第5話 あたしの部屋
あの峰々の稜線の先、多分、ずっと、ずっと向こうが、ラーシュ達が暮らしていた王国ね……
グラズヘイム城。
かつてのあたしの部屋。
そのバルコニーから見渡す風景は、幼い頃から変わらない。
そこで、暮らす人々は違う。
なんだか不思議ね……
城の対岸に見える小屋。
数日前まで、そこで暮らしていた。
父さまのクラウン……どうしましょう。
母さまのティアラで十分だと思うけど……
たしか、「黒のスクルト」とかいう、女の子の魔法使いは、「魔王が面白いことを思いついた」とか言ってたし。
魔王も、魔法使いらしいから、面白いことの検討もつくわ。
どうせ、魔法の儀式とかでしょ。
派手にするなら、多分、「夏至」だわ。
それまで、父さまクラウンには、小屋にいてもらいましょ。だって、グラズヘイムの覚醒なんて……
旅立つ前、父さまは、「ちゃんと戸締りをするんだよ……いいね」と言った。
もうっ、いつまでも、子ども扱い!
小屋の戸締りはしてるし、クラウンは、盗まれないわ!
陽の光がまぶしい。
フクロウの使い魔、ミネバの羽ばたく姿が太陽と重なる。
彼女は、朝の散歩から戻ると、あたしの肩の定位置に舞い降りた。
「それで、千年大樹のおじいちゃんは?」
「ソフィアさま、まだ、ぐっすりと眠っておいででした」
「大丈夫かしら?」
「ソフィアさまと違って、寝起きの心配はいりません」
「あなたって、いつも、一言、余計よね」
「わたしが起こすまで、いつも」
「はいはい、ちゃんと起きるわよ」
「ソフィアさま、約束ですよ!」
もうっ、ミネバたらっ、母さまみたい。
でも、今年の春節は、にぎやかになりそう。
千年大樹のおじいちゃんも、きっと喜ぶわね。
部屋にもどる、クローゼットには、幼い頃の服。
レティシアさんに、どうしても着せたい。
だって、軍服なんて、可愛くないし、あんまりよっ!
それと……
ずっと、部屋の壁に立て掛けたままだった、サーベル。
手に取ると、よくなじむ。
稽古を思い出すと「強者の誓い」という、父さまの言葉。
先の戦い、あの女の子の魔法使い、黒髪のスクルトっていう子は余裕があった。
無詠唱で放つ魔法、そして、あの威力。
手加減していて、あれよ……
母さまのティアラがあっても、まだまだ、彼女には届かない。そう思う。
父さまのクラウンなら……んーん、ダメよ。
あれは、ダメよ!
あたしは、まだ、その器じゃないんだから……
「強者の誓い」は弱者のあたしには、まだ無理ね。
でも、「弱者にも意地」があるのよ。
サーベルを抜いた。
これなら、片手でも……
背後に気配!
「だれ?!」
なんだぁ、おまえかよ。
「つけてきたでしょ」
「おいおい、ソフィア、そんな物騒なものはしまってくれ」
ラーシュは、余裕があるように見える。
ほんとに、もうっ!
「勝手に歩き回るのは危険よ」
「大丈夫だ、おまえが案内してくれたからな」
「なっ!」
あたしは言葉を失った。
なにが「な」よ!
このバカには、もう一度、言っとかないと!
「いーい、この城は」
「グラズヘイム、エルフたちが、終末に備えて準備した、戦うための城だろ?」
「なっ! 正解よ……あってるわ」
「ソフィアさまより、ラーシュさまの方が物覚えが良いですねって、いたい! いたい!」
ミネバにデコピンをしてあげた。
「ソフィアと……、そちらは、使い魔のミネバさんだったか」
「なによ!」
なんで、使い魔のミネバが「さん」付けなのよ!
「二人は仲が良いと思って」
「良くありません」
ミネバも、あたしの真似をして声をそろえる。
それの、どこが面白いのか、ラーシュは大笑いする。
本当に、人間は理解不能の生き物だ。
「それと、ソフィア、城は戦争のために建てるものだからな。まあ、統治者の権威を示すとかあるが、主目的は、戦争だ。そんなに、恐れることないだろ?」
「そうかも、だけど、この城は違うのよ」
「違うって? たしかに、こんなに美しい城は見たことないさ。 外壁の中に据えられた、巨大な兵士像は、その数といい、圧巻だったぜ」
「それが動くとしたら?」
「まてまて、あんなもん、動くわけないだろう?」
「父さまが……王が命じれば、巨像は、動き出すわ。玉座に王が座れば、他だって……」
「おまえの親父って」
なんか文句ある?
「その目はやめてくれ。心がえぐられる。とにかく、わかった、もう、勝手はしない。これで、良いだろ?」
「それと、もう、絶対に内門から奥へは、入らないでちょうだい」
「なんか盗られるとか思ってるのかよ! おまえはエルフで、俺は、信用できない人間だからな!」
「ソフィアさま、それでは、言葉が足りませんよ!」
大人しかったミネバが、あたしの肩で「あやまった方が良いです」とか騒がしい。
「エルフとか、人間とか、やめましょ。あたしは、盗られるとか思ってないわ」
「なら、なんで? ここは、内門の奥だろ? そんなに危険とは思えないぜ」
「ククルース神話の原典をご存知?」
「バカにすんな! 原典は異端だろ? とっくの昔に燃やされたはずだ」
「それが、この城に保管されてるのよ」
「へぇー、そんなことより、ククルース神話といえば、おまえの名前って」
まあ、ラーシュって、おバカ!
「おい、おまえ、ため息なんかして、俺のことをバカにしただろ!」
「いーい、よく聞いて、ここには、ククルース神話の原典、その原書が保管されてる禁書庫があるの」
「ソフィアさま、禁書庫の件は、人間には」
「ミネバは、黙ってて! 原典は間違った解釈をすると危険なのよ。どんな魔導書よりもね」
原典は、古代ククル語で記されている。文脈に関係なく二つの意味を持つ言語。正確には、人間の言葉に訳すと、どうしても複数の意味になってしまう言葉。人の話す言葉には、ない意味を古代ククル語の単語は持っている。
それは、魔法のために発達した言語と、意思疎通を目的とした人間の言葉の違い……
「そんなに危険なのか」
「写本はともかく、原典の原書は、あたしでも、んーん、父さまですら多分、ふれてないわ」
「それを納めた禁書庫ていうのは」
「試練で守られてるそうよ」
「あと、もう一つ、これは、ごめんなさい。エルフ以外の種族が立ち入ると危険な場所が、内門から奥は、あるかもしれないの」
「俺たちは、人間だからな」
「あたしは別に……ごめんなさい。でも……本当に、心配しなのよ。だって、けがをしたら……」
「お、おう」
なになに、赤くなって……
あーー!
「みんなの心配よ! もう一度、言うわよ! み、ん、な、の、し、ん、ぱ、い、だからね!!」
「おう! そんなの当たり前だぜ! もう、勝手はしない! 約束する!」
「なら、良いわ!」
だぁーかぁーらぁー!
「もう、出ていってちょうだい」
いつまで、あたしの部屋にいるつもりよ!
「いや、だって、うろちょろしたら、あぶないんだろ?」
この男は!
「ミネバさん、ラーシュさまを外まで案内して差し上げて」
「は、はい! ソフィアさま!」
「おまえ、ほんと、かわいくないな」
「ミネバさん!」
フクロウの使い魔、ミネバがパタパタとラーシュの方へ飛んでいく。
さて、落ち着いたたら、レティシアさんの服を選んで……
ラーシュは、扉を出るさい、あたしに声をかけてきた。
「おまえ、城は、半年に一度は手入れしてるって言ってたけと、ここに来る途中の通路が散らかってたから、整理してやったぜ」
許せない!
「どこの通路よ! 内門の奥側! だったら!」
「そうだよ。あんな、散らかってたら……」
「出ていってよ!」
「おまえ、ほんと、なんで、そんなに?」
「散らかってなんかないわ! あの日のままなのよ! そのままなの! みんなが、帰ってきたら、困るかもしれないじゃない!」
許せない! 許せない!
あたしは、ずっと、待ってるのよ!
父さま、母さんも、みんなも、死んでなんかない!!
エルフは! 長寿なんだから!
「出ていってよ! 勝手に、奥に入らないで! 誰にも、そんな権利ないんだから!!」
フクロウの使い魔、ミネバがラーシュを連れていく。
閉ざされた扉をずっと見つめていた。
ラーシュは許せない……と思う。
……かもしれない。
「ごめんなさい……」
ただ、なんとなく言ってみた。
扉は、ずっと閉じている。
内門の奥に、ずっと、一人……
ラーシュより、多分、あたしは、もっと……バカだ。