁きかけながら、少女は不思議な光に満ちた瓶を差し出す。それは、異次元にでも繋がっていそうなオーラを放っているというのに、不思議と不安や迷いを与えない。
沙世璃は何も警戒することなく、差し出された瓶の中に右手を入れる。
差し入れた瓶の中は表現しにくく、どの感覚でも処理しきれないシックス・センスでさえも容量をはるかに超える空間の中に自分の手だけがある。その中において、沙世璃は『何か』が自分の手の中に収まるのを感じ、そのまま瓶の中から手を抜く。
ゆっくりと抜いた右腕半分は何も異常はなく、体温も触覚もちゃんと感じ取ることができる。そして、ゆっくりと掌を開いてみるとそこには1粒の細かく包装されたキャラメルがあった。
「キャラメル? 何で?」
どうしてそんなものが自分の手の中に収まっていたのか、素直に疑問を抱く。
「それが、あなたの癒しの1粒なんですね」
カラメラも出てきたキャンディーを確認するため手の中を覗きこむ。
「あたしの……癒しの1粒……」
どこか半信半疑ではあるが、手にしたキャラメルの包みを開くと何の変哲もないキャラメルが出てくる。沙世璃は不信に思うことなく口の中へと入れる。
入れたとたんに口一杯に広がるミルクの風味と甘さ。そして、一緒に過去の思い出をも連れてくる。
無邪気に遊び回っていた幼き日。
ケータイも、お金もなくたって楽しかったあの日。
毎日遊んでいたのが当たり前だと思うくらい、あたしはアイツと一緒にいたっけ。
哲。
親同士が知り合いだったし、同い年だったってこともあってよく一緒に遊んだんだっけ。
同じ小学校、同じ中学校、そして同じ高校へと進級していった二人。よく、どちらかの家に行って勉強もした。
家族ぐるみで海水浴、キャンプ、旅行にも行った。そして、いつももらっていた箱入りのキャラメル。小さな箱に入ったキャラメルを二人で分け合った。
そう、キャラメルのように、楽しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、悲しいこと、全部、二人で分かち合ったっけ。
全部、一人でこなしていたと思ってた。何でも自力でできる自信だってあった。けど、自分でできることなんてほんの微々たるものだって気付かされた。これも、アイツが側にいてくれたから、今の自分がいる……
口一杯に広がるキャラメルの甘さと今までの思い出を、瞳を閉じ噛み締める沙世璃。いつの間にか抱いていた邪念は消えていた。
閉じていた瞳を開けると、さっきまでいたカラメラの姿はなく、その場所には哲が立っていた。
「サヨリ……」
直立不動の沙世璃に声を掛ける哲。思い浮かべていた人物の優しく名を呼ぶ声に、沙世璃の迷いは消え去った。
「……テツ」
自然と紡がれる昔のあだ名。散々、哲と書いて『あきら』と読むんだと指摘され続けたことも思い出す。
「……僕の名前は、アキラ。テツじゃないよ」
「……知ってる」
このやり取りをしてようやく、二人のわだかまりは消えたのだと確信する。
「久々に帰ろっか。一緒に」
「……うん」
今まで見慣れていたはずの笑みに、哲はぎこちなくではあるが微笑みを返すのだった。
END