#3 扱い
「……つまり、何か機能的なものを握らせると暴走する、そういうことか」
「はっ、そのようです」
「しかし、ドライヤーに主砲射撃レバー、それ以前には馬の手綱でも豹変したというのか」
「そのようです。他にも、剣や弓、包丁、ほうきなど、多岐にわたるようです」
本人曰く、何か道具を握りしめた途端、自身の中にある感情的な何かが突沸したお湯の如く湧き上がり、急にアグレッシブになってしまうのだという。攻撃的な感情に支配されて、目の前にあるものを襲わずにはいられなくなるのだと、そうエルミールという元侯爵令嬢は話す。
「だが、その結果があの命中率だ。とてつもない天性と集中力だな。扱いには苦慮するだろうが、ともかくこれで砲撃科から外すわけにはいかなくなった。ハインミュラー少尉、貴官にはうまく彼女を使いこなしてほしい」
などと、半ば艦長からこの暴走令嬢の取り扱いを丸投げされてしまった。少尉としても、気が重い。
とにかく、何かを握らせてはいけない。一旦火がつくと、止めるのが大変だ。そう思いつつハインミュラー少尉は艦橋を後にして、食堂へと向かう。
「おらおらっ! この俺が食ってやろうって言ってんだ!」
だが、その食堂ではすでにあの令嬢がまさに暴走しているところだった。今はあの青いドレスではなく、皆と同じ群青色の軍服を着て、長い髪の毛を後ろで束ねているエルミールは、フォークとナイフを握りしめたまま目の前のハンバーグを切り刻んでいるところだ。が、幸いにもその矛先は人ではなく、目前の食材にのみ向けられている。
「ええと、エルミールさん」
「なんだよ!」
「いや、何をいきり立っているのかなと思ってね」
「食事は戦いだ、当然だろうが!」
ドライヤーや射撃レバーの時とは違い、フォークとナイフの時ならばどうにか会話ができそうだ。そう感じた少尉は、思い切って話しかけてみた。すると意外にも話が通じる。
「あのさぁ、ハンバーグというのは柔らかい肉だから、そんなに細かく刻まなくてもいいのに」
「っせえなぁ、おい。いいじゃねえか、俺が食うんだからよ」
「いや、そうだけど、これくらいの大きさの方が食べ応えあるんだよ」
「はぁ!? そんなわけ……おお、こりゃあ確かに美味えな」
少し大きめの塊を少尉が指差すと、それをフォークで差し、乱暴に口に放り込んだその令嬢の表情が、いっぺんに明るくなる。暴走状態でも、笑うことはできるようだ。そうハインミュラー少尉は悟る。
「そのハンバーグもいいけど、そっちのピザも美味しいぞ」
「なんだよ、ピザってのはよ。見たところ、焼けた皿みてえなやつに、肉やら野菜やらをぶちまけているだけの、適当な料理じゃねえかよ」
「まあいいから、食って見れば分かる」
「ったく、しゃあねえなぁ……」
などといきりながらもフォークとナイフをその場に乱雑に置くと、少尉が勧めるそのピザに手を伸ばすエルミール嬢。が、そこでこのお嬢様は我に返る。
「はっ、わ、私、またやらかして……」
ピザは握っているが、どうやら「道具」でないものを握っている限りは暴走しないようだ。てことは、ハンバーガーやピザ、フライドポテトなど、直に手にもって食べる物であれば大丈夫ということらしい。少尉はそう理解した。
が、我に返ったエルミールはといえば、周りから注がれる視線の多さに顔面が蒼白となる。持ち上げたそのピザを、ぼとっと落としてしまう。それを拾い上げ、血の気を失いつつある元侯爵令嬢にそっと渡す少尉。
「いいから、とにかく、これ食べてみて」
「は、はぁ……」
この性格のギャップがいちいち面白いな。そう思った少尉は、少しエルミールに微笑んで見せる。それをみたこのご令嬢は少し落ち着いたのか、そっと一口、ピザをかじる。
「……あ、美味しいですわ、これ」
素の状態で笑顔を見せたのは、これが初めてだ。偶然にも、暴走状態と平静状態の笑顔をほぼ同時に拝むことができた。心なしか、ハインミュラー少尉はそれを微笑ましく思う。
「でしょ? 焼けたお皿の上に、食材を乱雑にぶちまけただけの料理じゃないって、分かってもらえたかな」
「そそそそそれは私が申し上げたわけでは……ありますわね、はぁ……」
「ああ、今のは気にしなくていいって」
つい余計な一言を言ってしまった。ハインミュラー少尉は慌ててそれを撤回する。が、再び暗い顔つきに戻ってしまう。
「ああ、やはり私は、さっさと陛下の御命令通り、断頭台で消えてしまえばよいのです」
にしても、素の状態のこのお嬢様はあまりにもネガティブだ。これならまだ、フォークとナイフを握っていた方がマシだな。などと思った少尉だが、ふと彼女に尋ねてみる。
「ねえ、エルミールさん」
「は、はい、なんでしょうか」
「なんだってあなた、そんなに死にたがるの?」
「あ、あなた様も御覧になられたでしょう。私、一度火がついてしまうと、手が付けられなくなってしまうのです。このおかげで、いったい何人の貴族や王族の方々に、恐怖を植え付けてきたのかと」
「まあ、そうみたいだけど、だからといって死に急ぐ必要はないでしょう」
「いえ、ダメなのです。私にはもはや、生きる価値などございません」
「極端だなぁ。どうして、価値がないっていえるのさ」
「我がフォンティーヌ家の次女として、いずれ私は王国貴族に嫁がねばなりません。が、かように悪名の知れ渡った娘となれば、どの家も私を受け入れてはくれないでしょう。それはすなわち、フォンティーヌ侯爵家にとっての危機。ましてや陛下より処刑命令が出された娘など……お家のために私がなすべきことは、陛下の命に従い、直ちにこの世から去ることなのです」
遠く300光年彼方からこの星へやってきた少尉は、王国の複雑な貴族令嬢の事情を目の当たりにする。それは彼らの星にとってはずっと昔に廃れた風習ではあるのだが、この星ではまだお家だの政略結婚だのというものが幅を利かせている。その呪縛に囚われたこのご令嬢は、自らの命よりも上流世界での評判を優先している。
この抑圧が、もう一つの人格、すなわち暴走令嬢を作り出しているのではないか? そう思った少尉は、ふと皿の上の料理を指差して言う。
「あ、エルミールさん、ハンバーグが冷めちゃうよ。早く食べないと」
「は、はい、そうですね、にしても、こんなに切り刻まなくても……」
慌ててエルミールは目の前に乱雑に切り刻まれたハンバーグを食べようと、フォークを手に取る。途端にまた、人格が変貌する。
「ああ? もう冷めてるじゃねえか、ったく、さっさと食わねえからこうなるんだよ」
さっきまでの上品さを失ったそのご令嬢は、無造作にその無惨なハンバーグの破片を刺しては、次々に口に運ぶ。そんな彼女に、ハインミュラー少尉は尋ねる。
「にしてもさ、不思議だよな」
「あ? 何が不思議なんだよ」
「いや、だってさ、王族や貴族相手に危害を加えるほどの暴走気味なエルミールさんが、どうして今、この状態で僕と会話できてるのかなと思ってさ」
「まあ、飯の最中だからよ、いくら俺だって食ってる間くらいはそっちに気が向くだろう。それによ」
「なんだ」
「なんていうかな、今までのやつと、全然違うんだよ」
「違うって、何が?」
「ここの連中だよ。なんていうかなぁ、俺が豹変すると、親父だってまるで土塊で汚れきった豚でも見るような蔑んだ目で俺を見るんだよ。だから、余計にむかついて暴れちまうんだ。大人しい時だって、気が抜けねえ。ところが、ここの連中ときたら、そういうのがねえんだよなぁ。なんていうか、少なくとも人間として扱ってくれるように感じるんだよ」
「そうか? 確かに、性格の落差には引いたが、ちょっと男勝りな性格の女性と思えば、別に珍しいものでもないだろう」
「そうなのかよ。でも俺がこの状態で、普通にみられるなんてこたあ、今までほとんどなかったぞ」
ああ、そうだったな。言われてみれば今、普通に接している。確かに荒々しい態度ではあるが、そういう人だと思えば普通に接することができると、ハインミュラー少尉は思う。
しかしそれ以上に、ついさっきのあの砲撃訓練での華々しいデビューの衝撃が大きいだろうな。あの実力を目の当たりにしたら、こんな両極端な性格など些細なことに思える。
「ま、おめえは俺を俺として認めてくれてるようだからよ、だから会話ぐれえしようって気になれるんだろうな」
まるで他人事のようにそう告げるエルミールは、再びガツガツとハンバーグを頬張り始める。が、そんなエルミールの横に、トレイをもった士官が一人、座る。
「エルミールちゃん、またお風呂入ろぉ」
それはついさっき、お風呂場で酷い目にあったばかりのハルツハイム兵曹長だ。エルミールの横に座るなり、トレイに入ったケバブを片手に齧りながら、まだ暴走状態にある彼女に話しかけてくる。
「はぁ? おめえさっき、俺にその風呂場でやられたばっかりだろうが」
「大丈夫よ、ドライヤー握らせなきゃいいんでしょ?」
「おめえ、この状態の俺の前で、それを言うのかよ」
「いいじゃない、どうせフォーク手放したら元に戻るんだから」
「まあ、そうだけどよ。だけど元に戻った俺が、おめえと一緒に風呂に行きたがるとは……」
などと喋りながらエルミールは、ハンバーグを食べ終えてフォークをトレイの上に置く。途端にまた、暗い表情に戻る。
「……私など、あなた様と一緒にいてはいけないのです」
「えっ、なんで?」
「だって、私は先ほど、あなた様に大変な仕打ちをしたのですよ」
「いやあ、あれは未遂だったよ。対処法もわかったし、全然平気だよ」
「ですが……」
「それよりもさ、エルミールちゃんのそのふくよかな胸やお尻の感触が、忘れられなくてさ……ぐへへへ」
この兵曹長、気軽に話しかけてきたのはいいが、なにやら不穏な雰囲気を醸し出し始める。ネガティブモードのご令嬢が、ややドン引き気味だ。
「ま、そういうわけだから、死にたがる必要なんてないと思うよ。少なくともあなたは今、ここでは必要とされているのだから」
そんなエルミールに、ハインミュラー少尉はそう告げる。少し複雑そうな表情で少尉と兵曹長を見ながら、再びピザを食べ始める。その仕草や表情から相変わらずネガティブな感情を抱いているだろうが、それでも、これまでとは違い、ここの人たちが自身を必要としているというあの一言に、何か心動かされたようだ。
◇◇◇
「御館様」
王都のとある場所、とある屋敷。フォンティーヌ侯爵家と呼ばれる、王国貴族の名門の一つであるこのお屋敷の一室に立つ当主と侍従長が、沈み行く夕陽に淡く照らされている。
「なんだ」
「エルミール様のことにございます」
「勘当娘か、で、どうなった?」
「星の国の、将軍様からの言伝ではございますが……」
侍従長が当主にもたらしたのは、自身の娘、王国内では死罪を言い渡されたあの娘の、その後の処遇のことであった。
「……と、言う次第でございます。将軍殿曰く、まさかの逸材であったと、総司令部内でも騒然としておる模様でございます」
「そうか」
侍従長のもたらした情報は、つまりは勘当した娘が意外にも頭角を現して、その居場所を得た、という内容であった。が、それを聞いた当主自身は、さほどその話に関心を寄せていない素振りだ。
「だがそれは、『オフィーリア』がもたらした成果なのであろう。我が娘が受け入れられた、ということではあるまい」
「左様にございます」
「となれば、ますますエルミールのやつ、悲観するのではあるまいか。星の国の将軍殿に娘のことを託してしまったが、いっそ陛下の命の通り、あやつを断頭台にかけておいたほうが正解であったということになるまいな」
夕陽はすでに、窓の向こうに見える高い建物の陰に隠れている。夕陽が放つ橙色の層と、その上から始まる夜の闇との境界で光る一番星に目をやりながら、名門貴族の当主は深くため息をつく。
その一番星は、神になろうとして抗うも、神にはなれず闇夜の始まりにしかその姿を見せることができぬ哀れな大天使として、この王国の神話で語り継がれている。しかし半年前にやってきた宇宙からの人々によれば、あれは太陽のそばを回る惑星と呼ばれる星なのだという。だが、この貴族家の当主はその星に、神話上の大天使と娘とを重ねていた。
なお、神話によればその大天使は、神から断罪されて地の底に落とされたが、そこで闇の力を得て魔王として復活したと、そう記されている。
そんな星に、我が娘を重ねる当主の姿が、沈みかけた夕陽に照らされていた。