#1 変人
「私を、直ちに断頭台の前へ連れて行くのです」
このとち狂った発言を、地球317遠征艦隊所属の駆逐艦1203号艦の中にある会議室の片隅で放つのは、侯爵令嬢と呼ばれる高貴なご身分のお方だ。
いや、正確には侯爵令嬢「だった」というお人らしい。この貴族令嬢を前にハインミュラー少尉は面食らうも、そんな人物を連れてきた副長のドレッセル中佐を前でどうにか冷静さを保ちつつ尋ねる。
「で、副長、小官にこのお方を、どうせよというのです?」
この場に呼ばれた砲撃科の操舵手担当であるハインミュラー少尉が、このおかしなお嬢様に引き合わされた理由に思い当たる節はない。この令嬢を引き合わせるとすれば、どちらかといえば心療内科の方ではないか。そんな腑に落ちない少尉に向かって、この副長はこう切り出す。
「わけあって、このお嬢さんを我が艦で引き取ることになった。というのも、ちょうど砲撃手が空席の我が艦にあって、このお嬢さんにその空席を埋めてもらうこととなったのだ」
「はぁい?」
ますます狂った……いや、想定外のことを言い出したこの階級がずっと上の副長に対して、思わず変な声を出してしまう少尉。
「あの、副長。どういうわけがあれば、貴族のご令嬢を駆逐艦で、それも砲撃科で引き取ることになるんですか?」
こんな無茶を言われれば、令嬢を前にしてもこう言いたくなる。が、当然、貴族令嬢はムッとする。しかし死にたがっているやつに遠慮など不要、何よりもこの訳の分からない事態に巻き込まれたことに、少尉がいらだつのも無理はない。
「私は、実はとんでもない悪女なのです。すぐにでも処刑されなくてはならないのです。ですから、こんなところにいる道理がございません」
そんな少尉に、副長を差し置いてそのご令嬢がまたおかしなことを言い出す。
「ええと……」
ヴェルナー・ハインミュラー。25歳で、階級は少尉。地球317遠征艦隊、駆逐艦1203号艦の砲撃科に所属する若い士官だ。今、彼は副長から突然の呼び出しを受けて、理不尽で意味不明な事案に直面している。
何かを言い返そうとするハインミュラー少尉だが、どこから問えばいいのか計りかねている。ともかく、ここは一旦整理しよう。少尉はひと呼吸して、冷静になる。
エルミール・ラ・フォンティーヌという名のこのお嬢様は、この星、地球1053で最大の国であるロレーヌ王国の貴族の一つ、フォンティーヌ侯爵家の次女なのだという。いや、実はつい数時間前に彼女は侯爵家を勘当され、行く宛もなくここにいる。
なんでも、このお嬢さんが乗っていた馬と王族の一人と接触し、王族に怪我を追わせることになったというのがその勘当の理由だというが、それ以前からの彼女の素行が原因だという。この王族の一件で、ついに限界を超えてしまったということだ。
が、パッと見た限りでは、とても素行の悪い人物には見えない。落ち着いた雰囲気、気品あふれる風貌、そして気高きその顔。口さえ開かなければ、貴族令嬢の手本のような人物にしかみえない。一体、何をやらかしたというのか。
「なぜ、あなたは死にたがるのです? 見たところ、何かとんでもない悪事を働いたとは思えない。仮に罪を犯したとして、それを自覚しているのであれば、反省して更正すれば良いだけのこと。何も死ぬことはないでしょう」
「そのようなこと、私にも分かっております。なれど、それができぬから、かように申しておるのです」
ますます話が噛み合わない。そこまで分かっているのなら、悪事をしないよう努めればいいだけじゃないか。ハインミュラー少尉はそう考える。
「困ったことに、彼女にはその王族の怪我の一件を受けて、陛下の名で処刑命令書が出ている。このまま彼女を王都に残せば、断頭台送りは確実だ。が、それを理不尽に感じた総司令官閣下が彼女を引き取り、命令書の及ばない治外法権下のこの宇宙港の街に連れてきたと、そういうわけなのだ」
副長がそう補足するも、だからどうしてそんな曰く付きの人物を相手しなきゃいけないのか、少尉が納得できるはずもない。それならば総司令部で引き取ればいいじゃないか、と。
とはいえ、相手は軍事訓練などとは無縁の、無資格な貴族令嬢だ。となれば、軍の中ではやれる職種は限られている。この駆逐艦内なら、主計科か砲撃手くらいしかない。
いや、お嬢様だからなぁ、自身で服の着替えすらままならないような貴族の娘に、雑用などもこなさなくてはならない主計科などできるわけがない。となれば、消去法で砲撃手、ということになるのか。
もっとも、駆逐艦乗りにする必然性すらないのだが、ともかく総司令官の名でこの艦の砲撃科での受け入れが命じられている。である以上、ハインミュラー少尉に拒否できるわけもない。
「と、いうわけで、これから行われる砲撃訓練に彼女を参加させたまえ。では」
副長がそう少尉に告げると、敬礼する。敬礼で返す少尉を見た副長は、そのまま会議室を出て行ってしまった。後に残されたのは、薄水色のドレスを纏った貴族の娘と、群青色の軍服を着た若い士官のみ。
この青ドレスの令嬢を丸投げされた士官は、急すぎるこの展開にしばし呆然とするが、やがてうな垂れたままのその令嬢にこう声をかける。
「あの……それじゃ、参りましょうか」
一応、彼女は侯爵令嬢という身分だったこともあり、ここでは上等兵待遇となる。そんなドレス姿の上等兵を引き連れて、エレベーターへと向かうハインミュラー少尉。この異様な二人組を、通りすがりの乗員らは奇異の目で見送る。
「あの、こちらが砲撃管制室です」
たどり着いたのは、全長300メートル、高さ75メートルの駆逐艦の後方中ほどにある小さな空間だ。この艦の先端に設けられた直径10メートルの高エネルギービーム粒子砲を制御する場所だが、そこには砲撃長以下、3人の士官が待機していた。
「ハインミュラー少尉、その方が例の、ご令嬢か?」
そう告げるのは、砲撃長のゲルスター大尉だ。いや、他の誰に見えるというのか、そう喉まで出かかったが、少尉は敬礼しながら短く「はっ」と答えるのみだった。いかにも場違いな場所に来てしまった青色ドレスのご令嬢は、砲撃長の視線を気にして少尉の後ろに身を寄せる。
「それでは、これより砲撃訓練を行う。各員、配置に着け」
が、そんなご令嬢を前にしつつも、いつも通り訓練シーケンスを始める砲撃長。ハインミュラー少尉は、この管制室の前方にある二つの席の右隣を指差す。
「あの、エルミールさん、でしたっけ。あなたの席はこちらです」
するとこの令嬢は言われるがまま、その席に座る。目には、生気が感じられない。国王陛下直々に処刑の命令が下された死にたがりの令嬢。その令嬢が、どういうわけかこの宇宙で随一の破壊力を持つ高エネルギービーム粒子砲の射撃レバーの前にいる。
ハインミュラー少尉は思う。一個艦隊、一万隻の艦艇から放たれるビーム砲による撃沈率は、2時間の戦闘でおよそ2パーセントと言われる。つまり、ほとんど当たらない。だから、一隻くらいゼロパーセントの艦があったところで、大勢に影響はない。
落雷10発分と評されるほどの凄まじい砲撃音に耐えられるかどうかすら分からないこのお嬢様が、敵艦の動きを予測して命中させるなどおよそ不可能だ。どうせ空席ならば、トリガーを引ける誰かを座らせるだけでもマシだと、そう考えての配属だろう。砲撃科も軽く見られたものだと、ハインミュラー少尉は心の中で憤る。が、ともかく訓練を始めなくてはならない。
「それで、僕がこの艦を操舵し、敵艦からの砲撃を避けつつも、敵に照準を合わせます。ここぞというタイミングで、この引き金を引く。これが砲撃手のやるべきことです」
砲撃手順を説明するも、聞いているやらいないのやら。うわの空の彼女に、少尉は一通りの説明を行う。そしてそれが終わるや、砲撃長に向かって頷く。
「よし、では訓練を開始する。オトマイヤー中尉!」
「はっ!」
「訓練ナンバー1033を行う、システム起動!」
砲撃長の号令に、弾着観測員のオトマイヤー中尉が応える。ハインミュラー少尉とエルミールの座る席の、それぞれの正面のモニターが光り、赤茶色の艦影が映し出される。
「目標艦、ナンバー0537。距離30万キロ、射程内。教練、砲撃戦開始、撃ち―かた始め!」
その合図を聞いて、ハインミュラー少尉は令嬢の手を取る。
「さっきも話した通り、装填レバーを引いて!」
と言っても、いきなりのぶっつけ本番だ。戸惑うのが当たり前。しどろもどろな令嬢は装填レバーを引くとともに、目の前の発射レバーを握る。
が、そこで異変が起きる。
「っしゃあ! 殺ってやるぜ、敵の船はどこだぁ!」
突如、叫び声が狭い砲撃管制室にこだまする。ハインミュラー少尉を始め、この管制室内の士官らは一瞬、凍り付く。その声の主が、さらに叫ぶ。
「おい、ハインミュラー! さっさとそいつを動かしやがれ、俺が撃てねえじゃねえか!」
「りょ、了解!」
慌てて操縦レバーを握るハインミュラー少尉。右隣で大声で叫ぶのは、ついさっきまで死に急ぎ、意気消沈していたあの令嬢だ。
が、今は興奮気味に2つのレバーを構え、モニターを睨みつけている。鼻息も荒い。
少尉はふと、考える。
ああ、この令嬢、いわゆるハンドルを握ると性格変わるタイプの人だ、と。