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幸せウィンチェスター

作者: はらけつ

轟け、ウィンチェスター。

幸せのために。

みんなのために。




パンッ‥‥!

轟いた。

雑居ビルの屋上に、音は響いた。

サイレンサーを内臓したライフルの為、スリッパを打ち鳴らしたような音しか響かなかったが。

それでも、屋上の小屋に巣くっていた雛鳥は、鳴き声を上げ始めた。

巣の中は、まだ飛び立つことのできない雛ばかりらしい。

鳴き声を上げるばかりで、一向に巣から逃げ出そうとしない。


弾丸は、正確に、標的に当たったようだ。

その証拠に、標的はすべての動きを止め、一瞬完全にフリーズした。

おそらく標的自身は、撃たれたことを分かっていない。

どころか、動きを完全停止したことさえ、意識には無いと思われる。


スコープの中の標的は、一瞬前となんら変わりなく、動きを開始し始めた。

ライフルを構えていた男は、覗き込んでいたスコープから標的の姿が消えると、スコープから目を離す。


ライフルは、よく見かけるライフルとは、趣きが違っていた。

銃床とハンドガードは木製、引金や弾込め等のアクション部分は真鍮製になっている。

だが、スコープのみ、小さな懐中電燈のような、最新鋭のものだった。

言うなれば、西部劇と現代スパイ物のコラボレーションみたいなライフルだった。


男は、ライフルを、手早く仕舞う。

ライフルを、低反発クッションの効いた紺のプラスチックケースに入れると、ダブルファスナーで閉じる。

そして、紺ケースを、迷彩のリュックに入れ込む。

男は、背中と腰とショルダーストラップの部分に、低反発クッションが効いた大きめのリュックを軽々担ぐと、階段に向かって歩を進める。

弾丸を撃って命中を確認してから、階段に向かうまで、その間、約15秒。


ヒューンヒューン‥‥‥‥ヒューンヒューン‥‥‥‥

屋上に、鳶が集まって来ていた。

雛の鳴き声を、耳ざとく訊きつけて、飛んで来たものらしい。

空中を二重三重に旋回する鳶は、徐々に高度を下げていた。

一回廻って、三十センチ。

一回廻って、三十センチ。

下方向のスパイラル。

墜ちて来る鳶を脇目に見て、男は、階段への入り口をくぐる。


男は、階段をリズミカルに降りて、一階にたどり着く。

ドアの無い入り口を出て、雑居ビルを後にする。

町中は、昼下がりの地方都市らしく、老若男女が行き交い、なんとなくノンビリした雰囲気を醸し出していた。

騒がしいような、でもハジけてないような。

穏やかなような、でも浮ついているような。

そんな感じ。


数十分後、男は裏道に面した、他の雑居ビルの前にいた。

ビルの入り口には、看板が掲げられていた。

[ハイクラス・ネットカフェ ウッドペッカー 地下1F]

男は、地下への階段を、リズミカルに降りる。

階段を降り切ると、店の入り口のドアノブに手を掛ける。

♪カラン

鈴の音を響かせて、格子に磨り硝子を嵌め込んだ木製ドアは、開いた。

店内は、昭和の喫茶店のような雰囲気だった。

よくネットカフェに見られる、マンガや雑誌の棚や自動販売機の類は、一切無かった。


入り口を入った所すぐにある受付も、腰ぐらいまである木製台を使っていた。

受付には、ふくよかな感じの顔と体型をした女性が控えていた。

ふくよかと言っても、太っているわけではなく、丁度いいくらいの肉付きだった。

「ツバキさん、いらっしゃい」

女性は、入り口を入って来た男に、挨拶をした。

女性の声は、高く軽やかで跳ねるようだった。

おそらく女性は、二十代中頃の若さと思われる。

「コズエちゃん、今日もお願いします」

ツバキと呼ばれた男も、女性に挨拶を返した。

そして、コズエと呼んだ女性に、会員カードを差し出す。

会員カードは、紺地に白色で、“V.I.P.”と書かれていた。


「いつものところへ、どうぞ」

コズエは、会員カードを確認すると、カードキーを差し出した。

ツバキは、カードキー受け取ると、コズエに尋ねた。

「今日は、店長は?」

「奥にいはるんで、ツバキさんが来たって、言っときます」

「お願い」

ツバキは、コズエに言づけを頼んで、いつもの個室へ向かう。


いつものブースは、店内の奥、トイレとシャワールームに挟まれた、二ブースの内の一つだった。

このエリアは、V.I.P.エリアで、トイレもシャワールームもV.I.P.専用だった。

二ブースとも、床側と天井側に隙間があるものの、人間の背の高さ以上に仕切り壁が設けられていた。

ツバキは、ドアの引き手の上についたカードリーダーへ、カードキーを差し込む。

カードリーダーに青色の光が灯ると、ドアを横に引いて開け、室内に入る。

室内は、通常のペアルーム以上の大きさがあり、床は二帖の畳敷きだった。


ツバキは、リュックを降ろすと、上着をハンガーに掛ける。

ひざまずき、リュックから紺色のファイルを取り出す。

パソコンの前で結跏趺坐を組み、ヘッドホンを付けて、パソコンの電源を入れる。

パソコンが立ち上がる間、右横に置いたファイルをパラパラめくる。

パソコンが立ち上がり、画面がIDとパスワードの入力を求めて来た。

ツバキは、IDとパスワードを入力すると、Enterを押す。

画面が切り替わり、紺色の画面が立ち上がって来た。

明らかに、WindowsともMacとも違う画面が、立ち上がって来た。

画面の上部には、大きな文字で[HappyGo!Go!]と記されていた。

その下には、一回り小さい文字で、[報告]・[連絡]・[相談]と、三つの項目が縦並びで記されていた。

文字の他は、紺地の空白があるばかりで、味も素っ気も無いサイトだった。


ツバキがそのサイトに見入っている時、ヘッドホンからシンバルの音が流れた。

ジャズドラムのシンバルのような、回るようなうねるような音が流れた。

ツバキがおもむろに振り返ると、ドアから丸眼鏡を掛けた男が入って来た。

男は、紺地に白色で[ハイクラス・ネットカフェ ウッドペッカー]と文字が入ったエプロンを、着ていた。

「ツバキくん、お疲れ様」

と、男は、銀盆に乗せたマグカップを、ツバキに差し出した。

ツバキは、それを受け取ると、一口すすって、倒れてもパソコンにかからない位置に置く。

マグカップに入っていたのは、砂糖無しカフェオレだった。

「店長、お疲れ様です。

 なんか連絡あります?」

ツバキが尋ねると、店長と呼ばれた男は、すぐさま答えた。

「今のところ、無いね。

 ほんじゃ、用があったら、また呼んで」

と、店長は、おしぼりを置いて、ブースを出て行った。


ツバキは、パソコンに向き直ると、[報告]をクリックする。

切り換わった画面には、[新規報告]・[経過報告]・[結果報告]・[過去録]

と、縦並びで記してあった。

[結果報告]の項目をクリックすると、パソコンは入力画面に切り換わった。

[日時]・[場所]・[対象人物]・[経緯]・[結果]・[備考]などの欄を、サクサクと入力すると、〈確認〉のボタンをクリックする。

画面は、入力内容の確認画面に切り換わった。

フンフンと頷きながら入力内容を確認すると、不備が無いことを確認し、〈送信〉のボタンを押した。

画面は、大きく真ん中に、視力検査の下空きマークに切り換わった。

下空きマークの中では、左から右へ、緑基調のグラデーションが流れていた。

グラデーションが停止すると、画面中央には、送信完了の文字が出た。


ツバキは、最初のメニュー画面に戻り、[連絡]をクリックする。

[新規連絡]・[継続連絡]・[過去録]と、縦並びで表記された画面に切り換わった。

[継続連絡]・[過去録]の文字は白字なのだが、[新規連絡]の文字だけ緑色になっていた。

[報告]のサイトは、片方向(こちらから向こうへ)なのに対して、[連絡]のサイトは、双方向(こちらから向こうへ&向こうからこちらへ)だった。

その為、向こうからこちらへ連絡があった際は、白文字が緑文字になった。


ツバキは、[新規連絡]をクリックする。

画面が切り換わった時、真っ先に目に飛び込んで来た文言は、“至急”と“要返信”だった。

それは、新しいターゲット手配のミッションの連絡だった。

ツバキは、新しいターゲットを確認すると、ターゲットの情報をプリントアウトする。

と同時に、[受諾]のボタンをクリックする。

ブースに備え付けのカラープリンタから、ターゲット手配のミッション、つまり“ターゲット手配書”が印刷された用紙がプリントアウトされた。


ツバキが、プリントアウトされた用紙を読んでいると、店長が再びブースに入って来た。

店長は、“ツバキが[受諾]したこと”を確認してから、ブースに入って来たらしい。

店長は、エプロンの前ポケットから、三センチほどの細長いものを、三つ取り出した。

それらは、鈍く光っていたが、鉄製というよりプラスチック製の光沢をしていた。

「ほい」

店長はツバキに、それらを手渡した。

それらの内、二つには“SHb”、一つには“UHb”と刻印されていた。

ツバキはそれらを受け取ると、ジーンズの尻ポケットに仕舞って、尋ねる。

「今回のターゲットは、俺らの手助け、必要無いんじゃないっすか?」

「でも、Ashuraとスサさんが同じ意見なんで、妥当なターゲットなんやろう」

「へー、そうなんすか」


「あ、そうそう」

店長は、エプロンの前ポケットから、書類が挟まれたクリアファイルを、取り出した。

店長のエプロンの前ポケットは、確かにかなり大きく、何でも入っている印象がある。

そんなポケットを、ツバキは密かに、“角張った四次元ポケット”と呼んでいる。

そんなポケットから取り出されたクリアファイルを、ツバキは受け取った。

「何すか、これ?」

「新入りの教育用パンフレットやて。

 お前にも、確認してくれって」

「えー、何で俺が?」

「一応、ウチのエリアでは一番の腕利きやから、見てもらいたいんやろう。

 よろしく」

店長は、サラッとお願いすると、スルッとブースを出て行った。

ツバキは、『スナイパーの仕事じゃねーよな』とは思いながらも、クリアファイルから書類を取り出す。


書類は、A4判を二つ折にした、A5判4ページものだった。

表紙と裏表紙は、紺地一色で塗り潰されていた。

表紙には、白字で“HGG”と記されていた。

HGGは、記章の様に配置されており、三角形の上部一頂点にH、下部二頂点にGGが配置されていた。

喩えるなら、車体がH、前輪と後輪がGGの配置だった。

裏表紙には、白で囲われた“○”の中に、白字で“Snp”と書かれていた。

書類の内容は、概ね以下の通りだった。


〔 国際NPO法人HappyGo!Go!に入社された皆さんへ


  HappyGo!Go!無事入社、おめでとう御座います。

  また、HappyGo!Go!を選択してもらって、ありがとう御座います。


  私達HappyGo!Go!は、

  “個々人の厭世感が、世界全体の厭世感に繋がりかねない”と、

  危惧を抱いた各国が、協力して創設した国際機関です。


  よって、個々人に幸せをもたらす仕事に、従事しています。

  業務は大きく、スタッフ部門、バックアップ部門、スナイパー部門と、

  三部門に分かれています。


  このパンフレットを読んでいる方々は、スナイパー部門での採用の方々なので、

  スナイパー部門の業務をご説明します。


  スナイパー部門は実動部門です。

  バックアップ部門の部員と協力して、ターゲットに幸せをもたらす仕事を行います。

  本部から支給される“人に幸せをもたらす弾丸”SHb(SoHappy bulletの略)を、

  ターゲットに命中させる仕事となります。

  SHbに当たった人間は、二日以内に、幸せ(な心持ち)に、必ずなります。


  ターゲットの選定は、

  スーパーコンピュータのAshuraと、超直感力者のスサノリオが行います。

  Ashuraは、毎秒一京回の計算速度をもって、担当エリアの居住民から、

  幸せをもたらすべき優先順位の最も高い人を選びます。

  スサノリオは、歴史上最高・前人未踏と言われる直感力をもって、

  担当エリアの居住民から、幸せをもたらすべき優先順位の最も高い人を選びます。

  Ashuraとスサノリオが別々に選んだ人物が一致した場合のみ、

  HappyGo!Go!が幸せをもたらすターゲットとなります。


  ターゲットにSHbを命中させて、幸せをもたらすわけですが、

  時として、ターゲットが必要以上に幸せ(な心持ち)になる場合があります。

  その場合、皆さんには、“人に不幸をもたらす弾丸”UHb(UnHappy bulletの略)を、

  ターゲットに再度命中させてもらいます。

  これは、過剰な幸福感をターゲットに与え、怠惰で刹那的な人間にしてしまうのを、

  防ぐ為です。

  その為、ミッションの際には、SHb二発・UHb一発の計三発が支給されます。

  しかし、ミッションが終了する度に、弾丸の残りは回収します。

  これは、私達の管理しないところで弾丸が使われ、

  幸せな人間や不幸な人間を作ってしまう危険を防ぐ為です。


  私達は、非合法活動や諜報活動をしているわけではなく、

  また、世界的にも公にも認められている国際機関です。

  しかし、業務が業務なので、仕事内容については、家族・恋人・親戚・友人など、

  周りの人々には、一切秘密にしておいてください。

  これは、いらぬトラブルを避ける為には、大事なことです。

  機密保持のスタンスとしては、テレビの視聴率調査員のようなものと考えてください。


  以上、ごくごく簡単ですが、私達HappyGo!Go!の概要説明を終わります。

  業務を進める内に、もっと詳しいことについては、おいおい分かって来ますが、

  早急に知りたい方は、直属の上司に訊いてください。


  では、皆さんのご健闘をお祈りします。


                     HapppyGo!Go!代表 ヤマモトタケル 〕   


『こんなもんやろ』と、ツバキは思う。

詳しく言えばキリがないので、最初の説明には、『こんなもんでええやん』と思う。

クリアファイルの中にパンフレットと一緒に挟まれていた、閲覧確認用紙に“ツバキ”とサインし、今日の日付を入れる。

書類を一旦全部出して整えて、クリアファイルに入れ直す。

ツバキは、クリアファイルを傍らに置き、ターゲット手配書を、再び読み始める。


読めば読むほど、今回のターゲットは、幸せに包まれていた。

美人で気立ての良い女性と結婚し、男女二人の子供に恵まれている。

会社でも順調に出世し、上司や部下といった人間関係にも問題が無い。

親戚や友人とも、近過ぎず遠過ぎずの、双方共に心地好い距離を保っている。

つまり、家庭も会社もその他の環境も、申し分無いものだった。


「どうするよ‥‥」

ツバキはつぶやいて、途方に暮れる。

なんとか突破口を見つけ出そうと、何度も用紙を読み直す。

何度読み直しても、突破口は見い出せない。

光は、差し込まない。

曰く、“隙の無い幸せ”を、ターゲットは享受していた。


ツバキが途方に暮れていると、店長がおかわりのカフェオレを持って、ブースに入って来た。

「確認終わったか‥‥って、どうした?」

用紙を睨み付けて難しい顔をしているツバキを見て、店長は怪訝な顔をした。

店長は、ツバキが難しい顔をしているのは、てっきり“パンフレット確認中”だからだと思った。

しかし、確認を頼んだパンフレットの入ったクリアファイルは、ツバキの傍らに置いてあった。

ツバキが難しい顔をして睨み付けている用紙をチラッと見て、店長は尋ねた。

「今度のターゲットの手配書か?」

「はい」

「なんで、そんな難しい顔してんねん?」

「“取り付く島が無い”と言うか‥‥」

ツバキは、店長に、睨み付けていた用紙を渡す。

店長は、ツバキから受け取った手配書にザッと目を通すと、顔を上げて、溜めて、言った。

「‥‥なんか‥‥難儀な‥‥やつ‥‥やな~‥‥」

「でしょ?」

ツバキは、店長の困った顔に向けて、苦笑する。


「俺らの手、いらんやん」

「俺もそう思うんですけど、Ashuraとスサさんが共に挙げたターゲットとなると、

 何かあるんでしょう」

「二人共(厳密には一台と一人)となると‥‥、まあ‥‥、妥当なんやろな」

ツバキの指摘を受けて、店長は答えた。

「それで、『幸せな人を幸せにするって、どうすんねん?』って、思ってたんです」

「幸せの定義は、計数じゃなくて、心情やからな~。

 1の幸せに、1の幸せを足して、2の幸せになるかと思ったら、

 5の幸せになったり、-5の幸せ(つまり、5の不幸)になったりするからな~」

ツバキの問い掛けに対する店長の答えは、ツバキの苦悩を深めるものだった。


「期限は?」

「三日後です」

「まあ一日、ゆっくり考えるんやな。

 バックアップ要員の義務として、俺もコズエちゃんも、“何かええ手は無いか?”と、

 考えておくから」

「はい」

と、ツバキは店長の言葉に答えたものの、二人にはあまり期待していない。

今まで、一筋縄でいかないミッションがあった時も、すべてツバキだけで対処している。

店長もコズエちゃんも、物品や作業のバックアップはよくしてくれるのだが、手法や戦略のバックアップについては、からきしだった。


ツバキは、店長が出て行った後、カフェオレのおかわりをすする。

すすりながら、上方落語.comの動画サイトを閲覧する。

このサイトには、往年の噺家の高座が、豊富に閲覧できるようになっている。

前のミッションと、次のミッションの合間のこのひとときが、ツバキの至福の時間だった。

そして、その至福の時間は、この店か自分のブースで、落語の高座を視聴することが多い。

「今日は、“時うどん”にしよう」

ツバキはそうつぶやくと、“米朝一門”と書かれたリンクをクリックする。


コズエちゃんの“笑顔でさよなら”を後にして、ツバキは店を出る。

落語の閲覧は、たっぷり一時間に及んだ。

それも、複数の噺家で、“時うどん”ばかりを視聴した。

頭の中で、ネタのサゲが、ぐるぐる廻る。

『あの人は、ああサゲて、あの人は、こうサゲて‥‥。

 って思えば、あの師匠は、『そう来たか!』でサゲて、

 あの師匠は、『なるほど~』でサゲて‥‥。

 いや~、落語は、同じ人を、同じネタを、何度聴いても奥が深い』

ツバキは、すっかり、ターゲットのことは忘れている。

『落語は、いつ何度聴いても、いいよな~。

 ネタも勿論だけど、噺家の佇まい・取り組み方とか、むっちゃ参考になるよな~。

 人生の生き方とか、計画とかのヒントになる』


今回のターゲット対策にも、ヒントになったのだろうか?

ツバキは、家に帰るとひと休みして、ネットでターゲットを検索する。

色々なワードを考えて、何回も検索してみる。

案の定、目ぼしい成果は得られなかった。

予想通りと言えば予想通りで、ターゲット手配書以上の成果を得られなかった。

ターゲットが勤める会社の社員紹介サイトに、ターゲットの顔写真が掲載されていた。

しかしそこにも、ターゲット手配書の顔写真と同様に、一点も曇りも無い笑顔で写っていた。


HappyGo!Go!のスナイパー要員には、あまり時間が許されていない。

世の中には、“幸せをもたらすべき人”は溢れており、次から次へと処理する必要に迫られているからだ。

大抵、一人のターゲットにかける時間は、平均三日間だった。

一つのエリアには、四人のスナイパー要員が配属されている。

よって、単純計算になるが、一つのエリアにつき一年で、約480人の人間に幸せがもたらされることになる。


ミッションをクリアするまで、おおまかなスケジュールは、以下のようだった。

一日目:ミッション受諾、ターゲットの追加情報収集

二日目:ターゲットを実地調査

三日目:ターゲット狙撃、ミッション終了報告

ターゲットの情報は、ターゲット手配書の情報で事足りることが多く、追加情報の収集はあまり必要が無かった。

それより、実際にターゲットを見て行動を把握して、狙撃手法や戦略を練ることが、重要だった。

その意味で、今回のターゲットは、やっかいだった。

いつもの、“SHbを撃ち込めば終わり”のターゲットとは異なっていた。

今回のターゲットにSHbを単に撃ち込んでも、『最近、いつもよりちょっとツイてるな』、てな感じで終わりだろう。

『不幸に幸福は劇的だけど、幸福に幸福は微風だ』

ツバキは、誰かが言っていた言葉を思い出して、考えを巡らす。


「‥‥あ~もう!

 風呂入って、もう寝よ」

ツバキは本来、考えを巡らすのが嫌いではない。

というか、好きな方だ。

だがそれは、“物事がサクサク進む”という前提があればこそだ。

今回のミッションは、その前提が満たされていない。

結果、『明日は明日の風が吹く』で、ツバキは早々と寝ることにした。

おやすみ。


次の日。

ぐっすり寝たツバキは、爽やかな顔をして、町中を歩いている。

朝の光りは、眩しいけれど濁りが無い。

朝の空気は、冷ややかだけど清涼で。

ツバキは、心と体の風通しを良くする為に、何度も深呼吸をする。

一・二・三・四で吸って、一・二・三・四・五・六・七・八・九・十で吐く。


開店時間と同時に、ウッドペッカーを訪ねる。

ツバキは、ウッドペッカーの入り口で、鉢合わせする。

エノキだった。

「ツバキさん、おはよう御座います」

「おはよう。

 エノキも早いな」

「この商売、“毎日が仕事、毎日が休み”みたいなもんですからね」

エノキが、ツバキの問い掛けへにこやかに答えると、ツバキもにこやかに返した。

「ちがいない」

二人は並んで、ウッドペッカーの入り口をくぐった。


「おはよう。

 おお、お揃いか」

店長は、ツバキとエノキに挨拶すると、受付の奥に声を掛けた。

「おーい!

 コズエ!カエデ!」

受付奥に隣接している従業員室から、コズエとカエデが出て来た。

「おはよう御座います。ツバキさん」

コズエが、ツバキの対応をする。

「おはよう御座います。エノキさん」

カエデが、エノキの対応をする。

ツバキは、コズエからカードキーを受け取る。

同じく、カエデからカードキーを受け取ったエノキと並んで、V.I.P.エリアに向かう。

エリアまで来ると、エノキに左手を上げて、自分のブースに入る。

「じゃ」

エノキも、ツバキに左手を上げて、自分のブースに入った。

「はい」


ツバキとエノキは、ウッドペッカーを拠点とする、“チーム・モクモク”に所属している。

ツバキとエノキを含めて、チームに所属するスナイパー部門要員は、四名。

コズエとカエデを含めて、チームに所属するバックアップ部門要員も、四名。

スナイパー要員とバックアップ要員は、各一名計二名でペアを組んでいる。

そして、チームリーダーを、店長が務めている。

よって、チーム全体で、(1+1)×4+1の、合計9名の所帯ということになる。


ツバキはコズエと、ペアを組んでいる。

エノキはカエデと、ペアを組んでいる。

ツバキとエノキは、お互いのミッションについては、全く知らない。

仕事に対する姿勢や豆知識などを雑談することはあるが、それだけだ。

コズエとカエデも、お互いの相棒のミッションについては、全く知らない。

二人も、仕事に対する姿勢や豆知識などを雑談することはあるが、それだけだ。


ツバキはブースに入り、リュックを降ろし、ほっこりとする。

このエアポケットのようなひとときが、なんとも不思議で心地好くて、ツバキは気に入っている。

そこへ、店長とコズエが入って来た。

店長はブースに入るやいなや、入り口の右脇に付いているスイッチを、上に入れた。

すると、ブースの天井側と床側に空いている隙間に、透明の壁がせり出した。

音を立てず、透明の壁は天井と床の隙間にセットされ、ブース内は密室と化した。

音は、外に漏れない。


「昨日の宿題やけど‥‥」

店長は、ツバキに切り出した。

「宿題‥‥?」

「今度のターゲットを、“どうやって幸せにするか”」

ツバキは店長に向かって、何度か頷く。

コズエは、車座に座った二人の前にカフェオレの入ったカップを置き、自分の前にも一つ置いた。

「俺もコズエも考えてみた。

 まずは、コズエからどうぞ」

店長に突然指名されて、コズエは飲みかけていたカフェオレを口から離し、あわててカップを下に置いた。


コズエは、話す手順をまとめるかのように、十数秒うつむいた。

そして、まとまったのか、スクットと頭を上げた。

「思うんですけど、“自分が幸せかどうか”って、他人との比較で認識しますよね?」

「まあ、そうやな」

コズエの視線と質問を受け止めて、ツバキは答えた。

「ターゲットが、今あんまり幸せを感じてへんのは、ターゲットにとって、

 “周りも、自分と同じくらい幸せ”に見えてるからですよね。

 ということは、周りをめっちゃ不幸にしたら、

 相対的にターゲットは“自分は幸せ”と認識するんやないですか?」


ツバキは、複雑な顔をして、しぼり出すように言った。

「それは、正しい方法やな」

「でしょ!」

コズエは、顔を輝かせて眉を上げて、即答した。

「でも、俺らは採れん方法や」

「なんでですか?」

コズエは、ジェットコースターの様に、眉を下げて言った。

「俺らの仕事は?」

ツバキは、落胆するコズエに、諭すように質問する。

「‥‥人に幸せをもたらすこと‥‥です」

ツバキの言わんとすることが分かったのか、コズエは観念したように返答した。

「そういう仕事をしている俺らが、ターゲット以外とはいえ、

 人を不幸にするわけにはいかんやろ」


「‥‥ですよね‥‥」

コズエは、小さく同意の言葉を述べると、黙ってしまった。

空気が積み重なるような沈黙が、三人のいる空間を支配した。

‥‥しん‥‥しんしん‥‥

‥‥しん‥‥しんしん‥‥


「次は、俺の案やけど」

店長が、ようやっと、口を開いた。

「単純なんやけど、ターゲットをむっちゃ幸せにしたら、いくらなんでもターゲットも、

 “俺、幸せやな~”と思うんちゃうか?」

ツバキは、店長の発言を訊き、右掌で額を押さえ、その右手の親指と小指でコメカミを押さえる。

十数秒間、そのままの姿勢で考え込む。

「この、現状で充分幸せなターゲットを、更に幸せにしようとしたら、

 どんだけのSHbがいると思います?」

「一発や二発じゃあかんやろうな~」

ツバキが沈黙を破って発した質問を、店長は軽く返した。

「俺らに支給される弾丸は?」

「SHb二発に、念の為のUHb一発」

「二発全部当てたとしても、ターゲットが、

 “ツイてるな”じゃなくて“幸せだな”と思う確立は‥‥?」

「‥‥たぶん、ほとんど、望み薄やな‥‥」

ツバキと店長のやりとりは、店長の小さいつぶやきで終わった。


『こんなこったろうと思った』

初めから、ツバキは、店長とコズエには期待していない。

二人の事務処理や準備セッティング等の能力に関しては、ツバキも感心している。

だが、計画立案やトラブル対処等に関しては、二人はからきしだった。

ツバキがチーム・モクモクに配属されてから、店長とコズエの計画が採用されたことは、二度しかない。

一度は、店長の計画が採用された。

一度は、コズエの計画が採用された。

二人とも、チーム・モクモクでは先輩にあたるので、ツバキは試しに採用してみた。

結果、ヒドい目に遭った。

結果を聞いての、二人の受け答えもヒドいものだった。

「やっぱ、あかんかったか」

「やっぱり、ダメでしたか」


『もう店長とコズエちゃんには、金輪際、期待しない』

と、ツバキが決心したのも、無理からぬことだった。

ツバキは、心を奮い起こして、二人に言い放つ。

「俺が考えて実行しますから、二人はいつもと変わらず、バックアップお願いします」

ツバキが、強い視線で言い放つと、二人は豆鉄砲をくらったような目をした。

そして、コクコクとカクカクうなずくと、揃って軽く言った。

「オッケー」

「了解しました」


『二人とも、いい人なんやけどな~』

ツバキはこう思いながら、コワい顔を和らげて、二人に再び視線を向ける。

「エノキの方には、行かんでええんですか?」

顔を和らげたツバキが言うと、店長が受けた。

「あっちには、カエデがいるから大丈夫やろ」

『それは、分かってたりするんや』

店長の答えに、ツバキは皮肉にも納得する。

エノキは、スナイパーになってまだ数年の為、考えが不充分な点がままあった。

それをバックアップのカエデが、見事にカバーしていた。

思うに、事務処理や準備セッティング等の点はともかく、計画立案やトラブル対処等に関しては、店長やコズエよりも頼りになった。

ツバキも、『カエデちゃんが付いてくれたらなー』とか思ったりもする。

しかし、スナイパーとしては、キャリア豊富なツバキは、後進の指導の意味も込めて、コズエに付いてもらっている。

店長は別だが。


「ほな、実際に、ターゲット見て来ます」

ツバキはリュックを担いで、スックと立つ。

「行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃ~い~」

二人の声に送られながら、ツバキはブースを後にする。

カランカラン。

ドア上部に取り付けられた鐘の音に送られながら、ツバキはウッドペッカーを後にする。


カランカラン。

ドア上部に取り付けられた鐘の音に迎えられながら、ツバキはウッドペッカーに入る。

「おかえり」

「おかえりなさ~い~」

店長とコズエの声に迎えられながら、ツバキは受付にたどり着く。


ツバキがブースに入ってほっこりしていると、店長とコズエがそそくさと入って来た。

コズエが、持って来たカフェオレを、各自の前に置いていった。

自分の前に、カップが置かれるのも待ち切れず、店長はツバキに訊いた。

「どやった?」

ツバキは店長の顔と、続いてコズエの顔をしげしげと見つめて、ため息をつく。

そして、おもむろに答えた。

「ダメですね。

 目ぼしい収穫無し」

「やっぱ、そ~か~」

「やっぱり、そうですか~」

店長とコズエは、残念なような、ちょっぴり嬉しいような、複雑な表情を浮かべて、ツバキの答えに応じた。


二人が、ちょっぴり喜んでいる雰囲気を察して、ツバキは、二人に問いただす。

「あれから、なんかええ手、浮かびました?」

二人は、つかの間、一旦停止した。

店長は、握りこぶしを作った右手を口の前に持って行き、コホンと咳をする仕草をしながら答えた。

「いや、その、店が忙しくて、考えられへんかった」

コズエは、にんまりと笑みを作って、邪気の無い作り視線を向けながら、答えた。

「お客さんの対応に忙しくて、考えられませんでした」


『やっぱりな』

ツバキは、思った。

『二人とも、“考える時間が無かった”じゃなくて、“考える気が無かった”やな』

いつもの如く、例の如く、ツバキは、自分だけで考えることにする。

再度、資料を集めて、情報を得ることにする。

ツバキは、「しばらく、一人にしてください」と言い放って、二人にブースから出て行ってもらった。


バタン‥‥!

ツバキは、自分の家に帰って来る。

家と言っても、マンションのワンルームの部屋だった。

キッチンと多機能部屋には、一応桟があり、障子を取り付けられるようになってはいた。ツバキは、取り付けていない。

部屋の中は、男の一人暮らしなら、まあ、こんなもんだった。

木製のスノコの上にマットレスを置き、その上に布団一揃えを敷いた寝床。

ノートパソコンを片側に置いた、木製の長方形のちゃぶ台。

ツバキの背ほどある木製の本棚。

ツバキの背ほどあるビニール製のクローゼット。

ツバキの肩ほどあるプラスチック製のタンス。

唯一目立つのは、40インチはあろう液晶ディスプレイ。

目ぼしいものは、そんなもんだった。


ドアに備え付けてある、新聞及び郵便受けには、何も入っていなかった。

窓から入る日の光りは、やや黄味を帯びているものの、充分明るかった。

ツバキは、リュックを下ろし、中から書類や筆記用具一式を取り出す。

それをちゃぶ台の上に置き、リュックを、壁に取り付けてあるフックに掛ける。

外出着を脱ぎ、あるものは畳み、あるものはハンガーに掛け、あるものは洗濯かごに入れる。

外出着を処理しながら、随時、部屋着を身に付けていく。

すっかり部屋着に着替えたツバキは、台所に行き、カフェオレのスティックの封を切る。

それをカップに注ぎ、そこにポットから湯を注ぐ。


カフェオレの香りを立てるカップに、スプーンを突っ込んで、ツバキは多機能部屋に戻って来る。

タンスの上に置いておいたプラスチック盆を下ろして、ちゃぶ台の右横下に置く。

ツバキは、スプーンでカフェオレをかき混ぜながら、カップを盆の上に置く。

そして、ちゃぶ台の前に、“よっ”と声を出しながら、結跏趺坐を組んで、座る。

ちゃぶ台の上のノートパソコンを引き寄せたツバキは、用心深くカフェオレをすする。

パソコンの電源を入れたツバキは、考えに没頭する。


「ダメだぁ~」

ツバキは叫びながら、伸びをするように両手を頭上に上げ、後ろに倒れる。

トスン‥‥!

仰向けで、両手を頭上に伸ばした姿勢のまま、目をつむる。

『あかんな~。

 八方塞りや』

結局、現時点では、ツバキにも手の打ちようが無かった。

残された時間は、明日一日。

明日には、ターゲットに弾を命中させて、幸せをもたらせなくてはならない。

だが、現時点では、計画も立っていないし、よってシュミレーションもできていない。

実質、明日中に、一切合財カタを付けなくてはならない状況だった。


ムクッと起き上がったツバキは、スクッと立ち上がる。

そして、液晶ディスプレイとDVDプレイヤーの電源を入れる。

本棚に向かい合ったツバキは、しゃがみ込んで、何かを物色する。

本棚の下部の棚は、DVD棚となっていた。

ツバキは、何枚か並んでいる〈落語大全〉と書かれたDVDの中から、一枚を抜き出す。


ツバキは気分転換に、落語のDVDを見始める。

大好きだった、往年の上方落語の噺家のDVDだ。

噺家のオーバーアクション気味の高座に、涙が出るほど笑う。

『いつ見ても、むっちゃ笑わされるなー。

 なんでこんなに、面白いんやろ?笑わされるんやろ?』

ツバキは疑問に思うと同時に、その噺家が生前著わした本の、一節を思い出す。


“笑いは、緊張と緩和”


『‥‥笑いは‥‥笑いの発生は‥‥緊張と緩和‥‥』

笑えることは、幸せなこと。

ということは、“幸せ”も、“幸せの発生”も、“緊張と緩和”。

”緊張と緩和”とは、“ドーンと引き上げて”おいて、“ドーンと落とす”。

あるいは、“ドーンと引き下げて”おいて、“ドーンと上げる”。


「‥‥そうか!」

ツバキは、噺家が口を蛸にして、ネタを熱演している画面を、凝視する。

そして、自分の口も蛸にする。

ツバキは、蛸にした口を、そのまま平べったく横に伸ばす。

蛸からアヒルになった口は、「ガーガー」と声を立てた。

ドナルドダックのように、雛鳥のように、「ガーガー」と声を立てた。

幸せそうに、声を立てた。


ツバキは、早速、翌朝にでも、ターゲットを狙撃することにする。

紺ケースからライフルを出して、作動チェックを始める。

前回のミッションを終えた時、分解掃除とオイル差しは、済ませている。

常に、ミッションを終えた時点で、ライフルの手入れは必ず行なうよう、ツバキは自分に課している。

作動チェックは、アクションレバーを確認することから始まった。


ツバキの使用しているライフルは、“ウィンチェスターM1866改”である。

往年の名ライフル“ウィンチェスターM1866(通称:イエローボーイ)”を元に、HappyGo!Go!が、スナイパー部門員用に改造したものだった。

よって、HappyGo!Go!のスナイパー部門員は全員、ウィンチェスターM1866改を使っていた。

黄色く輝く真鍮製のボディや、アクションレバー(下部にあるレバーを下に引き、そのレバーを戻すことで、空薬莢を外に排出して、同時に次の弾丸を装填する仕組み)は、ほぼそのままだった。


“改”と称される由縁は、スコープと弾丸の装填方法にあった。

スコープは、最新鋭のもので、昼夜問わず、同じレベルでターゲットを捕捉できた。

10キロメートル程度の距離なら、目の前にいるように、ターゲットを狙撃できる。

弾丸の装填は、右側面にある穴から、一発ずつ弾を籠めることで行なう。

本来、ウィンチェスターは、ライフル自体に十発以上の弾を装填でき、連発可能なようにできていた。

しかし、HappyGo!Go!の仕事柄、連発は必要ではない。

どころか、一発一発大事に丁寧に、ターゲットに向けて撃つことが必要だった。

よって、連発可能装填部は取り外され、弾丸は、一発ずつ弾を籠める方式となった。


ツバキは、ウィンチェスターM1866改の作動チェックを終えると、紺ケースに仕舞う。

紺ケースを迷彩リュックに突っ込む。

ツバキは、リュックのポケットから、手帳を取り出し、ターゲットの行動を把握する。

明日は平日なので、ターゲットの出勤途中に、仕事を済ますつもりだった。

帰宅途中や昼休みでは、時間が不規則で、他の人間と一緒にいる可能性が高かった。


ツバキは手帳を閉じると、リュックに仕舞う。

時計を見ると、短針は8と9の真ん中、長針は6と7の真ん中を指していた。

「もう、風呂入って寝るか」

ツバキは、タンスから、タオルとトランクスとTシャツを出す。

そのタオルと着替えを、ユニットバスに持って入る。

それらを洋便器の上に置くと、洗面所に向き合い、歯ブラシを取り出す。

ツバキは、念入りに歯を磨く。

そして、シャワーを浴びて、念入りに体を洗う。

ユニットバスから出て来たツバキは、顔を始め、体中に化粧水を、バシャバシャ付ける。

部屋着を身に付けると、目覚まし時計を午前五時にセットする。

部屋の明かりを落とすと、ツバキは「今日も一日、みんなありがとう」と感謝し、床に着く。


ヒューンヒューン‥‥‥‥ヒューンヒューン‥‥‥‥

見上げると、鳶が旋回して円を描きながら、空中を舞っていた。

円と言うより、平面的なスパイラル、コーヒーに注いだミルクの渦巻きだった。

その渦巻きは、徐々に下方向に立体感を増し、スパイラルらしくなった。

鳶は、ほんの少しずつだが、旋回しながら、高度を下げている。


ツバキは、雑居ビルの屋上にいる。

錆びれた鉄柵越しに覗いた視線の先には、歩道があった。

その歩道は、ターゲットが、通勤に通る歩道だった。

迷彩リュックから紺ケースを出し、紺ケースからウィンチェスターを出す。

ウィンチェスターの上に、紺のスカーフを掛ける。

開けた空間ならば、いつスパイ衛星が覗いているか分からないので、念の為。


紺スカーフの端をめくって、スカーフの下にもぐって、スコープを覗く。

スコープは、歩道に照準が定まっていた。

スコープから目を離す。

スカーフの下から抜け出たツバキは、「ふう」と一息つく。

そして、屋上の床の鉄柵の目の前で、結跏趺坐を組む。

その体勢のまま、錆びれた鉄柵越しに、歩道へ目を光らす。


待つこと、三十分強。

ターゲットが、歩道に入って来た。

ツバキは、紺スカーフをめくってもぐり込んで、スコープに目を合わせる。

スコープの中に、ターゲットが侵入して来る。

+の位置に、照準点に、ターゲットが重なる。




本当の幸せは、線のように続かない。

一発一発、点々として続いていく。




パンッ‥‥!

ツバキは、弾丸を放つ。

弾は、正確に、ターゲットに到達した。

ターゲットは一瞬フリーズしたが、すぐに歩みを再開した。

ターゲットがスコープから見えなくなると、ツバキも、スコープから目を離す。


紺スカーフの下から出て来たツバキは、裸眼でターゲットを目視する。

ターゲットは、何事も無く、周囲にも気取られること無く、歩みを続けていた。

サイレンサーを付けていても、弾丸の発射音を聞きつけたのか、鳥の雛が鳴き出していた。

巣から聞こえてくる雛のさえずりを聞きながら、ツバキは腕の時計を覗き込んだ。


もう充分幸せな人間に、改めて幸せをもたらす為には、一度その人間に不幸になってもらわなくてはならない。

そうすれば、元々幸せなので、放っといても、また幸せになる。

幸せが、もたらされる。


“幸せ”とは、”緊張と緩和”。

“ドーンと引き上げて”おいて、“ドーンと落とす”。

あるいは、この場合は、“ドーンと引き下げて”おいて、“ドーンと上げる”。


鳶が旋回して、時計廻りで円を描きながら、空中を舞っていた。

さっきより、随分、高度を下げていた。

雛のさえずりをBGMに、鳶の旋回図を背景画に、ツバキは再び腕の時計を見る。

昼飯までには、まだまだ数時間あった。

ツバキは、ウッドペッカーに寄って、昼まで、報告と次のミッションの確認をすることにする。


ツバキはフト思い付いたように、空を見上げ、屋上への出入り口を見る。

ウィンチェスターのアクションレバーを起こし、UHbと刻印のある空薬莢を外に吐き出す。

尻ポケットから取り出した新しい弾丸を、ウィンチェスターに籠める。

ツバキは、ウィンチェスターを抱え上げる。

屋上への出入り口に向かって、構える。

紺スカーフの下を、めくってもぐる。

スコープで、ターゲットを確認する。

+の位置に、照準点に、ターゲットが重なる。




でも、本当の幸せは、点々としていても、

連なるように、連綿と続いていく。




パンッ‥‥!

ツバキは、弾丸を放つ。

弾丸は、正確に、出入り口の屋根に下がっていた巣に、到達した。

一瞬、雛のさえずりは止んだ。

そして、すぐさま、心なしか以前よりは力強く、雛は鳴き出す。


ツバキは満足そうに微笑んで、ウィンチェスターを下ろす。

すぐに、紺ケースにウィンチェスターを仕舞う。

ツバキは、紺ケースを迷彩リュックに入れる。


ヒューンヒューン‥‥‥‥ヒューンヒューン‥‥‥‥

旋回して高度を下げていた鳶は、今度は反時計廻りに旋回して、高度を上げつつあった。

高々と旋回して行く鳶を見上げて、ツバキはニコリと笑む。

その微笑みを、巣の方へ向けて、ツバキは言った。


「せめて、巣立ちするまでは、幸せにな」


ツバキの尻ポケットには、SHbが一発だけ残されていた。


<終わり>

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