#13 警戒
「左右機関出力上昇、出航準備よし!」
「両舷微速上昇! 抜錨、駆逐艦1203号艦、発進する!」
「繋留ロック解除、抜錨、1203号艦、発進します! 両舷、微速上昇!」
ハインミュラー少尉とエルミールを乗せた駆逐艦1203号艦が、宇宙へ向けて発進する。通常シーケンスに従い、高度4万メートルまで垂直上昇し、機関全速で一気に地球重力圏を離脱する。
前回はこの慌ただしい艦橋にいて、宇宙へ向かう過程を目にしたエルミールだが、今回、艦橋に彼女の姿はない。この貴族のご令嬢は今、部屋の中にいる。
「っしゃあ! また勝ったぜ!」
エルミールは今、ハインミュラー少尉の部屋にいて、持ち込んだゲーム機のゲームに夢中だ。大気圏離脱時に、なぜわざわざゲームなどと思われるが、前回の彼女が全開機関音で失神した事実を忘れてはならない。
その点、オフィーリアの状態ならば、砲撃音ですら平気だ。だから、発進時にわざわざエルミールを「オフィーリア」に変えるため、少尉はこの豹変中のお嬢様とのゲームに付き合うこととなった。
「いやあ、おめえやっぱ弱えな。そんなんじゃ、いつまで経っても俺に勝てねえぞ」
と、上から目線な物言いのお嬢様を前に、苦笑いする少尉。だいたい少尉は、元から彼女に勝とうなどとは思ってもいない。これでエルミール、いやオフィーリアが楽しめるなら、それでいいと思っている。
『規定高度、4万メートルに到達!』
『艦内、最終チェック!』
気づけば、すでに規定高度まで上昇を終えていた。もうまもなく、機関いっぱいで大気圏離脱シーケンスに入る。エルミールならば、あの音と振動に驚いて失神してしまうが、オフィーリアならばどうか。
『両舷前進いっぱい! 大気圏離脱を開始!』
艦長のこの号令で、けたたましい機関音が鳴り響き始めた。ビリビリと、壁やベッドが震え始める。が、さすがはオフィーリア状態のお嬢様は、この程度の音や振動には動じない。
「なんだ? こっちが楽しんでるってのに、ガタガタうるせぇな。まあいいや、次行くぞ、次」
まるで意に介さない様子だ。本当に極端だな、この娘の中の二つの性格は。少尉は呆れるしかない。
ビリビリと音を響かせて、この宇宙船はこの星の重力による呪縛から振り切ろうとしている。そんな中を、この二人は部屋にこもりゲーム三昧。不真面目が過ぎると思われそうだが、エルミールの体質を考えるとやむを得ないし、どのみちこの段階では砲撃科の出番はない。
背後のモニターには、船外カメラの映像が映し出されている。艦が大きく向きを変えて、地球1053の重力を利用して加速度を得るスイングバイに入るため、その地球に向きを変えたところだった。青い球体の星が迫る。が、そんな映像には目もくれず、このお嬢様はただひたすらゲームに没頭し続ける。
そんなモニターの映像も、ただの暗闇に変わる。やがて機関音も徐々に下がり、巡航出力に至るとようやく静かになる。
「へぇ~、それでずっと部屋にこもって、やりまくってたんだ」
それからしばらくして食堂に向かったエルミールは、無神経極まりないハルツハイム兵曹長の一言を食らって、慌てふためくことになる。
「あわわわ、げ、ゲームですよ、ゲームしてたんですよ」
「えっ、知ってるよ。ゲームやりまくってたんだって、そういったつもりだったんだけど」
いやあ、あの言い方は絶対に悪意がこもっていたぞ。敢えて誤解を誘発するような言葉遣いだったと、少尉ですらも思う。
「それはそうと、エルミールちゃんはこの後、どうするの?」
「はい、今日はもう訓練はないそうですから、食事の後はブリーフィング、それからお風呂に入って……」
と、話しながらフォークを握ると、人格が入れ替わる。
「んでよ、そっから部屋に戻って、やることやってから寝るつもりだぜ」
ああ、こっちも無神経だったわ。やることって、ゲームだよな、ゲーム。こいつもわざと言ってないか?
「ふうん、いいなぁ。主計科なんて、やることいっぱいだよ。あーあ、私も砲撃科だったらよかったな」
やることいっぱいって……だめだ、この二人の会話を聞いていると、自身の心の汚れ具合を試されているようだ。焦るハインミュラー少尉は気をそらそうと、眼の前にあるシュニッツェルをガツガツと食べ始める。
さて、それから3時間ほど経過する。場所は変わってここは、お風呂場だ。
と言っても、ここは「男」の方だ。
乗員100人のほとんどが男というこの艦内にあって、風呂場には10人ほどがいる。王都の時間で、午後7時を過ぎた頃。航海科や機関科、船務科といった交代制の職種を除けば、夕食を終えて風呂に入る頃である。
その風呂場の浴槽に、ハインミュラー少尉がいる。この後、ぶっ続けで2、3時間はゲームに付き合わされるから、その前の静かなひとときを浴槽で過ごしている。
「よ、元気か」
そんな少尉に話しかけてくる男がいる。背はやや低めだが、筋肉質なその男は、ハインミュラー少尉の隣に入ってくる。
「クレーマン少尉か」
「なんだよ、今は非番だろう、堅苦しい呼び名は無しだぜ、ヴェルナー」
馴れ馴れしい感じの男だが、この艦内で唯一、ハインミュラー少尉と同期、同年齢の士官だ。
「しっかし、こんなクソ真面目なやつと、どうしてあの女神様が一緒に住めるのやら」
で、いきなりエルミールとの同居していることに触れてくる。そういえば、エルミールと宿舎で暮らすようになって、初めての航海となる。この艦の乗員とは丘ではほとんど会わないから、触れられるのは致し方ないか。
「仕方がないだろう。総司令官からの命令で砲撃科ではペアにされてるし、何よりも命を狙われてるから、誰かがそばにいないといけないんだよ」
「別にヴェルナーでなくてもいい気がするけどな。まあいいや、あの人格変化についていけるだけ、その資格があるというものだ」
あのお嬢様の持つ二つの人格の落差は、すでに艦内ではよく知られている。さらに、前回の航海では10隻の敵偵察隊を探知したことも、ここでは有名である。それゆえに、エルミールは艦内では「女神様」と呼ばれることもある。
「で、我が艦にとっては大事な女神様を守護するヴェルナー王子というわけだが、先日のあれはちょっとないんじゃないか?」
「なんだ、先日のあれとは」
「公園で、狙撃されたって聞いたぞ。辛うじて避けたって話じゃないか。だが、相手の武器はクロスボウだろ。そんな古臭い兵器相手に、何を苦戦してるんだよ」
「よく言うよ。あれを至近距離から不意打ちされたんだ。よけられただけでも奇跡だったよ」
「俺だったら、その矢をつかんでやるところだぜ。シールドすら使う必要もない」
このクレーマン少尉は、陸戦隊出身で、今はこの艦の二足歩行型兵器である人型重機のパイロットだ。いわゆるロボット乗りだが、もちろん生身の方もかなり鍛えている。ハインミュラー少尉がゲーム三昧の間、彼は艦内にあるジムでのトレーニングを欠かさない。だからこそ、襲撃には自信があると見える。
とはいえ、いくら身体を鍛えたからといって、矢を手でつかむなど不可能だ。ましてや、あのクロスボウの矢の威力は、硬質プラスチック製の椅子をも貫く威力だった。アニメか漫画の見過ぎだなと、ハインミュラー少尉はこの適当過ぎる外野の意見に不快感しか覚えない。
「ま、とにかくだ、女神様を襲うのがドラゴンやオーガの時は、俺が出て行ってやるぜ。じゃあな」
などと、さらに適当なことを口走った後、この陸戦隊出身の男はその場を去る。だがこの星に、ドラゴンやらオーガのような、いやそれどころか魔物、化け物の類いは確認されていないのだが。
1000個の星々には、魔導、魔術が使える星があるらしい。そして、想像上の生き物とされるドラゴンなどの魔物の類いが存在する星というのも同様に点在している。が、大半の星にはそんな存在はなく、人類最大の敵は人類、というところがほとんどである。
この星もそうだが、どこへいっても人同士の争いというのは存在する。ここ地球1053だって、地球317の先遣隊が到着した時には、ちょうどロレーヌ王国とその隣国が、国境沿いの平原でにらみ合っているところだったそうだ。あと一日遅れていたら総攻撃が始まっており、多くの犠牲が出たことだろう。なお、その両国とはすでに同盟を締結しており、いずれの都のそばに宇宙港も建設済みだ。
やれやれ、どうして人同士はそんなに争いたがるのか……などと思う少尉だが、ふと思い直す。彼の故郷である地球317では確かに同じ星の上での争いはほぼ消えてしまったが、一方で連盟軍という、この宇宙の半分を占める陣営との終わりなき戦いを続けている。人のことをいえた義理ではないと思い直す。
で、彼らが乗る駆逐艦1203号艦は翌日には牡丹星雲に到着する。ここから一週間ほど、哨戒任務にあたることになる。ピンク色の幻想的な雲が幾重にも重なるこの星系に到着して3日も経つと、ハインミュラー少尉とエルミールの同居の件をいじる者もほとんどいなくなった。それよりも、この場にあと4日も留まることに憂鬱を覚える者が続出する。
「あー、早く帰って、イチゴケーキ食べた~い、お化粧買いた~い、ネイルした〜い、マッサージされた~い」
ハルツハイム兵曹長のぼやき声が、この鬱屈した状況にさらなる影を落とす。
「ったく、なっさけねえなぁ。たかが4日だろう」
「ちょっとエルミールちゃん、まだ4日もあるんだよぉ~、しかも、帰るまでそこから2日はかかるんだよ~、耐えられな~い」
「ハルツハイム兵曹長、あと4日したら、戦艦レオポルド・プリムスの街に行けるだろう。そこで息抜きすれば、そこからの2日くらいもつんじゃないか」
「少尉殿、戦艦の寄港なんてたったの10時間ですよぉ。そんな短い時間じゃ、お店なんてどんなに頑張っても5、6軒くらいしか回れませんよぉ~」
5、6軒って、こいつ、一人でそんなにたくさん回るところがあるのか。この間、エルミールと一緒に回った場所でも、せいぜい4軒だったぞ。それだけ巡って、どうして満足できないんだ。
まったく、今は哨戒任務中だ。敵がいつ現れるかなんて分からないこの状況下で、自身の食欲と美容のことしか頭にない。たるんでるんじゃないのか、と少尉は嘆く。
とはいえ、いつも通りこのまま平和裏に哨戒任務を終えることになるだろう。つい先日、戦いをやったところだ。立て続けに戦闘など、経験することなんてない。確かに200年以上もこの広い宇宙では二つの陣営が慢性的な戦争状態に陥ってはいるが、広すぎる故に、滅多に戦闘というものには遭遇しない。
と、少尉がそう考えてしまったことがフラグだったのだろうか。ちょうどこのタイミングを狙ったかのように、少尉にとってもこの艦内すべての乗員にとっても、悪い知らせがもたらされる。
『達する。艦長のアーべラインだ。たった今、敵艦隊発見の報がもたらされた。総数およそ一万、一個艦隊がこの宙域に接近中である』
緩んだこの食堂内の空気が、この艦内放送で一瞬にして凍り付いた。