#15 贈物
あの戦闘が嘘のように、静寂な宇宙が広がる。
もっとも、あのピンク色の巨大天体にとっては、目前で起こった2つの艦隊の争いなど、取るに足らない出来事だったに違いない。戦闘前も後も、変わらぬ桃色の光を周囲に照らし続けている。
予定外の戦闘行動はあったものの、少なくとも1203号艦の乗員は生き残り、こうして今、戦艦レオポルド・プリムスに入港しようとしている。
あの40分ほどの戦闘で、連盟側は67隻、地球317側は52隻の艦艇を失った。なお、67隻中、1203号艦だけで18隻。オフィーリアの威力を知らしめるのに、十分過ぎる成果だ。
とはいえ、味方にも五千人以上の犠牲者が出たことになる。遠征艦隊全体の0.5パーセント、しかしそれは決して小さくはない。
その犠牲の上に牡丹星雲の広大な星域の制宙権は護られ、ここを通行する民間船が増えることになる。地球1053は今、大宇宙航海時代を迎えたところだ。となれば、この新たな市場にその取引相手を求めて、他星から交易業者がひっきりなしに訪れる。この先、この星でもそういうことになるであろうことは、これまでの前例からも明らかだ。
「両舷前進最微速、第3ドックまで、あと700!」
今回、通常のドックとは異なる、将官や来賓用に使われるこの戦艦の艦橋そばにあるドックへの入港が許可された。戦隊長艦ですらない1203号艦がこの特別なドックに入港できるのは、ひとえにあの「女神様」のおかげであることは疑いない。
今度の勝利は、明らかにエルミール、その中に潜在するオフィーリアの力による。
あの勝利のおかげで、さすがに敵も当面は攻めてこないだろう。そう地球317遠征艦隊司令部は見ている。味方ですら恐怖したあの戦闘力を叩きつけられた側にとって、あれは悪魔の所業としか思えない。
百発百中の悪魔を相手に易々と、戦争をふっかけてくるやつがいるとは思えない。
そんな功労者である悪魔的女神様を讃えるべく、エルミールはVIP待遇での招待を受けることとなった。
が、当の本人は過分なまでの待遇に、当惑気味である。
「わ、私、この青いドレスしか持ち合わせておりません。こんなものでよろしいのですか?」
ここは艦内のハインミュラー少尉の部屋の中。そこでこのお嬢様は、青色ドレスの裾を持ち上げながら、少尉に確認を求めている。いや、軍属の者が軍の招待を受ければ普通、軍服じゃないのかとハインミュラー少尉は思うが、特に司令部からはエルミールの格好について何ら指示はない。
「別にいいんじゃないか。相手は無骨な軍人たちだ。貴族階級のエルミールが、いちいち気負いするような相手じゃない」
「そ、そんなことがありませんわ。私など、ただの娘に過ぎず……」
ウジウジ言ってるエルミールに、ハインミュラー少尉はポンと孫の手を手渡す。
「そうだよな、なんたって、俺は勝利の立役者だ! 後ろの安全な場所から指示してるだけのオッサンどもに、俺の威厳とやらを見せつけてやろうぜ!」
たかが道具一つで、よくもまあこれだけ性格が変わるものだ。毎度のことながら、感心する。少尉はそう思いつつも、寄港準備に入る。
ハインミュラー少尉はといえば、軍礼服に身を包む。この戦艦レオポルド・プリムスにいるのは、三千隻からなる第〇一分艦隊司令官、ヴァイデンフェラー中将だ。これくらいの偉い人と面会するのに、普通の軍服とはいかない。とはいえ、この軍礼服というのは普通の軍服の襟に装飾がついただけの代物ではあるのだが。
その点、青色ドレスの方がずっと気品がある。あとは中身だな。もう少し、自信を持って振る舞ってくれればいいのだけど。
「お初にお目にかかります。私、フォンティーヌ侯爵家が次女、エルミール・ラ・フォンティーヌと申します。本日はお招きいただき、恐悦至極でございます」
ところがだ、いざ中将閣下の前に出ると、ご覧の通り、この素のお嬢様は模範的な振る舞いを見せる。そこはさすが、侯爵家のご令嬢だ。横に立つハインミュラー少尉は、ただ黙って軍の礼儀に従い、敬礼をするのみだ。
「ああ、かしこまらなくていい。貴殿は我が軍の勝利に貢献した、いわば英雄なのだからな」
「勿体ないお言葉、痛み入ります」
そんなエルミールはこの中将閣下から、勝利をもたらした砲撃手として表彰される。
ところがだ、礼儀正しきお嬢様が、その後行われた立食パーティーの場で、フォークを握った途端に豹変すると、さすがの中将閣下もドン引きする。
「ガハハハッ、まあ、俺にかかりゃあ、あの程度の敵なんざ大した事ないぜ!」
バンバンとヴァイデンフェラー中将の背中を叩いて、砲撃時の話に花を咲かせる、いや、毒を振りまくエルミール。いや、今はオフィーリアなのだが、あの姿でこの態度は、初見の者にはなかなかに刺激が強すぎる。
「いやあ、噂には聞いていたが、実際に目にすると強烈なものだな。あれが、実際に戦果を上げた方の人格かね」
ところがだ、その場に現れたのはなんと、リーゼンフェルト大将だった。
「た、大将閣下が、どうしてここへ?」
「我が艦隊に勝利をもたらした女神がいるというのに、総司令官たる私がいないわけにはいかないだろう」
単に閣下は暴走するオフィーリアを見たかっただけでは? つい先ほどの会議室での表彰式にはいなかったじゃないですか、と少尉は喉まででかかるが、そこは抑える。
「しかしだ、貴殿は一見すると大雑把な性格で、とても的に正確に当てられるとは思えないのだが、どうして敵艦を捉え、かつ当てられるんだ?」
「はぁ? 決まってるじゃねえか。俺が天才だからだよ」
大将閣下相手に、随分と無礼が過ぎる気がするが、当の閣下本人は気にする様子もなく、オフィーリアとの会話を楽しんでいるようだ。
「はぁ……」
ただでさえ短い滞在時間だというのに、この余計な表彰式や立食パーティーで3時間ほどが奪われてしまった。当初、この戦艦の街に来たら真っ先に行こうと言っていたカフェに行くだけの、お腹のゆとりがない。
「やはり、私などはあのような場に呼ばれるべき者ではなかったのですわ」
青ドレスのご令嬢はこの通り、せっかくの街だというのにネガティブ思考丸出しで、全然楽しめていない様子だ。
オフィーリアの時に、大将閣下にのせられてたくさん食べるから、こういうことになる。ハインミュラー少尉はそう喉まで出かかったが、ここも堪える。このネガティブ人格に、もう一つの人格のことをとやかく言っても仕方がない。
「少し歩こう。この階層をぐるっと回れば、紅茶を飲めるくらいにはなるだろう」
そう言って聞かせて、エルミールを連れ歩く。この街の第3階層は比較的煌びやかな店が多く、この貴族令嬢にとっては目の保養になりそうな店が集中している。ややうつむき気味だったエルミールも、この雰囲気に目の輝きを取り戻す。
ただし、ここはオフィーリアが好むゲームセンターなどはない。帰り際に、第2階層にある店でいくつかゲームを買っていけば、そちらの人格は満足するだろう。だからここは敢えて、素のエルミールが満足する待ち巡りを心がける。
「あ、あれは……?」
当て所なく歩きまわる二人だが、ふとエルミールが何かに目を留める。それはガラス張りの店舗で、銀色基調の装飾が周りと一線を画した雰囲気を作り出している。
「ああ、あれは宝石店だよ」
ハインミュラー少尉が言うと、その宝石というキーワードに反応したのか、エルミールの目が輝きを増す。
「この街にも、宝石のお店があるのでございますか?」
こういうところは、やはり貴族令嬢だ。宝石、貴金属の類いには目がないと見える。青色ドレスのご令嬢はその輝く瞳で、少尉の目を訴えるように見つめる。
「なら、せっかくだし、寄っていこうか」
この一言に、エルミールは微笑を浮かべてうなずく。こんな笑顔が拝めるのなら、宝石店に寄るのも悪くない。安い品なら一つくらい買っても、元は取れる。
「いらっしゃいませ」
などと思いながら、二人はそろって店に入る。少し歳のいった女性が出迎える。見たところ、この店はこの女性が一人でやっているみたいだ。つまりは、店主か。
24時間休むことのないこの街だが、店によっては閉店中のところもある。どのお店も24時間やっているわけではなく、時間によっては店を閉じる。一人店員のお店なら当然、閉まっている時間の方が長いだろう。運よく、二人はこの店の開店時間に巡り合えたともいえる。
「なにか、お探しですか?」
「い、いえ、ですがとても華やかな感じのお店でしたので」
「ああ、この服は、もしや地球1053のご令嬢様でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうです」
落ち着いた雰囲気の店主と、波長が合うようだ。並んだ指輪やネックレス、ブレスレットを手にとっては、この店主と談笑するエルミール。
どうやら、装飾品を持っても暴走はしないらしい。この辺りの基準が分からないな。少尉はそんなことを考えながら、二人の会話を一歩引いたところから眺めている。
が、そんな装飾品を眺めているうちに、エルミールはあるものに目を留める。
それは商品が多数陳列されているガラスケースだ。食い入るように見つめるその先には、一つの指輪があった。それはダイヤモンドの指輪。だがその値段を見て、少尉は察する。
0.5カラットと、それなりの大きさのダイヤだが、値段がさほど高くない。つまりあれは、いわゆる「惑星もの」だろう、と。
ダイヤには、大きく分けて3タイプある。惑星もの、人工もの、そして天然ものだ。宇宙には、星そのものがダイヤモンドという星もあるくらいだ。ダイヤモンド鉱石そのものが多く取れる星というのも珍しくはない。
そんな星から採取したダイヤのことを「惑星もの」と呼んでいるが、大量に取れるから、その分安い。
ただし、その代わりに透明度がやや劣るらしい。が、素人目にはほとんど分からない。次いで値段が高いのが「人工もの」、すなわち人工ダイヤで、最も高価なのは地球上で取れる「天然もの」ダイヤだ。
が、そんな事情など知るはずもないエルミールは、この宇宙のどこかの星で取れたダイヤに見入っている。それを見たハインミュラー少尉がこう言う。
「それ、買っていこうか?」
その一言が、エルミールにとって意外だったようだ。それはそうだろう。ダイヤモンドと言えば、ロレーヌ王国ではかなり高価な一品だ。それを気軽に買おうかなどと、少尉が言い出したのだから驚くのも無理はない。
「あ、あの、こんな高価なものは……」
「別に高価なものでもないよ。店員さん、これを」
「はい、承知しました」
女性店主はそう告げると、ケースからそれを取り出す。そしてエルミールの左手薬指のサイズを測ると、その指輪を加工機の中にセットする。
金属部分は、少し純度低めの銀のようだ。それゆえに加工が容易で、自動加工機械でのサイズ調整が可能だ。ものの数分で指のサイズに合わせた指輪が、その加工機の中から出てくる。
それを、先ほどサイズを測った薬指に当てられるエルミール。ダイヤの光に負けないほどの、目を輝かせている。そういえば、ロレーヌ王国というのは、少尉のいた星の基準では中世から近世にかけての文化レベルだから、ダイヤの価値が段違いに高いようだ。
そんなものを、躊躇なしに購入する。いや、確かにゲームに比べたら高い買い物には違いないが、躊躇するほど高いというわけではない。しかしエルミールからすれば、この予想外の品を前に言葉を失っている。
それを箱に収め、店を出る。指輪の入った紙袋を持って歩くエルミールだが、中身が気になって仕方がないようだ。ちらちらと、手元を見てはその袋の奥を覗く。
で、それから第3階層で見つけたとあるカフェに入る。そこで紅茶を頂くのだが、その間もエルミールは紅茶よりも先ほど買った品の方が気になる様子だ。
「エルミール、ちょっとそれ、貸して」
落ち着かないお嬢様を前に、ハインミュラー少尉は指輪の入った袋を受け取ると、その中から箱を取り出す。ピンク色のその箱をパカッと開くと、指輪を取り出した。
「気になるのなら、付けていればいいんじゃないか」
そう少尉は告げると、エルミールの左手を取り、その薬指にそっと、指輪を通す。
惑星ものながらも、きらきらと優雅で微細な光を放つそのダイヤに見とれるエルミール。その目は、少尉にも向けられる。そして頬を赤くしながら、少尉の顔をまじまじと眺めながら、ゆっくりと紅茶を飲み始める。
せっかく買った品だからと、特に深く考えずにハインミュラー少尉はそれを、エルミールの指にはめた。だが、その指輪の石とそれをはめた指の意味を、少尉はこの時、知らなかった。
ダイヤモンドとは、少尉の星でもロレーヌ王国でも、同じ意味を持つ。永遠の愛、絆を意味し、そしてその石のついた指輪を左手薬指に男性から授ける行為は、多くの宇宙で同じ意味を持つ。それはロレーヌ王国でも同じだ。
この後に、オフィーリアとの約束であるゲームを買いに向かった少尉とエルミールだが、少尉はとんでもない契りを果たしてしまったことにまだ気づいてはいない。




