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念話

 

 そよそよと柔らかい風を感じる。

 なんだか火照った体には気持ちいい。

 あれ、僕何してたんだっけ。

 そこまで考えて、ゆっくり目を開けた。なんか体がだるい。また見たことない天井だ。

 これデジャブか?


「神子様。目が覚めましたか?」

 聞き覚えのある重低音がすぐそばでして、そちらに顔を向けた。その顔を見た瞬間、自分の状況を思い出した。

 そうだ、お風呂入ってたんだ。

 僕、異世界転移したかもってなって、それで…。湯船につかっていろいろ考えてたらのぼせて溺れかけたんだ。メイドさん達慌ててたなそういえば。

 誰かが助けてくれたんだ。


 ・・・・・・・・・。


 てことは全裸の状態で見られたってことか。メイドさん達かな。ああー、申し訳なさすぎる。それに恥ずかしすぎる。

 思わず顔を手で覆って、恥ずかしさと申し訳なさに悶えていると、心配げな声で騎士さんが話しかけてきた。


「大丈夫ですか?まだどこかご気分が優れないですか?必要であれば医師を呼んでまいりましょう」

『あっ…』


 今はゆったりとしたベッドに横たえられて、隣の椅子に座った騎士さんが団扇のようなもので扇いでくれていた。心地よい風は彼がずっと送ってくれていたらしい。


『ありがとうございます』


 心配してくれて看病してくれてる彼を見て、この人は本当に信頼できる人かもしれないと思い始めた。体の怠さはあるものの大丈夫、という意を込めて感謝を伝える。

 僕の言ってることは多分、伝わらないだろうけど、意味は通じたらしい。騎士さんも安心したように微笑んでくれた。


 うっ…、イケメン。


 男の僕でも思わずドキッとするようなイケメンスマイルだ。

 さっきまでは極限状態で不安でいっぱいでそれどころじゃなかったけど、この騎士さんとんでもなく整った顔をしてる。

 彫りの深い顔で太めのしっかりとした眉、すっと切れ長の目に少し暗い紫色の瞳、すっきり通った鼻筋。騎士だからか短く整えられたくすんだ金髪は、整髪剤で前髪を少し立ち上げて後ろに流されている。よくスーツを着た英国紳士がしてそうな髪型だ。ハリウッド俳優でもなかなかいないんじゃないかってレベルに整ってる。


 王様(っぽい人)もものすごいイケメンだったけど、彼は中世的なイケメンで、まさに金髪碧眼のいわゆる王子様っていう感じだった。騎士さんは男らしい精悍な顔つきで、王様と系統は違うけどすごいイケメンなのは間違いない。


「冷水を用意してあります。召し上がってください」


 僕がぼーっとしていると、背中に手を差し入れられて上体を起こされた。背中に大きめの柔らかい枕を二つほど入れられ、背もたれにしてくれた。次いで水の入ったカップを渡される。

 なんだか至れり尽くせりじゃないか。淀みない動きに、僕は戸惑う前に自然とカップを受け取り水を口にした。火照った体に染みわたる冷たさが心地良い。


『・・・・はぁっ』


 水の美味しさに思わずため息が出る。騎士さんは黙って僕が水を飲み切るのを見ていた。

 白いローブの人たちに囲まれていたあの空間、あそこにいた時は状況もわからなかった。


 なんだか周りの人たちも怒っているような雰囲気だったから、てっきり自分は何かされるんじゃないかってずっと怯えてたけど、この騎士さんはさっきから僕をずっと丁寧に扱ってくれる。

 異世界に来たとはいえ、歓迎されている雰囲気でもなかったのに、この待遇はどういうことなのかさっぱり分からない。この人に聞けば何か教えてくれるかもしれない。でも言葉が通じない事にはどうにもならない。


『お水、ありがとうございました』


 騎士さんにお礼を言いながらカップを返すと、次の水を注ごうとしてくる。とりあえずもう大丈夫、という風に言葉とジェスチャーで手を横に振って示すと、再び背中から枕を抜いて仰向けに寝かされた。ある程度ジェスチャーで意思疎通は図れるようだ。ちょっと安心した。


「この後、あなたと念話ができる者を交えて陛下と謁見する予定でしたが、神子様の体調が回復するまではここでしっかりとお休みください」

『…?』

「そういえば、自己紹介がまだでした。失礼致しました。私は神子様の護衛騎士を任されました、ヘルマン・フォン・ロードブルと申します」


 椅子に座ったまま、胸に手を当てて礼をする騎士さんに、何かの挨拶をしてくれていると感じ取った。けど、分からないので首を傾げる。


「…。私も念話ができればよいのですが。私のことはヘルマンとお呼びください」


 僕の反応に少し困った表情になった後、さっき出て来た単語が繰り返された。

 ん?なんだろう。


「ヘルマンです。ヘルマン」


 繰り返される単語に、復唱を求められているのかと思って繰り返してみる。


「へぅまん…」

「そうです。ヘルマンです」


 発音が難しくて上手く言えてるのか分からないけど、僕の言葉に騎士さんは笑顔を見せた。うんうん、と頷いてくれている。

 喜んでくれてる…?意思疎通ができてるか分からないけど、相手が笑ってると僕も安心できる。思わず僕も口元が緩んだ。調子に乗って同じ単語を繰り返す。


「へぅまん。へぅまん」

「はい。神子様」


 騎士さんは笑顔のままだから大丈夫そうだ。なんか安心したら急に眠くなってきた。徐々に目が重たくなって、眠ってしまいそうだ。寝てる場合じゃないのに。

 僕が必死にまぶたを開こうとしていると、騎士さんは察したのか、ゆっくりと前髪を撫でてきた。


「眠いのですね。私のことは気にせず、お休みください」


 あ~、気持ちいい。誰かに撫でてもらうなんて子供の時以来だ。心地良い感触に眠気が一気に加速する。もう抵抗できずに僕はそのまま眠ることにした。



 それからどれくらいたったのか分からない。すっきりして目を覚ましたら部屋の中はすっかり暗くなっていた。枕元に明かりがついている。よくある間接照明みたいな感じだけど、ガラスのケースの中で光の玉が浮いている。なんだこれは。


 お風呂場での石のシャワーと同じで、これも魔法か何かなんだろうか。

 ベッドから体を起こして周囲を見回す。ベッドの横のテーブルには水差しがおかれたままだ。透明なガラスの蓋つきの皿に、カットしたフルーツを乗せて置かれてる。


 自分の居場所をよく見たら天蓋付きのベッドに寝てたみたいだ。キングサイズの広いベッドはふわふわで、僕は沈み込んで動きづらいベッドから抜け出した。お風呂にいた時は素っ裸だったはずだけど、なんか知らぬ間にネグリジェみたいなワンピースみたいな真っ白い服を着せられていた。足首までの丈ではあるけど、足元がスースーして落ち着かない。


 履物もないので裸足のままベッドから降りて目の前にある椅子に目をやる。眠りにつく前にいた騎士さんが座っていた椅子が置かれてるけど、彼自身は部屋にはいない。


 どこに行っちゃったんだろう。


 彼の姿が見えないことにどうしようもなく不安になる。

 どうやら僕は、無意識に素性も何も知らない騎士さんに、絶対的な信頼を置いてるみたいだ。彼がそばにいると安心するのに、姿が見えないと不安でたまらない。部屋を出て探しに行くべきか、でも、ここに来るまでにいた他の騎士に見つかったらどうしよう。他の人たちも騎士さんみたいに優しいわけではないかもしれない。白い服の人たちは少なからず僕に敵意を向けているような感じだったし。


 大きな扉の前でどうしようかと迷っていると、突然勝手に扉が開いた。驚いて僕が一歩後ずさると、そこには騎士さんがいた。その姿を見てホッとして思わず顔が緩んだ。

 よかった!来てくれた!


「目覚められたのですね。ご気分は大丈夫ですか?」


 騎士さんは何かしゃべりながら部屋に入ってきた。そのままドアのすぐに近くの棚に置いてあるベルを取るとそれを鳴らした。


「神子様。そういえば履物がありませんでしたね。神子様のお召し物は神殿預かりとなってしまっているので…。気づかず申し訳ありません」

『…?』


 僕の足元を見て騎士さんの眉間にしわが寄る。あ、裸足で歩いたことがまずかったのかもしれない。この世界のお作法みたいなのでダメなことなのかな。しまった、と思って俯いていると、突然騎士さんの腕がお尻あたりに回ってきた。


『えっ!』


 驚いてる間もなく片腕に担ぎ上げられた。騎士さんより僕のほうが頭の位置が高くなる。お尻を彼の腕に乗せて座っているような感じだ。

 どんな力してるんだ、この人。なんなく担ぎ上げる騎士さんに僕はあっけにとられる。そして急激に高くなる視界に怖くなった。騎士さんはおそらく2m近く身長がある。僕は日本人男子の平均より少し低い160半ばくらい。騎士さんの伸長に加え、担ぎ上げられているのでさらに視線は高くなる。


『今、侍従に履物の準備をさせますので、そちらのベッドでお待ちください』


 担ぎ上げられたまま歩き出したので、少し揺れて思わず彼の首にしがみついてしまった。騎士さんは気にすることもなくベッドまで僕を運んでそのまま下ろした。

 それと同時に浴室で会ったメイドさんが部屋に入ってきた。騎士さんとメイドさんが二言三言話をすると、メイドさんは入ってきたばかりなのにまたすぐ部屋を出て行った。

 話を終えた騎士さんはベッドサイドの椅子に腰かけた。


「気分は少し良くなりましたか?」

『あっ…、えっと…』


 何かを問いかけられている。けどどう答えていいのか分からない。もう何度目か分からないこのやり取りに言葉を発せずどもってしまう。今わかる言葉は『ヘルマン』だけだ。これが何を意味するのかも分からないし、これを言ったところで返答になるのかもわからない。騎士さんも僕が答えられない様子を見て、どう伝えようかちょっと考えてくれているようだ。お互い黙り込んでしまう。


「へぅまん?」


 とりあえずわかる単語を返してみる。


「はい、なんでしょうか?」


 ん?なんか聞き返された。やっぱり求められてた答えじゃないみたいだ。僕ももうどうしていいか分からず首をかしげて表現してみる。すると、騎士さんはちょっと眉間にしわを寄せて考える仕草をして、あ、と何か思いついたようだった。


「神子様。私がちゃんとお伝えできていなかったのですね。申し訳ございません」

『…』

「ヘルマンとは私の名です」


 また出て来たヘルマン。そして騎士さんはまた胸に手を当ててる。なんだろう。挨拶の言葉なのかな。


「ヘルマンです。ヘルマン」

『ヘルマン』という言葉を何度も繰り返す騎士さん。トントンと手のひらで胸を叩きながら繰り返す。

 ん?挨拶じゃない?あれ、これって。


『へぅまん?』


 ちょっと失礼かもしれないけど彼を指さしながら繰り返してみると、彼は満足げに頷いて見せた。どうやら『ヘルマン』とは騎士さんの名前らしい。初めてまともに意思疎通できた気がした。そして名前とはいえ異世界の言葉をひとつ覚えたのだ。言葉でコミュニケーションが取れたことに感動してちょっと目頭が熱くなる。こんな些細なことでも通じるって分かると堪らなく嬉しい。ただ、ちょっと、いやかなり発音が難しい。同じように喋ろうと思っても喋れない。


「へぅまん」

『そうです。神子様。ヘルマンです』


 感極まった僕は同じ方法で自分の名前を伝えようとした。自分を指さして名前を伝えようと口を開くと、何を言おうとしたか察したヘルマンさんは、僕が口を開いた瞬間その大きな手で覆ってきた。

『ん!』

「申し訳ございません。神子様のお名前は国王陛下のみがお言葉にして良いのです。私たちがそのお名前を発することは許されていません」

『?』

「それに、神子様のお名前を最初にお聞きしてよいのは、しきたりで国王陛下と決められているのです」


 訳が分からない僕に、ヘルマンさんは首を横に振る。どうやら喋るなってことらしい。ヘルマンさんが名前を教えてくれたから、僕の名前も知ってほしいって思っただけなのに、なんでダメなんだ。勝手に喋っちゃダメなのか。急な拒絶に気持ちが萎んでいく。

 明らかに落ち込んだ様子の僕にヘルマンさんも困っているようだった。


 すみません。困らせて。

 ちょっと重苦しい空気になっていたところで、ドアをノックする音がした。ヘルマンさんが一言発するとドアが開いて、さっきのメイドさんが入ってきた。

 着替えのようなものと靴を持ってる。着替えろってことかな。


「神子様。着替えが届きましたのでお召し物を変えてください。着替えが落ち着いたら魔導士とお会いしていただきます。私は外で待機しておりますので一旦失礼いたします」

『えっ…!あの…』


 メイドさんと入れ替わりで部屋を出て行くヘルマンさんに思わず手を伸ばしてしまう。彼は大丈夫、というように頷いてそれから部屋を出て扉を閉めてしまった。

 また、来てくれるよね?

 こんなことで不安になるなんて、まるで親がいなくなって不安になる子どもか。僕ってこんなにメンタル弱かったっけ。

 悶々と考えていると、メイドさん達はまた何か一言二言発すると僕の服に手をかけた。


『あっ、着替えですよね!大丈夫、自分でやります』


 脱衣所ではすべて脱がされたが、二度目だ。今度は自分でやりますとジェスチャーで伝えて、せっせと着替え始めた。



 着替えは終わった。終わったんだけど、これで本当にあってるのか不安になる。服自体はやっぱり中世ヨーロッパ風の服がベースの形をしているけど、やっぱり異世界なのかちょっと違う。ヘルマンさんやメイドさんが来てる服は、割と知ってるような形をしてるのに、僕のはなんか違う。チュニックみたいな膝丈くらいのシャツ型のボタンがついてる上衣に、ダボっとしたズボン。おまけに上下真っ白。これはシャツの裾をズボンの中にしまったほうがいいのかと思ってみれば、メイドさんに止められた。やっぱりシャツはチュニックのようにして着るのが正解らしい。靴は革素材でできた茶色いもので、女性用のぺたんこのパンプスに似ている気がする。


 まあ、着方はこれであってるようだから良いとして、それでも明らかにサイズの合わない上下に戸惑った。シャツは襟ぐりが広いが、上までボタンを閉めてしまえばはだけることはない。でもシャツの袖は3回くらい折り返さないと手が出ないし、ズボンだって同じようにめくらないと床についてしまう。靴だけは僕のサイズにあった物らしく、緩くて脱げてしまうってことはない。


 思ってはいたけど、この世界の人達はみんな体が大きくないか?まだ女性には今いるメイドさんと、浴室であったもう一人しか会ったことないけど、二人とも身長は僕よりも高いし、体つきもしっかりしてる様に見える。

 男性はもちろん、王様やローブの人たち、ヘルマンさんをはじめ騎士はみんな背が高い。日本人は外国人に比べて小柄だとは言うけど、この世界もきっと日本基準で見ると圧倒的に大きい人ばかりなのかもしれない。


 着替えが終わると、メイドさんはどこから出したのか腕輪や指輪を取り出してきた。


『えっ?何するんですか』


 思わず尋ねた。明らかに高価そうなアクセサリーをつけようとしてるメイドさん。僕が両手を前に出して拒否すると、メイドさんも困った表情になる。なんで僕にそんな高価そうなものを身に着けさせようとするのか分からない。もし身に着けて壊して弁償なんてことになったらと思うと怖すぎる。

 断固として拒否していると、メイドさんも諦めたようでアクセサリー類は仕舞ってくれた。そのまま扉まで移動すると、ドアを開けて外にいる誰かに声をかけた。そうして顔を覗かせたのがヘルマンさんでホッとした。良かった、そばに居てくれたんだ。


「へぅまんサン!」


 僕の言葉にギョッとした表情でこちらを見るメイドさん。え、僕何かまずいこと言った?ヘルマンさんは特に何も変わった様子はなく、僕を見て近づいてきた。


「殿下、神子様は随分と、その、かわいらしい喋り方をなさるのですね」

「私はもう殿下ではないよ。こちらの言葉が分からないようだが、先ほど私の名前を憶えてくれたようでね。どうやら発音が難しいらしい」

「失礼致しました、ロードブル公爵閣下。まあ、そうでしたか…」


 ヘルマンさんとメイドさんが何か話してるのを黙って聞いてる。ヘルマンさんの名前を呼ぶこと自体があんまりよくないのかなと思ったけど、ヘルマンさんと話をしてるメイドさんの表情は、徐々に柔らかいものに変わっていって、そのまま僕を見る目がなんか、なんていうか、こう憐れみと優しさが混ざったような感じになった。何とも言えない気分だけど、悪いことではなかったようなので良しとしよう。


「神子様」


 そういえばヘルマンさんは僕に話しかけるときはいつも『ミコサマ』って言ってるな。それが僕を呼ぶときの言葉になるのかな。よし、覚えておこう。


「これから権威ある魔導士のお方にお会いしていただきます。その方であればあなたとスムーズに意思疎通を図ることができるでしょう」


 ヘルマンさんは優しく微笑んでくれながら何かを説明してくれてる。部屋から出るように促されて、彼に従って後に続いた。彼がそばにいてくれればきっと大丈夫だろう。

 少し歩いていると、廊下の両脇に立っている騎士たちが胸に手を当て敬礼のような動きをする。どこを通っても同じだ。途中ですれ違ったメイドさんも西洋風のお辞儀をしている。確か、カーテシーってやつだっけ。


 僕は前を歩くヘルマンさんを見上げた。目の前に立たれたら僕の体はすっかり隠れるくらい体格に違いがある。

 ヘルマンさんってすごく偉い人なのかな。偉い人なのに偉ぶってなくてこんなに優しいって、すごく良い人なんじゃないか。

 周りの人たちを見て、ふとそう思う。そんな地位ある人に僕を運ばせたり、のぼせた後の看病させたりしちゃったけど、僕、大丈夫なのかな。


 しばらく歩くと、ほかのどの部屋よりも豪華な装飾のある扉の前に辿り着いた。

 それを見て察した。ここはあの人の部屋だ。そう、王様っぽい人。いや、多分あの人はこの国のトップなのは間違いないんだろう。

 顎を掴まれ向かい合ったあの時の迫力を思い出して怖気づいてしまった。扉の前に立つと心臓が暴れだしてきた。手の先が冷たくなるのがわかる。思わず手を握り締めていると、僕の様子に気づいたヘルマンさんが優しく背中を撫でてくれた。

 本当にこの人はどこまで優しいんだ。

 見上げれば、優しく頷いてくれる。僕も頷き返したのを見たヘルマンさんがドアをノックした。


「国王陛下。ヘルマン・フォン・ロードブルです。神子様をお連れ致しました」


 ヘルマンさんが扉に向かって声をかけると、自然と扉が開かれた。中に居る人が開けたらしい。

 広く豪華で気品のある造りの部屋の中、執務用と思われるこれまた大きくて立派な机の前に座っているのは、やっぱり王様だった。


 その執務机の前に、応接間にあるようなテーブルと向かい合う長椅子が置かれている。そこに一人、初めて見る人が座っている。少し年配のロマンスグレーみたいな落ち着いた雰囲気の男性だ。貴族のような服装に、ローブのようなものを羽織っている。ローブといっても最初の部屋にいた白いローブの人とは違い、濃紺のマントのような形をしている。


 部屋の中はどこもかしこも立派な調度品ばかりで入るのが躊躇われるけど、恐る恐るヘルマンさんの後ろについていった。


「どうだ。少しは落ち着いたか?」

「はい。今ならお話しできるかと思います」

「そうか…。では、神子をそこの椅子に座らせろ」

「はっ」


 ヘルマンさんと王様が話し合った後、僕はヘルマンさんに促されて長椅子に座らされた。うわっ、この椅子も沈み込む。

 チラッと王様に視線を向ければ、執務机から立ち上がる様子はなく椅子にもたれかかってこちらを見ている。慌てて視線を目の前のテーブルに移す。

 ヘルマンさんは座らないのかな、とチラリと後ろを振り向けば、また優しく微笑んで頷いてくれた。どうやら座りはしないけど、後ろで立って待機してくれるらしい。良かった…。


「さて、では本題に移ろう。言葉が話せぬ神子など、私は父である先王からも、これまで歴史を説いてきた者たちからも聞いたことなどない。だが、神子よ、そなたは確かにあの召喚の儀式で現れた。これは間違いない。あの場にいたヘルマンが実際に目にしている」


 何か長々と話して最後に頭を抱えたように額に手を当てため息をつく王様。


「しかし神子とは本来、神が選んだこの国の守護者である。言葉が分からぬわけがない。異界からの渡り人とはいえ、皆こちらに呼ばれた際には我らの言葉を理解するのが常だ。そしてその身には人を癒す魔力を宿しているとされている。オストフリースラント国建国時から500年以上経ってもその記録は変わらない」


 何だか話が止まらないけど、全く持って理解できないから黙って聞くしかない。またチラッと王様を見れば、鋭く睨まれてまた視線をすぐに逸らしてしまった。

 や、やっぱり怒ってるのか?僕が何したっていうんだ。


「そなたが本当に神子であるのか、それは我らには判断がつかぬ。神子でないものが神子であると偽ることは、神を冒涜することと同意。重罪に値する。嘘は許されぬ。これからそなたと話せる者と会話をし、ありのままの事実を述べよ」


 段々と威圧的に話し始めた王様に、僕はどんどん背中を丸めて縮こまっていった。


「フリームト、よろしく頼む」

「かしこまりました。陛下」


 今度は目の前に座っていたロマンスグレーが話し始めた。この人の口調は柔らかで、ヘルマンさんのように敵意は感じない。少しホッとして視線を向ける。


『初めまして。神子様。私はフリームト・ロード・ベルルク侯爵と申します。』

『えっ!?』


 目の前の男の人はまったく口を動かしていないのに、突然声が頭の中に響いてきた。

 しかも、日本語でだ!

 突然のことに混乱する僕が固まっていると、次々と言葉が頭に入ってくる。


『驚かれていることと思いますが、今私はあなたの頭の中に直接語りかけています。“念話“と、この世界で言われている方法です。使える者はごく少数しかおりませんが、思考そのものでやり取りしているため、言語を必要とせず自分の認識している言葉で理解できるのです。あなたが頭の中で考えていただければ、私にもそのままあなたの言葉が通じるのです』


 にっこり微笑んでそう語り掛けているフリームトさん。僕はようやくまともに会話ができる人が現れて、すっかり緩くなってしまった涙腺からぼたぼた涙を零してしまった。またひっくひっくと嗚咽が出て喋れる状態じゃないけど、それでも頭の中の言葉を読み取ってくれてるみたいだ。


『や、やっと、話ができる人がいた…!よかった!良かった!』

『さぞご不安だったでしょう』

『すごく怖かったです!突然知らない人たちに囲まれて、何も通じなくて、殺されるんじゃないかってすごく怖かった…!』

『大丈夫です。そのような事にはならないのでご安心ください。』


 フリームトさんの言葉に、一番気になっていたことに関して返答が得られて心の底から安堵した。


「神子様…!」


 後ろからヘルマンさんの心配そうな声が聞こえた。振り返ると焦った様子でこちらを見ている。僕が突然泣き出したから心配してくれたのかもしれない。


「ロードブル公爵閣下。神子様はずっと不安で気持ちが張り詰めていたようです。自分の処遇について心配されていましたが、私の説明で安堵されたようです」

「そ、そうですか。それならよかった」


 フリームトさんが今のやり取りを説明してくれたんだろう。まだ少し心配そうな表情はしてるけど、ヘルマンさんは少し落ち着いたようだった。


 それからフリームトさんと頭の中で会話をして、いろんなことが分かった。

 僕はやっぱり異世界に来てしまったこと。それが、実はこの国の人たちに呼び寄せられたという事だ。あの黒いモヤ、あれに吸い込まれて辿り着いた。そうして呼ばれた人は『神子様』と呼ばれるらしい。ずっとヘルマンさんが僕のことを呼んでいた名称だ。


 ここにいる人物たちの説明もしてくれた。ここで一番偉そうな王様は、やっぱり国王様だったらしい。そしてずっと僕についててくれてるヘルマンさんはこの国で一番強い騎士様だという。詳細までは分からないが身分も凄く高いらしい。そんな人が僕のお世話をしてくれてたのかと驚いた。

 神子というのはこの世界の守護者と言われていて、各国に一人存在しているものらしい。存在してるというか呼び寄せてるわけだけど。


 どんな働きをしてるのかといえば、魔力を体に保有して人々を治癒する力があるとか、祈りの力で災いを防いで国を豊かにするらしい。


 そんな馬鹿なことあるか。


 僕は話を聞いた瞬間そう思った。

 だってこの世界の人が魔法みたいな力があるのは分かったけど、僕はもともと地球という国でごく平凡に暮らしていた大学生だ。そんな力があるはずもない。勝手に呼び出されてこの世界のために働けって、身勝手が過ぎる。僕には僕の人生があるのに。

 とんでもない事実を説明されて、フリームトさんに思わず当たってしまった。


『あんまりです。僕だって僕の世界での生活があったのに、縁もゆかりもないこの世界のために働けって、いきなり連れてこられて…!』


 しかも、召喚することは出来ても送り返すことは出来ないという。だから一度呼ばれたら、この世界で生きていくしかないってことらしい。

 さっきは安心した涙だったけど、今度はもう二度と元の世界に変えることは出来ないっていう絶望感から出てくる涙が止まらなかった。


『神子様…。我々の勝手でお呼びしていることは、大変申し訳なく思っております。しかし、この召喚の儀式は、必ず神が選んだこの国・この世界にゆかりのある人物を召喚するものとしているのです。我々が選ぶのではなくそれは神の御意思。あなた様がこの世界に必要だとして呼ばれたのです。それは絶対に間違われることはない不文律なのです』

『でも、僕には何の力もない!言葉だって分からない!』


 僕の反論にフリームトさんが少し黙り込む。何も言い返せないじゃないか。


『確かに、神から選ばれた歴代の神子様は必ず我々の言葉を理解し、役割を理解し、その力を発揮されておりました。今代の神子様のように言葉が分からないお方は誰一人おりません』

『やっぱり…、なんで僕は呼ばれたんだ…うっ、ひっく』

『しかし、それがあなた様が神子様ではないという証明にはなり得ません。なぜならば召喚の儀式であなたが現れたという事が、間違いない事実なのです。そしてあなた様は感じておられないのかもしれませんが、ごくわずかにあなた様も魔力を保有しているのです。本来の力が目覚められていないだけなのかもしれません』


 そんなこと言われたって、突然拉致されてきたようなものだ。そんな人達のために自分の生活を捨てて尽くせって言われたって、納得して「はい、じゃあ頑張ります」ってなるわけないだろ!僕はそこまでお人好しじゃない。


 泣き疲れたのもあるのか体がものすごく怠い。まだ話はあるのか、フリームトさんが何か話そうとしてるけど、座ってること自体もしんどくなってきた。

 おかしい。さっき寝て起きたばかりのはずなのに、なんでこんなに疲れるんだ。


『神子様…。念話は体力と精神力を使うものです。魔力で操っているのは私ですが、お互いに体に負担はかかります。神子様は初めてでもあるのでより強い負担がかかっているのかもしれません。まだ聞きたいことはおありでしょうが、今日はここまでにした方がよさそうです』


 フリームトさんの言葉はそれから聞こえなくなった。

 うう…。怠い、頭も重い。座ってるのが辛い。必死に体が倒れないように保とうとしてるのに徐々に傾いてきた。


「神子様!」


 すっかり聞きなれた重低音で僕のことを呼んでくれる。ヘルマンさんはいつの間にか僕の隣に来て、崩れそうになっていた体を支えてくれた。そのまま背中と膝下に手を差し込まれて、またお姫様抱っこをされる。しっかりホールドされる安心感に、もうそのままヘルマンさんに体を預けてしまった。ちょっと楽になる。


「さすが護衛騎士。素早いな」

「陛下。神子様はお疲れの御様子です。今日はこれで退席をお許しください」

「確かにな。念話は慣れないものには相当負担がかかる。フリームト。どうだ。この者は神子で間違いないか」

「はい。正直に申し上げますと間違いないとは言い切れません。召喚の儀式で現れたのであれば絶対のはずですが、やはり神子としてのお勤めなどを説明しても、納得される様子がありません。しかし体内に微量ながら魔力を保有しているのは感じ取れました。完全に覚醒していない状態なのであれば、言葉が通じないのも、神子としての役目を伝えても理解が得られないのも納得できるのかもしれません」


 何やら重苦しい空気でやり取りがされてる。僕としてはもう帰れない事実が分かってただただショックだった。体も怠いし横になって休みたい。もう何も考えたくなかった。


「何かの要因で神子の力が封印されたまま召喚されてしまった…ということもあり得るか」

「可能性としてないとも言い切れません。また新しい神子を呼ぶとしても、今代の神子様がいる状態で、別の神子様を呼ぶことは禁忌とされています」

「確かにな。だがもし万が一、この神子が本物でなければ処刑して、新しい神子を呼ぶことは出来る…」

「兄上!!本気で仰っているのですか?」


 突然のヘルマンさんの大声にびっくりした。さっきまで穏やかだったのに、急に眉間にしわを寄せて怒ってる。それも身分の上のはずの王様にだ。もう念話は出来ないので何を言ってるかは分からないけど、ヘルマンさんが怒るようなやり取りがあったのかな。

 王様はと目線を向けると、王様も少し驚いた表情をしていた。


「やけに肩を持つな。私は可能性の一つを言っただけだ。神子は国王と同等の地位を持つ。それはその力で国を守る尊き務めを果たすためだ。国王と同等の地位となれば、贅を尽くすことも人を操ることもたやすい。神子でない者がその地位に就くことはあってはならぬこと。国を崩壊させることにつながりかねん。それ故に、神子を偽ることは重罪…、極刑としているのではないか」


 長々と喋る王様の表情は今までの会話の中でも特に厳しい表情をしている。


「私はこの国を守ることを第一に考えねばならない。その上で可能性はすべて考えておかねばならないんだよ。頭の良いお前なら分かるであろう、ヘルマン」

「…それは承知しております。ですが神子様は間違いなくあの場に突如現れたのです。私はこの目で見ております。それにまだ幼い…。突然のことに混乱するのも無理はありません」


 苦し気な様子でこちらに視線を向けるヘルマンさん。僕のせいで王様と口論してるようだけど、大丈夫なのかな?思わずヘルマンさんの胸に手を当てる。僕を見て大丈夫だと言い聞かせるように、少し表情を和らげて頷いてくれた。


「私も、今は神子様に神子としての力が覚醒するのを待つしかないかと。もちろん念話で少しずつご説明はさせていただきますが、今はまだ今日説明したことで、いっぱいいっぱいなのでしょう。確かに閣下が仰るように、歴代の神子様よりも大分幼く小柄な方であることも関係しているのかもしれません」


 フリームトさんの言葉に顎に手を当てて考え込んでいる王様。しばらく黙っていたあと口を開いてこちらに視線を向けてきた。


「仕方ない。真偽ははっきりとはしないが、本物である可能性がある以上処刑もできぬ。これから神子には語学を指導するものをつける。言葉が理解できるようになってくればこの国の歴史についても教える者をつけよう。力は覚醒していないようだが祈りの儀についても少しずつ行わせていく」


 王様の言葉に、ヘルマンさんはホッとしたようだった。少し力の入っていた腕が緩まった。


「そうだ。ヘルマン。お前は護衛騎士だから四六時中神子のそばにいるな。お前が語学の指導をしてやってはどうだ?」


 なにやら面白そうに話す王様。もう重苦しい話は終わったのかな。


「はい。かしこまりました」

「…。冗談であったのだが。まあいい。お前がやりたいのならそうすればいい。指導者はそれとは別につけるが、空いた時間の話し相手にでもなってやれ。フリームトもご苦労だった。また念話の際はよろしく頼む」

「かしこまりました。それでは失礼いたします」

「私たちも失礼いたします」


 王様との話は終わったのか、フリームトさんに続いてヘルマンさんが僕を抱えたまま軽く一礼する。部屋を出る前に最後に王様に視線を向けると、難しい顔をして僕を見ていた。やっぱりこの人には歓迎されていないように感じる。選ばれた神子というのに、矛盾してるじゃんか。

 ヘルマンさんが王様に背を向けて視界から王様が消える。


 ああ…、やっとここを離れられる。

 あの厳しい視線から逃れられる。


 僕だってこんなところに来たくて来たんじゃないのに。なんでこんなことになったんだ。だって僕は何の力もないのに。呼ばれたから絶対神子なのは間違いないって言われても、僕は何もできないし何も感じない。

 繰り返し言われたことを考えた。

 いつも通り大学へ行って、いつも通りバイトへ向かった。何も変わらない日常を過ごしていたはずなのに…。


 そこまで考えていたら、急にここに来る直前のことがフラッシュバックした。


 僕はどうやってここに来た?

 あの黒いモヤに吸い込まれたことが原因だった。

 でも、あのモヤが吸い込もうとしていたのは、僕じゃなかった。


 あの人…。


 本当はここで神子として呼ばれるはずだったのはあの人だったんじゃなかったか。

 それなのにあの人を助けようとして間違って僕が来てしまった。


 気づいてしまえば心臓が早くなる。なんで、どうして、という感情よりも、どうしようという恐怖心でいっぱいになる。

 僕はやっぱり選ばれた神子じゃない。だから何の力もない。言葉も通じない。

 これが事実と分かったら、僕はどうなってしまうんだろうか…。


 しっかりと抱えてくれる安心できる腕の中に居るのに、全く落ち着かなかった。


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