#4 進宙
「っしゃあ! 今日も絶好調だぜ!」
言葉通り、本当に絶好調だ。今日は2時間の長時間戦闘を想定した訓練だったが、その2時間で240発を放ち、内、223発を命中させる。命中率は93パーセント。いつもの30分での訓練で出す95パーセントと比べたらやや低いものの、非常識なまでの驚異的な数値であることには変わりない。
「お疲れ、今日も大戦果だった、本番でも頼むよ」
「おう、任せろ!」
砲撃長にタメ口で話せるのは、「暴走」状態での特権だが、ひと度レバーから手を離すと、途端にいつものエルミールに戻る。
「あ、いや、お疲れ様でございます。明日もまたご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「分かった分かった、今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい」
砲撃科内ではこの令嬢の両極端な性格にも、徐々に慣れ始めていた。思わぬ居場所を見出したエルミールではあるが、手ぶらな彼女は依然としてネガティブなままだ。
「はぁ……やはり私は、この世にいてはいけないのでしょう」
この艦に来て、すでに1週間が経つ。相変わらず、死にたがりは治らない。せっかく居場所を見つけたというのに、どうして悲観的になることがあるというのか。ハインミュラー少尉はこう問う。
「あのさぁ、そろそろ諦めて、前向きに生きようとは思わないのかい?」
これに対するエルミールの答えは、決まっている。
「ではお聞きしますが、昼も夜も分からぬこの艦内で、どう前向きになれと申されるのですか?」
今、地上では急ピッチに街の建設が進められている。が、駆逐艦乗員が住む宿舎はまだ完成しておらず、このために乗員は狭い艦内での生活を余儀なくされている。これがせめて地上に降りられるならば、このネガティブ令嬢の気も少しは紛れるのだろうけれど、窓の殆ど無いこの艦内での生活を続けて、いったいどんな希望を見いだせるというのかと、このお嬢様は言いたいらしい。
「えーっ、ご飯美味しいし、お風呂気持ちいいし、何も問題ないじゃん」
そんなエルミールに反論するのは、ハルツハイム兵曹長だ。
「お食事は確かに申し分ありませんが、お風呂は……私、ただただあなた様の欲情にまかせて、胸を弄られているだけのように思うのですけれど」
「なーに言ってんの、マッサージは大事だよ」
この女性士官は何を言っているんだ。お胸のマッサージが大事なわけが……いや、もしかすると大事なのだろうか? 男のハインミュラー少尉には、その辺りの事情が分かるはずもない。
「ともかく、せっかく砲撃手として、この艦隊内でも認められ始めているんだ。何も、後ろ向きになる必要なんてないだろう」
「貴族の令嬢が、よりにもよって戦いで腕を振るうなど、言語道断でございます。どうして前向きなどなれましょうか」
ああ言えば、こう言う。なかなかこのお嬢様も、後ろ向きな姿勢を崩そうとしない。これだけ自由に物言いできるのだから、そろそろその姿勢を改めてもいい頃だと思うのだが。そんな少尉の思いに反して、ネガティブお嬢様はネガティブであり続ける。
そんな前向きになれないお嬢様に、更なる試練が告げられる。艦長の名で、艦内放送が流される。
『あー、達する。艦長のアーべラインだ。明朝、0700(まるななまるまる)に、本艦は進宙し、第12戦隊へと合流し牡丹星雲へとパトロール任務に向かう。各員、出発準備となせ。以上』
突然の、宇宙への出発を告げるこの艦内放送に、ますます表情を暗くするエルミール。そんな彼女の表情を見て、ハルツハイム兵曹長は尋ねる。
「ねえ、エルミールちゃん。今の放送、何を言っていたのか分かる?」
「いえ、分かりません。分かりませんが、ロクでもないことであろうことは想像がつきます」
内容が分からなかったのに、ロクでもないことだと決めつける。筋金入りのネガティブ思考だな。そう思うハインミュラー少尉は、さっきからピザばかりを頬張るこの令嬢に、チキンソテーを突きつける。
「な、なんですか」
「いいから、まずこれを食べるんだ」
訝しげな顔のエルミールだが、出されたチキンソテーを食べようと、ナイフとフォークを手にする。すると、そのお嬢様の顔つきがみるみる変化し、やがて「暴走」と呼ばれる状態に至る。
「おう、そういやあ、進宙って言ってたな。ありゃあ、どういう意味だ?」
「宇宙に出るってことさ。つまり君は、初めてこの星を離れるんだ」
「へえ、そうなのかよ。なんか面白そうじゃねえか、おい」
フォークとナイフを握りしめるだけで、よくまあここまでコロッと変われるものだ。周囲の乗員も、いい加減この令嬢の二重人格ぶりにも慣れてきた。いや、それどころか、この暴走状態の時の彼女はよく話しかけられる。
「やあ、エルミールさん。これから向かう牡丹星雲というのは、その名の通り牡丹の花のように、ピンク色の形の雲が広がっている場所なんだよ」
「へぇ、牡丹の花かよ。よく分かんねえけど、なんだか楽しそうなところみてえだなぁ」
ネガティブな令嬢でいるよりは、今この状態のエルミールの方が話しやすい、ということなのだろう。もっとも、フォークとナイフ以外を握った彼女に話しかけられる者はほとんどいない。その数少ない者の一人が、砲撃科で彼女とペアを組むことになったハインミュラー少尉だ。いや、この少尉は、何も握っていない「素の」エルミールにも遠慮なく話しかけられる者でもあるのだが。
「でも、不思議だよな」
「はぁ、何がだよ」
「どうしてフォークやドライヤーを握ったくらいで、こんなに性格が変わるんだろうねぇ。まるで、別人みたいだ」
「知らねえよ。俺から言わせりゃ、こんなに美味い物食いながら死にたがってる方が異常だと思うぜ。ほれ、このチキンソテーってやつも、平民風情にゃ勿体ねえくれえの香辛料を使ってて、そのおかげでこんな安っぽい肉がこれほどの美味に変わるってもんだ。そして、こっちのピザもよ……」
化けるとこうも饒舌なのかと感心するが、手に持ったフォークを手放した途端、急に言葉が出なくなる。
「……お、美味しいです」
などと言いながらこのお嬢様は、顔を赤面させながら、リスのようにピザを小刻みにかじり始める。同じ人物か、と思うほどの変わりよう。だが周囲もいい加減、この変化具合に慣れてきていた。
「そのピザにも、平民風情には勿体ないほどの香辛料に加え、大量のチーズが使われているんだよ。ね、だから、美味しいでしょう」
「あわわわ、すみません、あれは言い過ぎました」
「いいから、ほら、冷めないうちに食べないと」
なぜだろうか、本来のお嬢様に戻った途端、からかいたくなる。もちろんそんな感情にかられるのは、この少尉だけだ。周りはむしろ、この性格のエルミールには遠慮気味になる。気品あふれる仕草と雰囲気に、近づきがたい壁のようなものを感じてしまうらしい。
「ちょっと、ハインミュラー少尉」
「なんだ、ハルツハイム兵曹長」
「少尉殿は少し、エルミールちゃんをいじり過ぎではありませんか?」
この女性士官の言葉を聞いたハインミュラー少尉は、お前に言われたくはないと感じたはずだ。どちらかといえば、エルミールはお風呂場でのハルツハイム兵曹長の振る舞いの方を嫌悪しているように思う。だから今度、ワイヤレスのドライヤーを女子風呂においてもらうよう、主計科長に進言しようと思ってるくらいだ。
が、そういえば自分以外にも素のエルミールに遠慮がない人物がここにいたな。少尉はふと思う。
「確かに、ちょっといじり過ぎかな」
「そうですよ、この状態のエルミールちゃんは、とっても繊細なんです。あまりいじっていいものでもないんですから」
「了解した。では僕も、貴官のエルミールさんへの風呂場における接し方を参考に、改めるとしよう」
「あーっ! ちょっと少尉殿、今のはセクハラですよ、セクハラ!」
セクハラも何も、自分がいつも口にしていることじゃないか。それを参考にすると言ったことがセクハラ認定されるなら、自身の行為がセクハラだと認めているようなものだ。自己矛盾していないか?
などというやり取りを繰り返しているうちに、食事が終わり部屋へと戻る。
ベッドで寝転がり、壁につけられたテレビモニターを点ける。このモニターからは、予め持ち込まれたドラマやバラエティー番組などが繰り返し流されているが、艦外の光景をただ表示するだけのチャンネルというのもある。
駆逐艦には、窓が3箇所しかない。最上階にある艦橋と、艦の中程、左右に設けられた展望室と言われる場所のみだ。それ以外には、外を見るべき場所がない。だからモニターには船外カメラを通してその様子を眺めるチャンネルが設けられている。
ちょうど夕暮れ時で、王都の平民街と呼ばれる低層の建物が広がる地域に、王族の住む宮殿の影がたなびいているのが見える。
その宮殿は小高い丘の上に建てられ、白く豪華な装飾付きの柱が何本も立ち並び巨大な屋根を支えている、見るからに威圧的な建造物だ。平民街とは対照的だ。
が、その宮殿のふもとの平民街のその手前側に目をやると、さらに威圧的な建物が立ち並ぶ。200メートルを超えるビルが3本、その向こうには王都と隔てる高い塀、そしてその内側に並ぶ、多数の艦艇。
建設中の宇宙港にも、すでに20隻の艦艇が常駐している。明日の出立に向けて、大勢の作業員が地上で積み込み作業を続けている。そのすぐ脇には宇宙港ロビーが見えるが、ガラス張りの内側はまだ内装が作り終えておらず、急ピッチで作業が続けられている。
5分も見ると飽きる光景だが、なぜかぼーっとその光景を眺め続ける少尉。しばらくすると、コンコンと部屋の戸を叩く音が響く。
それを聞いたハインミュラー少尉は、扉を開く。
「あ、あの……また、来てしまいました」
相手は、あのお嬢様、エルミールだ。申し訳なさそうな表情で、少し目を逸らし気味に腕をモジモジさせて、何か言いたげな顔で入り口に立つ。それを見た少尉が、こう声をかける。
「いいよ、入って」
少尉の声を聞いたエルミールは、軽く一礼すると部屋の中へと進み、扉を閉める。だがこのお嬢様は顔を赤面させたまま、入り口で立ち尽くしてしまう。それを見た少尉はベッドの上に座り、その横をぽんぽんと叩き、こう告げる。
「それじゃ、始めようか」
それを聞いたエルミールは小さく頷くと、静々と進み出てハインミュラー少尉の脇に座る。それを見た少尉は、ポンとエルミールに何かを手渡す。
「っしゃあーっ! また俺の勝ちだぁ!」
それから数分ほどで、この小さな部屋の中に絶叫が響き渡る。叫んでいるのは、あのお嬢様、その手にはコントローラーが握られている。
「相変わらず飲み込みが早いな。このゲーム、昨日知ったばかりだろう」
「おめえが弱えんだよ、なんだよ、ただ敵を捉えて撃つだけの、単純なゲームじゃねえか」
「いやまあ、その通りだけどさ。その敵を捉えて撃つだけ、というのが並の人間には大変なことなんだよ」
「はぁ? 俺に負けたことへの言い訳かぁ? だらしねえなぁ、それでも操舵手かよ」
3日前、何気ない会話での少尉の一言で、エルミールはゲームというものの存在を知る。で、訓練が終わるや、そのゲームというものを見せろとせがまれ、気づけば食後の度にハインミュラー少尉の部屋に押しかけるようになった。
砲撃精度で異才を放つ暴走エルミールだが、それはゲーム相手でも変わらない。コントローラーを握ればいつも通り性格が一変し、そしてその類まれなる才能を遺憾なく発揮する。
「ぐへへへっ、今度はこの艦隊戦ものをやってみようぜ。おいヴェルナー、さっさと切り替えてくんねえか」
「ちょっと待て、エルミール。ええと、こいつに切り替える前にコントローラーをいじらなきゃいけないはずなんだよな」
いつの間にか、互いのファーストネームで呼びあうほどの仲になってしまったこの二人。だが、やることといえば三次元ホログラフィー表示のこのゲーム。男女が同じ部屋にいて、することが実に大人気ない。
「ああ、やっぱりそうだ。タッチパネルモードに切り替えなきゃいけないんだ」
「たっちぱねる? なんだよそりゃ」
「こういうやつさ」
ハインミュラー少尉は、そのコントローラーを左右に広げるように引っ張ると、中からパネル状のものが出てきた。その中にはロゴ表示が光り、やがてアイコンが並ぶ表示へと切り替わる。
「艦隊戦のゲームは、陣形図を見ながらの戦闘になるから、この別画面が必要なんだよ」
「なんだそりゃあ、めんどくせえなぁ。って、おい、全然出てこねえぞ」
「ちょっと貸せ、そんなに引っ張ったら壊れちまう」
「んだよ、ややこしいなぁ。さっさと切り替えて……」
面倒臭そうにそのコントローラーを手渡すエルミールだが、それを手放した途端、こちらのモードが先にチェンジする。
「……く、下さいね、ハインミュラー様」
一瞬、少尉の理性のタガが外れそうになる。素のエルミールは、青色ドレスが似合うお淑やかな貴族令嬢といった風格の人物。そんな女性がベッドの上に座り、上目遣いでこちらを見ているのだ。少尉でなくても、本能的な何かを刺激されるのは当然だろう。
が、そこは耐えてコントローラーをいじって手渡す。受け取ったエルミールは、再びあの性格に戻る。
「っしゃあ! 今度はなんだぁ、何がくるんだぁ!?」
さっきまでのあの上品で艶かしい雰囲気はどこへやら。このお嬢様は足を組み、コントローラーをガシガシと言わせながら、目前の立体的なゲーム画面を睨みつけながら雄叫びを上げ始める。
「やることは、砲撃管制室と同じだ。僕が移動して、エルミールがタイミングを合わせて主砲を放つ。ただ、それだけのゲームだ」
「なんか、訓練みてえだなぁ。まあいいや、やってやるぜ」
当然、実戦シミュレーターとは比べ物にならないほどの難易度の低いゲームだ。ただでさえ命中率が脅威的なこの暴走お嬢様が、こんな子供騙しなシミュレーションゲームに負けるはずがない。
「おっしゃあ、撃沈だ! で、次はどれだよ!?」
比較的単調なゲームだというのに、この盛り上がりようだ。よほどこの手のものに相性がいいと見える。少尉は次のターゲットに移動しつつ、こう呟く。
「なあ、エルミールよ」
「なんだよ、ヴェルナー」
「明日の朝、宇宙に出るんだけど、場合によっては、本物の戦闘になるかもしれないよ」
「あ? なんだよ、それがどうしたっていうんだ」
「いや、覚悟はしておいた方がいい、そう言いたいだけだ」
「なんだよ、訓練してる時から、それくらいは覚悟してるぜ」
そう返すエルミールだが、それは今の状態での話だろう。果たして素のエルミールにそれがあるかどうか。いや、考えてみればむしろ素のエルミールの方が死にたがっているのだから、覚悟という点では上なのかもしれない。
が、同時に少尉は思う。最近、素のエルミールも、徐々にではあるが変わってきたように思う。相変わらず、断頭台に送れだのという口癖は変わらないものの、食欲も増し、こうして少尉の部屋にまでやってくるようになった。少しではあるが、生への意欲が出始めているのかもしれない。
そんな二重の心を抱えるお嬢様を乗せた駆逐艦1203号艦は、翌朝にいよいよ出発の時を迎える。