#11 襲撃
「はぁ? 俺が魔女? 何の冗談だ」
宿舎に帰宅し、ゲームをしながらエルミール、いや、今は「オフィーリア」と呼ぶべきか。そんな荒々しい魔女の方に、ハインミュラー少尉は今日のフォンティーヌ家での話を受けて尋ねてみた。
が、この通り、それほど複雑な思考など持ち合わせていないオフィーリアは、こう答えるのみだった。
「うーん、ほんとにエルミールに、そんな運命があるのかなぁ。考えてみれば、今は陛下の前に出るどころか、王都にはいる事すらままならない。そんな状態のエルミールが、どうやって陛下の危機を救うというのだろうか」
「何ぶつぶつ言ってんだよ。おら、次行くぞ、次」
コントローラーを握ると、相変わらず人が変わったかのように夢中になる。ただのゲーム好きにしか見えないこの暴走エルミール改めオフィーリアを見ると、今日の昼間に聞いたあの謎というものの存在が、怪しくなってくる。
「っしゃああぁっ! 今回も俺の勝ちだぜぇ!」
射撃の才があるだけのゲーム好きな娘が、国王陛下の命運を握っている? とても信じられないな。ハインミュラー少尉はコントローラー片手に絶叫するエルミール、じゃない、オフィーリアを見てそう思う。
「てことは、この人格の出現が陛下の危機への備えというのも、疑わしくなるな」
「陛下の危機? なんだそりゃ」
当のオフィーリアには、まるで自覚がない。ということは、ますますあの当主の話が信じられなくなる。
考えてみれば、場当たり的な行動しかしていないからな、この魔女側の人格は。今だって、目前の娯楽にうつつを抜かしている。そんな人格が、この王国を揺るがすほどの事態を防ぐとは、とても考えられない。
そんなエルミール、いや、オフィーリアを眺めつつ、一通りゲームをやりきった後、風呂場へと向かうエルミール。やがて、寝間着姿で現れたエルミールは、自室のベッドの上でぼーっと電子書籍を読むハインミュラー少尉の隣に座る。一瞬、ドキッとする少尉に、エルミールが口を開く。
「ヴェルナー様。やはりお父様から、あの話をお聞きになったのですね」
オフィーリア状態の時のエルミールはまるで無関心だった今日のフォンティーヌ侯爵家当主の話を、素のエルミールが言及する。
「あれ、やっぱりあの話、知ってたの?」
「当然です。私は幼少の頃からずっと、我がフォンティーヌ家の伝説を聞かされて育ってきたのです。そして、私にもその運命に向き合うよう、言われ続けたのでございますよ」
そんな重い話を幼少の時分からされていたのか。そりゃあ、ネガティブにもなるわな。少尉がそう思ったところで、エルミールは続ける。
「ですが私、到底、陛下のお役に立てるとは思えないのです」
「えっ、それはまた、どうして?」
「その陛下から、私を処刑するよう命が下されているのでございますよ。これでは、陛下をお救いするどころか、近づくことすら叶いません。ならばいっそ、私が亡き者になり、その上で別の者がその役目を果たせるよう、引き継ぐべきではありませんか」
あの「オフィーリア」という人格は、陛下の危機に応じて現れる。ということは、エルミールが亡き者になれば、他の者にそれが宿ると彼女は言いたいらしい。
だが、それをハインミュラー少尉は否定する。
「ダメだ。そんな理由でエルミールがこの世から消えてしまうなんて、理不尽にもほどがある」
ハインミュラー少尉のこの言葉に、うつむき気味のエルミールが顔を上げる。
「り、理不尽ですか?」
「うん、理不尽だ」
「ですが、国家の存亡と、たかが一人の令嬢の命とを天秤にかければ、どちらを優先すべきかは分かるではありませんか」
「たとえ一人であっても、理不尽な運命を背負わせないために、僕ら軍人は存在し、戦っているんだ。だから、国家も個人も、僕らにとっては等価なんだよ。比べることなんてできない」
民主主義の軍隊の果たすべき使命というのは、確かに少尉の言った通りである。それを、封建体制に染まったご令嬢に説いたところで、正しく伝わるとは思えない。
だから、少尉のこの言葉は、エルミールにとっては別の意味をもって刺さる。心なしかありか、彼女の緩い寝間着の裾が、さらにその緩みを広げる。
「この先、どうなるかなんてわからないよ。だけど今は、ゆっくり寝ることにしよう。おやすみ」
この淡白な締めくくりの言葉に、エルミールはムッとする。要するに、さっさと寝ろと言われたように感じた。せっかく少尉に惹かれたというのに、急に突き放された。不満を顔に表しながら、エルミールは立ち上がる。
「はぁ、やはり私には魅力などないのでしょうか……」
ネガティブな呟きを残して、部屋を出ていく令嬢。だが、残されたハインミュラー少尉はといえば、心穏やかではなかった。
危うく、理性が吹っ飛ぶところだった。あの寝間着の隙間の持つ破壊力は強すぎる。さっさと帰さないと、自身が暴走するところだった。
それからすぐに布団を頭から被って寝ようとする少尉だったが、しばらくその余韻で眠れなかった。
「おい起きろ! 朝だぞ!」
気づけば、日が昇っていた。何かでバンバンと布団を叩くのは、オフィーリアの方だな。
「なんだ、今日はまだ休暇中だろう」
布団から顔を出して見上げてみれば、一昨日に何気なく買った「孫の手」を嬉々として振り回す青ドレスのお嬢様がいた。こんなものでも豹変できるのか。呆れるというより、感心するハインミュラー少尉。
「今日は港のそばの市場で買い物にするって言ってただろう。さっさと起きろ」
朝から元気なやつだ。早く起きないと、あの棒のようなもので布団が傷んでしまう。起き出した少尉はふと時計を見る。
あれ、もう10時? これは寝すぎだな。そりゃあエルミールも我慢しきれず、豹変までして起こしに来るわけだ。少尉は少し、反省する。
それから少尉は急いで着替えて、二人で外に出る。心なしか、エルミールはどこか嬉しそうだ。おかしいな、孫の手はもう握っていないはずだが。
「ヴェルナー様、ほら、あの公園に屋台がありますよ」
様づけながらも、こちらのエルミールも少尉をファーストネームで呼ぶことに慣れてきた。休暇の間に、エルミールは随分と変わったな。何よりも、明るくなった。この4日の内に、徐々に歳相応の振る舞いを見せ始めたこのお嬢様の変化を感じながら、少尉は彼女が手招きする屋台の方へと向かう。
「どうやらここは、お菓子のようなものを売ってますね」
見ればそこは、カップに入ったスイーツを売っている。ティラミスにいちごショート、プリンパフェなどがある。色とりどりのスイーツを前に、エルミールの視線がそこに集中する。
こういうものにも興味を抱けるようになってきたのだな。と、ハインミュラー少尉はエルミールと一緒に並んだスイーツを眺める。その中から二つを選んで買うと、近くのベンチに座る。
「ぐへへへ、さて、どんな味がするのやら……」
ところがそのカップケーキは、スプーンがないと食べられない。小さなプラスチック製のスプーンだが、エルミールをオフィーリアに変えるには十分な道具だった。このためこのお嬢様は、魔女へと変化する。
「あまり量があるものじゃないから、ガツガツ食うなよ」
「なんだよ、俺がまるで品がねえみてえじゃ……」
実際、この状態では品がないだろうと、少尉がそう考えた、まさにその時だった。
突然、エルミールが手に持ったカップのケーキを投げ捨てる。予想外のこの行動に一瞬驚くハインミュラー少尉を、彼女は椅子から押し倒す。何が起きているのか、倒される少尉の目の前で、持っていたプリンパフェが宙を舞うのが見える。
が、そのプラスチック製のカップがいきなり弾け散る。直後、座っていたベンチに何かが刺さる。バキッと音を立てて、硬質プラスチック製のベンチシートに亀裂が走る。その亀裂の真ん中には、細い棒のようなものが見える。
ドサッと音を立てて、少尉とエルミールは地面に叩きつけられた。
「いたたた……」
中を待っているうちに、スプーンを落としたエルミールは、すでにオフィーリアではなくなっていた。だが、ハインミュラー少尉は、二人に危機的状況が迫っていると察する。辺りを見渡す少尉、すると、何やら奇妙なものを持つ茶色のヴェールをまとった男の姿を捉える。
手に持っているのはクロスボウと呼ばれる、矢を速射する武器。小型ながらも、高い威力を持つ矢を放つ。そのクロスボウに、次の矢をこめるのが見えた少尉は、咄嗟に左腕をかざす。
すぐさま、2本目を放ってきた。それはまっすぐ二人の方を目掛けて飛んでくる。が、それが少尉のかざした腕の手前で火花を散らすと、あっという間に燃え尽きる。
少尉は、護身用の携帯シールドを展開した。それが、男が放った2本目の矢を弾き飛ばした。
「な、なんだぁ!?」
近くの屋台の店主が、この異変に気付く。慌てた茶色ヴェールの男は、今度はその矢の狙いをその店主へ向ける。
民間人に、被害が出る。そう察したハインミュラー少尉は、腰にある拳銃を取り出す。そして一撃、男の足元に放つ。
バンッという乾いた音と同時に、青白い光が放たれる。着弾した地面には、拳ほどの穴が開く。すると男は一転、クロスボウを投げ出し、その場を走り去る。
少尉はポケットから、スマホを取り出す。そこにある軍専用の緊急アプリを使う。
「1203号艦所属、砲撃科、ハインミュラー少尉! 茶色のヴェールをまとった男から襲撃を受けた、場所は……」
軍司令部に救援要請を出す。武器を持ち込んだ相手に対しては、警察ではなく軍の管轄となる。このため、この公園から逃げる男は、軍が追うこととなる。
この公園はもちろん、街中のいたるところに防犯カメラが設置されている。少尉の通報で、おそらくはすでに男の追跡も始まっているだろう。それを確認した直後、ハインミュラー少尉はハッと思い出す。
「エルミール!」
青ドレスのお嬢様は、少尉に折り重なるように倒れている。あの時、少尉を押し倒していなければ、確実にやられていた。このお嬢様のとっさの判断に救われたわけだが、当のお嬢様はまだ立ち上がれていない。
「ヴェ、ヴェルナー様……」
「今、軍に連絡した。この塀の中では、犯人も逃げられない。それよりも、大丈夫か?」
「ええ、なんとか……」
とりあえず、鋭利な矢が刺さったままのベンチに腰掛ける。硬質プラスチックすらも撃ち抜く矢の威力に恐怖を覚えつつも、エルミールの服についた泥を払いのける。
「だけど、どうしてあの矢に気付いたんだ? 僕はまったく気づかなかった」
「え、ええ、そう言われましても、私も何が何やら……」
男からの攻撃をあれほど巧みに避けたというのに、当の本人はまったく認知していない様子だった。どうやってあれを察知したのか? そういえば、あれを避けた時はまだ「オフィーリア」だったな。
そういえば、あの砲撃戦の時も、オフィーリアが先に探知したな。今回も、あれと同じだ。不意打ちを、オフィーリアが事前に察知した。が、あの砲撃戦の後の聴取でも、エルミールはなぜあのような行動に出たかを説明できなかった。
理由は分からないが、とにかくエルミール、いやオフィーリアには、危険を予知する能力がある。そう結論付けるしかない。
事件発生からわずか3分ほどで、軍の航空機が降りてくる。哨戒機タイプの機体からは、複数の武装した陸戦隊員が降りてきた。一人が、ハインミュラー少尉のところにやってくる。
「司令部直轄、陸戦隊所属、クラナッハ准尉であります!」
「ハインミュラー少尉だ」
「少尉殿、何が起きたのか、ご説明いただけますか?」
現れた陸戦隊のリーダーに、状況を説明する。その間にも、狙撃犯が残していったボーガンが回収され、周囲の探索が行われる。どうやら、周囲の防犯カメラにはあの男は捉えられていないらしい。ということはまだ、この公園内にいるということになる。
聴取と言っても、不意打ちされたということしか説明できない。屋台の店主も同様に聞かれるが、当然、心当たりなどない。
それから10分後、二人は総司令部に呼び出されることとなる。現れた航空機に乗り込み、そのまま総司令部のビルに連れていかれた。
「総司令官の、リーゼンフェルト大将だ」
「ハインミュラー少尉であります!」
で、いきなり総司令官室へと通される。これまで映像でしか見たことのない人物と、予期せぬ対面を迎えてしまったこのいち士官は、極度の緊張状態に陥る。
「ああ、少尉、そしてエルミール殿。楽にしてくれ、今は軍務ではなく、重要参考人として君らを招いた。少し、話を聞かせてほしい」
「は、はぁ……」
「その前に、ハインミュラー少尉に尋ねたい。貴官はフォンティーヌ家当主、レオナール殿より、エルミール殿の二重人格の由来について聞いているか?」
「は、はい、昨日その件で、フォンティーヌ家に呼ばれました」
「そうか、ならば話は早い」
この口調だと、エルミールの二重人格と国王陛下の危機について、この総司令官は知っているようだ、とハインミュラー少尉は察する。
待てよ、そういえばエルミールは総司令官直々の命令で駆逐艦1203号艦の砲撃科に配属された。ということは、あの事情を知ってて何の説明もなしにこっちに押し付けてきたというのか。少し憤りを覚えるが、総司令官相手に抗議できるわけもない。
「回収したボーガン、そして狙撃状況から察するに、あの狙撃犯は間違いなくエルミール殿の命を狙った。そう結論付けるしかない」
「あの、それはどういうことです?」
「エルミール殿の命が狙われているのは、すでに知っているだろう」
「は、はぁ、それはフォンティーヌ侯爵様よりお聞きいたしましたが」
「さらに言えば、国王陛下が狙われているということになる。その主犯が、まずエルミール殿を狙ったということだ」
「それは推測できますが、確たる証拠はあるのでしょうか?」
「実は、犯人を確保した」
「えっ、捕まえたのですか?」
「いや、捕まえたというか……ともかく、貴官らを狙った実行犯が、王都の住人であることは確定している」
「であれば、そのエルミールを狙った犯人を問い詰めれば、すなわち国王陛下を狙うであろう人物ともつながるのではありませんか?」
「いや、それは不可能だ」
「その捕まえた犯人から、探ればいいだけではないのです?」
「その犯人は、毒をあおって死んだ。公園の中で、先ほど発見された」
エルミール、そして国王陛下の命にまで及ぶかもしれないこの事件の実行犯が、すでに死んでしまったことを知る。おそらくは、この王都でのプロの殺し屋だろう。逃げられないと悟るや、自害したようだ。
「まさか塀の内側にある宇宙港の街に侵入してくるとは、予想だにしなかった。武器を持ち込んだということは、おそらくはこの街に乗り入れる貴族の乗る馬車にでも仕込んでいたのだろう。今、その可能性のある馬車を当たっているところだ。だが……」
総司令官閣下としても、犯人を生きたままとらえることができず、悔やむほかない。ようやく捉えた細い一筋の光明が、かき消されてしまったという想いだろう。これはハインミュラー少尉も同様だ。
「ともかくだ、この先もエルミール殿が狙われる可能性は十分にある。幸い、貴官と同居していることで、結果としてやつらがエルミール殿に手出しできないようだ。が、街中となれば少し事情が異なる。今回のように狙われる可能性があるということだな」
なんだ、総司令官閣下はこのお嬢様と少尉が同居していることまで知っていたのか。なんだか総司令部を上げて、私生活を覗き見られているように感じたハインミュラー少尉だが、もちろん、文句や反論が言えるはずもない。
「ということだ、貴官にはエルミール殿の護衛を引き続き頼む」
総司令官閣下がそう述べる。脇に並んだ他の将官らも、険しい表情でハインミュラー少尉に視線を向ける。その圧を受けつつも少尉は立ち上がり敬礼すると、総司令官閣下を始め、並み居る将官らも一斉に返礼する。
こうして、総司令官を抜けたころには、すでに昼も過ぎていた。あの事件の直後だから、外に行くわけもいかず。司令部の食堂で食事を摂った後に、タクシーで宿舎に帰る。
踏んだり蹴ったりだ。休暇も明日で終わりだというのに、おちおち外にも出られないなんて。少尉はぼやきつつも、その日の晩もエルミール、いやオフィーリアとゲームして過ごす。
「ひゃっはーっ! また俺の勝ちだぜ」
よくあんなことがあった後だというのに、この魔女の名を冠する人格は平気でゲームなどできるものだ。そうハインミュラー少尉は思う。
「なあ、もう一度聞くが、本当にただの予感だったのか?」
「しつこいなぁ、そうだよ。あの時、なんかゾゾッと来たんだよ。それだけだ」
そんな予感くらいで、あの動きができるというのか。少尉は不思議でならない。明らかに矢で狙われていると、そう知っての行動ではないのかと疑っている。
「まあなんだ、何か起こりそうなときは、俺が何とかしてやらぁな」
というわりには、妙に自信満々だ。楽観的と言えばその通りだが、こいつ、何か隠してるんじゃないか? 疑いは深まるばかりだ。
で、いつものようにゲームを遊びつくして、風呂へと入るエルミール。また少尉はぼーっと電子書籍を眺める。が、そこにまたエルミールが現れる。
昨日よりも、妙に寝間着の着こなしが緩い。が、顔の表情を見る限りでは、オフィーリアではなく、素のエルミールだ。不意に現れたエルミールは、か細い声でこう少尉に告げる。
「あ、あの……押しつけがましいことは承知してます、が、私、不安でなりません。なので、今夜から私とご一緒に、寝てはいただけませんか……?」




