#12 静寂
「訓練ナンバー0311、終了! 教練、砲撃用具納め!」
「はっ、教練、砲撃用具納めよし!」
休暇が終わり、再び地上に繋留されああている駆逐艦1203号艦内で砲撃訓練が行われる。今日のオフィーリアの命中率も、絶好調だ。
「はっはっはーっ、今日もいい感じに当ててやったぜ。どうよ、俺の実力は?」
射撃レバーを握っている間は、御覧の通りポジティブの塊だ。カラカラと笑いながら、今日の訓練の成果を管制室内で誇っている。
が、レバーから手を離すと、いつものように薄暗い陰のある感じのお嬢様に化ける。いや、こっちが本来の姿なのだが、オフィーリアの時と比べたら、近寄り難い雰囲気を醸し出す。
「さ、終わった。エルミール、食堂に行こうか」
「はい、ヴェルナー……いえ、ハインミュラー様」
そんなやり取りを、ちらちらと横目で見る砲撃科の面々。ここではエルミールもそんな人目を気にしてして、少尉のことをファーストネームでは呼ばないよう心掛けている。が、すでにこの二人が同居していることは、砲撃科だけでなく艦内の誰もが承知している。総司令部ですら知っているのに、これほど身近で狭い艦内に知られないはずがない。もっともあの性格、いや、人格だから、少尉をうらやむ者はあまりいないのだが。
「いいなぁ、私も誰かと一緒に住みたいなぁ」
が、この二人をうらやましいと思う数少ない者の一人に、ハルツハイム兵曹長がいる。食堂ではこの通り、露骨なまでのうらやみっぷりだ。
「なんだよ、男なんてそこらへんにうじゃうじゃいるだろう。適当なのを捕まえて、一緒に住みゃいいじゃねえか」
「そこらへんにうじゃうじゃいるのが、どれも私の好みじゃないのよねぇ。エルミールちゃんも、よくこんなので妥協したよねぇ」
「なんだぁ? 俺が妥協したって、そう言いてえのかよ」
頼むから、あまりその話題をしないでくれ。と、そんな少尉の願い虚しく、ますます同居の話で盛り上がる。
「でさあ、同じ宿舎のドアの向こうで、どんな夜過ごしてんのよ」
「おう、俺とヴェルナーでゲームするんだよ。だいたい3時間くれえかな。それからよ……」
が、本当に危ない話題に振られたときは、さすがのオフィーリアもまずいと思うのか、手に持っているフォークを皿の上に置く。
「……ご、護衛の都合上、申し上げることはできません」
で、口が堅いエルミールにバトンを渡すと、難なくこのやり取りをかわす。
「えーっ、別に護衛は関係ないでしょう」
「いえ、どこからまた矢が飛んでくるかも分かりませんので、私とハインミュラー様の安全上、どう過ごしているかなど申し上げるわけには参りません」
やや苦しい言い訳のように感じるが、ともかく、休暇が終わってかれこれ4日ほどをこの調子でかわし続けている。
「ちぇ、まあいいわ。どのみちあと5日でまた宇宙に出るんだから、その時にでもたっぷり聞き出してやろうっと」
すねるハルツハイム兵曹長だが、今さらっと、大事なことを口走らなかったか?
「おい、ハルツハイム兵曹長」
「なんですか、少尉殿」
「あと5日で、また宇宙に出るのか?」
「そうですよ。今日あたり、艦長から知らされるはずです」
この間、進宙して帰ってきたばかりだというのに、また宇宙に出るのか。ということはこの近辺で、何かあったのだろうか? 少尉の心の中には、地上から離れることになる不満と、その背後にある嫌な予感とが入り混じる。ちょうどその時、艦内放送が流れる。
『あー、達する。艦長のアーべラインだ。当艦は5日後、牡丹星雲に向けて進宙する。各員、出発に向けて準備せよ。以上だ』
そっけないこの艦内放送により、この狭い駆逐艦での生活が5日後に迫っていることを知る。少尉にとって、これが今までであれば特になんということはないが、生活環境がガラッと変わった今では、このタイミングでの宇宙への旅はいろいろと不都合がある。
一方で、皮肉なことだが、命を狙われるリスクは下がることになる。この王都トゥルーゼにいる貴族の中には、街中に暗殺人を忍び込ませることができるほどの人物がいることが、つい先日はっきりした。司令部でも警戒を強めているが、それでも完全に防げるとは限らない。その点、この駆逐艦内ならば命を狙われる心配はない。
もしかして、そのために宇宙に出ることになったのではないだろうな? いや、あの大将閣下ならやりかねない。ハインミュラー少尉はふとそう考える。が、もちろん、文句を言えるわけでもなし、命令には粛々と従うほかない。
帰り道、駆逐艦を降りて宇宙港ロビーへ向かう。他の乗員は、そのまま港にある大きな仮設市場へと向かう。が、この二人は宇宙港内のレストランへ向かい、そこで食事を済ませる。これは司令部からの指示で、事情が事情だけに、あまり不特定多数の人が集まる場所を避けるためだ。このため、仮設市場へは行かず、タクシーでまっすぐ宿舎へ帰る。そういうわけだから買い物も、宿舎1階にある小さな仮設市場で済ませている。
「いやあ、このレストランってところも、悪くねえな」
が、エルミールはフォークとナイフを持ち、ステーキに舌鼓を打つ。オフィーリア状態だから、というわけではなく、案外ここでの食事をどちらの人格も楽しんでいる様子だ。
さすがに総司令部からの指示が出るくらいだから、ここの食費は司令部持ちだ。その点では食費が浮いて有難いのだが、食事や買い物をする場所が制限されるというのはあまり気持ちの良いものではない。同じ場所をループするばかりのこの生活を、少尉は憂鬱に感じ始めていた。
「なあ、エルミールよ」
「なんだよ」
「お前、よく飽きないな」
「美味えものが食えるのに、何が飽きるんだ?」
「食事だけじゃない、買い物だって自由にいけないし、公園なんてご法度だ。いい加減、退屈じゃないか?」
それを聞いたオフィーリアは、フォークとナイフを皿の上に置いた。すっと穏やかな顔つきに変わったエルミールは少し笑みを浮かべ、少尉にこう言ってのける。
「何をおっしゃいます。ヴェルナー様と一緒なら、何も退屈なことなどありませんわ」
その笑顔に、ハインミュラー少尉の心拍が跳ね上がる。胸を揺さぶられる破壊力のある笑顔を見せつけた後、再びフォークとナイフを持つ。再び、アグレッシブな顔つきに変わる。
「てことで、今夜もやるぞ! おい、しっかり栄養摂っとこうぜ!」
おい、人聞きの悪いことを言うな。ゲームだな、今のはゲームのことだな。少尉は周りから向けられる視線を気にしながら、心穏やかでいられない。
で、タクシーで宿舎に着くと、1階にある仮設市場に入る。明日の朝食の材料と、そのた日用品を買うためだ。
「いらっしゃい、今日も来たね」
出迎えるのは、その市場のおばさん店員だ。この異質な青色ドレスのお嬢様が気になるのか、いつも声をかけてくる。
「あ、あの、今日は朝食のですね……」
「ベーコンと卵、それからパンだろ?」
「は、はい、それ以外にも……」
「なんだい? 歯ブラシはもう買ったし、一通りの日用品は買ったんじゃないのか?」
「い、いえ、紙の薄い布巾のような、あれをですね……」
「ああ、ティッシュかい。この間、たくさん買ったと思ったのに、もう使い果たしたのかい?」
顔を真っ赤にしながら、店員にいじられるエルミールだが、この仮設市場ではまだオフィーリアになったことはないから、この店員も遠慮なくいじってくる。どうしようか、一度、フォークでも持たせてみるか。などと思う少尉だが、毎回さほど買い物があるわけでもないから、すぐに会計を済ませて外に出て、エレベーターに乗り込む。
「っしゃあーっ! 俺の勝ちだぁ!」
そんな大人しいエルミールも、ゲームを前にすればこの通り、上下の階にまで響くほどの大声で叫びつつゲームに没頭する。毎度毎度、同じようなゲームでハインミュラー少尉と対戦しては、勝利を得て絶叫する。
そんな騒がしい時間をしばらく過ごした後は、吹っ切れたように風呂場へと向かう。で、ぼーっと書籍を読む少尉がベッドで横になっているうちに、寝巻き姿のエルミールがそっと布団に潜り込んでくる。
「そ、そんな書物より、私を見てください……」
そして、同じ寝台で一夜を過ごした後は、当然、朝がやってくる。
「おいヴェルナー、俺のエッグ、ちょっと小さくねえか?」
翌朝になると、自動調理ロボットが作ったベーコンエッグを前に、フォークを握ったオフィーリアがその料理に文句をつけてくる。
「そうかぁ? なら、こっちと代えてもいいんだぞ」
「うーん、やっぱ、あんま変わんねえか。まあいいや」
と言いつつ、このお嬢様はフォークでベーコンをつまみ上げて口に放り込むと、ガツガツとそれを食べる。朝食を終えると、青色ドレス姿のまま外に出る。そしてやってきたタクシーに乗り込み、駆逐艦1203号艦のある宇宙港へと向かう。
あの事件以来、こんな日常をここ数日、続けている。エルミールも徐々にここでの生活に溶け込みつつあり、周りもこの青色ドレス姿に慣れ始めていた。
だが、青色のこのドレス姿はかえって暗殺人の目を引き、危険を晒すことになるのではないか? 駆逐艦内では軍服を着ているのだから、宿舎を出る時点で軍服に身を包めば良いのでは? いや、これは総司令部の指示で敢えてこうしている。
宿舎周りであれば、かなり厳重に監視態勢が整っている。もしここに不審な人物が接近すれば、すぐに探知できる。だから宿舎の周りでは陽動としてこの姿で振る舞うことになっている。
あれから、不審な人物は見つかっていない。軍の露骨なまでの警戒態勢に、手出しできないと見える。
なお、5日後に迫った1203号艦の進宙だが、この艦が宇宙に出た後もこの青色ドレスの陽動は続けられる。もちろんそれはエルミール本人ではなく、背丈格好がよく似た別人が偽装するのだが。
そんな軍の思惑とは裏腹に、何か不審な出来事は起こりそうにない。エルミール、いやオフィーリアも何かを察知するわけでもない。静寂な日常が、淡々と続く。
「なぁ、またあの戦艦ってところに寄るのか?」
その日の夜、孫の手を握り、背中をボリボリと掻きながらハインミュラー少尉に尋ねるオフィーリア。その豹変中のお嬢様の前で、大きなカバンを広げて荷物を詰める少尉が答える。
「この間のように戦闘がなければ、戦艦への訪問は最終日になるな。寄るのは間違いないから、そこで新作のゲームをいくつか買ってこよう」
「おお、そうだな。そろそろ今のやつにも飽きてきたしな」
なんだ、飽きていたのか。毎日変わりなく楽しそうに遊んでいるように見えていたが、こっちの人格にも飽きるという感情はあったのかと少尉はその時知る。
「他にも、紅茶もいくつか買いに行かないか? お前、市場の紅茶はあまり質が良くないとぼやいていただろう」
「まあ、そんなこと言ったかな。そういうのは素の時に言って……あっ」
ズボラな態度でそう答えるオフィーリアが、手に持っていた孫の手をポロッと落とす。まさか、また何か危険を察知したのか? 一瞬、警戒する少尉だったが、素に戻ったエルミールがそっと後ろを向きながら、ハインミュラー少尉にこう告げる。
「あ、あの、胸当ての背中の、引っ掛けるやつ。と、取れちゃいました……」
ああ、なんだ下着のフックが外れたのか。って、それを少尉にはめろと? 真っ赤な頬を見せながら背中を向けてせがむエルミールのその姿は、むしろハインミュラー少尉の心の奥底にある激しい人格を呼び起こしかねない。
そういえば、このところこのお嬢様、死にたがるようなことは口にしなくなったな。ネガティブ思考は相変わらずだが、少なくとも断頭台というキーワードを言わなくなった。それどころか、こうして暗殺人を警戒し、総司令部からの指示に従って行動している。
その夜、狭いベッドの中でスースーと寝息を立てて眠るエルミールの寝顔を見ながら、ハインミュラー少尉は思う。もし国王陛下に危険が及び、それをエルミールが防いだとして、その後はどうなるのか?
その時はもちろん、勘当は解かれるだろうから、エルミールはフォンティーヌ家に帰ることとなる。それならばまだいい。問題は、エルミール自身が無事でいられるかどうかだ。
過去に二度、二重人格の令嬢が存在したと、フォンティーヌ家当主は話していた。が、その二人はその当時の陛下の命を救ったことは間違いないのだが、二度目の時は陛下をかばった娘が身代わりとなり、命を落としたのだという。これは休暇中にエルミールから聞かされた。
出会った頃の彼女がやたらと死にたがっていた理由に、この身代わり死への恐怖もあったのかもしれない。そうでなくても、処刑命令書が出ているエルミールだ。たとえ陛下をかばいその命を助けることができたとしても、身代わり死か処刑死のいずれかを迎えることになるのかもしれない。そんな未来を抱えて生きるくらいなら、さっさと楽になりたいと考えてしまうのも当然だろう。
が、今はやっと自身の生に前向きになった。この調子ならオフィーリアに頼らずとも、ポジティブな思考ができるようになるだろう。
そこでふと、少尉は考えた。
もしも使命を終えた時、オフィーリアはどうなるんだろうか? あの人格は、あくまでも陛下を救うためにあると言っていた。ということは、使命を終えた時にあの人格は消えてしまうのだろうか?
使命を終えた後のことは、伝承には残されていない。二人目の時は亡くなってしまったから仕方がないが、一人目は生き残ったのだから、何か残されていないか。そう思ってエルミールにも尋ねたが、その後のことは記されていないのだという。
ということは、運命の時を迎えた時は、オフィーリア側とはお別れなのか?
静寂が支配する夜の闇の中、寝息だけが響く部屋で少尉はいずれ訪れるであろう未来のことを考えていた。