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#7 香り

「はぁ、(わたくし)、正真正銘の大罪人になってしまいましたわ。やはりこの私を断頭台に……」


 戦場での命のやり取りとは無縁だった貴族令嬢が、まさかの遭遇戦での戦果を上げてしまい、後悔の念に苛まれている。


「まだ言ってる。もうそろそろ諦めたら?」

「何をおっしゃいますか、私がいなければ、その2隻の船の船員らは生き延びることができたのですよ。200人もの命を奪うなど、私としたことが、なんと罪深いことを……」


 

 ピザを片手に、ぶつぶつとネガティブ思考を加速させる通常モードのお嬢様に、さすがのハインミュラー少尉も飽き飽きしてきたところだ。が、今のエルミールの前には、ピザにフライドチキン、フライドポテトと、素手で食べるものばかり並んでいる。

 頑として、もう一つを出さないつもりか。大戦果を上げながらもウジウジと後悔し続けるエルミールへの苛立ちが限界を超えたハインミュラー少尉は、そんなお嬢様のモード展開を謀る。


「エルミール」

「な、何でございましょう……」


 フライドチキンに手を伸ばしつつあったエルミールのその手を、少尉は掴む。不意を突かれ呆気にとられるエルミールは、あるものを握らされる。と、みるみるうちに表情がぱあっと明るくなったかと思うと、その手に握らされたフォークをフライドチキンに刺し、それを豪快に食らう。


「いやあ、いつ食っても美味えよなぁ。誰だよ、こんな美味えもの考えたやつは」


 下品だがポジティブ感情なエルミールへとチェンジを済ませると、少尉はそんなエルミールに話を切り出す。


「なあ、エルミール」

「何だよ」

「今、我々は戦艦レオポルド・プリムスに向かっている」

「へぇ、そうなのか」

「で、戦艦には、あるものがあるんだ」

「なんだ、そのあるものってのは」

「街だよ」


 ハインミュラー少尉の言葉にやや無関心だったエルミールの手が一瞬、止まる。


「街って、おい、戦艦ってのは船だろう?」

「そうだ」

「船の中に、街があるっていうのかよ」

「大きな船だぞ。なにせ2万人も乗っている。そんな船だから当然、街もある」

「てことはまさか、食い物もたくさんあるのかよ?」

「当然だ。食い物だけじゃないぞ、ゲームも服も、それ以外にもいろいろな娯楽であふれている」


 それを聞いたエルミールの目は輝きを増し、頬は一気に紅潮する。


「おい!」

「なんだ」

「俺をそこに連れてけ!」

「そう言うと思った。どのみち、補給中はいやでも行かざるを得ないからな。到着までは9時間後、寄港はおよそ10時間だ。目一杯楽しむつもりなら、早く食事を済ませてさっさと寝ておいたほうがいい」

「おう、そうと分かりゃ、さっさと寝るぜ。おいフリーデ、これ食ったらさっさと風呂に行くぞ!」

「ええ〜、食べてすぐに入るのぉ!?」

「ったりめーだ、善は急げ、風呂も急げだ、とっとと行くぞ!」


 フォークを握るエルミールは、急に食事のペースを上げる。ガツガツと残ったジャンクフードを食べ切ると、トレイを片付ける。が、その後正気に戻りオドオドしていると、そのままハルツハイム兵曹長に連れて行かれて、風呂場へと向かっていった。


『達する。艦長のアーべラインだ。これより当艦は戦艦レオポルド・プリムスの第12ドックに寄港する。到着は3時間後、艦隊標準時1800(ひとはちまるまる)、出発は翌0400(まるよんまるまる)。各員、出発時刻の30分前までには乗艦するように。以上だ』


 それからおよそ9時間後、彼らはその戦艦の上にいた。

 この宇宙の宇宙艦隊は通常、一万隻からなる一個艦を、300隻ごとの戦隊という単位に分け、その戦隊ごとに一隻の戦艦がいる。戦艦とは言うものの、戦闘はほとんど行わず、駆逐艦の補給などの後方支援に従事する艦となっている。

 全長はおよそ5000メートル、30門の主砲に、35基の駆逐艦繋留ドック、そしてその大きな船体の中心部分には「街」を備える。

 補給のため寄港した駆逐艦の乗員らは、補給作業中はこの街に立ち寄り、狭い船内生活での鬱憤を晴らす。街には、そのための娯楽施設や飲食店が多数並んでいるという。

 そんな戦艦に向かうべく、駆逐艦1203号艦は戦艦レオポルド・プリムスへと進路を向ける。本来であれば、この艦は1週間後に補給を受ける予定であったが、先の戦闘により戦闘物資を消耗したため、それが前倒しとなった。


「進路そのまま、両舷前進、最微速」

「ビーコンをキャッチ、距離1700」


 入港シーケンスが開始され、ここ艦橋は再び騒がしくなる。窓の外には、灰色の岩肌が広がる。戦艦という艦種の船は、全長が5キロほどの小惑星をそのまま船体として用い、表面にはステルス塗装を施し、内部に各種設備を取り付けているだけの、その大きさの割に安上がりに作られた宇宙船である。

 その岩肌むき出しの無骨な船体表面に生えている2つの柱の間に、まさにこの艦は滑り込もうとしている。


「ドックまであと30……20……10……着底、繋留ロック作動」

「船体固定よし、速度ゼロ、入港完了いたしました」

「了解、機関停止」

「はっ、機関停止」


 ガシャンという機械音と共に、長い船体の先端に大穴の開いたこの艦は、岩肌表面に生えた柱に挟まれるように固定される。


「達する。艦長のアーべラインだ。現時刻をもって、戦艦レオポルド・プリムスへの乗艦許可が下りた。各員、担当任務の手が離れ次第、逐次、下艦せよ。以上」


 この艦長の艦内放送を聞いた乗員らは、各々が立ち上がりつつ、艦橋の出口へと向かう。


「さ、行こうか」


 ハインミュラー少尉は、椅子に座ったままのエルミールに声をかける。外の武骨な岩肌に、立ち並ぶ管制塔やドッグ、そこに繋留されている数隻の駆逐艦を訝しげな表情で見つめている。そんなお嬢様に手を差し伸べる少尉、その手にそっと手を添え、彼女は立ち上がる。

 非番ということもあって、例の青いドレスを着ている。その姿のままエレベーターへと向かう。大勢がエレベーター前に並ぶが、その後ろでハインミュラー少尉とエルミールは自身の順番が回ってくるのをじっと待つ。

 エレベーターで1階まで降りると、その先にある通路の側面の扉が開いている。その先には細い通路が続いている。戦艦側から延ばされたエアチューブの通路をたどると、そこはがらんしたと広い場所へと出る。


「ここは……」

「ああ、この先に駅があるんだ」

「え、駅?」


 聞いたこともない言葉に戸惑うエルミールだが、特にそれ以上説明することもなくこのお嬢様を連れて、皆が向かうその奥へと向かう。そこにはガラス張りの大きな扉が多数並ぶ。等間隔に並んだ扉の前に、乗員らが並び始める。

 やがて、その向こう側からゴーッという音が響く。


「さ、あれに乗るよ」


 目の前のガラス扉の向こうには、銀色の長い車体がなだれ込んでくる。その車体が停止すると、ガラス扉が一斉に開く。

 要するにこれは艦内連絡用の環状鉄道なのだが、見たこともないその乗り物を前に、乗り込むのを躊躇するエルミール。そんな彼女の手を引き、少尉は急いで中へと乗り込む。


「幸い、ひと駅で目的地に着く。ちょっとうるさいけど、我慢してて」


 中の座席に腰掛け、不安げな顔で周りを見渡すエルミールにそう告げる少尉。扉が一斉に閉まり、銀色のその列車はゆっくりと動き始める。


『レオポルド・プリムス艦内鉄道にご乗車いただき、誠にありがとうございます。次は終点、プリムス街駅。ホームと車両の間が空いているところがあります。お降りの際は、お足元にご注意ください』


 無味乾燥なアナウンスが、この重い金属の塊がレールを滑る音の合間から聞こえてくる。やがて、窓の外が急に明るくなる。

 その光につられて後ろを振り向くお嬢様の表情から、影が消える。目の前に現れた光景が、その瞳に映り込む。

 そこには、ガラス張りのビルが並んでいる。ビルの下には派手な看板やショーケースがあり、その前には大勢の人だかり。

 上を見上げると、黒い天井がある。が、その隙間からは、その上を歩く人々が見える。さらにその上にも天井があり、その上に続くエスカレーターが見える。

 ここは縦横400メートル、高さ150メートルに区切られた空間で、その中には4層からなる仕切りの上に、4、5階建てのビルがぎっしりと碁盤目状に並ぶ。そのビルの上部は居住部分、下は商業部分となっていて、2万人もの人々の暮らしを支えている。エルミールが見たのは、その最下層部分だ。

 唖然とするエルミールの目の前には、やがて駅のホームが現れる。電車はスムーズに滑り込むと、プシューッと音を立ててその扉を一斉に開く。


「さ、降りるよ」


 ハインミュラー少尉が、窓の外を見入るエルミールに声をかけると、ハッと我に返り立ち上がる。大勢の人々と共に扉の外へ出ると、駅の前に並ぶ商店街と人並みが目に飛び込んでくる。


「エルミール、どこか行きたいところはあるかい?」


 ハインミュラー少尉がそう声をかけるが、そもそもここに何があるのかすら知るはずもないお嬢様だ。無言でただ首を横に振る。


「あ……そうだね、ここに何があるかなんて、知るわけないか」


 今はずけずけと要求を突きつける「暴走」エルミールではない。自己否定的な、死にたがりの大人しいお嬢様の方だった。少尉は少し考えると、おもむろにスマホを取り出して、辺りを検索する。


「それじゃあ、まずはカフェにでも行こうか」


 カフェがどういうところなのか、エルミールは知らない。これが暴走エルミールなら聞き返すところなのだろうが、駅前の人込みと繁華な店舗街に圧倒されるエルミールは、少尉の言葉にただうなずくのが精いっぱいだ。

 そんな少尉に連れられて、長いエスカレーターに乗り込む。ビル5階分の高さを徐々に登るそのエスカレーターの上で、少し正気を取り戻す。


「はぁ、なんて高い場所……ここから飛び降りたなら、ひと思いに……」


 もっとも、この状態のエルミールはこれが平常運転だ。これほど繁華で希望にあふれた場所を前にしながら、なかなか消えない彼女の心の闇に、ハインミュラー少尉は少し残念に思う。

 まだ街に入ったばかりだと、気を取り直して目的地へと向かう。エスカレーターを降りると、その先に広がる踊り場へと向かう。

 そこには、たくさんのテーブルと椅子が並ぶ。ぽつぽつと人が座り、ティーカップを片手に何かを飲んでいる姿がちらほらと見受けられる。

 その奥にはカウンターがあり、そこでは店員が3、4人、客を相手に注文を受けている。そのカウンターへとエルミールを連れて向かう少尉。


「いらっしゃいませ、本日お勧めのダージリンティーなどいかがですかぁ?」


 妙に陽気な店員に当たり、その圧に押されて後退りするエルミールだが、それをかばうようにハインミュラー少尉が前に進み出て注文をする。


「あ、それじゃそれを2つと、あとはこのソーセージマフィンも2つで」

「はぁい、受けたまわりました。ダージリンティー2つ、ソーセージマフィン2つで」


 ついエルミールに確認する間もなく、さっさと決めてしまったことにふと気づいて後悔する少尉だが、頼んでしまったものは仕方がない。どのみち、ここは敢えて食器を使わないものを頼むつもりだった。今は素のエルミールと会話したい、そう考えていた少尉としては、その意思に従ったメニューを頼んだ。

 ところで、何かを握ると豹変するエルミールだが、どういうわけかエルミールはグラスやコップの類いは持っても「暴走」することはない。飲み物を入れるだけのあれは「道具」とみなしていないのか、ともかく飲み物を飲むだけならば彼女は「あっち側」へ行くことはない。

 で、2つのティーカップと2つの皿に入ったマフィンを受け取ると、暗い顔で平常運転中なエルミールを連れて踊り場のテーブルの一つへと向かう。突然現れた、この異色の青ドレスの令嬢の姿に周りの軍属は少し奇異の目で彼女を見入る。その視線を受けて、このネガティブモードのお嬢様はますます背を丸めて身をひそめるように歩く。


「そんなに気にしなくてもいいよ。それよりもほら、まずはこれを頂こう」


 そういってハインミュラー少尉はトレイをテーブルの上に置く。辺りの視線を気にしながらも、ともかく椅子に座るエルミールは、ため息をつく。


「はぁ……やはり(わたくし)など、この場にいてはいけない者なのだと……」


 そう言いかけた彼女は、ふと目の前にあるティーカップに目をやる。そのカップから漂う香りを吸うや、そのティーカップの中身に見入る。


「これは……もしや、紅茶ではありませんか?」


 このお嬢様の意外な反応にハインミュラー少尉は少し戸惑うも、こう返す。


「うん、そうだけど」

「この香り、まるで王室御用達のマリアージュ・フレルのあの上品な茶葉のようでございます。それにこのほのかに感じられる香り。これは花の房を干して作るフレーバーのような……」


 突然、饒舌になるお嬢様に思わず引いてしまうハインミュラー少尉だが、そんな少尉の顔を見て我に返ってしまうエルミールは、慌ててそのティーカップを置く。


「も、申し訳ありません。(わたくし)、つい夢中になってしまい……」

「いや、いいよ、続けて」

「ですが、私のようなものがぺらぺらと紅茶一つに語り出すなど、あまりにもおこがましいことでございます」

「そんなことないよ。むしろ、この状態のエルミールが夢中になるところを初めて見た。だから、続けて」

「は、はい……」


 とは言われたものの、我に返って恥ずかしさに支配されたのか、ただ黙ってその紅茶をひと口、飲む。


「……わ、(わたくし)の家、フォンティーヌ家の領地には、茶の産地がございまして」

「へぇ、そうなんだ」

「何度か父上の領地視察に同行した私は、そこで茶に触れておりました」

「ふうん、で、そこで紅茶が作られていたのかい」

「はい、ですが遠く温かな気候の南国よりもたらされる茶葉には敵わず、どうしてもあの香りが出ない。そこで父上らはこの領地で取れた茶葉で作られた紅茶に香りを添えるために、様々な花や果実を組み合わせてその香りと味を高めようとなされていたのです」


 思わぬ特産品づくりの苦労話を聞かされるハインミュラー少尉だが、思えば彼女が自身の身の上のことを語るのはこれが初めてである。

 要するに、南国で作られる紅茶に対抗すべく、自身の領内で作られる紅茶の改良や工夫を続けていた。その過程で、対抗する紅茶を何度か取り寄せては飲み比べる。その結果として、いつの間にか茶に通じてしまったというのである。

 だが、何かを握ると暴れ出す彼女が唯一正気で触れられるカップと、それに注がれる紅茶とに関心がいくのはある意味当然のことだろうと少尉は思う。そういえば、駆逐艦内にある飲み物と言えば、ジュースか水、そしてコーヒーくらいで、香り高い紅茶など存在しない。ここに来て、少尉は素の彼女の知らない一面を見ることとなった。

 その紅茶のおかげか、少し和んだ雰囲気でぽつぽつと話をする。ハインミュラー少尉も、自身の故郷の話をエルミールに聞かせる。彼の故郷は田舎過ぎず都会過ぎずの中途半端な街だというのだが、そこでの子供時代の話や、その後、軍大学へと進んだ経緯をエルミールに聞かせる。それを紅茶片手に、黙って聞き入るエルミール。

 真上には、いくつもの太陽が輝く。いや、あれは太陽ではなく、太陽に似せた照明なのだが、それがこの2人を温かく和やかに照らしている。やがて、2つのカップと2つの皿が空になると、2人は街の中へと歩いていく。

 で、向かった先は、ゲームセンターと呼ばれる場所だった。素のエルミールとの交流は、もう十分だろう。ならば、もう一人のエルミールとの約束も果たさねばと、そうハインミュラー少尉は考えてここに来た。入り口付近には、とあるゲーム機が置かれていて、その中にはなにやら奇妙な化け物がうごめいている。

 その脇には、2つの銃がある。もちろんそれは実物ではなく、そのゲーム機の銃だ。つまりそれを使って、正面にホログラフィーで表示されているあの化け物を撃つという、そういう類いのゲームだ。そしてハインミュラー少尉は銃を取り、それをエルミールに渡す。


「さて、エルミール。それじゃあ約束通り、ここでひと暴れして……」


 そう言いかけたハインミュラー少尉は、エルミールの表情を見て思わず言葉を止めてしまう。それはつまり、彼女の表情があまりにも想定外だったからである。

 明らかに、機嫌が悪い。暴走エルミールと果たした約束の場に来て、ようやくそれを果たそうというのに、なぜかただならぬ表情で少尉を睨みつける。そんなエルミールの表情に、ハインミュラー少尉は戸惑うばかりだった。

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