#9 呼出
あれから1週間ほど、宇宙空間で過ごす。狭い艦内だが、まだ宿舎が完成しておらず、地上にいる時から1203号艦の乗員はこの狭い艦内で過ごしていたから、特に窮屈だとは感じていない。
むしろその宿舎ができたことで、狼狽えるものが出る。
「ど、どういたしましょう。私、一人で暮らすことに耐えられそうにありません」
そういえばこのお嬢様は、生活の多くをハルツハイム兵曹長やハインミュラー少尉に頼り切っている。食事も、駆逐艦の自動調理に依存している。
宿舎となれば、風呂も食事も自身で用意しなくてはならない。それを知ったエルミールが今、騒いでいるところだ。
「いやあ、たいしたことないよ。すぐに慣れるって」
「慣れる、と言われましても、どうやって慣れるというのですか?」
ハルツハイム兵曹長の一言に、珍しくこの状態のエルミールが反論している。普段はただ連れられるがまま従うままだったエルミールが、この小柄な同性の兵曹長に食いついてくる。
「いやまあ、何とかなるんだって。お風呂なんて、ただボタンを押すだけで入っちゃうし、部屋の掃除や料理はロボットに任せればいいわけだし……」
「ロボットとは何ですか? 任せるって、それは侍従を雇うと仰せられるのです? 今の私に、侍従を雇うほどの財力はございません」
こういうところは貴族令嬢だ。なぜかいつもは優位なハルツハイム兵曹長が、言い負かされている。ちょっと可哀そうに感じたハインミュラー少尉が割って入る。
「まあ、なんだ。ハルツハイム兵曹長がしばらくの間、エルミールのところに通ってあげればいいんじゃないか? 生活が安定してくれば、一人でこなせるようになるだろうし」
「あ、はい、その通りですね、少尉殿。そうさせてもらいます」
と、その場はこれで乗り切った。ふと少尉は、食堂の天井付近に並ぶモニターに目を移す。
そこには、まるで牡丹の花のような形のものが映っている。これはこの星域、すなわちここ一週間の間、駆逐艦1203号艦が連盟軍の侵入に備え続けた場所にある巨大天体の姿である。
「牡丹星雲」と命名されたそこは、光り輝くピンク色の星間物質が何重にも積み重なった天体だ。ちょうどそれが牡丹の花のように見えるから、牡丹星雲と命名された。数万年以上昔に起きた超新星爆発の名残りが、今も光を放ちつつ、猛烈な広がり続けている。
その爆発の際に発生した膨大なエネルギーによって、この星系の周囲にはワームホール帯と呼ばれるものが無数に点在する。それは、遠く何光年も離れた先に跳躍するために利用される天体で、このワームホール帯をたどることで、この時代の人々は遠く何光年も先まで行くことができる。
そのワームホール帯が無数に存在するこの場所は、いわば宇宙の交差点ともいうべき星域となっているため、その領有権を巡って2つの陣営同士の争いが絶えない。先の10隻の連盟艦隊の侵入も、この星域近くに存在する新たな星、地球1053に探りを入れるための強行偵察部隊だった。
だが、あの10隻が未帰還だったことが幸いしたのだろうか、この一週間のうちに連盟軍が現れることはなかった。ただ、あの巨大天体が光り輝き、闇の世界と灰色の船体を照らし続けている。
そんな平和な日々を過ごし終えた彼らは、いよいよ地球1053へと帰還することとなった。しかも今度は、地上にできたばかりの住処が与えられる。今よりはゆったりとした暮らしができると、多くの乗員が内心、喜びを覚えている。ただ一人、あの貴族令嬢を除いて。
やがて、この艦も帰還の途につく。
『前方、2万キロ先にワームホール帯感知!』
『あと3分で、ワープに入ります』
『了解。最終チェックだ、機関室、および各種センサー類の挙動を確認せよ』
『はっ!』
いつも通り、騒がしい艦橋だ。これから行われるワープに備えて、艦内は大わらわだ。
『センサー類、ならびに機関に異常なし。ワープ準備、完了』
『よし、では超空間ドライブ作動準備』
『はっ! 超空間ドライブ、作動準備!』
いよいよ、ワープ準備に入る。この牡丹星雲から地球1053星域までは12光年離れている。この世で最も速い光でさえ12年かかる距離を、一瞬で跳躍する。それが、ワームホール帯を利用した超光速航法、すなわちワープ航法だ。
『ワームホール帯突入まで、10秒前!』
『ワープ用意!』
『カウントダウン! 5……4……3……2……1……今!』
『超空間ドライブ作動、ワープ開始』
一瞬、星々が姿を消し、真っ暗な空間に変わる。その虚空の世界をくぐり抜け、再び星が広がる通常空間に戻る。
『ワープ終了、機関および各種センサー正常』
『星図照合、地球1053宙域です』
『レーダーに艦影なし、進路上、障害物なし』
ワープ終了と同時に、次々に報告が上がる。この間の外にはあの巨大なピンク色の天体はなく、無数の光の点が散りばめられた暗い空間が広がるのみだ。
で、この時、ハインミュラー少尉とエルミールは、どこで何をしていたのか?
「チッ、何だ、敵はいないのかよ。つまんねえなぁ、おい」
射撃レバー片手に悪態をつくのは、暴走エルミールだ。艦影なしの報告で、艦内に安堵感に覆われる中、一人、毒気を出している。
ワープ直後というのは、無防備な状態だ。その無防備状態を狙って、ワームホール帯の前で待ち伏せするケースが、過去に何度も起きている。そのためワープ時には砲撃科は、その不意打ちに備えて砲撃戦準備のまま待機することになっている。
が、敵はいなかった。となれば、備えは不要となる。
「遭遇戦はないな。よし、砲撃戦、用具納め」
「はっ、砲撃戦、用具納めよし」
砲撃長の指示に、復唱するハインミュラー少尉。軍服姿のエルミールは、ぶつぶつ言いながらレバーを畳む。その瞬間、素のエルミールに戻り、またいつもの暗い顔に変わる。
「ああ、なんとここは暗いのでしょう……まるで私を死の国に誘うが如く、ですね」
ネガティブな性格に戻ったところで、ハインミュラー少尉がエルミールに声を掛ける。
「今日はこれで任務終了だ。いつものように食事を済ませてから、アレ、やろうか」
「は、はい」
この極端な人格変化のやり取りにも、砲撃科の面々も慣れてきている。ただ彼らは、この二人にそれ以上の進展がないことに若干もどかしさを感じてはいたが。
「うひょ~っ、こいつはちょいムズいな。なんて数の敵が出てくるんだよ」
ハインミュラー少尉の部屋で、いつものようにベッドの上に座りプレイに夢中なエルミール。そんな、戦艦レオポルド・プリムスの街で購入したシューティングゲームにハマるエルミールを、少尉はじっと見つめる。
「なあ、エルミール」
「何だよ、今忙しいんだ」
「いや、明日にはこの艦は王都トゥルーゼ港に到着する。となると、僕らは宿舎に移ることになる。そうなると、今のように気軽に部屋に来ることはできなくなるぞ」
それを聞いたエルミールの眉がピクリと動く。楽観的な性格側のエルミールですら、この先のことは気にしているようだ。それは、プレイ中のゲームで落ちた命中率が如実に示している。
「なあ、宿舎ってのは、どういう構造になってるんだ」
「そうだな、20階建て、高さ100メートルの幅広な建物に、ちょうどこの駆逐艦の居住区のようにずらりと部屋が並んだ構造になっていると聞いている」
「なんだよ、この部屋みてえなところかよ」
「ここと違うのは、各部屋には風呂や台所が備わってて、中には2つの部屋があるということだな」
「てことは、ここみてえに大浴場や食堂があるってわけじゃないのか?」
「浴場はないな。食堂もないが、その代わりに最下層にはファミレスが備えられるそうだ」
「なんだ、それじゃあそこで飯を食えばいいんじゃねえか」
「上等兵の給料で、毎日外食はもたないぞ。自炊しなきゃ、やっていけないだろうな。駆逐艦乗艦時は、手当て代わりに食事代が無償となってるが、丘に上がればそうはいかない」
「う……」
「それにだ、お前、そもそもお金の使い方も知らないだろう。そのあたりから慣れていかないと、ダメだろうな」
少尉に現実を突きつけられるエルミールだが、その現実から目を背けるように、ゲームに没頭する。
「まあいいや、なるようにならぁな!」
結局、このお嬢様は先送り宣言をして、その場の娯楽にうつつを抜かす。何か面倒ごとにならなきゃいいが、という予感に襲われるハインミュラー少尉だったが、それが具体的な形で現れたのは、その翌日のことだった。
「繋留ロック作動、船体固定よし。トゥルーゼ宇宙港、第27ドックに入港完了しました」
「機関停止、各種センサーシャットダウンせよ」
ついに王都トゥルーゼに帰還を果たした駆逐艦1203号艦は、地上から生えた2本の支柱によって前端部を支えられ、後部の艦底部を接地した状態で固定される。艦長が、艦内放送のマイクを握る。
「達する。艦長のアーベラインだ。当艦乗員にはすでに、各々の宿舎が割り振られている。各員、下艦した後に、当宇宙港ロビーにて宿舎の割り当てとキーを受領、しかる後にそれぞれの住処に向かわれたし。以上」
艦長から乗員らに新たな住処へ目指すよう言い渡されると、艦橋にいる乗員たちは各々動き始める。
「さ、僕らも行こうか」
入港の様子を見せようと、エルミールはここ艦橋の中に置かれた簡易座席に座っていた。この港を離れ、大気圏離脱時には機関音で気絶したエルミールだが、さすがにこの一週間ほどの任務を通して成長したのか、りんとして座席に座る。いや、単に行きとは異なり、帰還時には機関音を鳴り響かせることはなかったから、というだけに過ぎないのかもしれないが。
「で、艦を降りたらまず、艦長の指示通りロビーへといこう。で、部屋の鍵を受け取って……」
そう説明しながら、エルミールと共にエレベーターへと向かう。それをただじっと聞き入るエルミール。
「えっ、エルミールちゃんは12階の35号室? 私が3階4号室だから、結構遠いね」
まだできたてのロビーで鍵を受け取った後、そこに現れたハルツハイム兵曹長がエルミールに部屋番号を尋ねていた。
「そういえば少尉殿はどこだったんです?」
「ああ、12階の7号室だ」
「あれ、エルミールちゃんと同じ階じゃないですか。やらしいですね」
なぜ、やらしいのか。一体この兵曹長はどんな想像をしているのやら。少尉の顔が、露骨に不快感を見せるが、そんなことにハルツハイム兵曹長は動じない。
「しょうがないなぁ。頑張って12階まで通うかな」
などとぶつぶつ呟きながら、ハルツハイム兵曹長はロビーを出ていく。なんだ、エルミールを連れて行ってくれるわけではないのか、案外ドライなやつだなと、少尉は思う。
とはいえ、こればかりは仕方がない。宿舎を与えられたとはいえ、部屋だけでは暮らせない。生活に必要なものを買い揃えなくてはならないし、そのことで皆、頭がいっぱいだ。もっとも、それは少尉の同じなのだが。
たまたま同じ階に当たったこともあり、二人揃って宿舎に向かう。それは、宇宙港を出てすぐの場所、高さが100メートルほど、幅広の高層の建物。まるで堅固な城壁のように、エルミールには見える。そんな建物には横方向にそれぞれ50もの部屋が並ぶ。一つが6メートルほどの幅だから、横方向に300メートルはある。
そんな横広の断崖絶壁には、4箇所のエレベーターが設けられている。それを使い、12階まで上がる。まずは、ハインミュラー少尉の7号室へとやってきた。
「ここが、僕の部屋だ。で、エルミールの部屋は35号室だから、ここを奥に行ったところだな」
と言いながら、さっと手荷物をおいた少尉はエルミールを連れて、彼女の部屋へと向かう。
「ここがエルミールの部屋だ。ええと、ちょっと僕は忘れ物を取ってくるから、しばらくここで待ってて」
そう言って、エルミールをその部屋に残し、ハインミュラー少尉は慌てて自分の部屋へと戻る。これから買い出しに行かなければならないが、財布まで置いてきてしまったことを思い出す。急ぎ足で部屋に戻ると、大きなバッグの中を弄り財布を取り出す。
部屋に戻った少尉は、中を見渡す。玄関を入ってすぐにダイニングキッチンがあり、その脇にはトイレと風呂場。奥には2つの扉があって、それぞれが部屋になっている。
その片側にはあらかじめベッドが一つ置かれており、その脇にはテレビ、キッチンには冷蔵庫が一つあるが、それ以外はほぼ何もない。いろいろと、買い揃えないといけないな、そう思いながら少尉は、カーテンを開けて窓の外を見る。
高さは、50メートルほど。遠くに丘の上に建つ王宮と貴族街、そして低層の平民街が一望できる。そして手前には、区画整備されてその間に敷かれたアスファルト路面が碁盤目状があり、その道路で仕切られた区間の間を、いくつもの建物が建てられようとしている。
建物の建て方だが、多くは宇宙空間で作られる。無重力下なら骨組みを並べてコンクリートを流し込むだけで、あっという間に大きなビルでも作り上げることができる。それを大型の輸送船を使って地上に下ろし、そこで内装を整える。
ロレーヌ王国との条約が締結し、王都郊外に宇宙港と併設する街が建設されて3か月。この短い期間で、宇宙港や宿舎など大きな建物が次々に建てられたのは、この建設方法による。この宇宙港の街と隣の王都とは高い塀で仕切られていて、互いの人の往来を制限、管理している。
というのも、この街と王都では、仕組みも法も違う。
少数の特権階級が大勢の民を支配する封建体制と、宇宙から来た民主主義、資本主義な人々とでは、あまりにも社会体制が違いすぎる。特に法の違いは深刻で、ここロレーヌ王国では、王族の馬車の前を通り過ぎるというだけで斬り殺されることが合法とされている前近代的な法が支配する国だ。それゆえに、地球317の人々をそんな理不尽な法から守るために塀で仕切り、王国の法が及ばない領域を設けた。一方の王国側も、宇宙からもたらされる革新的な思想、すなわち民主主義というものに自国の臣民が無条件に触れることは都合が悪い。そんな両者の思惑で作られたのが、あの高い塀だ。
その塀のお陰で、エルミールは死罪を免れている。もちろん、あの壁を超えてしまえば、その瞬間にエルミールは罪人として捕らえられ、処刑されてしまう。
うっかり、エルミールを連れてあの塀を超えないようにしなくては、と言い聞かせるハインミュラー少尉は、そこでふとエルミールを待たせていることを思い出す。財布をポケットに入れて玄関へと向かうが、その玄関の扉をガンガンと叩く音が響く。
「おい、開けろ!」
エルミールの声だ。にしても、穏やかじゃないな。それはそうだ、あれは明らかに穏やかではない側のエルミールの声だ。
変だな、ゲーム機もなく、フォークすらないはずだが、何か「握る」ものなんてあったか? 腑に落ちないが、ともかくガンガンと扉を叩くので、うるさくてかなわない。鍵を開けて、扉を開く。
「どうした? 今からそっちに行こうとしてたんだが」
ハインミュラー少尉が扉を開くと、青ドレスの令嬢がそこに立っていた。手には、懐中電灯が握られている。ああ、これか。これは玄関脇に取り付けられた、非常用の懐中電灯だ。まだ昼間だというのに、煌々とつけられた灯りを片手に、エルミールがこう言い出す。
「決めた」
「決めたって、何をだ」
「俺は、ここに住む」
「は?」
いきなりのこの提案に、理解が追いつかない。
「ここって……だから、今からそのための買い物をだな……」
「この部屋に住むって言ってんだよ」
「は? ここは僕の部屋だぞ」
「部屋が2つあるだろう。どうせおめえ一人じゃ、ひと部屋持て余すだろうから、そこに俺が住んでやるって言ってんだよ」
「いや待て。風呂やキッチンはどうするんだ?」
「共有すりゃあいいじゃねえか。どうせ、俺は使い方を知らねえし、だったら一緒の方がいいと思ってよ」
「それなら、ハルツハイム兵曹長がいるだろう」
「やだよ、あの女、俺の胸ばかり触ってきやがる。その点、おめえとならゲームもやれるし、楽しいと思ってよ」
「そ、そういう問題じゃないだろう。男女が、ひとつ屋根の下に住むんだぞ?」
「グダグダ言うな、男だろう! ま、そういうことで……」
一方的な提案を押し切った後に、エルミールは手に持った懐中電灯をキッチンのシンクの横にポンと置く。
「……よろしく、お願い申し上げます」
素のエルミールに変わると、スカートの裾を少し持ち上げながら、深々と頭を下げてこう締めくくった。これには、ハインミュラー少尉も断れない。
「それじゃ、必要なものを買い出しに行こうか」
「はい」
そう一言、このお嬢様に声をかけると、青ドレスの令嬢はそっと少尉に寄り添う。そのまま二人は、この高層宿舎の1階に設けられた仮設の市場へと向かう。
さて、こうして強引に始まった二人の同棲生活だが、帰還後与えられた5日間の休暇を利用し、生活基盤を整えていく。
が、その休暇の3日目に、ハインミュラー少尉は思わぬ人物からの呼び出しをくらう。
それは、エルミールの実家であるフォンティーヌ侯爵家の当主、レオナール・ド・フォンティーヌからだった。