第4話 そこは、終末の居城「グラズヘイム」
森の奥へと続く道中、かつては人間たちが行き交いをしていた道は、けもの道のように荒れ果てていた。
石畳の残骸が自然の岩石のように出っ張り転がっている。
あたしですら、遠い記憶をたどって、ようやく石畳の残骸だと気がつくくらい……
ラーシュたちは、疲れた体にむち打って、この険しい山道を歩く。振り返ると、けが人を背に乗せた馬の吐息が白くなるほど、陽が高いというのに気温は低い。
フクロウの使い魔、ミネバが戻ってくる。
彼女は、あたしの右肩にとまると、いつものように身をほほに寄せてきた。
ミネバの体温を感じると、さっきまでの出来事がうそのよう。悪夢にうなされた夜の枕にするように、あたしも、首を少し振りながら、ほほを彼女の小さな体に押し当てた。
もう、追っては、森に入ってこないのね。
彼女と意識をつなぐ気力はない。それでも、ミネバの落ち着きを見れば察するぐらいはできる。
ミネバが、珍しく「ホゥーホゥー」と鳴くものだから、右手で、なでながら魔力を、注ぐ。
ライフルの弾が貫通した左肩に、もう、痛みはない。止血はしたし、痛みのコントロールは、魔法で容易い。骨に異常はないと確信できるから、かすり傷といってもいいぐらい。
それに、左腕が上がらなくても、不便はないわ。
ラーシュたらっ、あたしの肩に布なんか巻いちゃって大げさなんだから! むしろ、この布が邪魔よ!
「……ソフィアさま! ソフィアさま!」
ミネバは、ずっと、あたしに話しかけてたみたい。あたしは、魔力をしぼり出しているというのに、お気楽ね!
「ソフィアさま、急いで部屋の片付けをしないと!」
足元に違和感! そこに、つまずく!
フクロウの使い魔、ミネバは、あたしの肩の上で羽をパタパタとバランスをとった。どうあっても、彼女は、飛ぶ気はなく、楽をしたいらしい。
なんという横着!
「ソフィアさまが、道の手入れをサボるから!」
だから、あたしが、石畳の残骸につまずいたと言いたいらしい……
「もう、だってここは!」
「はいはい、ソフィアさまじゃなくて人間でしたね」
「そうよ……」
でも、こんな道じゃ、誰も来ない……わね……
トゥーレさんと目が合うと、彼は、ニッコリとほほ笑む。どちらかというと、あたしは、トゥーレさんが苦手だ。第一印象の紳士的で柔らかい態度は変わらないが……
それは、外面だけだと、なんとなく感じる。
「ソフィアさま、気になさらず。エルフらしい考え方だと理解できます」
めっちゃ、目が笑ってないんですど……
「申し訳ありません。これから、ちゃんと手入れしますわ」
オホホホと右手を口にそえると、トゥーレさんは、軽い会釈をしてくれた。
これから、そう、この道も……
あたしが真面目に考えようとすると、ミネバが口をはさむ。
「ソフィアさま、お部屋のお掃除は?」
「散らかってないわ! きれいよ!」
んんん、もうー!
やばいことを思い出す。
「散らかしたのは、あなたじゃない!」
小屋を出る時のこと。
ミネバが大慌てで、窓から飛び込んでくるものだから……
散らかってるかもしれない……
「まーた、ソフィアさまは、人のせいにして……」
後ろから、クスクスと笑い声?
気がつくと、後ろからついてきている、兵士の数名のほほが緩んでいた。
その中に子ども?! が混じっていることに驚く。
こんな幼い少年まで、軍服を着てる……
でも、あの胸のふくらみ?
女の子……きれいに整った顔、髪色がラーシュと同じ、黄金色……
ラーシュが、その子の隣りにいる、女の子は彼を迷惑そうにしていた。その子から、突き放されるようにして、彼が、あたしの方へ。
なんだろう? 女たらし?
物語で出てくる軽い男を思い出す。
その通り、彼は、荒れた険しい山道をスイスイと駆け上がり あたしの左側に、もう、いる。
「俺たちのことは、気にするな。野宿の準備ぐらいあるさ」
ラーシュも、あたしとミネバの話を聞いていたのね。
失礼しちゃうわ!
左腕で距離を取ろうとするが、思うようにならない。
きっと、肩に巻かれた、この布のせいね。
「あんな、幼い女の子にまで軍服を着せるのね」
あー、もー、全然、違う言葉を言ってしまう。
「ああ、そうか、まだ、言ってなかったな」
笑うな! と強く言いたい!
「そんな顔をするな。あの子は、俺の妹、名前は、レティシアだ」
「妹さんに、軍服を着せるなんて!」
ひどい!
格好の標的じゃない!!
「ソフィアさま、これは、私たちの事情です。理解してください」
トゥーレさんが右側に……
ラーシュてトゥーレさんは、話しながらというのに、慣れない険しい山道を気にすることなく歩む。
肉体的にも、体力的にも、彼らは強いのだろう。
だからこそ、なおさらよ!!
「どんな事情でも、妹さんに軍服を着せるなんて、ひどい人」
だから、さっき、レティシアさんは不満そうだったんだ!
なんて、ひどい人なの! ラーシュ!
「俺ばっか、にらむな!」
「あっ!!」
あたしは、ラーシュがバランスを崩したので、腕を伸ばして彼を支える。
「いたっ!」
反射的に、あたしは声を出してしまう。
伸ばしたのは、思うように動かなかった左腕だったらしい……
「すまない、ひどいのか?」
「かすり傷よ。気にしないでちょうだい」
なによ! そんな顔をしても……
あたしの手を握らないでちょうだいっっ!
それに、なになに!
「ラーシュさま、あまり、女の子を困らせないでください」
後ろ兵士たち……、ついさっきまで、傷だらけのボロボロで疲れ切ってたくせに!
ラーシュのバカは、ずっと、あたしの手を握ったままだ!
「なによ!」
「そんなに、気を悪くしないでくれ! 妹に軍服を着せているのは、王城から連れ出したのを悟られないためだ」
「ちがうわよ!」
この手は、何ですか? ってことよ!
左手を引っ張って離したいけど、思うように動かない。
それに、「いたい」なんて弱音は、はきたくない!
トゥーレさんが真剣な口調で語りかけてくる。
「うそじゃありません。レティシアさまを王国から連れ出すことは、大切なことです」
「そうだぜ、ソフィア、妹に傷一つつけさせはしない」
なにが「だぜ」よ!
後ろからついてきているレティシアさんを見る。彼女の軍服は、誰よりもきれい。ほこり一つ付いていないように見える。
確かに、レティシアさんは、大切に扱われてきたのだろう。
それは、あたしが、彼女の存在に、今まで、気がつかないくらい……
一番安全な場所、そんな場所が、戦場にあるなんて……
彼女以外の兵士たち、ケガの程度に違いはあれど、皆、どこかに傷を負っている。
そんな彼らが、体を張って、レティシアさんを守ってきたのだ。
「レティシアさまもいないことに、魔王のやつが、気がついたら」
トゥーレさんのつぶやき……
彼にとって、それが心底、面白いということらしい……
「俺をもっと信じてくれ!」
「いたい!」
信じられません!
けがしてるほうの手を強く握るなんて!!
そして、後ろ、兵士たちも同類よ!
「ラーシュさま、さかるのには、陽が高いですよ!」
さかるって、なに!
でも、それが良い意味ではないのは、兵士たちの含みがある下品な笑い声が教えてくれる。
紛うことなき、あなたのお仲間です。
ラーシュのことが、分かった気がする。
「ラーシュのヘンタイ!」
「なんだと!」
「だから、いたいって!」
「ソフィアさん、ヘンタイの兄さまには、はっきりと言わないと伝わりません」
妹のレティシアさんが、あたしとラーシュの間に割って入るのを、うかがうような位地につのまにかいる。
「レティシア、あまり、勝手に動かないでくれ」
「勝手って!」
あたしとレティシアの声がそろう。
「過保護すぎよ!」
ほんの少しの距離、隊列を組んでるのか知らないけど、場所を変えただけじゃない!
「君にとやかく言われる筋合いない。兄妹の問題だ」
「いいえ、ラーシュさま、人類世界の平和の問題です」
トゥーレさんが問題を大きくする。
たった二人、兄妹が世界を左右するだなんて!
彼と彼女は王族らしいけど、ちょっと言い過ぎよ!
「トゥーレも口を挟まないでくれ!」
「ラーシュさま、出過ぎたまねを、お詫びいたします。ただ、ソフィアさまが無関係なのは同意いたします。エルフたちには、もう、人類世界を左右する力はございません」
ラーシュのあたしの手を握る力が弱くなる。
なによ! バカ!
あたしは、仕返しに目一杯の力を握り返してやった。
彼は、たいそうな痛がりを見せる違いないわ!
「違う、誰も、協力なしに世界を変えることなんてできないさ。そこに、人間とエルフの違いなんてない」
さらに、期待に応えてくれない男、ラーシュは、余計な言葉を付け加える。
「ソフィアには感謝してる。少なくとも、俺とレティシアは彼女に救われたんだ」
彼は、あたしの手を離さない。
「俺とレティシアが人類世界を左右するなら、ソフィアは一度、世界を救ったとならないかい? トゥーレ」
トゥーレの表情は見ていない。
だって……
「ありがとう、ソフィア」
ラーシュの言葉……
こんなふうに、他人に感謝を述べられたのは、いつ以来だろう。
だって、あたしは、ずっと、ずっと……
彼の瞳の色を知った。
深い、深い青色。透き通った、その色、雲一つない青空を連想させる。
「兄さま! 早く、ソフィアさまの手を離してあげて」
レティシアが、ジド目で割って入ってきた。
彼女の瞳も、ラーシュと同じ色……
「ソフィアさまも、ぼうっとしないで、早く帰ってきて」
えっ? どこから?
「ソフィアさま、兄さまの手を離して」
「ごめんなさい」
慌てて、ラーシュ手をはなす。
顔が熱くなる。
吐息が白くなるほど寒かったのに……
燃え上がった血流が耳を真っ赤に染めるほど、熱い!
兵士たちが、なんか言ってるけど、もう、知らない!
「ソフィアさま、里に入ります。どうでしょう、彼らの静養場所に城を提案します」
ミネバって、冷静よね。
確かに、あたしの小屋に行ってからじゃ遠回りだし……
この大所帯だと、城しかないわね。
それに、城なら、「黒のスクルト」という魔法使いも侵入できないわ。多分……
城には「原典」が保管されている。ククルース神話の原典……、一般に知られている神話は勧善懲悪だけど、「原典」は違う。
解釈を間違えば、正義なんてないと思わせる内容だ。
古代ククル語を知らない人間には、読めないはずだけど……
もし、「原典」の知識が流失したなら、彼女の扱う魔法の威力も……、でも、無詠唱なんて無理よ……
城へと続く道。
石畳できれいに舗装されており、両脇には、残雪がおおう空き地が広がる。
かつて、エルフが暮らす家々が建ち並ぶそこに、建物はない。
随分まえに朽ちてなくなった、父さまと母さまから伝え聞いている。
その空き地ですら、あと数十年もすれば、木々がおおうだろう。
「ソフィアさま、随分とさみしいところですね。出迎える気配すらないなんて、やはりエルフにとって人間は」
トゥーレさんが、愚痴を言いだす。
「トゥーレさん、ごめんなさい。エルフは、人間を見下してなんていません。わたしたち、人間の言葉を学び、あなたたちを理解しょうとしていました。それに、感情を巧みに伝える人間の言葉は優れていたので、エルフたちは普段から人間の言葉を使うようになり、本来の言葉は、魔法を詠唱する時にしか発しないぐらいです」
「トゥーレ! あまり、失礼をいうな!」
ラーシュがトゥーレの反論を止めてくれた。
「仲間がいれば、きっと、あなたたちを歓迎したわ」
きっとそう。
「だって、あたしは、うれしいもの……ありがとう、トゥーレさん、それに、ラーシュ、レティシアさん、みなさんも、最後のエルフ、ソフィアが、みなさんのご来訪を歓迎いたします」
やがて、道は森の開けた、湖にたどりつく。
風もなく、穏やかな午後。
波一つない湖面は、鏡となって、風景を写している。
青空に浮かぶ雲が湖面を泳ぐ。
道は、一つの橋へとつづく。
立派な橋。
「すごい……」
一行のそこらかしこから、ため息まじりの感嘆がもれ聞こえてきた。
きっと、それは、橋に向けられたものではない。
エルフ里をずっと見守り、少数になってからは、生活ですら、そこでした。
グラズヘイム城。
ククルース神話に登城する終末の居城。
歴代エルフが、全ての魔力と技術を注いだ最高の城。
「皆さんの静養は、この、グラズヘイム城でいたします」
みんな、ポカーンしてるわね。
「最後のエルフ、そして、最後の姫として、このソフィアが、皆さんの安全を保障いたします」
この城にあたし以外の人が入るなんて、なんだか……
「ソフィアさま、掃除は、いつされたんですか?」
ミネバの小声……
あたしは「あっ」と返事するしかなかった。
もうっ、だって、今日、するつもりだったのよーー!




