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#5 接敵

「抜錨! 駆逐艦1203号艦、発進する!」

「繋留ロック解除、抜錨、駆逐艦1203号艦、発進します!」


 駆逐艦の重い船体が一瞬グラッと揺れたかと思うと、王都の街並み、建設途上であるガラス張りの宇宙港の建物が下に動き出す。いや、正確にはこちらが上へと動いているのだが、機関音と揺れに紛れて、上昇する感覚がつかめない。そもそも、上昇時の加速度をこの艦の慣性制御が打ち消しているので、人の感性では感じられないのは当然だ。

 そんな不可解な感覚が襲う艦橋内には、あのお嬢様とハインミュラー少尉の姿があった。久しぶりに直に外の風景を目にするエルミールだが、何も握っていない状態の彼女は、明るい外の風景とは裏腹に、その表情は暗いままだ。

 小さなパイプ椅子に座り、ただ不安げに外を眺めているエルミールに、ゲーム機のコントローラーでも握らせたくなる少尉だが、艦橋内で暴走状態にするわけにもいかず、ただその脇に立って、少しでも彼女の不安を紛らわせるよう務める。


「ほら、あそこのひと際高い山が、ロレーヌ王国ではラックモンテ山と呼ばれている山だよ。あれが標高3700メートルくらいだから、すでに僕らはその山の高さの倍以上の高度に達してるんだ」

「ラックモンテ山は、古来より死者が集う山と言われております。その山を超えた、ということは、(わたくし)はまた一歩死に近づいたのでございますね」


 すでに高度は8千メートルを超え、上空には雲一つない高みに達しているというのに、このお嬢様のネガティブモードはいつも通りだ。そろそろ前を向いてはくれないものか。そうハインミュラー少尉は思いつつ、窓の外に目をやる。

 このまま4万メートルまで垂直上昇し、そこで機関を全開にして一気に大気圏を離脱する、これが通常の宇宙船の運用手順である。やがて空は青から黒色へと変わっていき、ただでさえ暗いお嬢様の表情はますます暗くなっていく。


「うう……ほ、ほんとに死の世界へと踏み入れつつあるのですね、空が闇に覆われていく……」


 こう言ってはなんだが、あんたつい今しがたまで、死にたがってたじゃないか。何をびびっているのやら。そんなエルミールをよそに、駆逐艦はさらなる高みへと向かっていく。

 およそ20分ほどで、規定高度である4万メートルに到達する。艦内では、大気圏離脱前の最終チェックが行われている。


「進路上、100万キロ以内に障害物なし!」

『機関室より艦橋、左右機関、共に正常!』

『主計科より艦橋、船内気圧正常、問題なし!』


 各セクションからの報告が次々に届き、最後に艦長が号令を発する。


「よし、ではこれより、大気圏を離脱する。両舷前進いっぱい」

「はっ、両舷前進いっぱい!」


 艦長のこの号令を、航海長が復唱する。だがそれは、気弱なエルミールにとっての地獄の始まりであった。

 号令の直後、ゴーッという音とともに、床や壁がビリビリと響く。エルミールが座っている簡易な椅子は、その揺れをダイレクトに受けて共振する。その上に乗るあのお嬢様も、その揺れの大きさに比例して動揺する。


「あばばばばっ!」


 なにか言いたげだが、身体と喉を揺さぶられて、何を言っているのか伝わらない。ただ滑稽な声を発するのみで、横に立つハインミュラー少尉だけでなく、近くに座る艦長も笑いを堪えるのに必死だ。

 窓の外には、宇宙と地上を仕切る青い層が見えていたが、あっという間にそれは後方へと流れていき、真っ暗な宇宙空間へと突入する。機関音を響かせたまま、艦はこの果てしない暗闇を突き進む。


「回頭180度、スイングバイ軌道に移行!」


 周りが真っ暗で、自身がどちらを向いているのか分からないこの宇宙空間で、唯一、その向きを確かめられる標的が目に入る。それは、真っ青で丸く、白い筋と大きな茶色と緑の塊とがまだらに見える巨大な星。地球(アース)と呼ばれるその星に目掛けて、この宇宙船は突進していく。みるみるそれは大きくなり、やがて右隣を通り過ぎると、再び真っ暗闇へと戻る。


「巡航速度に到達、機関を平常出力まで落とします」


 航海長のこの報告の直後、それまでけたたましかったあの機関音が徐々に静まる。会話が成り立つほどの静けさを取り戻した艦橋内からは、次々に報告が上がる。


「艦影8、僚艦を捕捉。前方、約300万キロ」

「了解、進路そのまま、やや加速して、僚艦へ追いつき合流を果たす」

「はっ、両舷前進半速!」


 さて、静けさを取り戻したはいいが、あまりにも静かすぎる。さっきまでおかしな声をあげていたあのお嬢様は、そういえばどうなった? そう少尉は思い、ふと脇に目を移す。

 そこにいたのは、群青色の軍服にブロンドの長い髪を振り乱し、椅子の上でぐったりとしているエルミールの姿だった。どうやら離脱時の加速に目を回し、気を失ってしまったようだった。


「けっ、なさけねぇな、おい」


 それから数時間後、目を覚まし、フォークを片手に食堂でカルボナーラをガツガツと食すエルミールの姿があった。


「情けないって、お前自身のことだろう」

「だからだよ。なんだよあの程度の機関音如き、砲撃音に比べりゃあ屁みてえなもんじゃねえか」


 もう一つの人格は、大気圏離脱時に気を失ったことが気に入らない様子だ。だが少尉から見れば、同一人物の所業だ。自分で自を非難する者に付き合うというこの滑稽なやり取りに、少尉は呆れながらサラダを食べる。

 そんな荒々しい彼女を見てしばらくすると、大人しい方に姿を変えたお嬢様が、ハインミュラー少尉の部屋へと現れる。


「あ、あの、また来ちゃいました」


 あれだけ異なる人格だというのに、このお嬢様は気弱状態でも、もう一つの「暴走」人格が交わした約束を律儀に守ってハインミュラー少尉の部屋へとやってくる。それを招き入れる少尉。


「っしゃあ! 俺の勝ちだぁ!」


 このところ、どちらの人格とも話せるようになってきたハインミュラー少尉は、ゲームの区切りのタイミングで聞いてみた。


「なあ、エルミールよ」

「何だよ、次行くぞ、次」

「お前、どう思ってるんだ?」

「どうって、何の話だよ」

「いやあ、何ていうか、お前この先どうしようと思っているのかと、心配になってね」


 そうハインミュラー少尉が切り出すと、エルミールはみるみる不快な表情に変わる。と、手に持ったコントローラーを置き、クルッと少尉の方に向いて言い放つ。


「そんなこと、(わたくし)の方が知りたいですわ」


 どうして少尉はそんな質問をしたのか、そしてエルミールもなぜここで、元の性格に戻してから回答したのかは分からない。が、むしろ楽観的すぎるあちら側よりも、こちら側の方がまともな返答が期待できる。そう思う少尉だったが、エルミールの口から出る言葉は、少尉の思惑とは異なる。


「侯爵家の名を語る権利をも奪われ、平民階級の軍人らの只中に放り投げられ、挙げ句に乗せられた船のあまりの大きな音に失神した、そんな(わたくし)がこの先にどんな希望や、どのような喜びを抱けと仰せられるのですか?」


 ああ、そういえば、こっちは死にたがってるネガティブ思考の方だった。将来の展望どころか、今生きることすら期待していない。あまりに酷な質問だったと、少尉は少し反省する。


「とはいえ、食事や住む場所の心配もなくなったし、ほんの少しの希望くらいは抱いてもいいんじゃないかな」

「ええ、ですが私が唯一抱く希望は、断頭台に上がること、ただそれだけでございます」


 こっち側のエルミールは、相変わらず死への願望が止まらない。よほど自身のことが嫌いなのだろう。相変わらず、自己肯定感が低すぎる。そのお嬢様はおもむろに言い放つや、再びコントローラーを握る。


「まあなんだ、俺の方は明日も美味いもん食って、ゲームできりゃあそれでいいぜ。その先のことなんざぁ、そん時に考えりゃいい」


 こっち側の方も楽観的ではあるが、だからといって先のことを考えてる風ではないなと、ハインミュラー少尉は知る。と、そのエルミールが続ける。


「まあそうだな、俺に将来があるとすりゃあ、それはだな……」

「何だよエルミール、もしや何か思ってることがあるのか?」

「い、いやあ、なんでもねえ。それよりもゲームだ、次やろうぜ、次!」


 何かを言いかけた「暴走」エルミールだが、珍しくはぐらかす。再びコントローラーを握りしめ、ハインミュラー少尉を急かす。仕方なく少尉は、コントローラーを操作してモードを切り替え、エルミールがやりたがっている次のゲームに切り替えようとする。

 が、ここで急にエルミールが立ち上がる。何を思ったのか、暗い部屋の中をぐるりと見渡すと突然、出入り口に駆け寄りドアを開ける。


「あ、おい」


 そのままエルミールはコントローラーを握りしめたまま、通路へと飛び出していく。この不可解な行動に不安を覚えたハインミュラー少尉は、慌てて彼女を追う。


「おい、どこに行くんだ!?」


 少尉の質問に、エルミールは全く答えない。キツイ目つきのまま、なにかに取り憑かれたように通路を抜け、エレベーターへと至る。


「エルミール、お前、どこに行こうと……」

「艦橋だ」

「は? 艦橋?」

「そうだ。早く行かねえと、えれえことになる」


 ちょうどそこに、エレベーターが着く。開いた扉に飛び込むと、すぐにそれに乗り込む。ハインミュラー少尉も飛び込むと、扉を閉めて艦橋のある最上階へと向かう。

 さっきまでとはうって変わって深刻な顔つきだ。呼びかけにも応じない。このところ落ち着いていたから油断していたが、本来の暴走状態に戻ってしまったか?

 だが、他の乗員がいるのに見向きもしないで、わき目もふらず一直線に艦橋を目指す。荒っぽく入り口の扉を開けると、ずかずかと艦長の方へと歩み寄る。


「エルミール殿にハインミュラー少尉、貴官らは今、非番では……」


 手前に立つ副長のドレッセル中佐が、迫る2人に声をかける。が、その副長に向かってエルミールは言い放つ。


「何か、いるぞ!」


 急に意味不明なことを言い出したこの暴走お嬢様に副長は一瞬、眉をひそめる。


「何かとは、なんだ? 私には態度の悪いお嬢さんしか見当たらないが」

「そんなんじゃねえ! 後ろだ、後ろから、なんか嫌なもんが迫ってるぞ!」


 この意外な一言に、副長はレーダー士に目線を送る。それを見たレーダー士は首を横に振る。艦長正面にあるモニター上にも、艦影は認められない。あるのは僚艦を含む味方10隻の艦影のみ。

 ここはこの星系の第4惑星、地球(アース)1053上で「サラマンダ」と呼ばれている星の軌道上、この駆逐艦1203号艦が所属する第4戦隊の集結地点である第6惑星「サトゥルヌス」の軌道まであと3時間のところに来ていた。が、この軌道の外側にある小惑星帯(アステロイドベルト)はまだ遠く、周囲に障害物はない。


「申し訳ありません、副長。すぐに連れて帰るので……」


 ハインミュラー少尉がこのエルミールの行動を副長に謝りつつ、彼女を連れて行こうとする。が、副長がこう言い出す。


「まあいい、お嬢さんの気が済むのなら、周辺探索くらいしてもいいだろう。どのみち、そろそろ周辺の警戒をすべきと考えていたところだ」


 この副長の一言を受けて、再びレーダー士がレーダーサイト画面に目を移す。が、そこには艦影はなく、デブリによるものと思われるノイズが映っているのみだ。


「うむ、しかしデブリが多いのは気になるところだな。この辺りは小惑星帯(アステロイドベルト)が近いからか? だが隕石だと厄介だな。ロスラー上等兵曹、指向性レーダーを使え。何かあれば反応するだろう」

「はっ!」


 副長の命を受け、レーダー士はもう一つのモニターの脇にあるスイッチを入れる。三角形のレーダーサイトが表示され、その上に起動完了を示す文字が現れる。


「では、後方170度よりスキャンを開始します」


 レーダー士がレーダーサイトの脇にあるダイヤルを回しつつ、スイッチを押す。プラスマイナス10度という狭い範囲ながら、探知分解能が格段に上がるこの特殊なレーダーは、通常のレーダーではノイズとしかとらえられないその点の詳細な大きさや形を捉える。

 そして、その詳細レーダーの映し出す影を見たレーダー士は叫ぶ。


「指向性レーダーに感! 艦影10、当艦後方177度方向、距離41万キロ!」

「なんだと!? 光学観測班!」

「はっ! 光学観測、開始します!」


 全く想定外の反応だ。艦橋内には瞬時に緊張が走る。やがて光学観測班のもたらした観測結果が、この緊張度をさらに押し上げる。


「光学観測、艦色視認、赤褐色! あれは連盟艦隊です!」

「なんだって! 至近距離じゃないか、直ちに1210号艦に連絡!」

「はっ!」


 直ちにこの10隻の指揮を担う1210号艦へこの観測結果がもたらされる。ものの20秒ほどで、指示が飛んでくる。


「1210号艦より入電! 全艦、砲撃戦用意、全速前進して敵艦隊後方へ回り込み、攻撃を仕掛ける! 以上です!」


 それを聞いたハインミュラー少尉は、無言で副長に敬礼する。そしてエルミールの腕を握ると、出口に向かって急ぎ足で進む。


「戦を始めるのか?」

「決まってるだろう。敵が現れたんだ」

「おっしゃ、いよいよ本物を撃つんだな」


 カーン、カーン、カーンという戦闘準備を促す警報が鳴り響く中、非番時の青いドレスをまとったままのこのお嬢様を連れて、エレベーターへと急ぐ。

 そうだ、そういえば、初めての実戦だ。エルミールはもちろんだが、ハインミュラー少尉にとってもこれが初陣となる。

 が、敵は後方にあり、こちらに向かって静かに接近を続けている。もしもあの時、エルミールが副長に進言していなければ……その場合にもたらされる予想を脳裏から振り払いつつ、少尉らは砲撃管制室へと向かう。

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