#10 運命
「いってらっしゃいませ、ハインミュラー様」
宿舎の玄関先で、エルミールは少尉を見送る。が、当の少尉は、あまりの重圧に心折れかけていた。
「まさか、同居したことがバレたんだろうか? いや、だけど、だからと言って呼び出されるようなことは、まだ何もしていないんだけど……」
動揺するハインミュラー少尉に苛立ちを覚えたエルミールは、そばに置かれていたカッターナイフを持ち、「暴走」の力を借りて抗議する。
「あーったくだらしねえなぁ! ヴェルナー、おめえ男だろう! 何もやましいことをしてねえんなら、堂々と振る舞えばいいんだよ!」
「ああっ、分かった! 分かったから、刃をこっちに向けないで!」
「……ということで、お父様によろしくお伝えください」
このお嬢様、最近、言いにくいことがあるとすぐに暴走側に頼る節があるな。心の中でぼやくハインミュラー少尉は、自身の持つ服では最も高級な部類の、軍礼服に身を包んで宿舎を出る。
勘当されたとはいうものの、貴族家のお嬢様と同居しているなどという事実は、その当主にとっては穏やかに受け入れられることではないだろう。だいたい、そんなハインミュラー少尉を名指しで呼びつけるあたり、その心情の現れである。悪い予感しかしない。
王都とこの街を隔てる塀は、数箇所の通用門が開いている。その一つにハインミュラー少尉が着くと、身分証の提示を求められる。
別にやましい身分ではないため、ここは難なく通過する。もっとも、今のエルミールはここを超えられない。彼女はこの地では、陛下直々御指名の大罪人とされているからだ。塀の内側でしか、エルミールは生存を許されない。
それを踏まえて、フォンティーヌ家からハインミュラー少尉を見た場合、不本意な理由で追放せざるをえなかった娘であるからこそ、この治外法権な場所にその生存を託したというのに、その娘の弱みにつけ込んで同居を迫ったやつがいる、とでも思ってるはずだ。貴族の娘が平民風情と同居などするなど、気分のいいものではない。いや実際には違うのだが、貴族というやつは自身の思い込みを優先し、平民階級相当のハインミュラー少尉の言うことなどに聞く耳を持たないだろう。なればこそ、少尉はこれから迫られる理不尽な対応に心穏やかにはいられない。
巨大な塀を越えて、王都に入る。ここは王国成立以来およそ300年もの間、栄えてきた王国一の都市である。人口はおよそ50万人、その大半を占める平民階級に、100の貴族家と、そしてロレーヌ王国を統治するロレーヌ王家がここに住んでいる。
貴族の中には自身の領地に住む者もいる。特に辺境を治める貴族は、王国防衛のため、自らがその地に留まり蛮族の侵入を防いでいることが多い。が、たいていの貴族は王都にいて、領地には代官を置き領民の支配をまかせていることが多い。貴族の側にしてみれば、遠くの領地に住むより、物も文化も華やかなここ王都に住む方が何かと都合がいい。一方で、領民を任された代官はといえば、当主にその領地の租税さえ収めている限りは特に咎められることもないため、その権限を悪しき所業に用いる代官も……と、貴族の代理人の悪行を語る場ではないから、ここでは省略する。
今、ハインミュラー少尉の向かっている先は、代官どころか貴族の、それも王国内で公爵に次ぐ地位を持つとされる侯爵家の当主だ。
少尉とこの侯爵家の接点と言えば、エルミール以外にはありえない。呼ばれた理由も、間違いなくあの令嬢のことだ。これから何を言われるのやらと、少尉の歩く足も重い。
平民街は、その名の通り平民階級の住む街だ。低層のレンガ造りの家が連なるこの場所は、見た目の穏やかさとは裏腹に、治安が良いとは到底言い難い場所でもある。
場所によっては、貧民が多く住む場所もある。日雇いでその日暮らしの人々がいる場所なのだが、不安定な収入ゆえ常に金欠気味な人々が多く、当然スリや強盗などが横行している。ちょうどハインミュラー少尉が歩いているここはまさに「貧民街」と呼ばれる、その貧民が多い場所でもある。
が、あの街から来た人間を、彼らは襲わない。それは彼らを遥かに凌駕する技術を持つがゆえに手出しできないという事情もある。
少尉も塀の外では、拳銃と携帯シールドを持ち歩く。携帯シールドというのは、ビーム兵器ですらも弾き返すことができる強力な防御兵器で、それを腕に巻いて持ち歩いている。それらを前に、貧民どころか騎士でも勝ち目はない。
だが、力の大きさだけが彼らを抑えているわけではない。簡単に言えば、貧民にとって宇宙から来た彼らは「金」をもたらしてくれる相手だ。今、宇宙港は空前の建設ラッシュを迎えており、彼らの労働力を必要としている。当然、貧民の多くは宇宙港で仕事を得る。そこで支払われるお金で、これまで口にしたことのない食事や服などを得ることができる。貧民を中心に徐々に宇宙からの文化への認識が広まり、それが彼らと地球317から来た人々の間に依存関係を構築されてきた。それが、この場所での少尉の安全を保証している。
だから、少尉にとっての懸念は、この平民街を抜けた先にある貴族街の、ひと際大きなお屋敷に住む当主のみである。
やがて少尉は、王都中央にある大教会の鐘が刻を告げる頃に、その屋敷の前にたどり着く。そこは、大きな垣根に囲まれており、鉄製の大きな門扉の先には、手入れされた芝生に覆われた中庭が見える。その奥に、ツタで覆われた三階建ての荘厳な建物が鎮座する。
鉄の門の前には、門番が二人立っている。その一人が近づいてくるハインミュラー少尉に声をかける。
「誰か!?」
明らかに平民相手のその威圧的な対応に、少尉は答える。
「地球317遠征艦隊所属の、ハインミュラー少尉であります」
敬礼しつつ名乗る少尉のその名を聞いた門番の一人が、慌ててこう答える。
「し、しばしお待ちを」
明らかに門番の態度が変わった。少尉の名が、当主の客人だと知らされていたのだろう。一人が門を開けて、屋敷の方に走っていく。
それからすぐに、タキシード姿の侍従長を伴って現れた。
「お待ちしておりました、ハインミュラー様。私はフォンティーヌ家で侍従長をしております、ギルマンと申します。御館様がお待ちです。さ、こちらへどうぞ」
侍従長の案内で、門を抜けて中庭を通り、屋敷へとたどり着く。
玄関が、すでに少尉に住む宿舎の部屋を上回る大きさだ。正面には大きな壁画があり、そこには鎧姿の剣を握った御仁が、馬上にて兵を率いる光景が描かれている。この侯爵家の初代当主か、あるいは相当な功績を挙げた人物の絵であろうと思われる。
その壁画の左に続く通路を抜けた先の扉が開かれる。応接間と思われるその場に通されたハインミュラー少尉は、侍従長によりソファーにて座って待つよう告げられる。大きなソファーの上で待つ少尉には、メイドにより紅茶が振る舞われる。その紅茶をひと口飲んだところで、当主であるレオナール殿が応接間に入ってきた。慌てて少尉は立ち上がり、敬礼する。
「ああ、ハインミュラー殿、気を遣わず楽にしてほしい」
開口一発、少尉を気遣うこの言葉で、少尉の抱いていた懸念の多くは吹き飛ぶ。苦情を言うつもりでも、見下した態度に出るつもりはなさそうだと、まずは安堵する。
が、次の一言で、再び少尉の心がざわつく。
「ところでハインミュラー殿、貴殿は今、エルミールと一緒に暮らしていると聞いたが」
やはり、この件で呼び出されたのか。少尉はドギマギしつつも答える。
「は、はい、あの、ゲームなどで盛り上がりつつですね、その、食事や我々の生活習慣に慣れてもらうために……」
「ああ、勘当した娘だ。気を遣わずとも良い。むしろあの娘と共に過ごせる者がいることに、私自身が驚いているところだ」
意外な反応だ。娘と暮らす不届きものだと苦情を言い出すかと思っていただけに、この当主の言葉は想定外だった。では一体なぜ、少尉は呼ばれたというのか? 娘を頼むと言いたげだが、それだけのために呼び出されたとは思えない。真意を図りかねているハインミュラー少尉に、この当主は向かいのソファーに座って、こう切り出す。
「さて、貴殿を呼び出したのは他でもない。あの娘のことだ」
「はい。おそらくはそうではないかと思っておりました」
「その娘だが、あの性格、つまり、まるで別人のような二つの人格が備わっていることを、ハインミュラー殿も承知しているであろう」
「はい、それはもう」
「その娘の、あの人格の謎を、貴殿に話しておこうと思う。それゆえ、休暇中にも関わらず、貴殿に赴いてもらった次第だ」
謎、と今この当主はそう言った。あのはちゃめちゃな性格に、謎と呼ぶほどの理由があるというのだろうか。いや、あれは冷静に考えてみれば異常だ。異常すぎる。普通では考えられないレベルの二重人格っぷりだ。だが、あれにどんな謎があるというのか?
「ロレーヌ王国開闢以来、300年が経つ。この300年間、我がフォンティーヌ家はロレーヌ王家の近衛を仰せつかってきた。これほど長い歴史の内には、陽に隠に、国王陛下のお命を狙う者が幾たびも現れたのだ」
急に歴史的な話にふられる。フォンティーヌ侯爵家の役割と、王国のドロドロとした闇のようなものをほのめかすが、それがエルミールと何の関係があるのか。
「さらにその300年の間に、エルミールのような二つの人格を持つ娘が現れたこともある。過去に二度、そして、今度が三度目だ」
「三度目? ということは、初めてではないと」
「そうだ。いずれも、あの通りの荒々しい性格であったと伝えられている。だが、あの人格が現れる時には、同時にあることも起きていたのだよ」
「あることとは?」
「国王陛下の、お命の危機だ」
それを告げられた時、予想を超えた話に及んでいることを少尉は悟る。当主は、続ける。
「過去二度の時も、陛下は王政内部の者より命狙われたが、いずれも未遂に終わった。それは、豹変した娘が陛下の窮地を救う結果となったからだ」
驚くべき話を聞かされる。あの豹変ぶりに、そんな理由があるなどとは考えもしなかった。その話から察するに、単なる二重人格どころではない。それどころか、王国の危機じゃないかと。
「そ、それならばどうして、陛下の命でエルミールが大罪人にされたというのですか?」
「簡単だ、陛下をそそのかした者がいる。おそらくは、この過去の前例を知ってのことだろう。たまたまエルミールが乗っていた馬が王族の一人に触れたことを口実に、危険視するよう仕向けられてしまった」
「ですが、なればこそ陛下にその旨を訴えればよろしいのではないですか?」
「いやだめだ。宰相閣下に進言してはみたが、陛下は我が進言に聞く耳を持ってはくださらなかったようだ。よほどの大物が、エルミールを消そうと計ったのであろう」
そんな陰謀が、まさかエルミールをも巻き込んで渦巻いていようなどとは、まったく予想だにしなかった。
「が、今の話はすべて私の憶測に過ぎぬ。とはいえ、過去に二度、それが起こっている。今度も間違いなく、それは起こるであろう。となれば、我が娘が陛下を救う機会は必ず訪れるはずだ。その日まで、エルミールを守ってほしい」
ようやく、少尉がここに呼ばれた理由が判明する。つまりは、この先怒ると予想される悲劇を防ぐために、エルミールを守ってくれということだ。
「はっ、微力ながらも、果たしてみせます」
「うむ、そう言ってもらえると心強い。なお我が家では、あの荒々しい人格のことを『オフィーリア』と呼んでいる」
「オフィーリア、ですか」
「我が王国の昔話で、荒々しい性格ながら、正義感の強いオフィーリアの魔女の話がある。その魔女にそっくりだということで、そう呼ばれているのだ」
「はぁ、なるほど」
「で、オフィーリアではなく、エルミールのことなのだが……」
まだこの当主には、ハインミュラー少尉に話したいことがあるらしい。
「我が娘、エルミールは、あの通りの運命を背負ってしまった。それゆえに私は、あの娘を厳しく育て過ぎたところがある。その結果、半ば自暴自棄というか、自らの命に固執しないというか、後ろ向きというか、そのような性格に育ってしまった」
あのお嬢様のネガティブ感情には思い当たるところがあり過ぎる少尉にとって、その背景を知るところとなる。あれは、この家でのしつけの結果だというのか。重すぎる運命の重圧もあって、余計にエルミールは負の感情を抱え込んでしまったのだろう。そう少尉は考える。
「そんな娘の運命を背負わせてしまったハインミュラー殿に、このようなことを頼むのは図々しいと、重々承知のうえでお頼み申す。あの娘、エルミールにどうか寄り添ってやってほしい。それが、私の親としての願いでもある」
そう頭を下げる侯爵家の当主に、恐縮してしまうハインミュラー少尉。そんな短くも重いやり取りの後に、少尉はこの屋敷を後にする。
思ってもいない展開だった。まさかそんな運命が、エルミールに迫っているとは考えたこともなかった。しかし、ならばどうしてあの「オフィーリア」の方は、稀代の砲撃の才能を持っているのだ? あれではまるで、我々がここに出現することが織り込み済みであるかのような、そんな巡り会わせにしか感じられない。
そんなことを帰り道で考える少尉。当主より聞かされた謎は、さらなる謎を呼ぶ。しかし、あのもう一方の人格を「魔女」と表したのは的を得ていると、妙に納得するハインミュラー少尉だった。