#2 才女
この宇宙には、1000を超える人類生存惑星が、1万2千光年の円形領域内に存在する。毎年数十個のペースでそれは増大し、ここ地球1053もつい半年前に発見されて、近隣の地球317がその宇宙進出を手助けするために艦隊を派遣したばかりだ。
その1000を超える星々だが、決して一枚岩ではない。宇宙統一連合、通称「連合」と、銀河開放連盟、通称「連盟」と呼ばれる2つの陣営に分かれており、かれこれ200年以上もの間、戦闘を続けている。地球317はその中の連合と呼ばれる陣営に属しており、この地球1053も連合側に加えるべく、この星の国々と同盟交渉を行っているところだ。
その2つの陣営の戦闘は、30万キロ離れた遠距離からの高エネルギービームの撃ち合い。かれこれ200年以上、この戦闘様式で2つの陣営は戦いを続けている。
そのビームの引き金を、この豹変したご令嬢が握っている。
もっとも、今はシミュレーション・モードであり、実際にビームは発射されない。が、一撃で50万人が暮らすと言われるロレーヌ王国の王都トゥルーゼをも一瞬で蒸発させるほどの威力を持つ砲の引き金を握っていることには変わりない。
「おらおらぁ! この俺が相手だぁ!」
どうして急に興奮したのか。というかこの令嬢、ついさっきまで死にたがっていなかったか? それが今では、むしろ目の前にいる仮想の敵艦を殺りたがっている。まるで血に飢えた猛獣のように、辺りを威圧している。
「敵艦を照準に入れる! 引き金を!」
ハインミュラー少尉がそう告げるや、いきなりこのお嬢様は引き金を引く。砲撃管制室内に、実戦さながらの砲撃音が鳴り響く。腹に響く音と共に、弾着観測員のオトマイヤー中尉が弾着判定を告げる。
「だ、弾着観測! 目標0537、命中! ただしシールド展開により、撃沈ならず!」
いきなり初弾で命中だ。少尉はもちろん、それを報告するオトマイヤー中尉すらも信じられないと言わんばかりの表情だ。
撃沈率が2パーセントの世界、初弾で当てるなど、通常はあり得ない。きっとまぐれなのだろうが、いきなりそれをこのド素人のお嬢様がやってのけたことに驚く。
「砲撃続行、効力射! 敵に隙を与えるな!」
いきなりのラッキーで興奮気味な砲撃長を前に、さらに調子に乗るエルミールお嬢様。
「よし、次行くぞ次!」
と叫びながら、青ドレスのご令嬢が左隣の少尉の腕をバンバンと叩く。態度が180度変わったこの貴族令嬢に戸惑いながらも、少尉は再び照準を合わせる。
「次のターンで、敵を軸線上に入れる! 射撃用意!」
というハインミュラー少尉の声を聞いているのかいないのか、目の前のモニターにのぞき込み、引き金を構える。
おかしいな、この人、今日が初めての砲撃訓練のはずだが。訝しげながら思う少尉は、ともかく敵艦を照準に収める。
「ここだ、おりゃあ!」
急に元気になったお嬢様が、目前に映る仮想敵艦に第2射を浴びせかける。
まあ、奇跡というものは立て続けに二度起こることはまずない。次は外す。そう確信する少尉をよそに、このお嬢様は独特の掛け声とともに、引き金を引く。
落雷十発分と例えられる砲撃音が、砲撃管制室内に響き渡る。ビリビリと揺れる壁や床。ひ弱なはずのお嬢様は、そんな轟音にめげることなく二つのレバーを握ったままだ。
「げ、撃沈! 目標0537、撃沈です!」
初心者が放った砲撃が、二発続けて命中する。そして二発目にして撃沈。まぎれもなくこれは、快挙だ。
二度も、奇跡が起きた。快挙というよりは異常事態だ。ハインミュラー少尉に戦慄が走る。
「おっしゃ、次行くぞ次!」
砲撃というものは、単に的に入った瞬間に引き金を引けばいいというものではない。目の前に見えているのは、30万キロ先の敵艦。つまり、1秒前の姿だ。
しかもビームというやつはほぼ光速で放たれるため、当たるのはさらに1秒後。つまり、2秒先の敵艦の動きを予測し、引き金を引く。ほぼ天性といえるその感性頼みの砲撃に、このお嬢様は2度も当ててみせた。
「目標変更、ナンバー0554!」
が、さすがに次は当たらないだろう。三度続けての奇跡は普通、起こらない。そう思いつつも、少尉は次のターゲットに向けて操縦レバーを向ける。
「目標、ナンバー0554、照準に捉える!」
操舵手も、ただ単に敵艦を照準に捉えればいいというものではない。それでは敵に予測されて、逆にこちらが撃沈されてしまう。このため、ランダムに艦を動かしながら徐々に敵艦を照準に捉えていく。その絶妙なタイミングを狙って、感性頼みで一撃を放つのが砲撃手の役目だ。
つい30分前に出会ったばかりのこの二人が、阿吽の呼吸で見事に敵艦を沈めてみせた。そしてそれが奇跡でないことを、次の一撃が証明することになる。
「め、命中! ただし敵艦、シールド展開!」
防がれてしまったものの、3発連続で命中してみせたこのお嬢様の感性を、砲撃長ですらも認めざるを得ない。空席が続き、しばらく砲撃訓練もままならなかったこの1203号艦の砲撃管制室は、にわかに活気づく。
「よし、ハインミュラー少尉、外回りに敵艦の照準を避けつつ、照準に収める」
「はっ!」
「おっしゃあ、いいぜいいぜ……もうちょいだ!」
はぁはぁと息遣いの荒い元侯爵令嬢が、装填レバーと射撃レバーを握りしめて身を乗り出しつつモニターの先を凝視している。引き金を引くごとに発せられる砲撃音で、そのブロンドの長い髪が小刻みに波打つ。
そんな調子で、30分に及ぶ訓練が終了する。気が付けば、シミュレーターながらも15隻撃沈という、信じがたい戦果を挙げた。
「も、申し訳ありません!」
ところがだ、その大戦果の功労者は、引き金から手を離した途端、砲撃長に向かって土下座する。
「いや、顔を挙げなさいって、何も謝ることは……」
「ああ、私、またやってしまいました。馬の手綱を握ればその馬を疾走させ、剣を握れば騎士を薙ぎ払い、弓矢を握れば迫りくる者すべてにその矢を放ち……」
大粒の涙を流し、めそめそと泣きながら、これまで自身が犯してきた数々の罪を吐露するこのお嬢様。そこでハインミュラー少尉はようやく、このお嬢様の性分と置かれた状況が分かってきた。
要するにだ、このお方は何かを握るとその性格が豹変し、暴走するということを繰り返してきたようだ。その目に余る行動が、王族に向いてしまった。それで陛下が処断を決意なされた。そういうことらしい。
だが、引き金から手を離したこのお嬢様は、打って変わって自己肯定感が低い。そんな自分を、抹殺したがっている。だからこそのあの狂言か、少尉はそう理解した。
「エルミールさん」
「な……なんでしょうか、ハインミュラー様」
「泣くことはないでしょう。今、あなたはとてつもない功績を挙げたのですよ」
「えっ? こ、功績、ですか?」
そんなお嬢様に、ハインミュラー少尉は告げる。これまでのことはともかく、シミュレーター上とはいえ、かつてない結果を出したことに砲撃科はむしろ活気づいている。そんな結果を前に、お嬢様一人を悔やませるわけにはいかない。
「もっと胸を張って、誇るべきことです。命中率は実に95パーセント以上、間違いなく、艦隊随一の成績ですよ」
そう励ますハインミュラー少尉だが、それを聞いたエルミールは、その表情を一層暗くしてこう答える。
「それはつまり、殿方様を差し置いて、私が出しゃばったことをしてしまったと、そういうことなのですね」
どうしていちいち否定的なのだろうか。少尉はこの返答に、呆れる他なかった。
それから、1時間後。
エルミールは、この艦の主計科所属の女性士官であるハルツハイム兵曹長と共に、艦内の浴場にいた。
「へぇ〜、すごいじゃない。それで砲撃科の男どもを驚愕させたんだ」
浴槽の中で歓喜するハルツハイム兵曹長だが、当のエルミールは赤面し、その顔を手で覆いながら、こう告げる。
「なんとお恥ずかしい……やはり私は、断頭台にて命尽きる運命でしたのに」
「なーに物騒なこと言ってんのよ。そんだけの才覚があれば、もっと胸を張って堂々と誇るべきよ」
「そ、そんな、わたくし、張れるだけの胸など、持ち合わせておりませんのに」
「いやあ、物理的な大きさのことを言ってるんじゃなくてね、何ていうか、もっと広い心を持ってというか……いや、物理的にも大きいわよねぇ、あなたの胸。ちょっと触っていい?」
「ええ〜っ?」
浴槽の中でご令嬢の背後に回り、その大ぶりな2つの膨らみを念入りに弄り始める女性士官。まだ赤面するエルミールは、その仕打ちを甘んじて受けるしかない。にしても失礼な女だ、平民風情で貴族令嬢の身体に安易に触れるなど、王都であれば即座に斬り捨てられる行為だとエルミールは思うが、自身がお尋ね者であるがゆえに、抗うこともできない。
「んふー、すっかり堪能しちゃった。にしても、信じられないなぁ。こんなにふくよかでおとなしいエルミールちゃんが、発射レバーを握った途端に豹変するだなんて」
「ふええ」
この令嬢はやや危なげな女性士官に散々いじられた後に、ようやく浴槽から出て、その長い髪にドライヤーをあてられて、その水分を飛ばされる。サラサラなその髪を櫛でとかしつつ、短髪な兵曹長は呟く。
「ねえ、エルミールちゃんもドライヤー、使ってみてよ」
そう言いながら、ポンと持っていたドライヤーを手渡すと、エルミールにその使い方を説明する。
「まずは、このスイッチをカチッと動かしてね。それから、濡れた髪にあてて、こんな感じに徐々に水分を飛ばすんだ」
「は、はぁ……」
「じゃあ、せっかくだから、私の髪の毛でやってみる?」
そう言って、この令嬢に背中を向けるハルツハイム兵曹長。エルミールはその髪に触れながらも、たどたどしくドライヤーを握りしめ、スイッチを入れる。
その時、同時に別のスイッチまで入ってしまったようだ。
「ぐへへへっ、こいつは熱い、熱いぜっ!」
「へ?」
ドライヤーが吐き出す熱気に刺激されたのか、エルミールの豹変スイッチにも触れてしまったらしい。彼女の豹変ぶりは聞いていたものの、実際に目にするのは初めてとなるハルツハイム兵曹長には、何が起きたのかすぐには理解できない。
「おりゃあ! その髪の毛、すべて燃き尽くしてやらぁ!」
「ひえええぇっ!」
ドライヤーを握りしめたモンスターを前に、為す術もなくその頭上の髪をかき回されるハルツハイム兵曹長、驚きのあまり、風呂場の方へと逃げだす。
「おらぁ、待ちやがれ! まだ熱気を出したばかりじゃ……」
その後を追いながら、ドライヤー片手に迫るエルミールだが、その時ドライヤーのコンセントが抜ける。ヒュンと熱風を失ったドライヤーを持つエルミールは、そこで我に返る。
「はっ、わ、私、一体何を……」
もちろん、すぐに直前の記憶を取り戻したエルミールは、土下座しながらハルツハイム兵曹長に平謝りしたのは、言うまでもない。